第16話「氷の女将軍と、熱すぎる恋の炎」
『嘆きの城壁』を越えた先は、死の世界だった。
視界を埋め尽くす猛吹雪。
気温はマイナス30度。
ここは魔王軍四天王の一人、氷将軍ヒルダが支配する領域、『永久凍土の庭』だ。
「さ、寒いね……鼻水が凍っちゃいそう」
セレスティアが白い息を吐きながら、厚手のコートの前を合わせる。
だが、僕たちの環境はそこまで過酷ではない。
ミレーヌが用意した『携帯型・結界暖房』が稼働しており、僕たちの周囲半径5メートルだけは常春のポカポカ陽気だからだ。
「あら、乾燥はお肌の大敵ですわ。勇者様、こちらの保湿クリームをどうぞ。一本で金貨10枚相当の高級品ですのよ」
「えっ、そんないいの!? ありがとうミレーヌさん!」
セレスティアはクリームを塗りながら、呑気に雪景色を楽しんでいる。
しかし、その平和は唐突に破られた。
――ピキキッ。
結界の外側の空気が凍りつき、巨大な氷の槍が数千本、空中に形成されたのだ。
「……何者だ。我が庭を土足で荒らす不届き者は」
吹雪の向こうから、凛とした声が響く。
現れたのは、青白い肌に長い銀髪、氷でできた鎧を纏った美女だった。
氷将軍ヒルダ。
その瞳は絶対零度のように冷たく、感情の一切を排している。
彼女の胸からは、強固な『忠誠(魔王への服従)』と『孤独(他者への拒絶)』の糸が、何重にも絡み合って伸びていた。
「出たな、四天王……!」
セレスティアが剣を抜く。
だが、ヒルダが指を鳴らした瞬間、周囲の空間ごと凍結魔法が発動した。
「『ダイヤモンド・ダスト』」
キラキラと輝く氷の粉が舞う。
触れれば細胞レベルで壊死する致死の魔法だ。
「ああっ……! 冷たいっ! 痛いっ! 皮膚が……感覚がなくなっていく……!」
真っ先に飛び出したのは、ヴァレリーだった。
彼女はわざと結界の外へ出て、氷の粉を全身に浴びて悶えている。
「素晴らしい……! 焼けるような寒さ! 私の熱い体が冷やされていくぅぅ! もっと! もっと凍らせてくれぇ!」
「……気色の悪い女だ。氷像にしてやる」
ヒルダが不快そうに眉をひそめ、ヴァレリーにトドメを刺そうとする。
その隙に、僕は「クロエ、セレスティアの視界を塞げ」と合図し、時を止めるかのような速さでヒルダの背後へ回り込んだ。
「……ッ!? いつの間に……」
ヒルダが反応するより早く、僕は彼女の胸元から伸びる『氷の心(孤独)』の糸を掴んだ。
「君は寒がりだな、ヒルダ将軍」
「何を……」
「本当は誰かに温めてほしかったんだろう? その冷たい鎧の下で、震えている心が僕には見えるよ」
ジョキン。
『孤独』の切断。
そして、『ヴェインへの熱烈な恋慕』の接続。
さらに、彼女の魔力源である『氷属性』の因果を、少しだけ『情熱の炎』側へ傾ける。
「あ……ぁ……?」
ヒルダの瞳孔が開く。
絶対零度だった彼女の体温が、急激に上昇し始めた。
青白かった頬が熟した果実のように赤く染まり、氷の鎧が熱気で蒸発していく。
「な、何だこの感情は……。胸が、熱い……。貴方を見ると、心臓が溶けてしまいそうだ……!」
ヒルダはその場に崩れ落ち、荒い息を吐きながら僕を見上げた。
先ほどまでの冷徹な将軍の面影はない。
そこにあるのは、初恋に落ちた乙女の顔だ。
「ヴェイン……様……? 私を、私を溶かして……」
「いいよ。でも今は仕事中だ。……僕たちの道を空けてくれるね?」
「はいっ……! 貴方様のためなら、この雪原を花畑に変えてみせます!」
ヒルダは立ち上がると、魔王城の方角へ向けて杖を振った。
「全軍、撤退! そして街道の除雪作業を開始せよ! 愛しいあの方(と勇者一行)が通る道に、雪の一粒も残すな!」
◇
「……あれ? 吹雪が止んだ?」
クロエに目隠しされていたセレスティアが、恐る恐る目を開ける。
そこには、綺麗に除雪され、両脇に雪だるまが可愛く並べられた安全な道が続いていた。
「すごい! さっきの将軍さんは?」
「ヴァレリーさんの気迫に押されて逃げ出したみたいだよ」
「えっ、ヴァレリーさんすごーい!」
セレスティアは、霜焼けで顔を真っ青にしながらも満足げに転がっているヴァレリーに駆け寄った。
「うふふ……芯まで冷えました……最高です……」
「大丈夫ですか!? 回復魔法かけますね!」
その騒ぎの背後で、建物の影からヒルダがこちらを見つめていた。
彼女は僕に気づくと、投げキッスを送り、口パクで『夜這いに行きます』と伝えてきた。
「……やれやれ。また面倒なのが増えたな」
隣にいたミレーヌが、ジト目で僕の腕をつねる。
影の中では、クロエが不機嫌そうに短剣を研ぐ音がした。
氷の将軍は落ちた。
四天王の残りは三人。
この調子で、魔王軍を内部から「愛」で侵食していくとしよう。
(第16話 完)




