4、ブライトとマーク殿下
鼻血を出したことが恥ずかしかったのか、テレサはまた早退した。
午前の授業が終わり、ランチをしに食堂へと向かう。
教室ではブライトのおかげで言われなくなったけど、他のクラスの生徒達はまだまだ悪口を言ってくる。
「見て! エミリー様よ!」
「昨日もバーバラ様に邸の掃除をさせたらしいわ! しかも、夕食も抜きだったんですって!」
「妹が姉にそんな仕打ちをするなんて最低ね……」
清々しいくらい、バーバラと私が逆になっている。
昨日の噂をしているなんて、バーバラは毎日私の噂を広めているのか……
「エミリー! 置いていくなよ!」
足早に廊下を歩いていると、後ろからブライトが追いかけて来た。それを見た生徒達は、悪口を言うのをやめた。
「約束はしていなかったと思うけど?」
「ランチは付き合うって言っただろ?」
それは昨日、確かに言った。言ったけど、毎日とは言っていない。だけど、正直嬉しかった。
この学園に入学してから、一人でランチしたことは一度もなかった。いつも周りに友達が居た。
クラスメイトは悪口を言わなくなったけれど、一度私から離れて行った人達と、何もなかったように仲良くすることは出来ない。
「そうだね。じゃあ、食堂に行こうか」
ブライトはきっと、私が一人にならないようにしてくれている。私が気を使わないようにしてくれているんだ。本当に、なんて優しい人なのだろう。彼の優しさを、素直に受け取ることにした。
食堂は全学年の生徒が利用する。
学園の食堂では、最高の料理人が料理を作っている。学園長曰く、『食事は生きる活力』だそうだ。学園にお弁当を持ち込む生徒もたまにいるけれど、温かくて美味しい食事が用意されているのだから、食堂で食べる生徒の方が圧倒的に多い。
つまり……
「バーバラは可愛いな。それだけしか食べないのか?」
「私、少食なんです」
ジョゼフ様とバーバラも、食堂に居るということだ。席は沢山空いているのに、わざわざ入口近くの席に座るなんて……
バーバラはスープだけを頼み、ちょびちょび飲んでいる。邸では豪快にお肉を頬張っているのに、あれだけで本当に足りるのだろうか。というより、夕食を抜かれた設定なのに矛盾しているとは思わないのだろうか。
関わりたくはないから、気付かないふりをしてその場から離れる。
「おい、無視をするな! エミリーは俺が好きなのだろう? 一緒に食事してやってもいいぞ?」
それは、どういうことだろうか。まさか、バーバラが私はジョゼフ様のことが好きだとでも話した……?
「え……ジョゼフ様?? エミリーと一緒にだなんて、どうして……?」
バーバラが動揺しているところを見ると、どうやら違うようだ。
「バーバラが嫌がっているではありませんか。婚約者を大切にしてください」
そのまま通り過ぎようとすると、ジョゼフ様が立ち上がり、私の腕を掴もうと手を伸ばして来た。
「触るな。エミリーは、お前が気安く触れていい相手ではない」
ジョゼフ様の手が私に触れる前に、ブライトが彼の腕を掴んでいた。少し、怒っているように見える。
「またお前か!! エミリーの婚約者にでも、なったつもりなのか!? 残念だったな。エミリーは俺のことが好きなんだ!!」
誰にそんな嘘を吹き込まれたのか知らないけれど、ブライトをバカにした目で見ているジョゼフ様にいい加減頭に来た。
ガツンと一言文句をと思った時、背後から気の抜けた声が聞こえた。
「それは、聞き捨てなりませんね~。お姉さんが、君みたいなクズを好きになるはずないではありませんか。
お姉さん、せっかく会えたのだから一緒に昼食をとりましょう!」
声の主は、マーク殿下だった。
子犬のように可愛らしい容姿で、毒舌なマーク殿下。しかも笑顔でそれを言っている。
「エミリーがそのクズを好きになるわけがないのは同意するが、マーク王子は護衛の方と食事をしてください」
ブライトは、マーク殿下から隠すように私の前に立った。
ジョゼフ様は殿下の登場に、顔を隠しながらバーバラを置いて食堂から出て行った。バーバラも、何も言わずにジョゼフ様を追いかけて行った。
「君も居たんですね。お姉さんと二人きりでランチしようと思ったのにな。仕方がないから、君も一緒でいいですよ。あのクズよりはマシなので我慢します」
「エミリーは俺とランチをする約束をしていました。仕方がないので、マーク王子も仲間に入れてあげます」
このままでは朝のように、いつまでも言い合いしていそうだと思った。
「いい加減にしてください! このままでは、お昼休みが終わってしまいます。さっさと注文しますよ!」
二人は大人しくなり、素直に注文してみんなで一緒のテーブルに着いた。私の隣にはブライト。私の前にはマーク殿下。マーク殿下の隣に、ビンセント様が座った。
「いただきます!」
席に座ってからも、ブライトとマーク殿下は睨み合っている。仲良くなることは、出来ないのかな……
楽しい食事とは程遠く、黙々と食事を続けていると、マーク殿下が口を開いた。
「そういえば、お姉さんはどうして何も言わないのですか? バーバラ嬢は、お姉さんと血が繋がっていませんよね?」
まさか、マーク殿下がそのことを知っているとは思わなかった。それを聞いたブライトも、口を開く。
「エミリーが話していないことを、軽々しく口にしないでください」
「ブライトも、知っていたの?」
「知っていたというより、そんな気がしていた。姉妹なのに、全然似ていないからな」
ブライトは気付いていたのに、何も聞かなかったんだ。一人で何でも背負うなと言われたのに、彼に話さなかったことを反省した。
