01
広い、広い荒野だ。
地下都市アンバースの0631小隊隊長、識別No.0631、個体名リグは神経接続によって視覚野に投影された画像を見回す。戦闘機の巡航高度から見下ろす地平は視界いっぱいにどこまでも広がり、遠くの山脈は雲に覆われ陰っていた。乾いた土の広がる大地はところどころに木立や茂みを飾っているものの、基本的に生命を嫌うかのようにその身を陽光にさらしている。そして視界の前方には予定航路を示す緑の線が引かれていた。
631は拠点である都市アンバースを発ち、東に位置する未起動都市ランファン周辺の偵察任務についていた。周辺といっても百km単位の話で、未起動都市ランファンの地表構造物に目を凝らしてもたいして意味はない。
空母を三度撃退して以降、フェムトはその侵攻を止めた。都市アンバースの巨大電子演算機であるGMSと戦略部はフェムトが新たな戦術を開発する期間に入ったとみて、都市の修復と失われた戦闘機の再建に着手したのである。
問題はその後の対応であった。フェムトの侵攻休止期間にまだ見ぬ新兵器への対応力をつけておかねばならない。シミュレータを活用して様々な新奇的状況を兵士に与えて克服させる方法が第一に考えられ、GMSと戦略部は状況の想定についてリグに意見を求めた。
これに対し、リグは効果は認めたものの限定的だとしてやめるべきと説いた。何の方針もなく闇雲に新奇刺激を与えるのは非効率だ。
リグの考えでは兵士個々の能力を伸ばすか、いっそ数を増やす方法が手っ取り早い。特に数を増やすのは効果的だ。空母戦にしても地上迎撃要員がもっと多ければ都市の被害を抑えつつ、空対空兵器の開発に注力できたはずだからだ。物量は戦術の変化をしのぎ、あるいは押し切ることを可能にする。
それを聞いたとき、副長のユウは驚いたものだった。
「それだと人的被害が増えるってことになるけど、いいの? 思い出を大事にする君の意見とは思えないけど」
「全然よくない。だが、仕方ないことでもあるんだ。空母のときはどうだった。攻撃機動、回避機動、対空兵器開発、期限までにどれか一つでも失敗したら都市ごと全滅していたんだ。兵士の数があれば全滅までの期限を延ばせた。その過程で兵士に被害は出るが、兵士の命と都市市民全員の命を等価にするのは難しい。被害は出ないほうがいいに決まってるが、兵士の危険をゼロにはできないよ。俺たちは生き残りをかけて戦場、それも最前線に行くんだから」
「しかしよ、隊長。兵士を増やすたって、簡単にはいかねえ。同一遺伝子からの複数個体の生成は禁止だし、交配で増やすにしたって子供を一人前に育てるまで奴らは待ってくれないぜ」
隊員のガスがそう言うと、同じく隊員のテオもうなずいた。
「よその都市から連れてくることもできないでしょう。空母のときですら他都市は自衛を建前に兵士を一人も出してくれませんでした。無茶ですよ」
二人の言うことももっともだ。各都市の、文字通り石頭のGMSと戦略部は自分の都市の生き残りに必死なのだ。兵士の興味のままに訓練を重ねれば能力の伸びはいいが、上手く応用できなければ無駄になる。しかし異生物であるフェムトの思考を予想するのはもっと無駄だ。
だからリグは都市間で兵士を融通させるように、言ってみれば人類全体で戦線を構築する体制が必要だと考えていた。もちろん時間がかかるのは明らかだったから、リグは長期的緊急件としてそれをGMSと戦略部に報告した。その際に危険性を多少誇張したが、急がせるくらいでいいとリグは思っている。この件に関しては、たとえ形だけだとしても、実現は早いほどいい。
では直近の対応をどうするか。これは実際戦地に行くのが手っ取り早い。闇雲な訓練と違い、具体的な問題に直面することになる。その結果はともかく、現実の問題に対応した経験は無駄にならない。そして向こうが攻めてこない以上、戦地を求めてこちらから打って出るのは当然の結論であった。
そうして発動されたのが未起動都市ランファンの攻略作戦である。631は事前作戦となる周辺地域の未探査地域調査を命じられたのだった。
