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私に見えないお母さんの耳と心

作者: 畑雷魚
掲載日:2026/02/03

午後16時、お惣菜に値札を貼り始めた頃、30手前の女性と子供が目を掠めた。

「きょうはね、きのこのね、おなべね、」

「くみちゃんお鍋好きだもんね。キノコ鍋がいい?」

「ままとね、いっしょにつくるの」

この子は可愛いもんだ。親子の形はそれぞれ違うけど、それに気付くのは高校を卒業してからだろう。

毎日家族四人でくる家族。年末になって顔馴染みのお客さん同士が夫婦だと気付くこともある。

「きょうね、おかしかう」

「お菓子買おうね。ちょっとだけだよ。」

羨ましい。

「お菓子買ってもいい?」ではなく「かう」と決め撃ちしていとも簡単にお母さんを射止めている。

愛嬌とは長距離銃専用300ウィンチェスターマグナムよりも良い弾になる。

その弾を込めるのは心なわけだが。

そんな厨二病じみたことを考えるのが怠けたバイトの体感時間を早める秘訣だ。

ふとお母さんの耳に視線が向いた。

左手で手を繋ぐ。ワイヤレスイヤホンをつけていた。可愛い子供の目の届かないお母さんの右耳に。

よく犬の散歩をしているときにワイヤレスイヤホンをつけている人を見かけるが、子供は子供であり、犬ではない。

これは良いのか?しかし悪いことではないだろう。でも言葉にできないこの感覚に、値引きシールを貼る手が震えた。

なぜだろう。夜ご飯の構想に目を輝かせる我が子を前に音楽?ラジオ?を優先してしまうのか。そうでなければ精神が崩壊してしまうほど育児は大変なのか。

「あの。」

「はい?」

「イヤホン、」

「はい、?」

「ワイヤレスイヤホン。なんで付けてるのか気になって。」

「ああ、これ。」

「注意したいわけじゃなくて、ただなんでなのか気になったんです。」

「これ。電話してるんです。」

「電話?」

「3週間ほど前に娘が夫と大喧嘩してしまって。娘が全然口聞いてくれなくなったんです。」

「ああ、そうなんですね。」

「こんな4歳の子供相手に意地張っちゃったみたいで。娘の声が聞けないのが寂しいみたいなんです。」

「てっきり音楽とか聞いてるのかと思って。」

「そんなそんな。娘と会話しているのに音楽を聴くなんて。こんな可愛い声聞けるのも今のうちだから勿体無いですよ。」

そんなことを言って欲しかった。初めての感覚に正解を教えて欲しかった。

また変な妄想しているだけだけど、娘を愛してるって言って欲しかった。娘はペットじゃないんだからって伝えたかった。

そんなことを思っているうちに最後の商品に値引シールを貼った。

きっと親子は会計を終えてあの子はきのこ鍋のことで頭がいっぱいいっぱいなんだろう。

沢山食べてね。きのこなべ。通りすがりのはずなのに、きっと明日には忘れてしまうだけなのに。

心配性で臆病なせいで、そんなせいで。


あの子と私。きっといつまで経っても気付けやしないしわからない。


私たちに見えないお母さんの耳と心。

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