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小野木が運ぶもの

「失礼ですが、小野木さんはずっと農園をなさっているんですか? 巡査って呼ばれていましたよね」

 暴漢から救われた昨夜来、居座り続ける不快感がある。それは依然として明確にならない小野木の素状だった。警官に掴みかかろうとする粗暴さと、彼が語る話の内容は由里の価値観に於いて相容れないものだった。一体、何者なんだろう? その問いを言葉にした。

「警官の巡査じゃなく片仮名のジュンさだよ。俊夫ならトッサ、淳一の俺だからジュンさって呼ばれてる。故郷の方言だな。農園をやる前は普通のサラリーマンだった。何でそんなことを聞く? 俺みたいな小汚い一市民が国を憂いちゃダメか?」

「いえ、そういう訳では――ただ、昨夜は何も答えてくれなかったでしょう。身分を明かせない事情でもおありなのかと」

「ああ、眠かったんだ。悪い」

 小野木の秘密主義はあっさりと披歴された。

「着いたぞ」

 小野木が車を停めたのは公民館だった。洗濯物が干され、仮設トイレが立ち並ぶ見慣れた光景が避難所であることを物語っている。

「先ずはシャワーだ」

 ライフラインが復旧しているの? 道すがら目にした惨状からは、とてもそうは思えない。水も電力も貴重な避難所でシャワーを浴びようとする神経を疑った。

「私は結構です」

「仙ちゃんじゃねえよ、見てみたいけどな。ガキどもだ」

「なっ……」

 しれっとした顔で言う小野木を睨みつけるが、意に介さぬ様子で彼はクラクションを鳴らした。建物の中から数人の子供達がわらわらと飛びだしてきた。何故だか半裸の子供も居る。

「ジュンさだー」

「おう、来たぞー並べー」

 小野木は荷室から取り出したホースをルーフラックのタンクに取り付けると、シャワーヘッドのついたホースの先を少年に手渡す。同様に反対側のユニオンにも取り付け、小さなテントを組み立てる。

「みんなが同じように温まれるように、ひとり三十数えるまでだからな。ヒトシ、女の子の方を覗くんじゃねえぞ」

「ジュンさだろ、スケベは」「違いねえ」

 そんな少年とのやり取りは、ここへ足を運んだ回数が一度やニ度ではないことを由里に確信させた。

「お湯が入れてあったんですか」

 タンクを見上げる由里に、小野木が肩を並べてきた。

「ただ走ってるだけじゃあ勿体ないからな。お陽さまが照れば水も温まる。そんでは足んないから熱交換器と電熱コイルを通して温めてる」

 今朝方、小野木が押したHと書かれたボタンを荷室後方から指し示す。

「カジさんのハンドメイドだよ。三百リットルじゃあ、あっという間になくなっちゃうけど、ガキどもの数人なら身体も洗える」

 暫くすると他の住人も建物を出てきた。二十人足らずだったが圧倒的に老人が多い。一人の老婆が小野木に歩み寄ってきた。

「いづもすまねえな、ジュンちゃん」

「水臭いこと言うなって。婆ちゃんは、俺の死んだおふくろにそっくりなんだ。親孝行、したい時には親はナシって言うけど、俺は婆ちゃんのお陰で出来てる。礼をいうのはこっちだぜ。土産があるぞ、温湿布だ。膝が痛いって言ってたろう? で、こっちがいつも栄養剤だ。炊き出しばっかりじゃ栄養が偏っちまうからな。おい、若いの――ええと、新沼だっけ? 降ろすの手伝ってくれよ」

 様子を見守っていた青年は荷室に上体を差し入れた途端、鼻をつまんで言った。

「くっせえ! また動物を運んだんか」

「中身には臭いも染みついてねえやな、文句ゆうな。それと今回のは俺の屁だ。来る途中、デカイのが出てな」

「何食ってんだよ、一体」

 若者が大きな笑い声を上げると人々も一緒になって笑った。同乗していた由里は、そんな事実がなかったことを知っている。道化まで買って出る理由は何なの? 彼の行動は由里の理解の範疇を超えていた。

「その別嬪さんは?」

 青年が由里に視線を送る。

「うちの娘だ、手え出すんじゃねえぞ」

「ジュンさの娘が、こんなキレイなはずねえべ」

「女房似なんだよ」

「何番目のだあ」

「バッカヤロー、結婚したのはニ回こっきりだ」

「ニ回してりゃあ充分だ、こっきりっていうなや。あんた、見る度にむさ苦しくなってくるな。ヒゲぐらい剃れって」

「ワイルドでいいだろ? これで役場に並んだら義援金受け取れるんじゃねえか」

「それ狙いかよ」

 そこかしこで湧き起こる笑いは、避難所で暮らす人々のそれとは思えない明るさが感じられた。彼が運んでいる物は支援物資だけではないんだ。由里はでこぼこになった路面を段ボールを何段にも積み上げた台車を押す小野木の背中を見つめていた。

