第22話「灼熱の武人と、求愛の決闘」
魔王城の中層エリア。扉を開けた瞬間、熱風が肌を焼いた。
そこは城内とは思えないほど広大な、円形の闘技場だった。観客席には数千の魔族兵士が詰めかけ、地響きのような歓声を上げている。
そして中央のリングには、紅蓮の鎧を纏い、巨大な戦斧を担いだ女戦士が立っていた。
「待っていたぞ、勇者セレスティア!」
炎の将軍イグニス。
魔王軍四天王の三人目にして、純粋な武力においては最強と謳われる戦闘狂だ。
彼女の全身からは、真っ赤に燃え上がる『闘争本能』の糸が立ち昇り、セレスティアを叩き潰す未来へと直結している。
「正々堂々、一対一で勝負だ! 小細工なしの殺し合いをしようぞ!」
「望むところだよ! 私が勝ったら、ここを通してもらうからね!」
セレスティアが剣を抜き、リングへと歩み出る。
彼女の小指の『死の糸』が、イグニスの戦斧の一撃で頭蓋を粉砕されるという、あまりにも惨い結末を描いて振動した。
(……脳筋同士の会話は早くて助かるが、セレスを肉塊にするわけにはいかない)
僕はリングサイドまで進み出た。
「……待て。勇者の代理として、僕が相手をしよう」
僕はセレスティアの前に割り込み、イグニスを見上げた。
イグニスは侮蔑の視線を向けてくる。
「ハッ! 魔力もない、筋肉もないヒョロガリが? 失せろ雑魚。貴様など指先一つで灰にできるわ!」
イグニスが戦斧を振り上げ、威嚇の一撃を地面に叩きつけようとした瞬間。
僕はいつものように、彼女の腕から伸びる『筋力』の因果の糸を、指先で弾こうとした。
バチィッ!!
「……っ!?」
指先に痺れが走った。糸が切れない。
まるで鋼鉄のワイヤーのように、僕の干渉を弾き返したのだ。
「クハハハ! 何かしたか? 無駄だぞ!」
イグニスが勝ち誇ったように胸を張る。
「我が身を包むは『魔断の紅鎧』! あらゆる魔法、呪い、因果干渉を無効化する伝説の防具だ! 貴様の小細工など通用せん!」
(……なるほど。物理的な防御だけでなく、概念的な干渉まで防ぐとはね。少しは頭を使った装備だ)
僕は痺れた手を隠し、わざとらしく青ざめた顔を作ってみせた。
「こ、これはまずいな……。僕の切り札が効かないなんて」
「ハハハ! 恐怖に歪む顔を見るのは愉快だ! 死ねぇぇぇ!」
イグニスが地面を蹴る。
音速を超える踏み込み。戦斧が僕の脳天めがけて振り下ろされる。
セレスティアが悲鳴を上げた――その時。
「待っていましたぁぁぁ!!」
ドゴォォォォン!!
横合いから飛び出した影が、イグニスの戦斧を生身の体で受け止めた。
ヴァレリーだ。
彼女は盾すら構えず、肩口に刃を食い込ませながら、恍惚の表情で仁王立ちしていた。
「な、なんだ貴様は!?」
「くっ……重い……熱い……! 骨が軋む音……最高です……!」
イグニスの動きが止まる。
一撃必殺のつもりだった攻撃を、笑いながら受け止める変態の出現に、思考がフリーズしたのだ。
「き、貴様、何者……」
「今だ、クロエ」
僕が短く呟く。
イグニスがヴァレリーに気を取られた一瞬の隙。
その背後の影から、クロエが音もなく現れた。
「……鎧の継ぎ目、見えた」
ヒュンッ。
クロエの短剣が、鎧の留め具だけを正確に切り裂いた。
ガシャン、ゴトッ。
重厚な『魔断の紅鎧』が、留め具を失ってバラバラと地面に落ちる。
露わになったのは、薄いインナー姿のイグニスと、防具を失って無防備になった彼女の『因果の糸』だ。
「なっ……!? 私の鎧が……!?」
「残念だったね。最強の鎧も、着ていなければただの鉄屑だ」
僕はゆっくりと歩み寄り、狼狽える彼女の目の前に立った。
今度こそ、障害は何もない。
「君は強い。だが、君より強い『組織』には勝てない」
僕は彼女の『最強への渇望』の糸を、今度こそ鷲掴みにした。
「き、貴様……何をした……!」
「ただの『運命の掌握』さ。……君の筋肉も、闘志も、僕の前では無力だ」
ジョキン。
『敵への殺意』の切断。
そして、『雄としての本能的屈服』の接続。
「君が本当に求めているのは、勝利じゃない。……自分をねじ伏せ、支配してくれる圧倒的な『強者』だ」
ズキュンッ!
