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第35話「湯けむりの混浴と、理性という名の防波堤」

 学術都市を離れ、僕たちは山間のひなびた温泉郷『恋月こいづき温泉』にやってきた。

 ここには「想い人と一緒に入れば、永遠に結ばれる」という伝説の混浴露天風呂がある。

 もちろん、宿の手配はミレーヌ、貸切予約の裏工作は僕の仕業だ。


「こ、こここ、混浴……!?」


 脱衣所の前で、セレスティアが湯桶を抱えて硬直している。

 顔は真っ赤で、頭から湯気が出そうだ。


「だ、大丈夫かな? 私、ヴェインに裸を見られるの……恥ずかしいけど……でも……」

「大丈夫だよ、セレス。湯浴み着(専用のタオル)があるし、お湯も白濁しているから見えないよ」


 僕は爽やかに嘘をつく。

 実際には、ミレーヌ商会特製の「肌に張り付いて逆に色っぽいタオル」と、僕が成分調整した「二人きりの時だけ透明になるお湯」が待っているのだが。


 しかし、問題はそこではない。

 露天風呂の岩場に、無数の気配があった。

 ――猿だ。

 この山のニホンザルたちは、女性客の入浴を覗き見し、あわよくば下着を盗むという極めて高度な「スケベ知能」を持っていた。彼らの目から伸びる『劣情の糸』は、セレスティアの柔肌を舐め回すように狙っている。


(……野生動物とはいえ、僕のセレスをイヤらしい目で見るのは万死に値する)


 僕は男湯の暖簾をくぐる前に、岩場の猿たちを睨みつけた。

 ボス猿と目が合う。ニヤリと笑う猿の『覗きへの執念』の糸を、僕は視覚化した。


 ジョキン。


 『動物的本能(スケベ心)』の切断。

 そして、『鉄壁の規律(警備員魂)』への接続。


「君たちの任務は覗きじゃない。……この聖域(混浴)を守る『監視員ライフセーバー』だ。不届き者が近づけば、全力で排除しろ」


 ウキッ!? ウキキッ!!


 猿たちの目つきが変わった。

 いやらしい視線が消え、ゴルゴのような鋭い眼光になる。彼らは手ぬぐいを鉢巻のように締め直し、岩場の周囲に整列して警備体制に入った。


 ◇


 ガララ……。

 湯気が立ち込める露天風呂。

 先に浸かっていた僕の元へ、バスタオルを巻いたセレスティアがおずおずと入ってきた。


「……し、失礼します……」


 チャポン。

 彼女がお湯に入ると、タオルが濡れて肌に吸い付く。月明かりに照らされたその肢体は、幼馴染の僕でも直視できないほど艶めかしかった。

 僕の脳内の『理性の糸』が、かつてないほどギリギリと音を立てて張り詰める。


「うぅ……恥ずかしい……。ヴェイン、こっち見ないで……やっぱ見て……」

「……似合ってるよ。綺麗だ」


 僕たちは少し離れた距離で、肩までお湯に浸かった。

 静寂。虫の声。そして高鳴る二人の心音。


 その時、岩陰から怪しい影が忍び寄ろうとした。

 頭にタオルを乗せ、こっそりと湯船に近づく人影――ミレーヌとクロエだ。


「(……ふふ、お湯の中なら事故を装って密着できますわ……)」

「(……主様の背中、流す……)」


 彼女たちが足を踏み入れようとした瞬間。


 キエエエェェッ!!


 警備員化した猿たちが、上空から急降下した。

 ボス猿がミレーヌの顔面に熱いおしぼりを叩きつけ、子猿たちがクロエの足を引っ張って森の方へと連行していく。


「きゃああっ!? な、なによこの猿たち!?」

「……猿、強い。プロの動き……!」


 遠くでドボン! という音と悲鳴が聞こえる。

 さらに、塀の向こうではヴァレリーが「覗こうとしたら猿に石を投げられました……痛い……もっと投げてください!」と歓喜の声を上げていた。


 ◇


 邪魔者は排除された。

 セレスティアが、お湯の中で少しずつ僕の方へ近づいてくる。


「ねぇ、ヴェイン。……背中、流してあげよっか?」

「えっ?」

「昔、小さい頃はよく一緒に入ったでしょ? ……恩返し、させて」


 彼女は僕の背後に回り、柔らかい手で背中を洗い始めた。

 その感触。体温。そして背中に当たる「成長した証」の柔らかさ。

 

 ブチッ。


 僕の理性の糸が一本切れた。


「セレス……」

「ん? ……きゃっ!?」


 僕は振り返り、彼女の手首を掴んで、壁際(岩場)へと追いつめた。

 いわゆる「壁ドン(温泉ver.)」だ。


「ヴェ、ヴェイン……? 目が、狼さんみたい……」

「……男を試すのもいい加減にしなよ。僕だって、ただの『お兄ちゃん』じゃないんだ」


 顔を近づける。唇まであと数センチ。

 セレスティアは目を閉じ、期待するように顎を上げた。


 ――その瞬間。


 ドォォォォン!!


 湯船の底から、巨大な水柱が上がった。

 執事ロボ・オメガ(防水仕様)が、ザパーンと浮上してきたのだ。


「……緊急事態発生。マスターノ心拍数が危険域ニ突入。直チニ冷却ヲ開始シマス」


 ブシャーッ!!

 オメガの口から大量の冷水が僕の頭に噴射された。


「っぷはぁっ!? な、何するんだこのポンコツ!」

「ヴェ、ヴェイン!? 大丈夫!?」


 セレスティアが慌ててタオルで僕を拭く。

 いいムードは完全に霧散した。

 オメガは緑色の目を点滅させ、「健全ナ入浴ヲ推奨シマス」と機械的に告げた。


(……覚えてろよ、あの鉄屑。後でスクラップにしてやる)


 僕は冷水で冷やされた頭を抱え、安堵しているような、残念なようなセレスティアの笑顔を見つめた。

 

 混浴の夜は、決定的な一線を超えることなく、しかし二人の距離を確実にゼロ距離まで縮めて終わった。

 猿たちの鉄壁の守りも、オメガの無粋な介入も、すべては「まだ早い」という世界の意志だったのかもしれない。


 次回、温泉宿の布団問題。

 「部屋が一つしか空いていません」というベタな展開に、ヴェインはどう挑むのか。


(第35話 完)

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