03
いくつものディスプレイと通信、観測機器が小さな天幕に押し込められている。その僅かな隙間に陣取った兵士は部隊管理の任務を遂行していた。背後に気配を感じて振り向くと都市イオミン・ペイから派兵された戦略部員、識別No.0103、個体名ダンが立っていた。
「先ほどの報告に間違いはないかね」
「間違いありません」
「他の部隊の倍以上の早さで侵攻しているな」
「はい」
「接敵していないのか」
「しています。現時点で撃破した侵入個体の数は、他部隊より多いくらいです」
ダンは苦々しげに唇を噛む。そもそも都市アンバースの兵士は戦術コンに従順ではない。必ずなにか余計なことを試そうとする。そして、戦線に投入されたばかりのこの部隊の快進撃だ。喜ばしいことに違いない。だがこうまで早いと、他部隊の兵士や戦略部の作戦計画をあざ笑うかのようで、決して愉快な気持ちにはなれない。
「これが631か……今度はどんなインチキを思いついたんだ?」
憎々しげなそのつぶやきを、都市イオミン・ペイから派兵された兵士は無視した。彼の仕事は部隊管理であって、戦術コンはそれ以外の指示をしなかったからだ。
ケミカルライトの青白い光に照らされた部屋で、赤い閃光が走る。テオは戦闘スーツの首の後から伸びたケーブルを接続させたポインターから、赤い光の槍を三連射した。通常の設定では連射などできない。撃ち出された光槍は通常より短く小さかった。
小さな光の槍は侵入個体に着弾すると、その部位に手のひら大に広がって空間固定する。侵入個体は、それだけで動きが取れなくなった。着弾部位がその空間から動かないので、体全体が拘束されたも同然だ。侵入個体は力が強いから無理に動くこともできるのだが、そうすると空間固定された部位を引き剥がしてしまい、外殻に穴が開いてしまう。その穴から中身のフェムト群体が空気に触れて死滅してしまうのである。もちろんリグたちは事前にボンベを破壊して人間用の大気を充満させておいた。
リグたちは十数体の侵入個体に囲まれていたが、ポインターを低出力設定に書き換えて連射すれば簡単に動きを止められるので、ごく冷静に対処できていた。侵入個体の足止めは突撃銃でも行なっていたことだが、撃ち続けなければいけない突撃銃と違って、いったん当たればしばらく放っておけるのが、この戦術の利点であった。
ほとんどの侵入個体の動きを止めると、リグたちは繋ぎっぱなしのケーブルを通して戦術コンと連動させたポインターの設定を切り替える。足止め用の設定から撃破用の初期設定へと。まだ動こうとしている四体にそれぞれ一発ずつ打ち込む。光の槍が円錐形に展開し、四人はそれに突入した。侵入個体は赤い光となって分解され、その背後でリグたちは光とともに再構成される。
消滅に必要な一連の流れは奇妙である。しかしポインターは旧文明が残した兵器だ。動作原理は誰も知らない。GMSによれば、自己概念を利用した空間破砕兵器、ということだ。現在の人類には理解不能の説明だが、確かなのは、侵入個体を文字通り消滅させられる兵器だということだ。兵士たちにはそれだけで十分だった。見合った威力に必要な手順があるなら、それを行うだけだ。
ポインターは強力な破壊力を持つと同時に、弱点もある。再構成時に周囲の状況がわからず、発光現象が起きるため目立つ。そのため攻撃を受けやすいことだ。それを防ぐためにも突撃銃の銃撃が必要だったのだが、この戦法なら他の侵入個体は空間固定されたままだ。
リグたちは淡々とポインターの弾倉を交換し、残った侵入個体の始末にかかる。通常の半分以下の時間で戦闘を終えると、周辺を警戒しつつ集まった。
「いいな、これ。ケーブルがちょいと邪魔だけどよ」
ガスが満足そうにケーブルを繋いだポインターを眺める。ポインターの設定をいじったのは巨大飛行船撃退以来だ。今回は出力と破壊力を下げて、空間固定力と連射速度を上げたのである。
