第8話「買収された平和と、歓迎の宴」
『走るスイートルーム』が静かに停止した。
窓の外には、辺境の村ルーリッドが見える。本来のシナリオならば、ここは魔物の被害と盗賊の横暴に苦しみ、勇者セレスティアが最初の「人助け」を行うチュートリアル的な村だ。
「ん……ついたの……?」
ふかふかのソファで、セレスティアが目を擦りながら起き上がる。
寝ぼけ眼の彼女は、まだ外の異様な空気に気づいていない。村全体を覆う『絶望の灰色』と、村人たちの首に絡まる『死の糸』に。
「ああ、着いたよ。でも準備があるから、あと三十分だけ寝てていいよ」
「うん……ヴェインが言うなら……」
僕が優しく頭を撫でると、彼女は再び夢の中へ落ちていった。
さあ、三十分だ。それまでに、この村を「勇者が立ち寄るに相応しい、平和で牧歌的な村」に書き換えなければならない。
僕は馬車を降り、ミレーヌとクロエを引き連れて村長宅へ向かった。
◇
「ひ、ひぃぃ……! もう金はねぇ! 娘だけは勘弁してくれぇ!」
村長は僕たちを見るなり土下座した。どうやら盗賊と勘違いしているらしい。
この村は近くの山に住む盗賊団「赤髑髏」に支配されており、今日が貢ぎ物の期限だった。
「村長、顔を上げろ。交渉に来た」
「こ、交渉……?」
「単刀直入に言おう。この村の借金と、今後100年分の税金。これで足りるか?」
僕が合図すると、ミレーヌが懐から小切手帳を取り出し、サラサラとペンを走らせて村長の目の前に突きつけた。
そこに書かれた金額を見た瞬間、村長の目玉が飛び出しそうになる。
「は、はあぁぁ!? こ、これは国家予算並みの……!?」
「足りないのですか? なら倍にしますわ。その代わり条件がありますの」
ミレーヌは冷酷な商人の目で村長を見下ろし、扇子で口元を隠して微笑んだ。
「今からここに来る勇者セレスティア様に、『この村は平和そのものです』と笑顔で言いなさい。盗賊なんて最初からいなかった。貧困もない。ただ皆が幸せに暮らしている村だと、死ぬ気で演じるのです」
「そ、それだけで……?」
「ええ。もし演技に失敗して、勇者様に心配をかけたら……」
ミレーヌの背後から、クロエが音もなく短剣を抜き放ち、村長の髭を数本だけ切り落とした。
「……村ごと、消す」
「ひぃぃぃ! やります! やらせてくださいぃぃ!!」
交渉成立。
その直後、村の入り口に本物の盗賊団が現れたが、クロエが「散歩」と称して向かい、数秒後には悲鳴すら上げさせずに『処理』が完了した。
◇
「わぁ……! すごい歓迎!」
三十分後。
目を覚まして馬車を降りたセレスティアは、目を丸くしていた。
村人たちが総出で花道を作り、満面の笑み(引きつり気味だが)で拍手喝采していたからだ。
「ようこそ勇者様! この村は平和ですぞぉ!」
「悩みなんて一つもねぇ! 毎日ハッピーだ!」
「さあさあ、宴の準備ができております! たらふく食ってくだせぇ!」
盗賊への貢ぎ物として用意されていた食料は、全て勇者への歓迎料理に早変わりしていた。
「すごいねヴェイン! 辺境の村って聞いてたから心配してたけど、みんな幸せそう!」
「そうだね。きっと、この国の統治が素晴らしいんだろう」
僕はセレスティアの手を取り、宴の席へとエスコートする。
彼女の小指から伸びていた『戦いへの予兆』を示す糸は消滅し、代わりに『満腹と幸福』を示すピンク色の糸が生まれていた。
「……ふふ、ヴェイン様。あんな端金で勇者様の笑顔が買えるなら、安いものですわね」
僕の隣で、ミレーヌが頬を染めて囁く。
彼女の『金への執着』は、完全に『僕の目的(セレスティアの安寧)を叶えるための道具』として機能していた。金を使うことに快感を覚えるなんて、最高のスポンサーだ。
「助かったよ、ミレーヌ。君の財力は世界を救う」
「ああんっ、もっと言ってくださいませ! 次はどの国を買いましょうか!?」
興奮したミレーヌが、宴の席だというのにテーブルの下で僕の太ももに手を走らせてくる。
反対側からは、仕事を終えて戻ってきたクロエが、褒めてほしそうに袖を引いていた。
平和な村。美味しい料理。
セレスティアは「世界って本当に綺麗だね」と笑いながらシチューを頬張っている。
その平和が、金と暴力と脅迫で作られた張りぼてだとしても、彼女が笑っているなら、それが正解だ。
(第8話 完)