 

「ジュンちゃん、いつもやっておぐれよ」

 中年の女性の声に、頭を掻きながら小野木が答える。

「しょうがねえなあ、待ってたのか?」

 いつものとは何だろう? 由里の疑問はすぐに氷解する。小野木が車から持ってきた細長いバッグを開いて取り出した物はパースの狂った弦楽器のように見える。

「ギター……なんですか? それ」

「ああ、こんな寸詰まりでもちゃんと鳴ってくれる。バックパッカーって言うんだ。こいつは拾ったんじゃねえぞ。尚のを拝借してきたんだからな。俺のリサイタルだ、聞いててくれよ」

 そう言って、チューニングも確かめないままギターをかき鳴らし、調子っ外れの声で歌い始めた。

「先ずは石川さゆりちゃんメドレーだ」

――おんもいだします、忘れんぼう――

「どっちなんだあー」

――あまいーこーえー――

「ガラガラじゃねえかー」 「

――いーまでは指輪もー、まーわるーホモー――

「栄養失調かあー」

――大きな野茂から、小さな野茂まで――

「あはは、野茂は農機具じゃねーぞ」

 家や家族を失くした人々が、笑顔で口々に囃したてる。野次にめげることなく壇上で歌い続ける小野木の姿に、胸にこみ上げるものを感じずには居られない由里だった。許可を得て、ひたすらシャッターを切る。人々の笑顔をカメラへと収め続けた。


「また来るからなー」

 避難所の住人に見送られて出発するFJクルーザーに走ってついてくるのはヒトシ少年だった。

「危ねえってば、ちゃんと来るから帰れって」

「絶対だぞ」

「俺が嘘つくのは女にだけだ」

 坂が下りになると、立ち止まって手を振り続ける少年の姿が見えなくなった、

「感動しました。誰にでも出来ることではないと思います」

「よせやい、照れちまわあ」

 しかし、小野木の照れ笑いは一瞬で消え真剣な表情になる。

「ここへ来てこの状況を目にしてた俺達は最初、何をしていいのか分からなかった。きっと昨日の仙ちゃんも同じ気持ちだったろう。そん時、思い出したのが別れた女房の言葉だったんだ。人の痛みに寄りそってみろってな。そうすれば、彼等が望んでることが見えてくるんじゃないかと思った」

「痛みに寄りそう……ですか」

「うん、俺達は雑草だ。彼等を苦しみから救いだすことは出来ない。ただ歩き疲れ腰を下ろしたくなった時、道端に生い茂っていれば座布団の代わりぐらいにはなれる。それが俺達の行動原理だよ 」

「だから、小野木さんはそんな格好で?」

「ツナギのことか?」

「ええ、それとそのヒゲ。最初にあなたを見た時、被災者かと思いましたよ」

「ツナギは農園のユニフォームだよ、ヒゲは……」

 口ごもる小野木に、語尾を復唱して続きを催促した。

「ヒゲは?」

「来てすぐの頃はお湯も使えなきゃ、シェービングフォームを買う所もなかった。圧倒的に物が不足してたんだよ。で、俺は……」

「俺は?」

 再び言い難そうにする小野木に由里は同じ手法を重ねた。

「誰にも言うなよ。記事にもするな」

 しませんよ、そんなもの――その本音を由里は「はい」に代えた。

「俺はな、お肌が弱いんだ。お湯でようくふやかしてからでないと剃った所が真っ赤になっちまうんだ。だからずっとヒゲを剃ってない」

 お肌って――似合わない――真顔で答える小野木の横顔を見つめ、笑ってはいけないと思いつつ堪えることは出来なかった。ぶっと由里の口から大きなしぶきが飛び出して小野木のこめかみ辺りに飛んだ。

「おや? 雨か? いや、晴れてるよな――タンクが漏れてやがんのか?」

 見当違いな推理で頭上を見上げる小野木に、由里の我慢のタガが外れた。

「何、急に笑いだしてんだ? 変なヤツだな」

 嬌声を上げて笑う由里を怪訝そうな目で見つめる小野木の顔が涙で滲む。もうだめ、お腹痛い。こんなに笑ったのは何年ぶりだろう。何不自由ない都会暮らしのなかで忘れていたものを取り戻せたような気がしていた。