「連射も利くし、しばらく動かれないのはいいですね。突撃銃で足止めする必要もないし、囲まれても平気です」
「お前たち、わかってると思うが、奴らが意図せずとも隊列組むような狭い場所では使うなよ。後列の個体に当てられないからな。広い場所に限った戦法だ」
リグが釘を差すと、ガスは笑って答えた。
「わかってるぜ、隊長。それにしても、こういう糞みたいな考えはいつもどっから湧いてくるんだ?」
「お前と同じ糞のつまった頭からだよ」
リグの返しにもガスはちっともめげない。ポインターをひっくり返したりしながらやたらと感心している。
「いやあ、強力だとは思ってたけど、便利だとは思わなかったぜ。出力下げるって聞いたときは、隊長の頭もいよいよいくとこまでいっちまったなと覚悟したもんだけど」
「僕も不安でしたけど、ポインターってこんなに柔軟な運用ができるんですね。いろいろ試したくなってきました」
「だよなあ。隔壁の上げ下げで敵の数調整するより、よっぽど戦ってる感じがするぜ」
「ですね。僕もこっちのほうが好きです」
「な! もうこれ、突撃銃いらねえんじゃないか。重いし、置いてくか」
「馬鹿言わないでください。高速稼動個体の対処に必要でしょう」
「そうだったそうだった」
ガスがげらげら笑い、テオも笑っている。盛り上がっている二人から、リグは恐る恐る視線を横にずらした。
無言で弾倉を交換するユウがいた。飛行中ずっと続いた説教は着陸を合図に終了したのだが、それから即時戦線突入したいまでもユウはムスッとしたままだ。
「なあ、ユウ。まだ怒ってるのか?」
「……別に」
「機嫌直してくれよ。降りる前も説明したけど、事前にこの戦法を伝えなかったのはポインターの設定値しか割り出してなくて、シミュレータで確認する余裕がなかったからなんだ。不確かな情報だけ伝えるわけにはいかないじゃないか」。
「それは他部隊に対して必要な配慮でしょ。小隊内で内緒にする必要なんかないじゃない。機密情報でもなし、僕らに知らせて何が困るっていうの」
「それはまあ……」
「だいたい伝えてなかった理由は未確認だからじゃなくて、忘れてたからって君自身が言ったんじゃないか。前もって教えてくれてれば、君が忙しくたって僕たちがシミュレータで確認できたんだよ」
「すみません……」
「……もう、そんな顔しないでよ。僕が悪いみたいじゃないか。わかったよ。もう怒ってない」
「本当か! よかった」
「もう隠し事はないね?」
「ないない。全然ない」
その返事の軽さにユウはかえって疑わしそうにしたが、信じることにした。リグは屁理屈や隠し事は得意だが、嘘は苦手だ。嘘をついているときは必ず言動が怪しくなる。隠し事は本当にないのだろう。いまのところは。
「ならいいけどさ。まったく」
「おう、ユウ。機嫌直ったか」
「ガス。まったく、リグはさっぱり反省しないんだ。怒ってるこっちが馬鹿らしくなるよ」
「隊長に認められて舞い上がったところに、しれっとこんなの出してくるもんな。気持ちはわかるぜ」
「話聞いてる? そんなんじゃないよ」
ユウはまたむくれる。
「リグの考えを実行するのに小隊長権限は必要だけど、リグ自身の小隊長適性は怪しいものだね」
「いやほら、そこはさ、ユウが頼れるじゃないか。俺になにかあってもさ」
「怒るよ」
「すいません」
ユウのご機嫌取りに走ったリグがうなだれる。
「ま、しょうがないんじゃねえの」
ガスは気楽に言った。
「小隊長たって、いままでは戦術コンの言いなりだろ。戦術コンなしで小隊長適性あるやつの実数なんて、わかったもんじゃないぜ。ほとんどいなかったりして」
「レオは適正ありそうですね」
「ああ、WFの隊長副長連中はそうかもな。性能高いだけあるわ」
ますますうなだれるリグを、さすがに気の毒に思ったユウがフォローする。
「いまの編成でうまくいってるんだし、リグが小隊長であることに異論はないよ」
「がんばります……」