四人が操る戦闘機四機は胴体下に増槽、主翼下に対空射撃装置、小型増槽、そして探査装置を懸架していた。小型増槽と探査装置は例のごとく、GMSが何の前触れもなく情報開示し生産可能になったものだ。攻略作戦案が出た時点で開示されたためにリグと、おそらく戦略部もGMSに不信を抱いた。ユウたちは困惑しただけだが、リグと戦略部は人類とGMSのすれ違いを知っている。生きている人間より保存された遺伝子を優先するGMSが、一見協力的な行動を見せたことにどんな意味があるのか、リグは見いだせなかった。
(まあいいか。使えるものはありがたく使わせてもらう)
リグは疑心暗鬼を捨てることにした。GMSと人類の意識にずれがあるとはいえ、敵ではない。最終的な目的は同じなのだから、味方には違いないのだ。GMSを使用する際の注意事項が一つ増えただけ、と言い換えることもできる。
都市と都市市民すべてを管理するGMSを、使う、という意識は周囲の度肝を抜くものなのだが、発言されなかったのでリグは奇異の目で見られることを免れた。もっとも、手遅れではある。
奪還都市イオミン・ペイと違って未起動都市ランファンは座標がわかるのみで、周辺情報は数百年以上更新されていなかった。正確には、一度も更新されたことがない。あるだけの探査装置が持ち出され、先行したエリート部隊、WFは未起動都市ランファンへの侵攻予定経路をすでに探査済みにしている。
侵攻経路以外の未探査地域に対して真っ先に出すべき部隊は631だろう、となりガスやテオは不満げだ。リグとしても未知の目標なんておっかないから、なるべく出会いたくない。しかしながら、とびきり脅威度の高い未知の目標は都市にはいないだろう、と予測済みだったから、この采配に文句を言うことはなかった。フェムトの目的は自分たちに有利な大気組成の維持である。そのために都市の大気浄化装置を狙うのだ。ところが大気浄化装置は地下の都市内と地表周辺を影響下におくのがせいぜいである。この惑星の大気組成を激変させるほどの力はない。フェムトにすれば人類の都市は、大気組成を安定させる補助装置程度の価値しかないのだ。フェムトの秘密に迫るような何かをわざわざ置いておくはずがない。せいぜい未知の侵入個体に出会うくらいだろう。その、せいぜい、で何人死ぬのかがまた問題なのだが。
「隊長。またお皿ですよ」
リグはテオの声に従って前方の地表に目を向ける。皿のように円形に凹んだ地形で、大小いくつもある。最初見つけたときは四人で大騒ぎだったのだが、すぐにこの地域によくある地形だとわかってがっかりした。大小含めて複数個が連続して形成されていて、自然にできたにしては周囲と調和が取れていなかった。かといって人工物の確信もなく、地学の心得がある者もいなかったので、一応探査機で調べるだけ調べ、当座はお皿と呼ぶ事になったのだ。もし正式な名称があれば帰ってからGMSが教えてくれるだろう。
探査装置はずっと起動していた。電力を食うが、内蔵バッテリーで十分補える。こいつは地形だけでなく、地中の探査も行う。GMSに記録されている未起動都市は複数あるが、残らず網羅しているとは限らない。都市以外に旧文明の遺跡があるかもしれず、そこから新しい技術や知識を得られるかもしれないのだ。
だからといって探査装置任せにしていいわけではない。所詮は機械であって、データ上は問題なくても人間でしか捉えられない違和感はありうる。地中はさすがに探査装置を頼るほかないが、地表部は目視でも観察することを命じられていた。
「皿、皿、皿。いい加減見飽きちまった」
「ガス。任務だよ」
「わかってるよ、ユウ。愚痴ぐらい言わせろ。ちくしょう。俺たちが穴ぽこ眺めてるのに、WFの連中は都市攻略部隊ときたもんだ。腹の一つもたつぜ」
事実だった。都市アンバースのWF全三小隊は未起動都市ランファン攻略部隊の一員としてすでに地上待機している。このまま異常が見つからなければ631の任務完了直後に攻略作戦がはじまる手はずだ。631の到着を待ってからでも良さそうなものだが、これには理由が二つある。
