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識別No.0631_3  作者: 良木眞一郎
8/17

08

 都市ランファンに戻ったリグたちを出迎えたのはジープを拝借させてくれた地表部隊ではなく、戦略部のトムだった。痩せた頬を膨らませた彼に、リグは戦闘情報の提供と、そもそもの仕事である戦闘詳報の提出を約束した。戦闘情報は直接通信で渡すのではなく、いったんGMSに送信して分析が行われてから戦略部に開示される。ジノがGMSを掌握しているというなら、都合の悪い部分はうまく改ざんされるだろう。戦闘情報の取扱いについて話し忘れていたので本来ならジノに通信すべきなのだが、リグはもうそんな気になれなかった。

 戦闘詳報はかつてないほどの時間をかけて作成された。リグのやる気はいつもどおりだったのだが、ユウがまったく急かさなかったせいだった。

 基礎訓練や講義受講などの日課を済ませ、夕食のため食堂に移動した四人はいつもと同じ食事の載ったプレートを持って集まる。

 一番遅れたリグが三人がいる席に近づくと、ユウたちは顔を寄せてヒソヒソと盛り上がっていた。

「どうした?」

「ああ、リグ……」

「ちょっと言いづらいんですが……」

 生真面目な二人が口ごもったことをガスはためらいなく言い放った。

「暇なんだよ」

「ちょっとガス!」

 ユウに叱られたガスが、だってよお、などと反論している横で、リグは首を傾げた。

「暇なのか?」

「暇というか……もうこんなことしても意味ないんじゃないかって気がして……すみません」

「謝ることじゃない。こんな状況なら当然の気持ちだ」

「回答が決まっているとはいえ、あと一ヶ月あるからね……」

「そのあともずっと暇なわけだしな。なにか面白そうなものでも探してみろよ。といって、サボってると思われると面倒だな。受講と基礎訓練は真面目にやって、あとは適当に訓練っぽいことしてろ。内容や時間は各自に任せる。怪しまれなければそれでいい」

「対人格闘でもいいのか?」

「いいぞ」

「そっか。うーん」

「嫌か」

「そうじゃねえけど、一回WFとやりあったからな。いまいち盛り上がりが……おっ」

 ガスがチョコレートキューブをつまみ上げたのを見て、リグは何が起こるかわかった気がした。

 やや呆れながら席につこうとしたリグを、ユウが手で制する。

「リグ」

「ん?」

「あっち」

 ユウが視線で示した先では、ユキが一人で食事をとっていた。一人で食事をするのは普通のことで、兵士は個体差と戦術コンに従って自身に最適な訓練や講習を受ける。だから同じ小隊といえど、基本的にスケジュールは合わないのである。必要に迫られた経験が慣習となり、四六時中一緒にいる631が異質なのだった。

「あと一ヶ月しかない。できるだけユキと一緒にいてあげなよ。僕らは、その後いくらでも時間があるからさ」

「……そうだな。すまん」

「ううん。ガスとテオも、好きにしなよ」

「……だな」

「わかりました」

 リグはプレートを持ったままユキの席に向かった。途中で治療中にリグの戦術コンが面会謝絶を言い渡し、ユキを怒らせていたこと思い出して気が重くなる。だからといって、いまさら引き返す気にもなれない。

 ユキの向かいの席にたどり着く。声をかけるまでもなく、ユキはリグに気づいていた。

「……なんだ」

 怪訝そうにユキは眉をひそめる。二人はその気持ちに反して、そして出会いからの経緯からすれば当然の措置として、互いに距離と時間を置くことに決めていた。こうして会話するのも、ずいぶんと久しぶりのような気がしていた。

