第8話 幼馴染の記憶
【調査記録 008】2024年9月23日
これは、もはや「調査記録」と呼べる代物ではないのかもしれない。支離滅裂になる前に、書き残しておくだけだ。万が一、私という人間が何かに成り果てた時、誰かがこの記録を見つけ、私という存在がここにあったと気づいてくれることを、心のどこかで願っている。
ᕫとの対話の後、私は幼馴染の親友、山本にメッセージを送った。
「久しぶりに、飲まないか」
彼なら、私の「忘れたうた」の正体を知っているかもしれない。しかし、ᕫのことは、絶対に話題に出さない。そう固く決める。ᕫに関わってしまえば、かけがえのない親友まで、その存在を書き換えられてしまうかもしれない。それが恐ろしかった。
ただ、昔のような馬鹿話がしたかった。ᕫのことなど、記憶の彼方に消し飛ばしてしまいたかった。それだけだったのに。どうして、こんなことになってしまったのだろう。
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【居酒屋での会話記録 - ICレコーダー音声】
(周囲の喧騒。ジョッキを置く音。かなり酒が進んでいる様子)
山本:……でさあ、結局、お前は昔っから、そーいうとこ、あんだよな。
田中:どういうとこだよ。お前、今日はちょっと、おかしいんじゃないのか。ろれつ、回ってないぞ。
山本:うるせえ。お前はなあ……忘れっぽいんじゃねえんだよ。選択的に、忘れる。それだけだ。自分の都合のわりぃことは、ぜーんぶ、蓋しちまう。ガキの頃からの、お前の得意技だろぉが。
田中:……もしかして、俺だけが忘れていて、お前が覚えているような、大事なこともあるのか?
山本:あったり前だろぉが! ……例えば、ほら、あの赤いミニカーだよ!
(レコーダーが、田中の息を呑む音を拾う)
田中:……赤い、ミニカー?
山本:お前の宝物だったじゃねえか、あれ。いっつも公園の砂場で遊んで……誰にも貸さねえって、意地張ってよぉ。あいつが「貸して」って、あんだけ泣いてたのに。
田中:……おい、山本。あいつって、誰だよ。
山本:んあ? あいつは……あいつ、だろ……。
(ジョッキを叩きつけるように置く音。ここで数秒、不明瞭なうめき声)
山本:お前が……忘れることを選んだんじゃねえか……。
田中:あいつって、誰なんだよ! 俺は何を忘れているんだ!?
(ジョッキが倒れる音。その後、椅子が大きく軋む音と、何かがテーブルに突っ伏すような鈍い音)
田中:おい、山本!
山本:お前は……何にも悪くねえ……。
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ICレコーダーの記録は、山本の最後の言葉を拾ったところで途切れている。彼は、糸が切れたようにテーブルに突っ伏し、それ以降、まともな会話が成立することはなかった。
ザルのはずの山本が、だ。学生時代、焼酎のボトルを二人で空けても平気な顔をしていた男が、たかがビール数杯で、こんな醜態を晒すはずがない。
これは、ただの酔いではない。ᕫからの、明確な警告なのだ。
――これ以上、部外者を巻き込むな、と。
次にこの話題に触れた時、山本は加藤教授のように、二度と元には戻れない領域へと、書き換えられてしまうのだろう。
あと少しで、手が届くはずだった真実への扉は、私自身の手で閉ざさなければならなかった。
「お前は……何にも悪くねえ……」
彼の最後の言葉は、決して私を責めている響きではなかった。それは、重すぎる罪の意識から、私を解放しようとするかのようでもあった。
だとしたら、私は一体、どんな罪を犯したというのだ?
私の記憶には、致命的な「空白」がある。
私が自ら望んで作り出した、逃避のための聖域。
ᕫは、その聖域の壁を、執拗に叩き続けている。