一つ目は、単純に631に向いていない。未起動都市ランファンは都市イオミン・ペイと異なり、敵性大気に完全に覆われている。まず第一層を呼吸可能な空気で満たし、拠点を作る必要があった。侵入個体を警戒しつつ大型ボンベを運ぶ、時間と輸送力の戦いになる。これには計画通りことを進める必要があり、場合によっては計画そのものをひっくり返す631とは相性が悪い。
二つ目は、これも簡単な話で時間がないのだ。フェムトの休止期間、もとい新兵器開発期間がいつ終わるのか誰にも読めない。攻略作戦に戦力を割いているところにフェムトが新兵器でもって侵攻してきたら……降伏など通用しない相手だ、想定被害が大きすぎて笑うしかなくなる。可能な限り急ぐしかないのは仕方のない話で、631に周辺探査をさせたい以上、攻略作戦開始時に居合わせるのは無理だ。
ガスの気持ちはわからなくもないリグだが、なにも直接戦闘だけが兵士の仕事ではない。こうした地道な周辺探査や補給路の確保があってこそ、はじめて目の前の敵と戦えるのである。GMSや戦術コンのおかげでかなり効率化されているが、本来軍隊というのは直接戦闘員より、補給や土木など戦闘に関わらない人間のほうが多い。
「文句を言うな、ガス。奴らの新型に出くわさないと決まったわけじゃない」
「それもそうだな」
「縁起でもないこと言わないで」
ブレーキの効かない二人をユウが叱る横で、テオはまじめに任務をこなしていた。
「あまり生物を見かけないですね。動いているものはないし、植物も枯れているように見えます」
「あんま雨降らねえもんな。雲が西の山脈を超えるときに雨を降らしちまって、こっちにこねえ」
「雨が少ないのはここ数年の出来事でもないし、枯れてる最中というわけでもないよ。擬態か何かで、もともとそういう色なんだよ、きっと」
「大気組成が変わってから長いことたってる。地表の動植物にどんな変化があったか、ほとんどわかっていない」
「食料層の植物を植えても枯れてしまうでしょうか」
「俺にはなんとも言えないが、そうかもな」
「ここの植物たちは長い時間をかけて敵性大気に適応したんだと思う。逆に言えば、もし大気浄化装置を増やすかなにかして大気組成が一気に戻ったら、地表の動植物は全滅してしまうかもしれないね」
「なんだか人間だけ置いてけぼりにされたような感じですね……」
「よくまあ、そんな先のことまで考えられるな。俺は生きてるあいだだけで精一杯だ」
「精一杯なのは俺も同じだ。だからといって先のことを考えないわけにはいかない。次の世代のためにも」
言いながら、リグは自分の言葉に違和感を持った。次の世代って誰だ? 自分たちのクローンだろうか。違う気がする。次の世代。そう、子どもたち。交配によって生まれたそれのことだ。人間はコピーばかり作って交配せず、世代を重ねてこなかった。だから進化に置いていかれたのではないか。
リグは気分が暗くなるのを感じた。今度ドクターかハルに会ったらこの考えを話してみよう。一人で抱えるには手に余る。
「隊長、前方に何かあります」
テオの声が緊張している。ガスも軽口を叩かなかった。お皿ではなさそうだ。
リグにもそれが見えた。細長い何かがこの先にある。このあたりにあんなに高い木はなかった。
「リグ。あれを調べるとなると、指定航路を外れるよ」
「燃料の余裕はある。テオ、先導しろ」
631の四機はそれの上空に到達する。木のように見えたのはアンテナだ。都市の地表構造物と同じだ。そして、そこかしこに建物の痕跡と思われる人工構造物があった。
「未知の都市でしょうか」
「大当たりを引いちまったな」
テオとガスの声から抑えきれない興奮が伝わってくる。しかし構造物の痕跡から推測して、都市にしては小さい。それに未起動都市ランファンに近すぎる。理由は不明だが普通、都市間の距離はもっと離れているものだ。
「地中の調査を開始するぞ。テオ、飛行パターン任せる。各員、操縦は戦術コンの誘導に従い目視での観察に集中しろ」
四機は編隊を組んだまま8の字を描きながらゆっくり降下してゆく。地表には朽ちた建物の基礎やその破片が散らばっているだけだ。アンテナもところどころ折れ、古びている。やはり都市にしては妙だ、とリグは感じる。そのあいだにも探査装置は電磁波を発しているはずだ。地中に何かあれば電磁波が反射する。それを検知して記録する仕組みである。