「その……ここ、空いているか」

「……空いている」

「座っていい、かな」

 ユキは何度か目をしばたたかせ、口元に浮かびかけた笑みをぎゅっと引き結ぶと視線を走らせた。

「ユウたちがいるだろう。いつも通りにすればいい。どうせ私は面会謝絶だ」

 わざとむすっと言うユキ。

「あ、あれは戦術コンの判断で、俺が会いたくなかったわけじゃない」

 慌てて釈明するリグは声に寂しさが混じるのをこらえる。

「いまは特に対処すべき問題もないし、いつも一緒にいる必要はないだろうということになったんだ。それで……あの、一緒に食べないか」

 それを聞いたユキは悲しそうに目を細め、うっすらと笑った。

「……前にも言っただろう。私達には時間が必要だ」

「そうだ。時間が必要なんだ。一緒にいる時間が。離れていても、それは埋まったりしない」

 ユキの目が大きく見開かれ、顔はみるみる赤くなった。

「……座っていいか」

 こくり、とユキはうなずいた。

 リグはプレート置いて座る。ちらりと見ると、ユキはうつむいたまま、ちまちまと食事を口に運んでいた。

 リグも同様に食べ進めるのだが、両者いっこうに口を開かない。

「あのさ」

「黙れ」

 反射的に返したユキが大慌てで首を振る。

「す、すまん! ちょっとあれなんだ、あれでな! な、なんだ」

 リグはフォークでマッシュドポテトをつつきながら言った。

「なにか喋ってくれないか。話題がさっぱり出てこない」

「黙って食えっ!」

 結局まともな話はできなかったのだが、この日からリグとユキは食事をともにするようになった。時折二人は満天の星空を映す展望室で時を過ごしたのだが、互いの手を重ねるだけでやはりロクに言葉もかわさなかった。

 一方でリグは日課の訓練などを早々に済ませ、都市をぶらついていた。都市ランファンの思い出でも作ろうとしたのである。拠点を移してから日が浅く、思い出といえばあの治療室とユキとの食事くらいしかなかったし、ドライブは忘れたままにしておきたかった。といっても一日で歩き回れる範囲はたかが知れていて、格納庫や整備班、生化学部などに顔を出す程度だ。兵器開発室はなく、工廠層に行こうと思いついたときには時間が遅すぎたので、手近だった戦略部に先日の騒動を詫びに行ったら追い出された。都市アンバースでもそうだったが、リグが戦略部と仲良くなるのは難しいようだ。

 リグは結局、ユキとの夕食を終えて小隊の部屋でGMSの情報を眺めている。隣の机でユウもぼんやりしている。通信でなにかを見ているのだろう。二段ベッドの上段にいるテオもまだ寝ていないようだった。

 静寂を破るように勢いよくドアが開き、得意満面のガスがあらわれる。

「今日も稼いできたぜ!」

 ガスは自慢げに両手のチョコレートキューブを見せた。十四、五個はある。昨日の夕食後、ガスは他の小隊を巻き込んで対人格闘訓練を開催した。勝ったほうがチョコレートキューブを一つもらえる。ようは賭け試合である。昨日はリグたちも参戦したが、急だったので人もまばらだった。噂は広まり、今日は盛況になりそうだったのでリグたちは参加しなかったのだ。

「おお、やるなガス。昨日と同じくらいだ。さすがだな」

「だろー」

 笑うガスに、上のベッドからテオが笑う。

「試合数は増えたのに、昨日と同じ数なんですよね」

「ばっか、こらテオ!」

「なんだ、勝率下がってるんじゃないか」

「WFが総出で雪辱戦に来たんですよ。他の兵士も昨日の訓練情報を研究してたりして、負けがこんできたんです」

「うっ、うるせえ! まだ勝率七割切ってねえ!」

 本当は切っている。

「WFが雪辱戦に来たって、相手がガスだけでよかったの?」

 ユウが通信を切り、膝を折って椅子に両足を乗せながら尋ねた。

「ま、隊長も目当てだったらしいけどな」

「ひどかったもんね」

「なにがひどいもんか。ボコボコにされたぞ」

「後半は、でしょ。最初は勝ちまくってたじゃない」

 ぶふっ、とガスが吹き出す。テオもクスクスと笑った。リグがレオに勝ったときのことを思い出したからだ。

「ありゃあ、死ぬまで忘れねえ」

「最初なにが起きたのかと思いましたよ。猫騙しだなんて」

「いくら性能差があるからって、あれはひどいよ」

 戦術開発で鳴らす631の隊長と、個体性能のトップ集団であるWF第一小隊隊長の試合である。その場にいたもの全員が息を呑んで注視するなか試合開始の合図が鳴り、即座に放たれたリグの猫騙しはきれいに決まった。一瞬気を取られたレオはあろうことか次の一発で倒されたのだった。

