第7話「勇者の焦りと、八百長の特訓」
旅に出て三日目。
『走るスイートルーム』での生活は快適そのものだったが、夕食の最高級ステーキを前に、セレスティアがふとナイフを止めた。
「……ねえ、ヴェイン。おかしくないかな?」
「何が?」
「もう三日も経つのに、一度も魔物に遭遇してないよ。私、まだ剣を一回も振ってない……」
彼女の碧眼が不安げに揺れる。
当然だ。
遭遇しそうな魔物は全て、数百メートル手前で僕とクロエが「処理」しているからだ。
だが、それを正直に言うわけにはいかない。
「それはセレスの『聖なるオーラ』が強すぎるからだよ。魔物たちが恐れをなして逃げているんだ」
「そ、そうかなぁ……? でも、もし強敵が出た時に、体が鈍ってたらどうしよう」
セレスティアは立ち上がり、真剣な表情で僕を見つめた。
「ヴェイン、特訓に付き合って! 私、もっと強くならなきゃ!」
その小指から伸びる『死の糸』が、焦燥感に合わせて微かに振動する。
強くなりたいという向上心は、彼女を死地へ近づけるだけだ。
だが、ここで否定して彼女の機嫌を損ねるのも得策ではない。
僕はワイングラスを置き、優しく微笑んだ。
「わかった。じゃあ、腹ごなしに少し体を動かそうか」
◇
月明かりの下、草原で僕たちは木剣を構え向かい合った。
セレスティアの構えは教科書通りだが、実戦経験の少なさから隙だらけだ。
普通に打ち合えば、僕が勝ってしまう。
だが、それでは彼女の自信が削がれてしまう。
「いくよ、ヴェイン!」
彼女が踏み込む。鋭い突き。
しかし、軌道が甘い。
このままだと僕の剣に弾かれ、彼女は体勢を崩して転ぶ――という『失敗の未来』が白線となって見えた。
(……はい、カット)
僕は脳内の鋏を動かす。
彼女が転ぶ因果を断ち切り、代わりに『足元の石に僕がつまずく』因果と、『突風が吹いて彼女の剣を後押しする』因果を結びつけた。
――ガッ。ヒュオッ。
「わっ!?」
僕が不自然によろめいた瞬間、風に乗った彼女の木剣が、僕の喉元寸前でピタリと止まった。
「……あ、当たった……?」
「まいったな。速すぎて見えなかったよ、セレス」
僕は大げさに両手を上げる。
セレスティアは目を丸くした後、パァッと顔を輝かせた。
「す、すごーい! 今の私、風みたいだった!? もしかして才能あるのかも!」
「あるなんてもんじゃないよ。君は天才だ」
その後も、僕は徹底的に『接待試合』を続けた。
彼女の剣が空を切りそうになれば因果を曲げて「偶然」当てさせ、僕が反撃する時は「惜しいところで」回避させる。
数十分後、セレスティアは心地よい汗をかいて満足げに地面に座り込んだ。
「はぁ、はぁ……いい汗かいたぁ。私、結構やれるね!」
「ああ、世界最強だよ」
僕はタオルを持って彼女に近づき、汗で張り付いた前髪を優しく拭ってやる。
月光に濡れた彼女の肌は艶めかしく、無防備な笑顔が胸を締め付ける。
「……ヴェイン、ありがとう。私、頑張るね」
「無理はしないで。君の体は、君だけのものじゃないんだから」
僕が彼女の肩を揉みほぐしていると、馬車の方からミレーヌが現れた。
銀のお盆に、冷えたドリンクを載せている。
「お疲れ様ですわ、勇者様、ヴェイン様。当商会特製、疲労回復効果のあるフルーツウォーターですわ」
「わぁ、ありがとうミレーヌさん!」
セレスティアがドリンクを受け取る隙に、ミレーヌは僕の耳元へ顔を寄せ、ねっとりとした視線を絡ませてきた。
「……ヴェイン様。勇者様の機嫌取り、お見事でしたわ。私、ああやって貴方様に手の上で転がされるのが羨ましくなっちゃいました」
「君はもう十分に転がっているだろう?」
「ふふ、もっと滅茶苦茶にしていただいて構いませんのに……」
彼女の胸元からは、ピンク色の『欲情の糸』が僕に絡みついている。
さらに、遠くの森の影からは、護衛任務中のクロエの視線も感じる。
無邪気に強くなったと信じ込む勇者。
それを支える(という名目で僕に尽くす)悪徳令嬢。
闇から見守る暗殺者。
奇妙で歪なパーティだが、セレスティアの笑顔が曇らないなら、それでいい。
彼女は勘違いしたままでいいんだ。
「私は強い」という自信だけを持って、僕が敷いたレールの上を歩いてくれれば。
(第7話 完)