着陸脚を出せば接地しそうなくらい地表すれすれを飛び去ると、四機は上昇し元の高度に戻った。探査結果を見たガスが落胆のため息を漏らす。
「地下に空洞はあるが動力反応なし。動体反応なし。空洞こそ広いが、こりゃ倉庫かなんかか?」
「大気浄化装置やGMSらしき構造もないですね。都市にしては浅すぎですし、空振りです」
「資材倉庫か避難場所か……旧文明の遺跡には違いないよ」
失意の二人に声をかけるユウ。避難場所、という言葉に旧文明の滅亡の様子を想像しかけ、リグは止めた。
「別に無駄にはならない。余裕ができたら調査隊が派遣されるだろう。全機、指定航路に戻るぞ」
指示を飛ばすと移動を開始する。指定航路に戻るとユウから個人通信が来た。
「ガスには任務だって偉そうに言ったけど、緊張しすぎてくたびれてきたよ。あの木立の影がフェムトの群体に見えてきちゃうんだ」
笑いながら話すユウに、リグはまじめに返した。
「その可能性はあるぞ。奴らの生態はほとんどわかっていない。生息域がわかれば大発見だ」
「……木立の影から奴らが雲みたいになって襲ってきたらどうする?」
「最大出力で逃げるさ。この戦闘機に有効な装備はない」
「だよね。僕たちの戦術は人間用の大気があることを前提にしている……ごめん、僕も愚痴ってみたかったんだ」
「いいさ、どんどん愚痴ればいい。溜め込んで性能を落とすほうが問題だ。特にユウは気苦労が多そうだしな」
不意にリグは、誰のせいだと思ってるの、という言葉を飲み込んだ音が聞こえた気がした。
「……悪気はないんだよね?」
「えっ」
「いや、いいんだ。わかってるよ。聞いてくれてありがとう」
それでユウとの個人通信は切れた。地雷を踏んだ気がしたが気のせいだったかな、とリグは首をかしげる。
そしてリグは未起動都市ランファンの方角に視線を向けた。その先にはユキたちがいるはずだ。今回は動力が供給されていないので、大気循環器から侵入しても大気浄化装置は動かない。正攻法で行くしかないぶん、危険は大きい。
いくらリグが心配したところでユキたちの生存率が上がるわけではない。あのときのことを引きずってるかな、とリグは不安になるが、この判断は難しいところだ。単に無警戒だった事象に警戒するよう、学習した結果かもしれない。
(兵隊仲間ってのは厄介なもんだ)
リグは遠くを見ながら砂のような無念さを噛み締めた。
数時間後、空中にいる631が任務完了を報告してすぐ、未起動都市ランファン攻略作戦が開始された。地表の開閉部から侵入、侵入個体を撃破しつつ、小型ボンベによって一時拠点を確保。大型ボンベを運び込み、呼吸可能な大気を放出する。大型ボンベを運び込み続ける必要はあるが、これで都市内のフェムトは消滅していく。
WF全体のリーダーにしてWF第一小隊隊長であるレオは放った小型ボンベを突撃銃で撃ち抜いた。目の前の黒い霧が晴れていく。前方にはユキとエマ。隣には副長のダイがいる。
「ダイ、上空は?」
「都市イオミン・ペイの戦闘機隊が哨戒中。敵影なし。哨戒交代まであと一時間」
レオはリグとの会話を思い出す。都市イオミン・ペイの異例の増援を信用できるか、という問いに、リグはうなずいた。
「再奪還した貸しがある。それに戦略部は他にもなにか取引きをしただろう。破滅的な事態になれば逃げるだろうが、それまでは信用できると思う」
レオはその言葉を頭の片隅に置いておく。
「よし、前進」
レオたちはほとんど足音をたてず、獣のようにしなやかに、力強く進んだ。周囲警戒一つとっても、四人がまるで一個の生き物のように連携が取れている。進軍しながら話し込んだり、回れ右して逃げだしたりと忙しい631とはまるで違う。こういうのを見るたびユウやガスは若干ながら悔しい思いをし、リグはあくびをする。もともとWFは優秀な性能の兵士を集めた部隊だ。戦術開発能力で勝負する631とは違って当然である。だが、そんなリグも感心するほどの練度だった。
四人は一斉に足を止める。行く手を隔壁が阻んでいた。向こうにいるのは侵入個体か、それとも噂の高密度群体だろうか。高密度群体はシミュレータで何度も戦ったが、強敵だ。