 神経接続が切れたソファ状のシミュレータの上で、信じられない、という顔のまま呆然とするレオと、卑怯者、と罵るユキの姿をリグは思い浮かべた。ルール上は問題なかったのでリグの勝利には違いないのだが、ユキはたびたびリグに噛みつきたそうな視線を送っていた。当のレオは負けを認めておとなしくしていたので、さすがWFのリーダーともなると人間ができてるな、とリグは感心したのである。

「あれ、まだ納得がいっていないんだが。なんでみんな白い目で見るんだ。性能差があるんだから工夫をするのは当然だろ」

「あれはきれいに決まりすぎて、レオが性能低いように見えるんだよ」

「相手の性能を高いように見せつつ勝たないといけないのか? 俺のほうが性能低いのに?」

「まあ……そのへんの配慮を君に求めるのは贅沢だよね」

「なんで気の毒そうに見るんだ」

 へっへっへ、とガスがリグの肩を叩く。

「ただのクローン相手でさえ、超過集束剤なんて使っても結構な損傷だったもんな。仕方ねえよ、隊長。勝ちゃいいんだ」

「その超過集束剤だけど、制式装備になったよ。今度支給されるって」

「嘘だろ。あの副作用じゃ使ったが最後、動けなくなるぞ」

「副作用はだいぶ軽減されたらしいよ。一人、一日三個が上限みたい」

 うぇっ、という顔をリグはしてみせた。

「三個もか……できれば使いたくないな」

「おかげで生き残れたんだから、文句言わないの」

「シミュレータで副作用も再現できるみたいですから、慣れておいたほうがいいですよ」

「あと一ヶ月だぜ。使う機会が来るとは思えねえけどな」

 ガスがテオの向かいのベッドの上段に登る。

「テオの方はどうだ?」

「空対空戦と空中の輪をくぐっていく競争だっけ。どうだったの?」

 ここぞとばかりにガスがにやにや笑う。

「WFのおかげで負けがこんでるんだよなあ?」

 テオはぷいっと横を向いて頬を膨らませた。

「空対空戦は勝率七割切ってません」

 こっちは本当だ。

「競争の方はダメですね。最適機動がすぐできあがっちゃって、どれだけ忠実に操作できるかの勝負になっちゃいました。気象条件や輪の位置を適宜変えていかないと、飽きます」

 ふうん、とリグはうなずいた。

「気象条件を変えるのは面白そうだな。機体の試験にもなる」

「あとは、さっきまでの僕たちの戦績を整理して見直したりしてました。見てください、これ」

 テオから情報共有で一覧表が送られてくる。

 それは小隊別の侵入個体撃破数だった。都市アンバース、イオミン・ペイ、ランファンの最前線から抽出した最新の戦果だ。最上位は元アンバース、現ランファンのWF三小隊が独占している。一位はレオが率いるWF第一小隊だ。631も上位につけているが、差は大きかった。

 都市別で見れば元アンバース組が強い。この間まで最前線にいて、いまも拠点を移して最前線に立ち続けているのだから当然だ。都市イオミン・ペイのWFもいい成績をあげている。