「ほら、元気だしてよ。いまので新戦術の実績ができたんだから、作戦本部に連絡してあげて」
「はい……」
その様子を見てガスは、たしかにどっちが隊長かわかんねえな、と思った。
リグが通信を行っているあいだ、ユウたちは侵攻先にボンベとケミカルライトを投げておく。通常より遠くまで放っているのは、まだ見ぬ高速稼動個体を警戒してのことだ。
通信を終えたリグに、ユウはためらいがちに口を開いた。
「リグ。GMSも起動していないし、周りに他部隊もいないからいまのうちに言っておくけど……ドクターに相談した件、ドクターが味方とは限らないよ」
えっ、と振り向いたガスとテオをよそに、リグはうなずいた。
「大丈夫だ、ユウ。わかってる」
「ドクターは味方じゃないんですか?」
不安そうなテオに、リグは首を振った。
「誰に対して味方するかの問題だ。立場や状況で変わる。単純な話じゃない。だから、わからない。可能性があるだけだ。例えば、戦略部とつながっているかもしれない。伊達に長く生きてないからな、あの人」
「そんときゃどうするよ?」
ガスの声が握った突撃銃の銃身にも似て冷たい。
「どうもしない。嘘の情報を渡してくるかもしれないが、それならドクターの目的がわかる。逆に、本当にGMSや戦略部の目を盗んで機密情報を得られるかもしれない。どっちにしてもなにか得られる。なくてもともとだ。損にはならない。ドクター自身が言ったように、最終的な目的は同じだ。敵じゃない。手段が違うだけなんだ」
「戦術コンのように、俺たちを犠牲にする方法を取るかもしれねえ」
「そうだな。それだけは注意しないといけない。だが、その可能性は低い。幸か不幸か、まだWF並みに特別扱いされているし、変に名前も売れた。下手な扱いはできないはずだ」
リグの言葉を正しいと認めつつ、ユウはこっそりため息をついた。リグは自覚が足りない。リグは認めないだろうが、現状リグにしかできないことがたくさんあるのだ。対フェムトにしても、GMSや戦略部に反抗するにしても、その中心にはリグがいるだろう。絶対に死なせられない。自分の命と引き換えにしてでも。
ユウはガスとテオに視線を送る。二人とも同じことを考えたらしい。通じ合ったのがわかる。リグはその様子に気づかなかった。戦術開発能力の一環として観察力の高さを挙げられるリグであるが、身内に対するそれはあまり機能していない。
戦術コンで各部隊の侵攻状況を確認したリグは顔を上げた。
「他の部隊も前進している。俺たちが突出気味だが、まあいいだろう。行こう」
その言葉を合図に、四人は揃って銃を構え、各々が担当する方角を警戒しつつ通路を進む。各自が警戒する範囲はバラバラなのに、一個の小隊として見ればその瞬間にもっとも危険な方角をすべて走査できている。互いの走査範囲を補い合うさまは四人で一個の生命体のようで、気味が悪いほどだ。戦術コンがあるとはこういうことなのである。
平気で命令違反をするので戦術コン嫌いと思われがちなリグは、これを楽だ楽だと喜んで利用する。細かいことが苦手なリグに、戦術コンは相性ぴったりだった。
侵攻にあたってガスは都市イオミン・ペイでやったように、ポインターで床を撃ち抜きたがった。近道になり、ひいては待ち伏せを回避することで損耗を減らせる、というのがガスの主張だったが、その顔は誰がどう見ても派手に物を壊したいだけである。これにリグが賛成すると止められなくなるのでユウは焦った。意外というか、リグは反対した。地図情報がなく階下に何があるかわからない状態で実行するのは危険だ、としごく真っ当な意見だ。それにポインターの再構成の原理は不明であるので、下手したら壁の中に再構成されることもありうる。それを聞いたユウはリグの判断力に信頼を深めるとともに、未練ありげなガスに危機感を抱いたのだった。
都市イオミン・ペイの場合、動力だけは通じていた。動力未起動の今回、都市の各所にある端末には通電すらしないので情報を吸い出すこともできない。631は評判と実態のわりに、おとなしくきちんと道順通りに侵攻していたのであった。