631のようにできるか、とレオの胸に不安が湧く。一呼吸してその不安を振り払う。同じでなくていい。自分たちのやりやすい方法でいいのだ。
「ダイ、隔壁を」
「了解」
ダイは銃を下ろし、隔壁脇の操作盤を調べる。
「非常用の独立動力は生きている。開閉可能」
「よし。訓練どおり、隔壁が開いて侵入個体が現れたら『入場制限』を行ってくれ」
「レオ、これはあくまで非常用の動力だ。開閉回数には限りがある。侵入個体の数によっては保たないかもしれない」
「個体の残数次第だが、そうなったらポインターで隔壁を突破する。あとは暴れるだけだ」
前衛の女性兵、エマは相棒であるユキの表情をバイザー越しにうかがう。暴れる、と聞いてかすかな笑みを浮かべていた。ユキの好戦的な性格は前の個体と変わらない。前のユキはあからさまにしなかったというだけのことだ。
「高密度群体の場合は?」
「奴がこちら側に侵入したのを確認してから隔壁を閉じ、フェムト補給線を断て。あとは訓練どおりだ」
「了解。隔壁はいつでも操作可能だ」
「よし。ユキ、エマ、突撃銃を構えろ。小型ボンベ投擲用意。隔壁が開ききらないうちに小型ボンベを投擲、撃ち抜いて敵性大気を一掃する」
「了解」
「了解」
「ダイ、開けろ」
レオの声にしたがって隔壁が上がってゆく。ダイを除いた三人は小型ボンベを隔壁の向こうに放り、撃ち抜くとそのまま銃を構えて敵に備える。
隔壁が開いた。事前に小型ボンベを放ったおかげで黒い霧はない。広い部屋だった。反対側に通路が続くだけだ。何もいない。
ケミカルライトで明かりを確保すると、四人は突撃銃を構えたまま部屋に踏み入った。四方や上下を警戒しながらの早い足運びなのに、重心がまったくぶれない。性能の高い彼らの動きは基本に忠実であり、素早く丁寧だ。
侵入個体が潜んでいないのを確認した上で、四人は奥の通路に目を向ける。黒い霧が蠢いていた。
四人がそちらに向かおうと小型ボンベに手をかけたそのとき、霧の奥から何かが飛び出してきた。
何かが振り下ろされた風圧に押し出されるようにして四人はばらばらの方向に避ける。すばやく体勢を立て直したエマが黒い影に向けて突撃銃を三連射するが、風のように移動したそれには一発も当たらない。それどころかエマの左側から襲いかかってきた。早すぎて一瞬視界から外れたため、エマの反応が遅れる。ギリギリで飛び退いたエマを援護しようと突撃銃を構えだダイに、レオが叫ぶ。
「撃つな! 当たる!」
エマに、という意味である。それを察したダイは動きを止めた。そのすきに黒い影は冗談のような早さで走り、ダイの右半身に飛びかかる。転がって避けたダイはレオの肩にぶつかった。気づけば、エマと三人で集まっている。いや、集められたのだ。
レオはポインターを抜く。真正面から迫ってくる黒い影に向けて射出。黒い影は赤い光の槍を紙一重でかわすと、奥の通路へ疾風のように舞い戻った。
壁に着弾した光の槍は円錐状に展開して突入口を形成する。その光に照らされながら、三つのポインターが影を追って通路へ銃口を向けていた。
まさに一瞬の嵐だった。レオはやっと息を吐く。新型だ、と胸中につぶやいた。高速稼動型。ポインターを発射してから避けたように見えた。確かにポインターの弾速は突撃銃のそれより劣るのだが、人間にとっては大差ないはずだ。尋常な反応速度ではない。
631、リグならどうしただろう、と思い悩むレオに、エマが声をかける。
「レオ」
「ああ、すまない。まだ警戒していてくれ。あの速度だと再突入された場合、反応しきれない」
「そうじゃない。ユキがいないの」
自分がはっきりと青ざめるのを、レオは自覚した。
「位置情報が取得できない。戦術コンはユキの信号を見失っている」
ポインターを構えたままのダイが告げ、レオもすぐに確認する。二人の言うとおりだ。
「妙だわ。奴がユキに攻撃した様子はなかった。いくら早くたって、それくらいはわかる」
レオは聞きながら部屋を見回した。記憶が確かなら、ユキが攻撃した様子もなかった。どこにも何の痕跡もない。ユキは文字通り消えたのだ。あのときと同じように。
同じ。本当に?