「そりゃそうだよな」

「戦場に出る機会が多いんだから、順当な結果だね」

「でしょう。ところがですね」

 テオがなにか操作すると、順位がガラッと変わった。今度は631がダントツだ。他の部隊の成績はほぼゼロになる。

「お。なにした、テオ」

「これは戦術コンが対応できない状況下での撃破率です。つまり新型の侵入個体に対する能力ですね」

「それなら僕らが一番に決まってるよ。リグがいるからね」

「他にも新型を撃破している隊があるな。WFか。これは何のときだ?」

「空母のときです。艦載機から降下した侵入個体を撃破したものですね」

「ああ、状況が新奇的だったわけか」

「あのときのことは思い出したくねえ」

 心底嫌そうにガスがぼやくと、ユウが笑って同意した。

「そうだね。あの時が一番追い詰められた」

「いまは違うんですか?」

「いまは追いつめられたあとだよ。もう動きようがない」

 突然四人は寂しいような、温かいような、惹きつけられる気持ちに囚われた。それは旧文明において郷愁や懐かしさと呼ばれた感情なのだが、都市を移動することがなかった市民には失われた心情だったのだ。

「都市アンバースか。もう一度だけ戻りたいな」

 リグたちが生まれ、戦い続けた都市。何より四人が出会った場所だった。ドクターや戦略部のハルをはじめ、世話になった人は多い。別れの挨拶はできないが、最後にもう一度会いたい気持ちはそれぞれにあった。

「俺たちの部屋、どうなってんのかな」

「新兵たちが使ってますよ、きっと」

 それを聞いていたユウがいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「都市アンバース、戻れるよ」

「異動したのに、できるのか?」

「拠点を戻すわけじゃないし、実際戦術コンのアップデート情報を持っていったりするんだから、できるに決まってるじゃない」

 リグたち三人の笑顔が明るくなる。

「適当な口実は僕が考えておくよ。リグは強引に物事を進めるときの屁理屈は得意だけど、怪しまれないようにするのは苦手だものね」

「ありがとう。頼むよ、ユウ」

「どういたしまして。僕も行きたいからね。二、三日待ってて」

「どうも、ユウにはかないそうもないな」

 苦笑するリグに、ユウは笑みを大きくした。

「対リグ戦なら、僕が一番勝率いいかもね」

 テオがベッドの上から身を乗り出す。

「ユウはどう過ごしていたんですか?」

「小説を読んでいたよ。旧文明の書籍情報を漁ってね」

「小説ってたしか、架空の出来事だろ? 作者が勝手に考えた」

「そうだよ」

「役に立たねえじゃん」

「そんなことないさ。主題を明らかに伝えるために様々な工夫が凝らしてある。一つの事実から得られるものより、理解しやすく、印象深いよ。事象を複数の観点から記述していたりして、多様な価値観の提示も興味深い」

 ふうん、とリグが興味を持つ。

「旧文明でその時々の価値観、考え方を集めて純化したようなものか。役に立つかもな」

「人の気持ちの働きや、普遍的価値観を読み取れる。リグは特に読んだほうがいいよ。群像劇なんてどう?」

「群像劇ってなんだ?」

「主人公を定めず、登場人物一人一人の物語が関連し、結びついたりしながらまたそれぞれに分岐していく物語の種類のことさ」

 リグはしばらく難しい顔をした。

「……それ、普通の人生とどう違うんだ? 人々が関連するのはそういう要素があれば不思議じゃない。分岐するのも、それぞれの人生なんだから当然だろう。どうして一つの小説内にそれらをまとめる必要があるんだ。別々に書くほうが簡単だし、そもそも最初の状態と変化の要因、経緯、結果をまとめてくれれば十分じゃないか? 時間をかけてそれぞれの人物の話を読み解いていく必要があるのか?」

