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識別No.0631_3  作者: 良木眞一郎
7/17

07

 乾いた大地。ところどころ顔をのぞかせる色あせたような草木。真一文字の地平線が視界いっぱいに広がる。空は晴れているのに、どこまでも遠い距離感のためにかえって停滞しているような印象を与えた。

 静寂の荒野を一筋の土煙が横切っている。

 屋根のないジープが一台、猛スピードで疾走している。大地を削り取る勢いの土煙にガスの叫びが混ざった。

「バカッ! テオ、スピード落とせ! 速い速いっ!」

 整備された路面などではないので、荒野のデコボコを素直に拾った車体が好き放題に跳ね回る。当然乗員も揺れるわ跳ぶわで、安全帯に抑えられているのに、尻がシートについているより空中にいる時間のほうが長い。

 結構な怖いもの知らずのガスでさえ車体にしがみついて青ざめる有様で、珍しい光景である。もっと珍しいのは、運転席にいるテオのほうだろう。ハンドルを握って揺れる車体の進路を修正しつつアクセルは踏みっぱなしのまま、怒りの形相だった。

「なんですかこの乗り物! 毎時百五十キロ程度でこんなに安定性を欠くなんて!」

「接地してんのに戦闘機並の速度が出るわけねーだろ! スピード! お! と! せ!」

「嫌です! 乗り物に乗るのは何のためですか!? 高速に移動するためでしょう! この程度でガタガタ揺れるなんて、この自動車というのは欠陥品です!」

 二人の怒鳴り合いを後部座席で聞きながら、リグはしみじみ後悔していた。

 都市の外、なるべく遠くに行こうということになり、空いている車を勝手に借りた。四人とも運転経験はなかったが神経学習で操作方法は知っていたので、運転手は誰でもよかった。だからリグは戦闘機の扱いがうまいテオを何の気なしに選んだのである。搭乗する機械という点では同じだと思ったのだが、軽率だった。

 輸送機の滑走路の隅っこでゆっくり動かしてテオが感覚を掴み、三人が乗り込んで安全帯をつけたまではよかった。

 安全帯をつけた瞬間、テオはアクセルを目一杯踏み込んだ。

 あとは走行というか、スキップというか、とにかく未体験の揺れに文字通り振り回されることになったのだった。

 前席の怒鳴り合いを聞く限りテオには、移動とは速度である、という可動タイル装甲より固い信念があるらしい。戦闘機乗りとして優秀であればあるほどそうなのだろう。リグは自分の迂闊さをこれほど恨めしく思ったことはない。こういうのは慎重居士のユウや、言動は過激でも動作は精密なガスに任せるべきだった。

 とにかく、もう二度とテオに運転させないことをリグは誓う。ガスは怒鳴るだけの元気があるが、病み上がりのリグは車体につかまる気力などなく、暴れる車体に身体がぶつかるのも構わず力を抜いて、ひたすらこの災難が無事に終わるよう祈っていた。隣のユウは車体を掴みつつ、片手で口元を抑えている。時々肩が震えるさまは笑いをこらえるのに似ているが、絶対違う。

 突然ジープが直進したまま真横を向いた。タイヤと車体が軋む。横向きに放り出される感覚が全員を襲い、ユウの胃の中身が喉元までせり上がる。乾いた大地をタイヤが削る音がこの世の終わりを思わせた。ユウの限界が近くなったとき、ジープは土埃に包まれてピタリと止まった。

 ややあって土埃がおさまる。ガスの足はフロントガラスの上に投げ出され、リグは座席にひっくり返っていた。ユウは上半身を乗り出し、浅く息を吐いている。

 テオは安全帯を外して車外に出ると、不満そうにジープを小突いた。

「整備部かGMSに報告しなければいけませんね。高速性と操縦性、安定性に大幅な改良が必要です。誰が設計したか知りませんけど、旧文明で生まれたとしたら、かつての科学技術もたいしたことないですね」

 やっとの思いで起き上がり、リグは通ってきたあとを見た。轍が弧を描いて爪あとのようだ。ブレーキをかけつつ真横に車体を向けることで横滑りを発生させ旋回し、運動エネルギーを横に逃がす機動をとったらしい。下手をすれば横転するところだが、これを一発で成功させるあたりテオの技量は自動車にも通用するのだろう。

「ユウ、大丈夫か」

 リグは声をかけたが、ユウは背中を向けたまま弱々しい返事しかできなかった。

「大丈夫だよ……戦闘機動よりきついね、これ」

 戦闘機は自分で操縦するぶん、機動が予測できるので身体の防衛措置もとりやすい。他人に振り回されるよりずっと負担は少ないのだ。操縦の技術と同乗者を運ぶ技術は別物らしい、とリグはしたくもなかった発見をする。

「ガス」

 前席に身を乗り出すと、車体を掴んで寄りかかった格好のガスと目が合った。対人格闘訓練でユキにノックアウトされたときのような顔をしていた。

「隊長……」

「ああ。二度とやらせない」

 それを聞いてガスは感謝と信頼の笑みを浮かべ、ようやく身体を起こす気になった。

「つーか、どこだよここ」

 ふらついた頭のまま、車外に立ったガスがこぼす。風景はこれまでと変わらない。たとえ道中になにかあったとしても気づく余裕はなかったが。

「座標はユウの指定通りですよ。大気浄化装置の効果範囲、呼吸可能な大気が届く限界の一キロ手前です」

「ふうん。確かにこれだけだだっ広けりゃ、誰かがコソコソ近づいてきてもすぐわかるな」

 リグに続いてユウも車を降りた。足元がちょっとおぼつかない。

「でしょう。これだけ離れれば、GMSは僕らの音声を拾えない。そんな装置を持ってないんだ。光学観測で唇を読む事はできるかもしれないけど、車体の影に入れば防げるしね」