「……何の痕跡もない。きれいに消えた。不自然なくらいに。ユキは狙われたのか?」
「フェムトがユキを? なぜ?」
「理由はわからない。しかし何らかの手段でユキを消し、信号を途絶させたのは事実だ」
「まさか、前のユキも?」
「前のユキの場合は、かつてないほどの混戦の中で起きたことだ。何が起きても不思議じゃない。でも、今回ははっきりと不自然だ」
ダイは睨んでいた奥の通路から、ちらりとレオに視線を送った。
「レオ、どうする。個人的な所感だが、我々には時間がない。しかし状況からして、初動は慎重に決めるべきだ。慌ててユキを探しにいけば、さっきの新型に全滅させられかねない。かといって時間が経つほどユキの生存可能性は下がっていく」
レオは少しだけ考え込んだ。悩んでいる時間も惜しい。
「ユキを探しに行く」
「了解」
「了解」
ダイは落ち着いて、エマはほっとしたように返す。
「これから作戦本部に状況と新型の情報を伝え、増援を要請する。通路の奥を小型ボンベと明かりで掃除しておいてくれ」
そう言い残してレオが通信しようとすると、ケミカルライトを取り出したダイが不意につぶやいた。
「631はまだ上空にいる。帰還中だ」
訝しげなレオにダイは言葉を重ねる。
「いまなら、まだ呼び戻せる」
それはひどく魅力的に響いた。631が来る。事態を伝えれば、リグは全速力で引き返してくるだろう。ユウも止めないに違いない。なんだかんだこぼしながら、ユウは本気のリグを止めたりしない。リグはリグで、こうと決めたらたとえユウが説得しても応じない。ガスとテオは言わずもがな。喜んでついてくるだろう。本人たちは否定するが、傍から見る631は命令違反と計画外の出来事が大好きだ。そうしてやってきたリグは例の一瞬のひらめきか、苦心惨憺の論理の帰結かで事態を解決し、事実を突き止めるに違いない。レオは求められれば手を貸す程度で、主体的には何もしなくていい。そうすれば……。
「駄目だ」
レオは苦々しく断言する。
「そうすれば631は戦闘機ごとここに突っ込んでくる。例の戦闘機に乗ったままポインターを撃つ方法を、地表に対してやる。ユキに関してはそれで解決するかもしれない。でも、その後はどうなる。彼らは突入時、前面装甲を吹き飛ばし、操縦棺のハッチを壊すだろう。地表部に大穴ができる。ここには稼働する修理施設はない。四つの大穴と四機の粗大ごみが増えるだけだ。作戦計画が狂う。僕たちは新型に出会った。631をいったん温存したのは、そういった未知の脅威への対策を631に行わせるためだ。さっきの新型は強敵だ。いくら631だって事前の対策なしでは対応できないかもしれない。ユキは助かるかもしれないが、そのために僕らは相対的に不利になり、631を失えば人類全体が不利になる。できないよ」
ダイとエマは視線を交わし、うなずいた。
「わかった。命令だからではなく、個人としてレオの考えに賛同する」
「私もよ。あなたは最善の努力をしているし、人間である以上、性能には限界がある。それを非難するというなら私は抵抗する」
「ありがとう。でも、僕は殺されても文句は言えないんだ。作戦中に二度も部下を、同じ『ユキ』を見失うなんて、あってはならないことだ」
「そんなことはさせない」
「気持ちだけもらっておく……ユキに万一のことがあれば、リグはどうなるかわからない。精神的な面でもだ。ユキも、リグの戦術開発能力も両方失えば、それこそが最悪の事態だ」
ぐっ、とレオは唇を噛む。
「ユキが狙いなら、目的を果たすまで危害は加えないはずだ。殺す気ならとっくにやってるだろう。さっきの新型が邪魔してくるかもしれない。だが、必ずユキを見つけ出すぞ」