「そこにいたる心の機微が醍醐味なんじゃないか」

「だめだこれ。ユウ、隊長には難しすぎるやつだ」

「ああ。そうかもね」

「馬鹿にしてんのか」

「違うよ。君は突出して高い能力があるから、性能低いところがあると差に驚くんだよ」

「好きでそうなったわけじゃない」

「わかってるよ。君に責任があるわけじゃない。でも、他ならぬ君自身の性能じゃないか……」

 むすっとしたリグを横目に、ユウは話を戻した。

「昨日から何冊か読んだけど、ホラー小説が気になったね。文章から恐怖を想起させるのが目的らしいんだけど、どうもよくわからなかったんだ」

「俺たち兵士は恐怖を抑制されてるぜ。ホラー小説がどんなもんか、想像もできねえ。何が書いてあるか知らねえが、フェムトの新兵器のほうがおっかねえや」

「恐怖って、想起させてなにか利点があるんですか?」

「あるとは思えないんだけど、人気があったらしいんだよね。それに、どうも前提知識というか、文化的、時代的背景を理解していないと楽しめないみたいだ。それを調べるのがかなりの手間なんだよ。文化人類学よりもっと単位の細かい、流行学とでもいうべきものが欲しいなあ」

「流行学があったとしても、小話一つ楽しむのに学問を修めることになります。それもどうでしょうか」

「なに、時間はあるさ」

「リグはどうしてたの?」

「それを考えながらブラブラしてたんだが、絵をやってみたい。思い出は死んだらなくなるが、絵は残る」

「記録映像から切り出すんじゃ駄目なんですか?」

「駄目だ。絵は構図や筆使い、色の選び方で感情も込められるらしい。完全でないゆえに、人の想像力を刺激させ、かえって主張を強める。情報伝達としては正確さや確実性に欠けるが、面白い仕組みだ。小説の文章もそうなんだろう」

「リグが非論理的なものに惹かれるなんてね」

 驚くユウに、リグは笑った。

「楽しむだけならいいさ。それに絵でも写真でも文章でも、同じものを対象にしている。違うのは表現する方法だけ。その手法も調べてみれば結構論理的だ。そうして構築されたものの中に、閃きというか、非論理的なものが投入されて美しくなる。あらゆる表現手段が美へと収斂していく。あれはいい」

 そう語るリグの脳裏には記憶の彼方にある少女と、それに瓜二つの女性と見上げた夕陽と溶け合う夜空が浮かんでいた。

「連続した絵を描いて物語性をもたせたものもあるようだ。音楽もやってみたいな」

「音楽かあ。いいね。四人で演奏したら楽しそう」

「俺、でかい樽みたいなのを叩くやつやりたい。腹の底にドカンと響くんだぜ」

「絶対ギターがかっこいいです」

「ピアノの旋律のほうが美しいと思うんだけどなあ」

「俺はトランペットかサックスかな。音色もいいけど、演奏姿までかっこいい」

 こうして、631の賑やかな夜は更けていく。四人だけの長く楽しい未来図を描きながら。

 さらに二日がたつ。本日も対人格闘訓練という名の賭け試合だった。ほぼすべての兵士が自分のチョコレートキューブを持って参加している。神経接続をしてのシミュレートであって実際に殴り合うわけではないのだが、みんな活気と熱気に満ちあふれていた。

 実はこの賭け試合には戦略部から正式に抗議がきている。戦術コンを通して兵士たちのストレス値を監視していたGMSは、戦闘もないのに値が大きく変動することに気づいた。その原因がこれだったのだ。生体バランスを崩しかねない、との理由で自粛を要請されたのだが、リグたち631のやり方に慣れていた元アンバース組がおとなしく従うはずがなかった。そもそも、日課として規定されていない訓練の内容は兵士の裁量で行うものであって、GMSや戦略部が口を出す筋合いではない。彼らもそれがわかっているから、禁止ではなく自粛を要請をしたのである。そして、それは聞き入れられなかった。

 昨日はチームを組んで侵入個体をどれだけ効率的に撃破できるかを賭けたのだが、対人格闘と聞きつけてやってきた兵士も多かった。それならいっそと、大々的に行う運びとなったのであった。

 神経接続を行うソファ型のシミュレータが並ぶ部屋で、兵士たちが戦術コンを通じて試合内容を観覧していた。持ち込まれたホワイトボードに組み合わせとその結果が書いてある。兵士たちは対戦者の性能や過去の訓練内容、戦績などからどちらに賭けるか決めるのだ。賭けたい者だけ賭けるので賭けが成立しない試合もあるのだが、兵士たちはそれも楽しんでいた。胴元はリグの知らない誰かがやっていて、利益はお目こぼしのため戦略部に届けるのだという。多少は上前をはねるだろうに、とリグは思うのだが、誰も文句を言う者はいなかった。