 さっそく四人はジープのそばに車座になって座る。地べたに直接座るのは誰もがはじめてで、全員おっかなびっくり腰を下ろした。

「……食事にするつもりでプレート持ってきたんだけど」

「ちょっと休もうぜ。まだ揺れてる感じがする」

「そうしよう……ああ、足元が動かないって素晴らしいな」

 言いながらリグはごろんと仰向けになった。服や髪に土がつくのが不衛生に思われてユウは眉をひそめたが、正直同感だったので何も言わなかった。

 リグは大きく息を吸った。都市の、幾重もの調整がされた無機質な空気とは違う。かすかな草木の香りや水を求めて乾く大地の柔らかさ、日差しの暑さ。そんな生命の息吹が感じられた。

「リグ。そういえばなんだけど」

 ユウがじろりとリグを睨む。

「超過集束剤なんて装備、はじめて聞いたよ。どこから盗んできたの」

「盗んでない。試作品をもらったんだ。ドクターからの餞別だ」

「君は前科があるじゃないか。それに、僕らに内緒にしてた」

「それは……悪かったよ。一人で使ってもしょうがないから、一応ベルトに付けたけど使う気はなかったんだ」

 ユウはため息をついた。

「まあ、おかげで助かったんだから文句はないけどね。いつかドクターに会ったらお礼をしないと」

「お礼か。賛成だ」

 もちろんリグはユウと違い、殴り込みの意味で言っている。あんなに副作用が強くては、いよいよ後先どうなっても構わない、という状況でもないと使えない。すぐにユウたちが来てくれたからいいようなものの、援護のない状況では死ぬまでの時間が延びるだけだ。まさしく欠陥品と言える。

「手がかりの分析は?」

「終わってるよ。完全なクローンだった。つまり、正真正銘の人間。何の差異もないから手がかりにならないし、もちろん製造記録もなかった」

「装備の方はどうだ」

「どこかの都市で作られた物なのは間違いないみたい。ただ、必ず刻印されるはずの製造番号がなかった。通信可能なすべての都市に問い合わせてみたけど、そんなもの作った記録はないってさ」

「GMS管理下で員数外がでるとはな。戦術コンは?」

「本人のものとまったく同じ。情報は何も残ってなかった。たぶん生命活動停止と同時に消去したんだと思う。それを実行するプログラムごとね」

「他に得られた情報は?」

「生化学部が血眼になってるけど、いまのところないね」

「ふうん。それらの情報公開はどうなってる?」

「公式には未公開。僕らと、万一の場合に備えてWFには知らせられた。本人もいることだし」

 リグは青空と白い雲を眺めながら、レオの顔を思い描く。

「どんな反応してた?」

 向かいで同じく寝そべっていたらしいガスが起き上がり、背中の土を払いながら答えた。

「さすがのレオも、自分の死体には青ざめてたぜ。誰だってそうなるに決まってら」

「ユキたちも驚いていました。そして、複雑そうでしたね。僕たちや自分のクローンと戦うこともあり得るわけですから。しかも敵味方の区別がつかないなら、本物を撃ちかねません。もっとも、遺伝子的にはどっちも本物ですけど」

「それで君待ちになったわけ」

「なるほど」

 リグも起き上がる。今度はブーツの近くの土をいじりはじめた。

「……驚かないんだね」

「うん? まあ、そんなとこだろう。通信規則が最新だった時点で、GMSと何らかのつながりがあるのは予測できる。しかも六人だろ。一人二人なら、死体を拾ってくるとか誘拐してくるとか考えられなくもないけどな。GMSと通じているなら、装備が都市製なのも納得がいく。逆に未知の武装や、クローンとは異なる有機体でした、とかのほうが頭抱えるな」

「確かに、そっちのほうが訳わからなくなるわな」

 土いじりをしながら、リグは自然と小声になった。

「GMSを騙しているのかGMSの指示なのか知らんが、GMSの協力があれば都市に出入りできるだろう。もう都市は安全じゃない。ランファンを含めた都市すべてに敵が潜んでいる可能性がある。しかも製造番号を消す念の入れようだ。こちらの事情をよく知ってる」

「フェムトじゃない……裏切り者でしょうか」

「どうだろうな。なんとも言えない。未知の都市の人間かもしれない。どっちにしても、敵対する理由がさっぱりわからない」

 全員が沈黙しかけたとき、ユウが立ち上がった。

「そろそろ食べようか」

「いいのか? 一番ゲロ吐きそうだったのに」

「十分休んだよ」

 ユウは車に戻り、ラップにくるまれた四つのプレートをそれぞれに配った。

 ラップの下は、当然のようにぐちゃぐちゃになっていた。もとからペーストみたいな食事ではあるのだが、それがまとめて撹拌され、白と緑と茶の三色が一体となっている。ここまでされて剥がれないラップの保持力は称賛ものだ。