うなずく二人が小型ボンベとライトを放るのを見ながら、レオは通信をはじめた。
そのころユキは暗闇の中、送風管のような大型の管の中を転がり落ちていた。新型の攻撃を避けて膝立ちになった瞬間、床が消えたのだ。はじめは何が起きたかわからず手足を暴れさせたが、突撃銃の引き金から指を離したのは反射的とはいえ英断だった。さもなくば指まで暴れて自分の身体を撃ち抜いていただろうから。
いまのユキは落ち着いていた。何かの都市機能が偶然作動してしまったのだろう。残してきた仲間を思って歯噛みするが、いまはどうにもならない。
やがて勾配が緩やかになり、身体が浮いたかと思うと瞬時に固い物にぶつかり、止まった。おそらく床だ。
ユキは、はっ、として小型ボンベに手を伸ばしつつ大気組成を確認した。敵性大気かと思いきや、呼吸可能な大気だ。敵性大気ならフェムトがいるし、群体が発する力場で身体を引き裂かれることもあり得た。安堵しつつ立ち上がる。
視界が効かない中でベルトを探り、ケミカルライトをいくつか折って投げる。明るくなった周囲を見回すと、ユキは広い通路に出たようだ。足元に送風管の出口があった。この都市内は敵性大気に満ちているはずなので、ここは密閉されていた区画なのかもしれない。
奇妙なことに、味方と通信できない。位置情報も取得できなかった。都市内で通信不可の区画はないわけではなく、工廠層などには性能試験や実験のためにそういった部屋が用意されている。ユキはそのあたりに迷い込んでしまったのだろう。
何かが動く気配を感じて、ユキはそちらに突撃銃の銃口を向ける。
暗闇の中から、ケミカルライトの青白い光に照らされた人影がゆっくり近づいていくる。侵入個体ではない。戦闘スーツを着てヘルメットをしている。人間だ。
ユキは安心して銃口を下ろす。
「すまない。奴らかと思った」
その兵士は返事をしなかった。珍しい反応ではない。戦術コンの指示に慣れきった兵士はだいたいこうだ。リグやユキの所属する都市アンバースでは少なくなってきたから、ユキはその兵士を都市イオミン・ペイからの増援だろうと当たりをつけた。
「しかし、下層まで侵攻している部隊がいるとは知らなかった。ここは外部と通信できないようだな。すまないが、直接通信で情報をくれないか。部隊とはぐれてしまった」
兵士はグローブに包まれた指でヘルメットの側面をつつく。戦術コンで通信する合図だ。ユキは戦術コンに命じて情報共有を開始する。
瞬間、時間が止まったようにユキの意識が白く染まる。戦術情報は問題なく共有できている。この兵士が戦術コンを搭載した人間であることは間違いない。なのに、識別No.と個体名が取得できない。正確には、項目はあるのに内容が記載されていない。元からないのだ。
そんな人間はいないはずだ。都市で生まれた人間は冷凍保存からの蘇生にしてもクローンにしても、必ずGMSから識別No.と個体名を与えられる。となると、この兵士はどの都市にも所属しない人間ということになる。GMSの管理外の人間。それでいて、都市で製造された装備を身に着けている。
一瞬の動作でユキはポインターを抜き、その兵士に向けた。まるで手品師のように、手のひらからポインターが飛び出したかのようだった。
「何者だ」
冷徹なその声を予想していたかのように、その兵士は微塵も動かなかった。ただひとつ、戦術コンに命じたのだろう、ヘルメットのバイザーがするりと開いた。
ポインターを握るユキの手が下がる。
「お前……」