 今日もガスが強い。ベンチに腰掛けていたリグはガスの試合をぼうっと眺めていた。リグの出番はもうない。

「賭けないのか」

 声の主はユキだった。

 長い黒髪を束ねたユキに見下されながら、リグは視線を正面に戻す。

「賭けなければ、一個も失わない」

「情けないぞ。試合に出ず、予測だけで利を得る者もいるというのに」

「それじゃ訓練にならない。苦情も本格的になる」

「ならちゃんと訓練しろ。全敗じゃないか」

「自分でも、全試合一分切るとは思わなかった」

 笑うリグの隣に、呆れ顔をしてユキが座る。それから周りの様子をうかがって、こっそり横滑りしてリグに近づいた。

「お前の性能は標準的だからな。しかし、お前がレオに勝ったとき、対人戦は性能ではなく駆け引きだということを教えてくれた。おかげでお前たちとの対戦成績は五分に近い。私達がわずかに勝ってはいるが、性能差から見ればお寒いことだ」

「俺はその後一回も勝たせてもらってないんだけど」

「お前の卑劣さをみんな警戒するようになったからだ」

「卑劣さ」

 唇を歪めたリグの横顔を、ユキはなにか言いたげに見る。実のところ、リグの性能は落ちていた。GMSが性能表を更新するほどではないが、やりあってみればその差は明らかだ。

 あのときと同じだ、とユキは胸を締め付けられるようだった。周囲の期待や思惑が重圧となってリグを押しつぶそうとしている。その重さを分かち合いたかったが、リグにしかできないことが多すぎた。いまのユキは、そばにいることしかできない。足を止めたら一緒に止まり、進みだしたら隣を歩く。ユキも、誰も手助けできない以上、リグは自分で歩くしかないのだ。こうしているあいだにも時間は過ぎてゆく。変化し続ける環境には、変化することでしか対応できない。停滞こそがもっとも恐れるべき状態なのだ。変化こそが人の知恵であり武器だった。リグもユキもわかっているから、それに触れないのだ。

 人だかりの中からレオが進み出て、シミュレータに座る。次はガスとレオの対戦だ。

「お前はどっちが勝つと思う? 性能ならレオだが」

「レオが勝つよ」

「意外だな。お前はガスを応援すると思っていた」

「応援はする。でも、聞きたいのは勝つかどうかだろう。レオだよ。ガスは得意の打撃に、今日は不意の足技を加えることで勝ってる」

「そうだな。ガスは打撃が好きなのはみんな知ってるから、足の動きに気づきにくい」

「レオは結構前から観戦してたし、その変化に気づいているだろう」

「対策済みというわけか。確信があるのか?」

「見てればわかる。君が勝ったときより、レオはきれいに勝つだろう」

 むっ、とユキの頬が膨らむ。性能任せで勝ったと言われたようで不服なのだ。実際、ユキはガスとの試合で拳を打ち合わせ、そこから力押しで攻め倒して押し勝った。

 ガスとレオの対戦がはじまる。ガスの鋭い拳を二発、レオはするりとかわす。拳に注意を向けさせたガスは視線を動かさずに片足を跳ね上げ、レオの脇を狙った。だがレオはガスが引いた拳に吸い付くように接近し、ガスの軸足を払う。倒れたガスの眼前にレオの拳がピタリと止まった。それで終わりだった。