 さすがにテオもバツの悪そうな顔になる。

「すみません、プレートに配慮していませんでした」

「他にも配慮すべきものを乗っけてたんだぜ、テオ」

 肩をすくめながらめいめいラップを剥がし、食事にかかる。空気に味や香りがついているような気がして、食べ慣れたはずの味が妙に新鮮だった。あまり風がないのも幸いした。風が強ければ砂埃がプレートを覆い、ジャリジャリした新食感に化けるところだ。

 食事を進めるうち、ふとテオが言った。

「隊長の戦術コン、ずっと警戒状態ですね」

「ああ。都市が安全と判断できない限り、もう戻らないかもな」

「戦術コンて、ずっと警戒状態で問題ないのか?」

「一生つけておくものだし、大丈夫のはずだよ。情報共有先が制限されるから待機状態より通信量は低くなるだろうし、かえって負担は少ないんじゃない。GMSと戦略部は怒るだろうけど」

「ここの戦略部、さっそく怒ってたもんなあ。ハルみたいに話のわかる人がいればいいんだが」

「ハルが特別話がわかるわけじゃないよ。ていうか、あんな言い方したら怒って当然だよ。ただでさえ状況が状況なのに」

「俺って人を怒らせるのばっかり得意だな……」

 多少落ち込んだリグはユキまで怒らせていたことを思い出し、とりあえず全部忘れることにした。

 食事が終わり、軽く背筋をのばしてからリグは全員を見回す。

「さて、本題に入るか」

「まず僕たちの目標と問題点を確認していこう。解決策はそれからだ」

「いつものやつだな。俺たちの目標は決まってる。生き残ることだ」

「問題点はいくつもありますね。緊急性が高いのは、人型個体の判別方法が不明なこと。都市に潜入した人型個体の対処をどうするか。潜伏防止方法の考案、実施。人型個体がGMSと通信していること」

「もう一つ付け加えさせてほしい。奴らはリグをさらおうとした。なぜかリグだけを排除しようとしてる」

「なぜってそりゃ……」

「待てガス。順番に、ひとつずつだ」

「了解」

 このとき戦略部のトムがいれば、リグの戦闘情報をGMSと戦略部に渡すかどうかを議論すべきだと主張しただろう。だがこの通り、631の議題には入らなかった。四人に悪気はない。生死にかかわらないと判断したか、そう判断したことすら忘れているかのどちらかだ。

「まずは人型個体の判別方法だね。僕は思い出以外の意見を持ってない。リグは?」

「俺も他にはないと思う。奴らと俺たちの違いは識別No.と個体名がないこと、あとは装備の製造番号の有無くらいだ。奴らがその気になればどうとでも偽装できるだろう。現に、識別No.と個体名がないはずの個体にGMSは戦術コンのアップデートをしたわけだからな」

「識別No.が偽装されてもよ、同じ識別No.が複数あれば怪しいだろ。未知の識別No.なんか論外だし」

「そうだが、どっちが本物かの判別までは難しい。本物がいない可能性もある。全員とっ捕まえて詳しく調べるしかない」

 ガスは眉間にシワを寄せて腕を組んだ。

「……思い出か」

「兵士の人間関係は希薄です。もともと戦術コンの指示に従うだけですからね。思い出そのものを持っていない兵士も多いと思いますよ」

「ここの、元都市アンバース所属の兵士たちはそうでもないだろうけど、他都市はね」

「どうすっかな……」

「この問題はいったん置いておこう。他の問題に取り組む過程で解決の糸口が見えてくるかもしれない」

「了解です。次は都市に潜入した人型個体の対処ですね」

「判別できない以上、どうしようもねえだろ」

「いきなり話を終わらせないで、ガス」

「だってよ。隊長が言った通り、いままでも潜伏してた可能性があるんだぜ。いまでも、か。いたからなんだっていうんだよ。暴れたらぶん殴ればいいんだろ」

「と、言ってますけど」

「基本的にはそれでいいと思うが、変な仕掛けをされると厄介なんだよな。特に大気浄化装置や浄水、食料なんかの生命維持関連。GMSが協力してくれれば怪しいやつを見つけられそうだが……」

「人型個体がGMSに干渉しているのが問題ですね」

「GMSの話はあとにしよう。この問題の対処はさしあたって、見つけたらボコってふん縛る、でいい」

「わかりやすくて助かるぜ。次は?」

「潜伏防止方法の考案、実施です」

「僕らにどうこうできることなの、これ? GMSが対処すべき問題じゃない」

「そうだな。つまり、棚上げだ。次」

「人型個体がGMSと通信していること、ですね」

「これ、マジでGMSと通信してるのか? 誰にもわからないように?」

「通信管理はGMSがしているし、GMSがその気なら隠そうと思えば隠せる。通信しているのは間違いないだろう。都市ランファンでしか使用していなかった最新の通信規則を使っているのが根拠だ。これを実現するには、アップデートを受けるか、アップデート済みの戦術コンを奪うしかない」

「都市ランファンでしか使用していない、というのが肝ですね。過去の作戦や他都市を含めれば、遺体や行方不明者から六人分確保できそうなんですが」

「そうなんだ。ここに来てからほとんど日がたってない。通信規則が更新されたのも都市ヘルムート攻略作戦の直前だ。作戦後ならともかく、作戦前に六人も行方不明になったら誰でも異常だと気づくよ」