警戒しつつ通路を進んだ四人は再び広い場所に出る。前もってケミカルライトとボンベを投げてあるので、部屋の隅々までよく見えた。侵入個体はいない。奥の通路にフェムトの群体が黒い靄のように待ち構えていた。
全員で奥の通路を警戒しつつ、ユウとテオがベルトからケミカルライトとボンベを取り出したときだった。
金属の枠が外れる音がした。
リグは戦術コンに叩きつけるように命令を下し、発信させた。いつぞやのときのように、音声での注意喚起はしない。音声は発し、伝わり、理解し、肉体が反応する、この一連の流れに時間がかかりすぎる。戦術コンからの通信なら反射学習させられた兵士の動きは早い。
リグの指示通り、全員が上からの攻撃を回避する。四人がいた場所を天井裏に潜んでいた高速稼動個体の左腕、剣状に伸びたそれが切り裂いた。床に深々とした亀裂が生まれる。
奇襲を回避した四人は、しかしばらばらに散ってしまった。回避方向まで指示できなかったことをリグは悔やむが、そんな余裕がなかったことも事実である。いずれにせよ、ユウが考案した飽和攻撃戦法は使えなくなった。
背後に向き直りつつ身を起こしたガスに高速稼動個体が襲いかかる。地上戦に関してはWFばりの性能を持つガスでも迎え撃つ余裕はなかった。飛び退きながらとっさに突撃銃を横に掴んで頭を守る。
次の瞬間、甲高い音が響いた。切り取られた銃床が宙を舞う。刃はガスの肩ギリギリを裂いていた。
次でやられる、とガスは喉元まで冷たくなって覚悟を決めた。だが高速稼動個体は即座に別方向に向かう。テオだ。
テオの真価は戦闘機に乗ってこそ発揮される。地上戦に関しては標準をやや上回る程度だ。ガスのときより多少余裕はあったものの、高速稼動個体の速度はテオの反応可能速度ぎりぎりだった。必死に横に飛んで、振るわれた一撃を躱す。
高速稼動個体はまたも追撃せずに目標を変えた。風のように走り寄る黒い影に、ユウはポインターの銃口を向ける。しかし高速稼動個体は蛇行して近づいてきていた。ちょうど、ユウから見てガスとテオに重なるように。同士打ちを誘っているとも、ガスとテオを人質にしているとも取れる動きだ。ポインターの銃口が左右に揺れる。撃てない。悔しさを飲み込んだユウは、息つく暇もなく横に飛び転がる。斬撃を見てからでは避けられないのだ。
空を切った左腕などそのままに、高速稼動個体が次に向かう先は一つである。リグだ。
そのリグはポインターを抜いて立ったままである。
ユウを背にして、高速稼動個体は眼球で追うのがやっとの速度で走った。リグはぴくりとも動かない。
ガスとテオは走り出したが、間に合う距離ではない。ガスの唸りとユウの悲鳴のような叫びが重なる。
「隊長!」
「リグ!」
高速稼動個体の左腕が鈍く光って振り下ろされる。
完全に同じタイミングで、リグの腕がバネじかけのように跳ね上がった。高速稼動個体の左腕とポインターの銃口が重なる。
形容し難い音が響いた。甲高いような低いような、巨大なものがねじ切れていく物悲しさに似たそれのあとには信じがたい光景があった。
リグはポインターを撃った姿勢のままだった。ただし、その手に握られたポインターはケーブルを繋いだ銃把を残し、上部の発射機構が砕けていた。
そしてリグの正面に、剣状の左腕を中途半端に振り下ろした格好の高速稼動個体がいる。その左腕には、赤く光を放つ円錐状の突撃口が展開されていた。
空間固定されたはずの高速稼動個体は、しかしぎりぎりと震えるように拘束に抗っていた。
砕けたポインターを握ったまま、リグは軽く勢いをつけて足先から突入口に飛び込む。高速稼動個体は光の粒となって消滅し、その後方にリグが光とともに再構成された。
着地したリグは立ち上がる。ゆっくり振り向くと、高速稼動個体の消え去った空間を見つめた。
ほっとして足を緩めたガスとテオとは逆に、ユウはすごい勢いでリグに走り寄る。
