第29話「厳格な大司教と、働き方改革された神託」
王都の中心にそびえる白亜の巨大建造物、聖光大聖堂。
僕たちは、この国で最も権威ある宗教組織のトップ、最高司祭ガリウスに呼び出されていた。
「勇者セレスティアよ。魔王討伐の功績、神も祝福しておられる」
祭壇の前、豪華な法衣に身を包んだ老人ガリウスが、厳かな声で告げる。
周囲には数百人の神官が並び、重苦しい空気が漂っている。セレスティアは緊張して、僕の袖を掴んでいた。
「単刀直入に言おう。……そなたには、これより『聖女』として認定し、この大聖堂の地下聖域にて、生涯『祈りの座』についてもらう」
「えっ……?」
セレスティアが顔を上げる。
「生涯って……一生ここから出られないってことですか?」
「そうだ。魔王が消えても、人の心には闇が残る。そなたは人柱となり、死ぬまで清らかな祈りを捧げ続けるのだ。それが神の意思である」
ガリウスの目は狂信に満ちていた。
彼の全身からは、純白だが鋼鉄のように冷たい『教義』の糸が伸び、セレスティアを「生きた神像」として固定しようとしている。
――自由の剥奪。
――人間としての幸せの否定。
――清貧と禁欲の強制。
それは、ある意味で魔王城の牢獄よりも残酷な檻だった。
「そんな……私、まだ行きたいところも、食べたいものもたくさんあるのに……」
「俗世の欲を捨てよ! これは決定事項だ。拒否すれば神への反逆とみなす!」
ガリウスが杖を頓と突き、神官たちが威圧的に一歩踏み出す。
セレスティアが震える。
彼女の小指に絡まる『聖女の鎖』が、彼女の未来を灰色の独房へと引きずり込んでいく。
(……やれやれ。神様の名を語って、女の子を監禁しようとはいい度胸だ)
僕は一歩前に出た。
「お待ちください、大司教猊下。……その神託、少し『ノイズ』が混じっていませんか?」
「無礼者! 神の声を聞く我らに間違いなどない!」
「いいえ、ありますよ。……今、本当の神託が降りてきましたから」
僕は天井を見上げるふりをして、ガリウスの脳天から伸びる『神への受信アンテナ(信仰心)』の糸を視認した。
ジョキン。
『禁欲と犠牲』の切断。
そして、『福利厚生と有給休暇』への接続。
さらに、通信越しに女神エリスにちょっと回線を繋げてもらう(これは僕の特権だ)。
「神よ! 真の御心を彼らに!」
カッ!!
大聖堂のステンドグラスが激しく発光した。
ガリウスが「おお……!?」と仰け反る。彼の脳内に、僕が改竄した『最新の神託』が直接響き渡る。
『――聞け、迷える子羊たちよ。勇者は疲れている』
荘厳な(エリスの)声が響く。
『彼女を閉じ込めるなど言語道断。勇者に必要なのは「祈り」ではなく、「週休二日の完全オフ」と「美味しいスイーツ巡り」と「ストレスフリーな環境」である』
『えっ……?』
ガリウスが呆然とする。
だが、神託は止まらない。
『よって、教会は今後、セレスティアのための「聖なるリラクゼーション施設」として機能せよ。地下聖域は改装して大浴場にしなさい。あと、お布施は彼女のお小遣いに回すこと。以上』
「な、なな、なんとぉぉぉ!?」
ガリウスはその場にひれ伏し、ガクガクと震えた。
彼の信仰心は、「勇者を縛ること」から「勇者を全力で甘やかすことこそが至上の祈り」へとパラダイムシフトを起こしたのだ。
「あぁ……神よ! 私は間違っておりました! 聖女様を働かせようなんて、なんと罰当たりな!」
ガリウスは涙を流しながらセレスティアに這い寄った。
「セレスティア様! どうぞお帰りください! いや、むしろ当教会が経営する五つ星ホテルのスイートルームをご用意します! エステも無料です! どうか、ダラダラとお過ごしください!」
「えっ? えっ? 祈らなくていいの?」
「息をしているだけで世界は浄化されます! 貴方様の二度寝こそが、世界平和の礎なのです!」
◇
教会の外に出ると、セレスティアはまだ狐につままれたような顔をしていた。
「神様って、意外とフランクなんだ音」
「そうだね。最近は天界も働き方改革が進んでるみたいだよ」
僕は適当な嘘をつく。
背後では、シスターに変装していたミレーヌが、教会の経理担当と何やら熱心に話し込んでいた。
「……ええ、免税特権の活用法についてコンサルティング契約を……」
懺悔室からは、ヴァレリーが出てきた。
「……神父様に『もっと私に苦行を!』と頼んだら、『勇者様を見習って温泉に行け』と追い返されました……。今の教会はヌルすぎます……!」
そして、屋根の上ではクロエが「神の威光」を演出するための発光魔道具を片付けていた。
宗教という最大の「道徳的縛り」も、こうして「福利厚生システム」へと変わった。
セレスティアの周りには、もう彼女に「自己犠牲」を強いる組織は一つも残っていない。
だが。
僕が空を見上げると、微かな違和感が残っていた。
王家、世論、教会。人間社会のシステムは攻略した。
なのに、あの『透明な糸』の根源は、まだどこか別の場所――もっと身近で、もっと根本的な場所に繋がっている気がする。
「……ヴェイン? どうしたの?」
セレスティアが心配そうに僕の顔を覗き込む。
「いや、なんでもないよ。……帰ろうか。今日の夕飯は、神託通り豪勢にいこう」
僕は彼女の手を握り返す。
その手の温もりを守るためなら、僕は神様だって騙し続ける。
次回、日常回に見せかけた、最大の敵の予兆。
「幼馴染」という関係性の落とし穴について。
(第29話 完)




