決意
「尚、尚じゃないのか?」
背後から掛けられた野太い声に振り返った尚人の口元が緩んだ。土産物屋の店先で談笑していた初老の男が近づいてくる。鋭い目つきには気の弱い者なら睨み殺してしまいそうな迫力があった。
「岸田さん――いらしてたんですか。いつもお世話になってます」
「世話になってるのはどっちだろうな。お前達が送り込んでくれる人足のお陰で片付けも随分捗った。カジと小野木は元気にやってるのか?」
「ええ、世のオヤジどもに見せてやりたいくらいです。こんなにバイタリティに富んだ五十歳も居るんだって」
男が大きな笑い声を上げた。
「確かにな、あいつ等は異常だよ。よろしく伝えておいてくれ、こんな近くに居るんだからもっと顔を見せろってな」
「わかりました、必ず伝えます」
男は土産物屋に戻り、店主と思しき女性と再び話し始めた。
「今の人は?」
「岸田さんっていって、カジさんの古い知り合いだよ」
もしや……由里は積み上げた記憶を広げ、推測の接着剤で繋ぎ合わせて行く。注意して見ると通りを清掃する一団は、地元の人間でもなければボランティア風体でもない。二の腕や首筋に派手な絵柄を覗かせているのも一人や二人ではなかった。視線を転じた先、由里の目が髑髏のプリントに釘付になる。
「ちょっと、あれ……」
由里の指差す先に目をやった尚人は、バツが悪そうに言った。
「見つかっちゃったか――由里さんの予想通りだ。ジュンさ達が捕まえた連中は、全員岸田さんとこに引き渡して強制的にボランティアをさせている」
「でも、あの人達って……」
「そうだ、ヤクザって呼ばれる人達だよ。でも彼等はガレキの撤去や町の清掃、支援物資の運搬を黙々とやっている。報酬を期待することもなくね。わかるだろう、ジュンさの言ってたことが。こんな言い方は失礼だけどヤクザと呼ばれるあの人達でさえ、この窮状を何とかしたいと思っているんだ。他人事だと思って享楽ばかりを追いかけてる連中に気づいてもらわなきゃいけない。そうでないと、この国はダメになっちゃうんだ」
由里は書いた。情報の届かない被災地の人々が本当に必要としているものが何であるか、震災孤児たちを救うために何をすべきかを。感化されたのではない。彼女の――そして小野木達の内なる叫びが文字となって迸る。
『上出来だ。ここまでやってくれるとは思ってなかった。一日、休暇をやる。のんびりと温泉にでも浸かってくるといい。しかし今時そんな奇特な連中も居るんだな』
〝奇特〟メールにあった、その二文字に反撥を覚え、由里はデスクの直通電話をコールした。
「すぐに社に戻ってまとめます」
――それには及ばん。確かに記事は素晴らしい。ただ俺の独断で全てを掲載して良いかどうか判断が出来んのだ。編集長も同意見だ、スポンサーあっての本誌だからな。社主にも目を通してもらう必要がある。その間、取材の疲れを癒してこいって言ったんだ」
「報道されない真実をとの依頼だったはずですが」
由里の携帯電話を握る手に力が入る。
――大人になれ。綺麗事だけで社会が成立しているなんて君だって思ってはいないだろう。裏は取れてないが俺でさえ知らない事実があったのだな。君を見くびっていたようだな、これからはどんどん取材に出す。そこの事なんかすぐに忘れるだろうさ、以上だ」
由里の反駁を待たずに電話は一方的に切られた。事実を知らされて尚、手を差し伸べようとさえしない人がここにも居る。由里は寒々とした感覚に襲われた。小野木達が抱く焦燥感、危機感がわかる気がした。幾ら書こうとスポンサーの意にそぐわねば記事として掲載されることはないのか――由里は無力感と同時に怒りを覚えていた。ふと思いつき社の別の番号をコールする。
「上川部長、仙道です。そちらにメールしてもいいでしょうか? 原稿を読んでいただきたいんです」
――こんな老兵の批評が聞きたくなったのか? いいだろう。Shizaibu.kamikawa@――で送ってくれ」
狭いバスタブで冷えた体をしっかりと温め、ベッドに入った後も由里は寝付けずに居た。テーブルスタンドに置いた携帯電話がけたたましい音で鳴った。
――大作だな、よく調べ上げたもんだ・
「そこに書きました通り協力者のお陰なんです。彼等の力になってあげたいんです。デスクの様子ではどうやら記事は御蔵入りになりそうです。どうしたらいいのでしょうか?」
――うむ……
電話の向こう、上川が思考に沈む様子が伺えた。
――私が一線を退いた理由は知っているか?
時の総理の政治献金に纏わるスキャンダルをすっぱ抜いたものの、社内のコンセンサスが得られず上川は他誌に漏らした。しかしそれは陽の目を見ることなく社主の激昂を招いただけだった。半月後、その事件は秘書の自殺により国民の前に露呈されることになったのだが、以来、上川は取材に出ることを頑として拒んだ。彼が第一線を退いたのはそれが原因だと聞いていた。
「ええ、おおよそですが」
――ジャーナリズムの限界を知って嫌になった。養うべき家族のため社には残っているが、今や俺は屍みたいなものだよ。君も俺みたいになりたいか?
「上川部長が屍だとは思っていません。ですが、ただ手をこまねいているだけの自分は許せないと思います」
電話の向こうで上川の沈黙が語られた。由里は固唾を呑んで次の句を待つ。
――君の決意は分かった。すべきことをした俺に後悔はない。君も自分の信じた道を行けばいい。記事にはならなくとも書く場所なんていくらでもある。他誌にリークしてやろう。掲載される保証はないがな。細かい打ち合わせは君が戻ってからだ。デスクの前では、従順なフリをしておくんだぞ」
「わかりました、ありがとうございます」
そうだ、書く気になれば場所はどこにでもある。ラップトップを起動して記事を見なおし、自分の言葉に代えてゆく。アカウントを取得したのみで放置してあったページを開き、ブログサービスがあることを確認すると暫く考えてからタイトルを打ち込んだ。
『東日本大震災の今、そして我々が向かう未来』