 兵士たちから、どっ、と歓声がわく。誰かがため息をつき、誰かが仲間の肩を叩いた。

 神経接続を切ったガスがシミュレータの上で腕を振り上げ、ちっくしょー! と叫ぶ。

 ほら、とユキに話しかけようとしたリグだが、ユキはもう立ち上がっていた。

「さすがはレオ。私たちの隊長だ。やる」

「……元気だねえ。次の相手は君じゃないだろう?」

「そいつにその気がなければ代理で出られる。行ってくる」

「応援してるよ」

「抜かせ」

 一歩踏み出したユキは後ろを向いた。

「……夕食の後、話をしないか」

「いいとも」

 ユキは黒髪をなびかせて歩き去る。見送るリグに、今度はのんきな声がかけられた。

「リグー」

「おー」

 ユウは去っていくユキの背中を見た。

「仲直りしたの?」

「別に喧嘩なんかしてない」

「だって、距離を探り合ってるみたいだったから」

「……ユウはそういうの、目ざといよな」

「君が鈍いんだよ。わざと空気を読んでないんじゃないかと思うくらいだ」

「空気って雰囲気のことか? そんなものに遠慮してどうするんだ。誰が嫌がろうと必要な話ならしなきゃいけないだろ」

 そうだね、と相槌を打ちつつユウは、筋金入りだなあ、と肩を落とした。

「どっちを応援してたの」

「ガス」

「ユキとの様子を見る限り、そうは見えなかったけど」

「勝つと思ったのはレオだ」

「君って……」

 ユウは額に手を当てる。リグは不思議そうだった。

「仲間の応援をしたっていいだろう?」

「それと勝敗の予想は別だって言うんでしょ。わかってるよ」

 閉口したユウを変に思うリグの視界の端で、ユキがシミュレータに座った。

「今度はどっちを応援するの?」

「ユキだ。WF同士、手の内は知ってるだろうし、さっきレオのやり方も見ていた。どう工夫するのか見たい」

「どっちが勝つと思う?」

 ユウの声がやや感情を欠いた。リグはすこしためらう。

「難しいが、ユキじゃないかな。自分から出ていったからには目算があるはずだ」

 だがリグは、ユキが立ち上がったときの闘争心に満ちた瞳を思い出した。ユキは興味ある対戦相手には、話すより先に手合わせを挑む性質だ。

「……あるんじゃないかな。たぶん」

 自信なさげに目をそらしたリグに、ユウは呆れつつ笑う。リグにこんな顔をさせる市民はそういない。戦術に関心がある以外に、周りをヤキモキさせる点でリグとユキは似ていた。

「都市アンバースの件、準備できたよ」

「ありがとう」

「いいさ。どうせ、やることないしね。向こうも歓迎するって」

「どっちの意味かな」

「喜ぶ方に決まってるでしょ。都市アンバースが総力上げて迎撃してくるなんて考えたくないよ」

「よかった」

 結局、ユキとレオの試合は壮絶な打ち合いを交えて十分を超える長丁場になった。最後には足を払われたように見せたかけたユキによって同様に空中に浮かされたレオが、ユキの三段構えの攻撃をしのぎきり、辛勝する結果に終わった。WFならではの空中戦に兵士たちは大いに沸いたが、こんなすごいのどうするの、というユウの白い目にリグは苦い顔しかできなかったのだった。