「都市に潜伏した個体が戦術コンを手に入れるってのはどうよ?」

「GMSが協力すれば、あるいはGMSを制御できるなら可能だろうけど……」

「またGMSですね」

「戦術コンのアップデートってGMSしかできないのか? アップデート情報があればいいんじゃねえ?」

「戦術コンは人類の戦術の粋を集めてると言ってもいい。アップデート情報は厳重に管理されてる。欲しければGMSを経由するしかないんだ」

「誰かが横流しすればいいんだろ?」

「アップデート情報は即時適用される。だから個々の戦術コンには保存されないよ。アップデート情報はGMSしか持ってない」

「他都市にアップデート情報を運んでいるだろう。そのときはどうしてるんだ?」

「知らない。そうか、そのときはアップデート情報を持てるかも」

「都市ランファンのアップデート情報はまだ他都市に運ばれていません。ですから、その機会はありえません。それに、運送中の兵士に何かあれば大事件になりますよ」

 ユウがため息をついた。

「そうだった。やっぱり都市に潜入したんだと思う」

「うーん、作戦時に戦術コンをまるっとコピーするのはどうだ!」

 ガスの言葉にユウはすこし考え込んだが、首を振った。

「戦術コンは個体差があるんだ。リグを見ての通り、経験からくる個体差と、個々の身体へ最適化するための個体差がね。経験から来る差はともかく、身体適応からくる個体差はまずい。肉体までぴったり同じにしないと戦術コンの指示への反応が遅れるし、最悪実行そのものができない。兵士としての性能は大きく低下するよ」

「となると、やはり奴らはGMSと通信できるってことになりそうですね」

「そう考えるのが現実的だと思う。戦術コンに乗っ取りをかけられるほど電子戦の技術もあるわけだし、GMSも乗っ取られたのかもね」

 首をひねっているリグにユウは視線を向けた。

「リグ。GMSが利用されているのは明らかだ。少なくともGMSの意志かどうかだけでも区別したいんだけど、どうかな」

「それがなあ。それこそ区別つかないと思うんだよな。GMSの膨大な情報量を解析なんて百年かかっても無理だろうし、だからって直接聞くのもなあ」

「隊長の話では情報開示段階が高いのは戦略部でしたね」

「俺の知る限りはな。だが戦略部に頼んでもな」

「まともな答えが返ってくるわけねーよ。GMSの意志でやってるならなおさらだし、騙されてても乗っ取りでも、どっちにしたって対策されてるに決まってる」

「ガスの言うとおりだ。対策をしないような敵なら苦労しない。まあ、一応頼んでみるか」

「戦略部に確認してもらう、と。次が最後だね」

「はい。人型個体は隊長を排除しようとしていることですね」

「どうしてリグだけなんだろう」

「決まってるぜ。人型個体と都市市民の判別方法を見つける可能性が一番高いのが隊長だからだ」

「僕もそう思う。リグはどう?」

「う~ん」

 頬杖をつきつつリグは大地に触れた。表面は乾いていたが、指を沈めると湿って固い層に当たる。乾いた土だけをすくい、指の間からこぼれさせる。汚いよ、とユウが注意するが、あとで手を洗うから、とリグは取り合わなかった。

「俺を狙う理由もそうだが、奴らが何を目的にしているかわからないんだよな」

「僕たち、人類を始末したいんじゃないの?」

「フェムトはそうだ。フェムトの目的は簡潔だ。自分たちの生存圏の拡大と安定のため、大気浄化装置を支配したい。それを邪魔する人間は潰す。手段は複雑化してきているが、目的は変わらない」

 リグはまた土をひとすくいする。

「だが人型個体は違う。GMSを手中にした以上、やろうと思えはいつでも俺たちを殺せる。都市まるごと、一斉にだ。でもやらなかった。いまもやってない。なぜだ?」

 ユウたちは顔を見合わせる。

「たしかにそうだ。僕たちを生かしておく理由があるってこと?」

「フェムトが人型個体を作ったんじゃねえなら、第三勢力だな」

「未知の都市の人間ですか? それなら協力してくれてもよさそうなものですけど」

「そうなんだ。干渉はする。でも危害は加えない。それでいて俺だけ狙う。わけがわからない。奴らの目的次第ではGMSの協力なしでも、なにかできるかもしれない。でもわかっているのは、GMSを掌握できることと、どうやら俺が邪魔らしいことくらいだ。GMSへの対処や敵味方識別の方法はもちろん重要だが、俺は何より奴らの目的を知りたい」

 それぞれがそれぞれの表情と姿勢で考えにふける。

 リグの指の間から土が流れる音が途切れた、その時だった。通信波が四人の戦術コンに届いた。

 その通信はGMSを介していない、直接通信だった。

「ごきげんよう、0631小隊の諸君」

 情報共有していた四人の脳に戦術コンの指令が走る。バネじかけのように体が動いた。ガスとテオがジープの両端にへばりついて車体の向こうをうかがう。リグとユウは腹ばいになってそれぞれ担当する方角を索敵する。なんの変化もなし。リグはひっそりと臍を噛んだ。四人は武器どころか戦闘スーツすら着ていない。フェムトは飛行船のような外殻なしではこの大気内に侵入できないし、侵入個体が遠足のように歩いてやってきた例もなかったからだ。もしそれが現実となってもリグたちはジープで逃げ帰ればいいし、迎撃も難しくない。無論、侵入個体の数次第では苦戦するだろうが、都市内に引き込んで個別に撃破していけばいいだけだ。人型個体相手でもそれは同じだ。そのはずだった。

