捜索
「由里さん、足のサイズは?」
「二十三センチよ。何故、そんなことを訊くの?」
「じゃあ、これだ。靴の中に敷いといて。薄い鉄板が入っているから小さな釘なら踏み抜いたりしないで済む。ガレキも金属片が混じっているから、素手で触れないように」
尚人から厚手の手袋と包装されたままの靴の中敷きを手渡される。
「あなたが、用意してくれたの?」
「まさか――靴のサイズまでは分からないよ。俺がここに由里さんを連れてくるって言ったらジュンさが持たせてくれたんだ。ガサツに見えるけどこういった気配りは抜かりない。美代ちゃんもよく驚いてたもんさ」
そうなんだ……人は見かけによらないとはよく言ったものね。小野木の意外な一面に由里の小野木評は六十点まで引き上げられた。
「ねえ、美代ちゃんって方は小野木さんの奥さんなんでしょう? あなたより随分、年上のはずよね。そんな呼び方でいいの?」
「美代ちゃんは中二と中三の時の俺の担任だったんだよ。俺達はみんなそう呼んでた」
尚人の声に憧憬が滲む。中学生ぐらいの少年が若い女教師に恋心を抱くのはよくあることだとは知っていたが、あのNAOでさえそうだったという事実が微笑ましくもあり、まだ見ぬその女性に妬みを感じてしまう由里だった。
「ここからだったか?」
うん、と二人の少年が元気に答える。尚人はルーフラックから下ろしたアルミ製の梯子を伸ばし、露出した屋根の梁に滑車をぶら下げる。垂れ下がった庇部分をウィンチで引き上げ、倒れた鉄骨にブロックを重ねてジャッキで開口を確保した。
「これでオッケーだ」
二次災害への対策が手際よく行われると、尚人と由里は少年達を伴って崩れかけた建物へと足を踏み入れた。水産加工の工場だったらしい。足の踏み場もないほどのガレキが床面を覆い、一歩進む度に割れたガラス片が足元で音を立てる。
「分かったかい? この車じゃなきゃいけない理由が」
「ええ、JAFみたいな機材はこう使うのね」
崩れ落ちた天井材や柱の散らばる工場設備をすり抜けて少年達はどんどん建物の奥に進む。対して大人の体格である由里と尚人は、体が通り抜けられる隙間を探すことに苦労していた。時には息がかかるほどの距離に体を寄せ合い、時には手を引いて誘導される。何度も触れる肩や腕に由里の体温は上昇を続ける。鼻をつく魚の腐臭など気にならなくなっていた。
「最初の頃はレッカーを借りてクレーンで吊り上げてたんだ。ただ誰の家かも分からずにやってるからあまり目立つのもね、あれには会社の看板が入っているからな。持ち上げ過ぎて壊しちゃった家もある。あ、俺じゃなくジュンさだよ、あの人は乱暴だから」
尚人は慌てて釈明した。
「とにかく、こんな風に一軒一軒、とことん探し回らなきゃ海地達は納得しないんだ。ガレキで道路がなくなっている所もあって、この町に住んでたあいつ等じゃないとどこまで調べたのか分かんなくなっちゃうからね」
目印になるような建物など残っていないのだから、ストレンジャーの尚人ではやむを得ないことだ。そんな協力体制が彼等に強い絆を構築させていたのだろう。
「おーい、そんなに奥に行くんじゃないって」
「遅いよー、ナオは」「ナオはー」
兄弟の非難がユニゾンで廃屋に木霊する。尚人と由里が顔を見合わせて笑った。
「ねえ」
「なんだい?」
「エリと付き合っていたんでしょう、今はどうしてるの?」
尚人とモデル出身のタレントとの交際を報じたスポーツ誌の記事を由里は思い出していた。
「あれか……俺が自衛官になるって言ったら、ダサイって言って去って行ったよ。全員が同じ服装で同じ行動をすることは無個性に思えて受け入れられないんだってさ。いつだってそうだった。この顔のせいで人間の上っ面しか見ようとしない連中しか寄って来やしない」
由里は尚人の過去を想像してみる。美形には美形の悩みといったものがちゃんと存在するのだ。生まれ持ったものがどれほど素晴らしくとも、それだけが人に幸福をもたらすものではないのだ。
「私は偉いと思うわ。あのまま続けていれば何不自由ない暮らしだって出来ていたのに、それを擲ってまで、見知らぬ人々を助けようとしているのだもの」
「じゃあ、由里さんが彼女になってよ」
予期せぬオファーにドギマギして、つんと言い放ったつもりの語尾が揺れる。
「お姉さんをからかうもんじゃない……わ」
「ふたつしか、違わないじゃないか」
短い不平の後、尚人はこう続けた。
「俺も由里さんを偉いと思うよ。仕事のためだったんだろう? ICレコーダーを探しに、あんな真っ暗な街に来てたのは。使命感に衝き動かされたってヤツかな。迎合をよしとしないいい目をしている」