 夕食後、訓練もとい興行の出番を終えたユウとテオは、隊舎で都市アンバースでの計画を確認していた。

 部屋のドアが開く。いつもの椅子に腰掛けていたユウは顔を上げた。

「おかえり二人とも。どうだった?」

「このシケ面見りゃわかんだろ。ボッコボコだよ。隊長が足引っ張るから」

「お前がもう少し持ちこたえると思ったんだ」

「まあまあ。終わったことですから」

 たしなめられてもガスは不満そうにむくれる。

「テオはいいよな。ユウと組めたんだから」

「僕らもボコボコにされたんだよ。だから先に戻ってきたんだ」

 肩を落とすガス。その横をリグが肩を回しながら通り過ぎた。最近、どうも体がこわばる。

「ユキに愚痴を言われた。最近の631は物足りないってさ」

「しょうがないよ。この状況で本腰入れる気になれないもの」

 ふん、と鼻息を鳴らしてガスがふんぞり返る。

「ま、いままで散々いいとこ持ってったからな。あと一ヶ月、訓練でくらい負けてやんねーと、WFも立つ瀬がねえや」

 ガスはグフフと笑いながら上段のベッドへ登る。リグとユウは同じ懸念を持った者同士、視線を交わした。

「それ、絶対に外で言わないでね」

「ユキに聞かれたら素手で八つ裂きにされるぞ」

 リグの言い方だと本当にユキが人間を引きちぎる膂力を持っているかのようだが、肝心なのは実際にできるかどうかでなく、いかにもできそうかどうかだった。

 ガスの脳内で、なにをどうやったらそうなるのかわからないが、とにかく真っ赤に怒り狂ったユキが端正な顔を熱した鉄のように歪ませ、血眼になって一直線に迫りくる光景が浮かんだ。

 ぶる、とガスの背中が震える。

「……もう言わねえ」

「そうしとけ」

 リグが乱暴に自分の席に座る。小さなため息が出た。慣れない日々に、すこし疲れている。

「なあ隊長。チーム対抗戦、やっぱ駄目か? 絶対盛り上がると思うんだけど」

「対抗戦なら、いまやってきたじゃない」

「いや、人対人の、対人戦のことなんけどよ。隊長に即答されてさ」

「人間同士の戦闘を想定するってことですか」

「おう。互いの技術が見れるし、いいと思うんだけど」

 ガスはこわごわとリグを見る。

「駄目だ」

 リグの声に絶対零度の霜が降りる。これまで聞いたこともないほど冷たく、一切の反論を許さない声だった。

「訓練はフェムトに対抗するためのものだ。対人格闘を許容しているのは、本来人間が戦うときは武装するからだ。素手なら即死に至る致命的な結果になりにくいからだ。武器を使った対人戦闘訓練は認めない。それは人類同士の抗争を誘発する。そんなことをしている余裕はない。たとえGMSが許しても俺が許さない。もしGMSが許したなら、俺はGMSを破壊する。それは人類の発展に何の寄与もしない。そんなガラクタに命を委ねるほど、人間の命は安くない」

 リグの刃物のような眼光にガスは息を呑んだ。

「……了解」

「ならいい」

 そうは言ったものの、部屋の空気は冷たいままだ。631には似つかわしくなかった。それをほぐすように、ユウが明るく話しかける。

「みんな、明日出発だよ。地形探査をしながらだから遠回りだけどね。出撃情報を確認しておいて」

 ユウの声に表情を緩めたリグは戦術コンから出撃情報を読み出す。

「ふうん。地形探査と戦術コンのアップデート情報の運送を一度の出撃で、同じ部隊にやらせるのか。よくまあ許可が下りたな」

「他の部隊なら別々にやらせるね。僕らだからだよ。都市アンバースも新兵教育に僕ら、というか君の意見を欲しがってたから、渡りに船だった。ここのGMSと戦略部は都市アンバースの御同業につつかれたんだ。相手の味方が欲しがっているものを提示すれば、相手は前のめりになる。僕らの思惑がどうであろうとね」

「その通りだ」

 リグとユウは満足そうに頷きあう。

 その和やかな光景に眉間に皺を寄せたガスが口元に手を立てて、向かいのテオにささやいた。

「ユウの発想が隊長に似てきたな。やべえぞ」

「ですね。悪どいです。伝染るんですね、あれ」

 二人の声を聞きつけたユウは立ち上がって反論する。

「悪どくないよ。この方法はどの都市もGMSも戦略部も、もちろん僕らも、誰も不利益を被らない。被害者ゼロなんだから!」

「それですそれ。そういう論法ですよ」

「あっ! これ!?」

 呆然と頭を抱えてユウは崩れ落ちた。

「……なんてことだ。僕はリグの奇行蛮行を事前に阻止しなきゃいけない立場なのに」

「止めるやついなくなったじゃん。大丈夫かよ人類は」

「お前ら、もうちょっと俺に遠慮してくれ」


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