「リグ、大丈夫!?」
「お? おお、ユウか。大丈夫だ」
「よかった……」
盛大に安堵のため息を吐いたユウを横目に、ガスは苦々しげに話しかける。
「隊長。対策考えてねえって言ってたのに、できてたじゃねーか」
「嘘じゃないぞ。お前が攻撃されてるのを見て思いついたんだから」
「あんなに短い間にですか」
リグは気まずそうにテオにうなずいた。
「そんなにはっきりした考えじゃない。ガスが攻撃された瞬間、こちらから攻撃しても無駄だ、ポインターを当てるには、奴が攻撃してきた瞬間しかないと思った。それでテオとユウが攻撃されるまでの時間を戦術コンに数えさせて、こっちに向かってきてから攻撃までの時間を割り出したんだ」
「攻撃中なら発射を見てから避けられないってこと? また君は危険なことを……」
「気持ち早めに撃ったつもりだったんだけどな」
「早め?」
全員の視線がリグの手の中の、銃把だけになったポインターに注がれる。次いで、後方に散っているポインターの破片に。
「……まあ、上手くいったからいいじゃないか」
「いいわけないでしょ」
「やっぱり怒られるかな。ポインター壊したなんて、聞いたことないもんな」
「そうじゃなくて! 危ないって言ってるの!」
首をすくめるリグを見て、ガスとテオはくすくす笑いだす。
「ま、大丈夫じゃねえの。あのWFが取り逃がした獲物を仕留めたんだ。大目に見てもらえるって」
無責任に言い放つガスにユウは、きっ、と視線を向ける。
「ガス、リグを甘やかさないで。いつまでたっても反省しやしないんだから!」
ぷりぷり怒りながら、ユウは自分のポインターをリグに差し出した。
「はいこれ」
「いや、それじゃユウがポインターなしになるだろう。危険だ」
「あのねえ。高速稼動個体は一体とは限らないんだよ。次が来たらどうするの。君の戦術コンはいまの戦闘で攻撃のタイミングを覚えたはずだ。君が持っているほうが確実に撃破できるんだよ」
「……じゃあ、預かる。でも、ここでいったん止まろう。いまの戦闘の報告と、補給部隊の派遣を要請する。たしかポインター本体の予備もあったはずだ」
「二、三丁、余計に持ってきてもらったほうがいいんじゃねえの」
「うるせえ」
嫌そうな顔のリグ。呆れ返ったユウ。にっしっしと笑うガス。そんな三人を見て、テオは自然と微笑んだ。これが631だ。一人一人はバランスが悪いかもしれないが、この四人が揃っていればどんな敵にも負けやしない。そんな温かな自信がそれぞれの胸のうちに潜んでいることを、テオは確信している。
一方で、リグは攻撃の瞬間を思い出していた。赤く光る突入口に飛び込んだとき、一個の意識は分解され、光の洪水に洗われながら収束して再構成される。その一瞬にリグは聞いたのだ。絶望の叫び、憤怒の唸り、魂を吐き出すような怨嗟の声を。可聴域を超えて響く幾万幾億の、人間の理解を遥かに超えた叫びの中で唯一リグが認識できた音があった。
ジ・ノ。
それが何を意味するのか、そもそも言葉なのか、リグにはわからなかった。かつてこんなことはなかったのだ。静寂のなかを意識が光の粒子となって駆け抜けるだけだった。あるいはポインターの空間固定すら拘束しきれないほどの超高密度群体を外殻に包んだ高速稼動個体だからこその現象なのかもしれない。おなじ高速稼動個体が同じ音を発するなら、固有の現象というだけで話は済む。もしそうではなく、なにか意味のある言葉だったならフェムトの秘密に迫る重大な手がかりになる。
リグは生唾を飲み込む。突入から分解、再構成のあいだ、戦術コンには何も記録されない。気のせいかもしれない。ポインターの未知の動作原理による幻聴かもしれない。しかしその異様な響きは、耳にしっかりと残っている。
周囲を警戒しているユウたちを見つつ、リグは作戦本部へ通信をはじめた。隠し事はない、と言ったばかりなのに、もう秘密ができてしまったことに罪悪感を覚えながら。