イグニスの心臓が跳ねた。
彼女の脳内で、僕の存在が「得体の知れない貧弱な男」から、「策を弄して自分を丸裸にし、支配下に置いた最強の雄」へと書き換わっていく。
「あ……あぁ……っ! 強い……貴方、強いわ……!」
イグニスはその場にへたり込み、熱っぽい瞳で僕を見上げた。
頬を染め、荒い息を吐きながら、もじもじと太ももを擦り合わせる。
「私の……私の初めての敗北……。鎧を剥がされ、無防備な姿を晒されて……んっ、悔しいのに……ゾクゾクする……! 抱いて……その狡猾な力で、私の中身まで征服してっ!」
「……決着だね」
僕は彼女の前に手を差し出す。イグニスは震える手でそれを握り、手の甲に誓いのキスを落とした。
「イグニス、敗北を認めるか?」
「はい……我が主。私の剣も体も、すべて貴方様に捧げます。だから……強い遺伝子を……ください……」
イグニスが僕の手を自身の豊満な胸に押し付けようとする。
と、その時だった。
「――ちょっと。ヴェインに何してるの」
鋭い声と共に、僕の腕がグイッと後ろに引かれた。
振り返ると、セレスティアが頬を膨らませ、イグニスを睨みつけていた。
「セ、セレス? どうしたんだい?」
「どうしたじゃないよ! 決着ついたんでしょ? なのに、なんでそんな……ベタベタくっついてるの」
彼女の視線は、イグニスが僕の手を握っている部分に釘付けになっている。
これまでの「天然ボケ」な彼女なら、「将軍さん、お腹痛いのかな?」と心配するところだ。だが今の彼女の瞳には、明確な不快感――『嫉妬』の色が混じっている。
「いや、これは彼女が負けを認めて……」
「負けたなら、道を開けてくれればいいでしょ。……遺伝子がどうとか、征服とか……なんか、すっごく嫌だ」
セレスティアは僕とイグニスの間に強引に割り込むと、僕の背中にしがみつき、威嚇するようにイグニスを見た。
「ヴェインは私の幼馴染なの。……変な目で見ないで」
「お、おう……?」
僕は予想外の反応に目を丸くする。
イグニスもまた、メスとしての本能でセレスティアの敵意を感じ取ったのか、バチバチと火花を散らす視線を返した。
「……ふん。勇者か。貧相な体つきだな。主様の遺伝子を受け止めるには器が足りないのではないか?」
「なっ、なんですってー!?」
一触即発の空気。
僕は慌ててセレスティアの肩を抱き、なだめた。
「まあまあ、セレス。彼女、昨日の晩御飯に当たって熱があるみたいなんだ。うわごとは気にしないで」
「……うわごと? ほんとに?」
「ああ。ほら、先に行こう」
僕はセレスティアの手を引き、足早にその場を離れる。
彼女は何度も振り返り、イグニスに対して「べーっ!」と舌を出していた。
「……もう。ヴェインは優しすぎるんだから。あんな怖い人にまで……」
「はは、君の優しさには負けるよ」
その背後で、イグニスが観客席の兵士たちに怒号を飛ばした。
「見よ! あの方こそが私の認めた最強の雄である! 総員、最敬礼で送り出せ! 邪魔する者はこの私が挽き肉にするぞ!!」
「「「は、ははーーっ!!」」」
観客席の兵士たちが一斉に土下座し、闘技場は異様な敬意に包まれた。
その様子を見ながら、僕の影からクロエが顔を出し、ボソリと呟く。
「……主様、女難の相が出てる。セレスティア様、本気モード」
ミレーヌは電卓を叩きながらニヤリと笑う。
「ふふ、勇者様の独占欲……これは『嫉妬除けグッズ』を高値で売りつけるチャンスですわね」
ヴァレリーはイグニスの落とした戦斧を拾い上げ、うっとりと頬ずりしている。
「重い……硬い……これで叩かれたら……ああ、想像だけでご飯三杯いけます……」
炎の将軍も落ちた。
だがそれ以上に、セレスティアの中で何かが変わり始めている。
鈍感だった彼女の心が、少しずつ僕を「異性」として意識し始めている証拠だ。
残る四天王はあと一人。
魔王の玉座は、もう目の前だ。
(第22話 完)