 軽やかな笑い声が脳内に響く。

「安心したまえ。近くに私はいないよ。ついでに侵入個体や飛行船のたぐいもね」

 リグはゆっくり体を起こし、周囲を警戒しながら座り直した。同じようにした三人に目配せする。鵜呑みにはしない。警戒は続ける。

「特に識別No.0631、リグ。先日の会談では自己紹介もせずにすまなかった」

「あれが会談か。なら面会予約を入れろよな」

 ぼそっとつぶやいたリグ。自分はしないくせに、とユウは呆れつつ、二人に音声で指示する。

「ガス、テオ。電子戦用意。防御レベル最大」

 直後に抑制された笑いがさざ波のように聞こえる。

「無駄だよ。君たちの声はよく聞こえている。電子戦の心配はしなくていいのだが、まあ好きにしたまえ」

 リグとユウは視線を交わす。リグは鬱陶しそうな顔をして足に頬杖をついた。

「先日はあんたの連れに失礼したな。今日も待ち合わせをした覚えはないが」

 音声のみでの回答だったが、返事はやはり通信波によって伝えられた。

「多忙な君には迷惑だったかな。あのあと君たちがどうするのかと思っていたら都市外に出てきてくれたものでね。周りに他の市民もいないことだし、都合が良かった。ちょっとびっくりさせてしまったかもしれないが」

 くつくつと笑う声が、リグの癇に障る。

「旧文明でも会談は顔を合わせて行うものだ。敵か味方かわからないなら余計にな。声は拾えてるようだが、さっさと出てくるのが礼儀だろう」

「そうはいかない。私がどうやって君たちの声を聞いているのか考えているんだろうが、見当もついていないんだろう? 私にとってずいぶん有利な場だ。わざわざ崩すつもりはない」

「対等な場に立つ気はない、ということだな」

「そう構えないでもらいたい。私は非常に友好的な提案をするのだから」

 リグは唇を噛む。

「さっさと自己紹介くらいすませろよ。ジ・ノ」

 油断せず周囲を警戒していたユウたちは思わずリグの顔を見る。数秒の沈黙の後、返ってきた声はすこしばかりこわばっているように聞こえた。

「どこのお友達から聞いたのかね」

「空から降ってきたのさ。天啓っていうだろ」

 二人の間に一瞬で高まった緊張を通信波が運ぶ。

 リグは肩の力を抜き、声も砕けた調子に変えた。

「演説会のように、きちんと段取りをとって自己紹介したかったんだろう? 自分の呼吸で。すまなかった。改めて聞かせてくれ……お前は誰だ?」

 ややあって聞こえたそれは、完全に気持ちを立て直したものだった。

「私は識別No.0001、個体名ジノ。人類が一度滅びたこの星で、最初に目覚めた人間だ」

 ユウたちは目を見開いたままお互いを見て、またリグに視線を戻した。

「この星で最初? どこの都市だ。識別No.0001なんて、都市の数だけいるぞ」

 識別No.は都市のGMSが割り振る。そのため同じ識別No.が都市の数だけ存在し得た。重複可能にした理由は明らかではない。都市間の交流を意図していないか、実現にかなり時間がかかると見込んだのか。いずれにせよ未知の都市も含め、識別No.0001は無二ではないはずだった。

 また、くつくつと笑う声が響く。

「識別No.0001は私しかいないよ。他はみんな殺したからね」

 心から楽しげな言い様だった。リグは息を呑む。

「なに、簡単さ。私がGMSと通信できることはわかっているんだろう? ちょっと都市にお邪魔して、識別No.0001を殺して、記録を消す。関連情報の開示段階も最上にするんだ。そうすれば私以外にそれを閲覧できるものはいなくなる。市民がいたとしても誰も興味を持たないし、なにか覚えていてもクローンを繰り返して忘れていく」

「その言い方だと、あんたはずいぶん長生きだな。それに情報開示段階を引き上げる? あんたはGMSの操作ができるのか」

「そうさ。私は何百年でも待つよ。そして、確かにGMSを操ることができる。教えてあげよう。私の情報開示段階は最も高い、ウルトラ・バイオレットだ。現生人類で唯一のね」

「……情報開示段階の一覧表なんか見たことないんでね。そのナントカカントカが一番かは知らないな」

「なあに。君たちよりずっと高い、ということさえわかっていればいいさ」

 ジノの声はあくまで優しい。舌打ちをこらえるために、リグは自分の舌を噛んだ。

「何百年もの寿命があってGMSすら個人端末みたいに扱うわけだ。お偉いこったな。その天上人みたいなあんたが、下々の民に何の用なんだ」

「言ったろう。提案だよ」

「圧倒的に有利な立場からの発言が、提案? 冗談だろ。実質的には命令だ」

「いや、提案で正しいよ。なぜなら、決定権は君たちにあるのだから」

 リグは深く呼吸して心理的に身構えた。選択権を与えるということは、どっちでもいいということだ。

 追い込まれている。その緊張感がリグの体をこわばらせた。

「ご提案とやらをうかがおう。先に言っておくが、あんたに献上できるものはない」

「あるよ。君たち自身だ」

 思わずユウたちを見るリグ。全員が困惑していた。

「すこし説明が必要になる。君たちもさっきまで話していただろう。私の目的に関わることだ」

 ガスとテオの緊張が高まる。ユウは唇を引き結んだ。

「人類を繁栄させたのは何だと思うかね」

「……人によって解釈の分かれる質問だな。脳の大きさと答える人もいれば、火を使ったからとも、二本足で立ったからとも、道具を作るからとでも、立場や知識の偏向性によっていろんな答えがある」