  

「町村さんも、亘理に来ているんですよね」

「おっ、気になるのか? 無理もない、尚はあのマスクだしな」

「そんなんじゃありません。先に行ってるって言われてたからどこかで合流するのかと思っただけです」

「隊で動いてる時にそんな好き勝手は出来んよ。呼び出せたのも夜だっからで――あれ? 何でそう真っ赤になってるんだ?」

 視線も振らずに言う小野木に、図星を指されたような気がしてムキになる。

「なってませんっ」

 意識したより大きな声になってしまった。運転していた小野木はビクッとして車を蛇行させた。

「びっくりしたあ」

「あ、すみません。つい……」

「いや、いいけどさあ。なんで俺の周囲にはこう声のデカイ女性が集まるんだ」

 後半は過去に思いを馳せるような目になって小野木が呟いた。

「陸前高田方面も被害が甚大だそうですね」

「うん、八戸から茨城まで沿岸部はどこもああだよ。でも報道されない真実を女性目線で――仙ちゃんはそう言ったよな? ビルに乗っかった船は誰が見ようとビルに乗っかった船なんだ。ニュースバリューはあっても、それはただの哀しい現実でしかない。俺が仙ちゃんに見せたいもんはそんなんじゃないんだ。」

「なんで、私に親切にして下さるんですか?」

「別嬪さんだから――って言いたいところだが、そうじゃない。今日の話は今まで来たテレビ局にも新聞社にも話した。だけど誰一人として書きやしねえ。上の方に報道管制でも敷かれてるのかも知れねえな。ジャーナリズムってのは、おためごかしか? 使命感ってもんはねえのか? 口を開けば国民は真実を知る権利があるとかぬかすが、本当んとこも書けずに何がジャーナリズムだってえの」

 報道管制? そんなことがあったのだろうか、一雑誌記者である由里にはわからないことだった。しかし少なくとも由里が推敲を受け持った原稿には、ここで体感したようなことは書かれていなかったように思われる。小野木の言った通り、哀しい現実に読者の興味を惹きそうな見出しをと、頭を悩ませていた自分が恥ずかしく感じられた。

「例えば、どこそこの自動車メーカーが被災したうちの車は撮るなと言えば、いきなりその露出が減る。大事なスポンサー様だからな。原発に関する報道が遅れたのだって、その辺が理由なんだろう。そうこうしてるうちに流せる映像は限定されちまう。被災した人々に思い遣りをとかなんとかいっても、その姿を飯のタネにしてるんじゃねえかマスコミは。取材に来てたった五日ぐらい風呂に入れねえ生活をしたからって、帰れば家も仕事もある連中に彼等の気持なんか分かりゃしねえんだ。テレビのリポーターも気取ってデュペチカなんか着てくるんじゃねえ。そんなもん戻ればいくらでも買えるだろう。寒さに震える人に置いて行け。長い髪を縦ロールにしてメイクばっちり、きれいなネイルで来るんじゃねえ。レイプされたって助けてやんねえぞ」

 小野木の言葉に怒りが混じりだし、由里は神妙な面持ちとなった。

「私が叱られているような気がします」

「あはは、悪い悪い。つい興奮しちまったい。俺は国民が本当に知らなければいけないことを仙ちゃんに書いて欲しい。自分じゃあ出来ないことを頼むんだから、こうしてる。分かったか? だから遠慮すんな」

「小野木さんご自身で書こうとは思われなかったんですか?」

「ブログでも起こせってのか? 残念ながら俺の文章力じゃあ、手紙一通まともに書けやしねえんだよ」

「分かりました、全力を尽くします。もっとお話を聞かせて下さい。あのレッカー車はどちらのなんです? 山田レッカーと書かれてましたよね。もう一人の方はカジさんと呼ばれていたはずです。しかも鵜飼県のナンバーでした。他にも支援者が居られるんですか?」

「なかなか鋭い観察眼をお持ちのようですな」

「茶化さないで下さい」

 美代ちゃんみてえだな、と小野木は小声で不満を洩らすが答える意志までは失くさなかったようだ。

「いくら人間嫌いの俺でも五十年も生きてりゃあ、あちこちに関わり合いは出来ちまう。支援者って言うなら俺が今ここで生かされてること自体、多くの支援者あってのことなんだよ。あのレッカー車は中越地震の時に、被災した車の移動やガレキの撤去に必要になったことを知ってた或る人が使ってくれって農園に届けてくれたんだよ。身内の自動車解体業のなんだそうだ。こっちに来るか来ねえかウジウジ迷ってた俺を後押してくれたのは、そういった人達なんだ」


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