後半が尚人の言葉らしくなく聞こえ、由里は会話のイニシアチヴを取り戻すべく反撃に転ずる。
「それは小野木さんの受け売りなんでしょう? わかってるんだから」
「じゃあ俺の意見を言おう。眉毛は半分しかなかったけど、足は震えていたけど、あの夜の由里さんは颯爽としてて格好良かった。あんな事の後だったのにジュンさに噛みついたそうじゃん、美代ちゃんみたいだな。媚びないって言うのかな、俺はそうゆう強い女性が好きなんだ」
由里の反撃は簡単に途絶えた。ちっとも私のことなんか見ていないと思ったのにあの暗がりの中、眉毛までチェックしていたのね。重なる眼差しが由里をドキリとさせる。ガレキが発する音、少年達の掛け声、全てが由里から遠ざかっていった。
「もう暗くなる。続きはまた明日だ。俺かヒゲ魔人の居ない時は、建物に入るんじゃないぞ」
尚人が本日の捜索終了を少年達に告げる。小さな体でガレキを持ち上げ続けた彼等の表情は疲労からか、作業に入る前の溌剌さが消えていた。
「……うん」
「どうした? 元気がないじゃないか。おまえ等から元気を取ったら何も残らないじゃなかったのか」
尚人が機材を運ぶ手を止めて言った。
「そうだけどさあ、これだけ探してめっからないとなると、みんな海に行っちゃったんじゃないかなと思ってさ」
顔を上げずに言う海地に尚人の叱責が飛んだ。
「バッカヤロー!おまえ等が諦めてどうすんだよ。わかった、次からは俺一人で探す。おまえ等はもう来なくていい。明日は迎えに行かないからな」
「諦めてなんかいない! そうだろ? 兄ちゃん。きっと父ちゃん達、腹を空かせて待ってる。早く見つけてやんないと」
大地少年に鼓舞され、兄の海地が瞳に力を取り戻す。
「尚には入れないところだってあるじゃん。俺達が一緒じゃなきゃ見つけられるもんか」
「ようし、その意気だ。明日はあれとあれとあれ。三つ回るぞ。早く迎えに来るから、寝坊するんじゃねえぞ」
「津波にさらわれた可能性が高いんでしょう? 行方が判らなくなってもう一ヶ月以上。あなたはいつまで続けるつもりなの?」
「どっちか片方じゃなく二人がもういいって言い出すまで続ける。あいつ等の気持を繋ぎ止めているのは肉親を探すっていう、その思いだけなんだ。あんな小さなあいつ等が避難所でも一度も涙を流していないって吉井さんは言ってた。あいつ等の気持が切れた時、俺にはどう言ってやればいいのかわからない。俺がそれを見つけるか、あいつ等が諦めるか――それまでは無駄だと思えても捜索を続ける」
尚人の視線は、車の進行方向の更に彼方を見据えているようだった。
「松島海岸は行ったことある?」
「大学時代に一度きり――きれいな海だったわよね」
「帰り道だ、少し寄って行こう」
駅前ロータリーの石畳は歪みアスファルトは泥で覆われている。ヘドロの海になっていたと聞いたが整備が進んだのだろう。夕暮れの海はかつてと変わらぬ景観を湛え穏やかに佇む。道中、目にしたようなガレキの山は片付けられているようだった。車を降りて歩く土産物屋が立ち並ぶ通りを、来るべき長期休暇の観光客を期待してか懸命に清掃に励む人々が居た。
「小野木さんが言ってたんだけど、こっちに来てからは誰も殺しちゃいないって――あれもお芝居の一環よね?」
小野木に訪ねても答えてはもらえないだろう疑問を由里は口にした。
「勿論さ。それにジュンさは末っ子だからね。どこか甘いとこがあるんだよ。最初は捕まえた泥棒もレイプ野郎も、説教だけくれて逃がしちゃってたんだ。例え被災者だろうと自暴自棄になって犯罪に手を染めるような連中には厳しくすべきだ。そして全ての要求に手を差し伸べてはいけない。それは、彼等自身が立ち上がろうって意志まで奪ってしまうことになる。カジさんはジュンさにそう言った。高校生の頃、両親を亡くして弟の面倒を見てきたカジさんに、ジュンさのような甘さはないからね」
「で、あなたの意見は?」
「俺はその中道を行くよ」
「察するに、あなたは次男坊ね」
怪訝そうな目で由里を見ると、寂しげな笑顔を浮かべて尚人は言った。
「いや、俺は私生児なんだ――親父は居ない」
軽口が思わぬ方向に作用して由里は途端に後悔する。
「……ごめんなさい」
「謝る必要はないよ事実なんだから。それに俺にはジュンさやカジさん、美代ちゃんも農園の仲間達も居る。寂しくなんかないさ。ジュンさは特定の誰かを贔屓することはなかったけど、俺がジュンさに抱く感情は両親の揃っていた他の連中とは違っていたと思う」
私も居るわ――あなたが望むなら、ずっと寄り添っていてあげる。海は色彩を増して沈みゆく太陽を映し出す。触れる肘が――肩が、二人の距離をごく自然に縮めて行った。