「リグ。君ならどう答える?」

「生きたいからだと思う」

「ふふ、君はそうなんだろう。私は違う」

 憂いを帯びたため息がジノの自己陶酔の表すようで、リグは苛立つ。

「私は知識と技術が人類を繁栄させたと考えている。科学だよ。地表のほとんどが呼吸不能な大気に覆われ、謎の生体であるフェムトの襲撃に怯える現状を救う鍵だ。人類は一度滅び、目覚めてからそれを少しずつ育て、取り戻してきた。でも君たちは、特にリグ、君は技術力のなさを工夫で補ってしまう。科学力の発展なしに、有り物の技術で生き残ってしまう。そうして一足飛びに生息域を増やしてしまった。それを見た都市市民は勝手に工夫をはじめた。旧文明の叡智の結晶であるGMSを頼りにせず、そこに秘められた科学技術を探すことも理解しようともしない。愚かで無意味な試行錯誤の沼に沈んでいく。はっきりと示された道標に従わず、進んで暗中模索の愚を犯す。人々にその蛮勇を与えたのは君なのだ、リグ」

「その挑戦と経験の積み重ねこそが科学技術だろう。確かにGMSに収められた技術をすべて理解するほどには、人類の科学力は発展していない。だがフェムトが攻めてくるなら、使えるものは何でも使って生き残る努力をする。生命として当然のことだ」

「人類はその科学力にふさわしい生息域に留まっていた。君が均衡を崩したのだ、リグ」

「それがどうした。あんたは人間なんだろう? 人類の生息域が広がって何が困るっていうんだ」

「人は必要に迫られて技術を開発する。必要にならない限り現状でよしとする怠惰な生き物だ。そうでない人間もいるが、比率としては少ない。人類の生息域が広がり人口が増えれば、勤勉な人間に比して愚鈍な人間ばかりが増える。科学の発展に寄与しない、動物にも等しい連中をあやしてやれるほど人類に余裕はないのだ」

「科学者以外の市民のことを言っているのか? 馬鹿な。彼らは都市の運営に、生存に不可欠だ」

「わかっているとも。では、彼らの生存に対して科学者は何人要る? 生息域を広げれば科学者の数も増えるだろう。一人二人か。だが科学者以外はもっと増える」

 リグは唇を噛む。

「なるほど。あんたの言いたいことが見えてきた。あんたの気に入らない人々の増加がご不満なわけだ。そのきっかけになった俺たちも」

「その通り」

「それじゃ技術開発の歩みは遅々としたままだ」

「構わんよ。私は待つ」

「適正な人口はどうやって決めるんだ」

「私が決める」

 手のひらの痛みを感じて、リグははじめて自分が震えるほど拳を固く握っていることに気づいた。顔がこわばるほど歯を食いしばってもいる。土のついた手で頬を撫でた。落ち着け、と自分に言い聞かせる。

「お望み通り科学技術が発展して、旧文明の水準に戻ったとしようか。それでもフェムトに勝てるとは限らない。旧文明は滅びた」

「結果としてはそうだ。だがその威力は君たちの装備が証明している。十分な数の装備と兵士がいれば、今度こそ勝てる。なんなら改良できるまで待ってもいい」

「あんたが満足する技術力に達するまで、兵士はクローニングにより生まれては死に続け、工廠層は繰り返し壊される都市を修復し続けるのか?」

「そうとも。技術の発展には時間が必要だ。その時間は稼ぐ必要があるからね。そのための兵士じゃないか」

 こみ上げてきた熱が腹の底に引いていくまで、リグは待った。

「……あんたのやり口はわかったよ、ジノ。それじゃあ、あんたの理想の人類育成計画に俺たちが邪魔なわけだ」

「わかってもらえて嬉しいよ」

「そんなに邪魔なら殺しに来ればいいだろう。GMSを手中に収めているなら簡単なはずだ。直接手を下す必要もない」

「やろうと思えばできるさ。だが、君たちは短期間で周りに影響を及ぼしすぎた。君たちが死ねば……どれだけ自然な形であろうとも、市民は原因究明にやっきになるだろう。それこそ、科学技術を磨くことも忘れてね。それは私の目的に反するので、提案だ」

「何をしろっていうんだ」

「何もしないで欲しいのさ。都市を用意しよう。ひどく遠いがね。そこへ君たち631は引っ越すんだ。他に誰もいない、四人だけの都市だ。寿命が来るまで生存することを保証するよ。兵士の平均死亡年齢の倍以上だ。一生かかっても楽しみきれないほどの娯楽物もある。兵器や移動できるたぐいのものは一切ないが、シミュレータくらいは用意しよう。のんびり暮せばいい。クローニングはできないが、君たちは遺伝子ではなく思い出とやらを保持して生き残りたいのだから、問題あるまい。君たちは生き残れる。私は人類が科学力を取り戻す計画を進められる。互いの目的にかなう。いい案だろう? 特にリグ、君には特別ボーナスもある」

「死亡が行方不明になっても変わらないだろう」

「変わるよ。死亡は記憶に残るが、行方不明は違う。本人の意志かもしれないしね。君たちは生きてもいないし死んでもいない、中間的な存在になるんだ」

「ユキやレオ、ドクターにハルも忘れたりしない」

「そうかもしれないが、騒がなければそれでいいさ。君たちの意志で出ていったように見せかければいい。そのうちおとなしくなる。騒ぐようなら死んでもらう。代わりはすぐに作れるからね」

「……いい案かどうか、判断できないね」

「それは嘘だよ。生存に不可欠な都市は、GMSは私が好きにできる。犠牲者も出ず、お互いの望みを果たせる素晴らしい提案だ」

「引越し先には兵器がないんだろう。フェムトが攻めてくるかもしれない」

「それは絶対にないと約束しよう」

「なぜそんなことが言える。あんたはフェムトと対話できるのか」

「できると言ったら信じるのかね? 誓約書を作ってサインでもしようか? 君の枕元に置いてあげるよ」

 乾いた大地をなでながらリグは数瞬、思索にふけった。

「すぐには回答できない」

「できないはずはないと思うが、まあいいだろう。一ヶ月あげよう。そのときに回答したまえ。GMSに私宛ての通信をすればいい」

「信用できるんだろうな」

「してもらうしかない。でなければ君たちは死ぬ。その結果いくら市民が騒ごうと、彼らが死ぬまで待てばいい。一世代よけいに時間がかかってしまうが、仕方あるまい」

「…………」

「他の人間には漏らさないでくれたまえ。その人物は死ぬことになる。気の毒だろう?」

 リグはまた返事をしなかった。

「面会予約が欲しいと言っていたね。必要ないよ。二度と会うことはない。では、良い返事を期待しているよ」

 その言葉を残して通信は途切れた。

 しばし放心していたユウが我に返る。

「い、いまの、ちょっと整理させて」

「ああ」

 リグは無表情のまま、乾いた土をすくっては指の間から流れ落ちていくのを見ていた。

「えっと、奴は、ジノはGMSを自由に操作できる?」

「みたいだな」

「都市に自由に入ってこれて、その記録も自由に改竄できて、やろうと思えば僕らどころか都市市民全員殺せる?」

「そうだな」

「奴の目的は科学技術の発展なのに、僕らが科学技術ではなく戦術で問題を解決してしまうから技術開発が思うように進まない。だから僕たちが邪魔?」

「そう」

「僕たちを殺すと面倒だから、僕たちに選択肢を与えた? 死ぬか、遠く離れた無人の都市で一生を過ごすか?」

「ああ」

 呆然としたユウに、テオが眉をひそめた。

「殺すって言ったって、奴は一人でしょう? 兵士だけでも百人はいます。GMSを味方につけたって、抵抗は避けられません。無理ですよ」

「奴は俺たちのクローンを作れる。頭数を揃えるのはわけないだろう。だが、そんなことをする必要はない。都市を管理するGMSを支配しているなら、食事や水、空気に毒を混ぜるだけでいい。俺の枕元に誓約書を置けると奴は言ったが、確かにGMSから指示を飛ばして市民に書かせ、運ばせればいい。兵士の数の問題じゃない」

「そんな……それじゃどうしようも」

「待てよテオ。隊長、奴の提案に乗ったふりをして、引越し先の都市から脱出するのはどうだ?」

「幽閉先に長距離移動できるものを置くほどアホじゃないだろう。そこのGMSも俺たちの言うことを聞くはずがない。生存に不可欠な装置を稼動させるだけだ。仮に脱出したとして、どこに行く? 意気揚々と舞い戻ってきたって、奴が都市市民を皆殺しにできる事実は変わらない。実質的に奴は市民、人類全体を人質にとっているんだ」

 頬杖をついてリグは土いじりを続ける。

 ユウとテオはそれぞれうつむいたまま考え込んでいる。ガスは腕を組んで空を睨んでいた。

 救いを求めるようにユウはリグを見上げた。

「都市に戻っても……音声、聞かれるよね」

「そう思っておいたほうがいい。奴はどうやってか、俺たちの声を拾っていた。知られていないだけで都市にそういう設備があるのか、別の手段かは知らないが。とにかく、聞こうとすればできる。内緒話はできない」

 音声会話が記録されない、というのは市民にとって戦術コンをはじめとした思考支援器の通信こそが肝心なためだ。音声による情報伝達は発声や聞き逃し、大きな環境音にかき消されるなど不確実であるし、大量の情報を処理するにも時間がかかる。通信で行うほうがずっと早くて確実なのだ。だから戦術コンは音に興味を持たなかった。フェムトが特徴的な音を発するなら話は変わるだろう。リグたちが知らないだけで、戦術コンは音声記録能力を秘めているのかもしれない。それを利用されればお終いだ。その上、都市は設備管理の一環として異常音検知機能を持っている。それを使えば人間の発する音も拾える上、都市のそこかしこに配置されている。誰も気にしていないだけで、やろうと思えばできることなのだった。

「フェムトと通じてるって、本当かな」

「どうだろうな。都市ヘルムート攻略作戦で俺が罠に嵌ったとき、強力な侵入個体が二体も居合わせた。偶然にしてはできすぎだ。フェムトと意思疎通できるか、あるいは誘導できる方法を知っているんだろう」

 再び訪れた沈鬱な静寂。

 それをガスが破った。

「ぬぐあぁあああああああああああ! もうなんもわかんねー!」

 ガスは頭を抱え、上体をそらして後頭部を地面にぐりぐり擦る。そして突然ピタリと止まり、むっくり起き上がったときの表情は意外にも真面目極まるものだった。

「隊長。俺はあんたに従う」

 頭から土をこぼしながら居住まいを正し、ガスは続けた。

「あのとき隊長に救われなかったら、俺は死んでた。あのとき決めた。俺の命はあんたのために使うと。おっと、借りを返したいとかじゃないぜ。俺の意志で、俺の命は俺よりあんたのほうがうまく使えると判断したんだ。そのほうが人類の、俺たちのためだ。そりゃ命は惜しいが、次の、クローンの俺は隊長の言うことを聞くとは限らねえ。いまの俺が預けられるのは、いまの俺の命だけなんだ。あんたが死ねと言えば死ぬ。俺には理解できなくても、あんたが言うならそれは絶対に俺たちのためになる。なんならあんたを殺してでもあんたの命令を遂行するぜ。ムカつくが、この事態は俺の手に負えねえ。俺はあんたに従う。俺はどうしたらいい? なにをすればいい? 指示をくれ、隊長」

 テオもおずおずを顔を上げる。

「僕もガスと同じです。隊長のおかげで、何度も救われた。隊長がいなかったら都市は何回か滅んでるし、都市攻略作戦なんてありえなかった。どんどん人類が強くなっていく。信じられないくらい誇らしいです。戦闘機動開発なんてものまでやらせてもらいました。おかげで僕自身、いろんなことを考えるようにもなりました。けど、この状況はもう、どうしていいかわかりません。敵はGMSを介して姿を見せずに攻撃してくる。空の敵ならなんとかできるかもしれません。いえ、なんとかします。でも、どこにいるかわからない敵は無理です。隊長、指示を下さい」

 ユウは諦観の面持ちでリグを見る。

「副官として情けないけど、いまの僕は君に何の補佐もできない。なにをすべきか、どうすればいいか、何の考えも湧いてこないんだ。この状況もあの敵も、戦術一つでなんとかできる範囲を逸脱しているとしか思えない。君に負担をかけたくないけど、もう僕は一歩も動けないんだ。教えてくれ、リグ。僕はどっちに足を踏み出せばいい?」

 リグは黙ってそれらを聞いていた。いったん地面に視線を落とすと、おもむろに口を開く。

「ユウ。ガス。テオ。お前たちの気持ちはわかった。だが、間違っているところが一つある。どうすればいいかなんて、わからないはずがない。わかっているんだろう。認めたくないだけだ」

 三人の顔を順々に眺めて、リグは続けた。

「奴はGMSを、都市を、人類を支配している。たとえ全人類がその意志でこの状態を望んだとしても、一個の人間がやっていいことじゃない。ところが事実そうなっている。俺たちは奴の手のひらの上でなければ生きられない。選択肢なんかない。どっちにしても時間がたてば同じ結果が待っている。俺たちは死ぬ。時間がかかるかどうかだけだ。そして奴は奴の目標を達成する。多くの時間と数多の人命を犠牲にして、科学の発展、ひいては人類の繁栄へ、奴のやり方で人類を導く」

 リグは一息つく。

「俺たちと奴の最終的な目的は同じなんだ。方法が違うだけでな。科学者の人数が最大化するよう人口を抑制して科学の発展を待つか、人類の生き残りをかけて戦い続けるか。ジノのやり方は気に入らないが、否定しきれない。厄介なことに、フェムトから見ればこれは内紛だ。激しくなるほど、長期化するほど人類の力は内側に向かい、相対的にフェムトが有利になる。なにもしなくてもな。ジノと戦い続ければ人類を不利にするだけだ。そもそも戦うことすらできない。奴は俺たちを含め、全人類の命を握っているんだ。伸るか反るかじゃない。もう詰んでる」

 だんだんと泣きそうな顔になってきたユウは、肩を震わせた。いつか起きるかもしれなかったこと。絶対に起きてほしくなかったことが、唐突にこの場に実現したのだ。

「……じゃあ」

 リグはうなずいた。

「ああ。奴の提案に応じる」

 指の間から土がこぼれる音だけが響いた。三人はしばらく黙っていたが、やがてユウが立ち上がる。

「行こう。もうここにいる理由がないよ」

「そうだな。ガス、テオ。行くぞ」

 言われたとおりに二人は動く。普段の生き生きとした足取りとは打って変わって、何もかも投げ出したような、力ない足運びだった。

 ガスが運転席につき、テオは助手席へ。リグとユウは行きと同じく後部座席に座った。

 誰も話をしようとはしなかった。ジープが走り出し、落ち着いて景色を眺められる速度になってもそれは変わらない。空気は停滞し、けだるい無力感が四人から活力を奪っていた。

 うつむいて手を組んでいたユウがポツリと漏らす。

「……そう言えば、ジノって名前、どこで?」

「ああ……確信はなかったんだ。あとで話すよ」

「うん。時間はあるもんね」

 間をおいて、またユウは尋ねた。

「君への特別ボーナスって、なにかな」

「さあ。どうせロクなもんじゃないだろ」

「そうだね」

 都市ランファンの地上構造物が近づいてくる。ガスは隣のテオに言った。

「テオよぉ、運転てのはこのくらいでいいんだぜ。身体も跳ねねえし、土煙も少ねえ。快適だろ」

「次はそうします……次、次ですか。ありますかね、次」

 ガスは答えなかった。誰も知らなかった。

 テオは青く高い空を見上げる。

「遅い……」

 目を閉じたテオの言葉は、風に乗って消えていく。

「やっぱり欠陥品ですよ、これ」


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