「父が戻って来るまでは、私から何かをするつもりはありません。バーバラはすでに、自滅してしまったのですから」
私から婚約者であるジョゼフ様を奪い、自分が侯爵家を継ぐのだと思わせた。だけど、バーバラには何も手にすることは出来ない。そしてお父様は、義母とバーバラを許すことはないだろう。
十年前、父が義母とバーバラを連れて来た時、新しい家族が出来るのだと嬉しかった。
父が所有している領地は、地方にもある。王都にある邸に戻るのは、年に四回程度。母が亡くなってからは、私を一人にしないように、一緒に地方へと連れて行ってくれていた。それでも父は仕事が忙しく、一緒に過ごす時間は短かった。
だから父は、私の為に後妻を迎えた。父は母以外愛していない。結婚前に、愛することはないと義母に話していた。その代わり、贅沢な暮らしを約束した。義母はそれを受け入れ、私達は家族になった。そして十年が経ち、欲が出てしまったということなのだろう。
義母に殴られても父に報告しなかったのは、義母に申し訳ないという気持ちがあったからだ。私のせいで、愛されない結婚をしたことに罪悪感を抱いていた。義母は私を殴る度に、『お前の父親は、私を愛さない』と言っていた。結婚前にした約束……いつかは、愛されると思っていたのかもしれない。
「お姉さんがそう決めているのなら、もう何も言いません。あ、これ美味しいです~」
マーク殿下は、デザートを頬張りながら可愛らしい笑顔を見せた。この笑顔を、やっぱり私は知っている……
「マーサちゃん!?」
「……バレちゃいました?」
気まずそうな顔をするマーク殿下。
「でも、マーサちゃんは女の子……のはず」
マーサちゃんというのは、十一年前に知り合った女の子だ。父に連れられて行った地方の地に滞在していた時、一人の女の子と出会った。
女の子はよく笑う子で、とても笑顔が可愛くて、私のことをお姉ちゃんと呼んでいた。
「僕は最初から男ですよ! お姉さんが勝手に勘違いしただけです!」
頬を膨らませて、怒った顔を見せる。可愛すぎて、全く怖くない。
「ドレスを着ていましたよね?」
フリフリのドレスを着た、可愛い女の子だったはず。男の子には、見えなかった。
「あれは姉上達が来る度に、着せ替え人形みたいに僕に着せて遊んでいたんです。それが嫌で、いつも逃げ出していました。その時、お姉さんと出会ったんです。お姉さんが僕を女の子だと勘違いしていたから、思わずマーサだなんて名乗ってしまいました」
じゃあやっぱり、マーク殿下はマーサちゃんなんだ。そういえば殿下は身体が弱く、地方で静養していた。
「でも、どうして言ってくれなかったのですか?」
「女の子だと思われているのに、言えるわけがないではありませんか。僕は男です! 五年前に会った時も、全く気付かなかったですよね? 僕はお姉さんに初めて会った時から大好きだったのに、あんなクズといつの間にか婚約していたし……」
目をうるませながら、じっと見つめてくる殿下が、マーサちゃんと重なる。
「私も、マーサちゃんが大好きでした。妹のように思っていました」
殿下は目にいっぱい涙を浮かべたまま、固まってしまった。
「さすがに今のは可哀想だ。せめて、弟だろう……」
ブライトは呆れながら、ため息をついた。そんなことを言われても、私にとってマーサちゃんは女の子だ。殿下を好きだとは言えないけれど、マーサちゃんなら心から好きだと言える。
「君に同情されたくありません! これからお姉さんに、僕を男として好きになってもらえばいいだけです!」
すぐに立ち直るところも可愛い。殿下には申し訳ないけど、男性として見ることは出来そうにない。それを言ったら、また落ち込んでしまいそうだから、黙っておくことにした。
「エミリー様、学園長がお呼びです」
食事を終えて食堂から出ると、学園長の侍女が待っていた。ブライトと殿下には、先に教室に戻ってもらい、私は侍女に案内されて学園長室へと向かった。
学園長室の扉を開くと、
「エミリ~! 会いたかったぞ~!」
ものすごい猫なで声で名前を呼ばれ、学園長に抱きしめられた。
「伯父様……苦しいです……」
「おお! すまない! エミリーに会えて嬉しくて、ついな」
学園長は、私の伯父だ。母の兄で、キーグル公爵家当主。義母が私の母だと思っている人達が多く、学園長が私の伯父だと知るものは少ない。
「私も伯父様に会えて、嬉しいです」
領主の他に学園長までしている伯父は、毎日忙しい。こうして会うのは久しぶりだ。
「お前の婚約者のことを聞いた。なぜ、お前は何も言わずに黙っているのだ!? 私の可愛い姪をバカにしおって! 絶対に許せん! 」
学園長という立場なのに、生徒に怒りをあらわにする。伯父様は、私を溺愛してくれている。
「伯父様のお気持ちは嬉しいのですが、お父様が戻って来るまで待とうと思います」
「お前がそういうのなら……。確か、侯爵が帰って来るのは一ヶ月程先だったな。それなら、一ヶ月後に開かれる学園の創立記念パーティーに参加出来るな」
伯父様は、よからぬことを考えている顔をしている。
「伯父様、悪い顔になっていますよ」
「心配するな。ビクトリアとバーバラのことは、侯爵に任せる。あとは私に任せなさい!」
それが心配なのだけれど……
伯父様は、こうと決めたら止めても聞かない。
「あまり無茶なことは、しないでくださいね」
「分かっている。そうそう、サマンサがもうすぐ戻って来る。あちらの勉強は、全て学んだそうだ」
「サマンサが? サマンサに会うのも、久しぶりです」
サマンサというのは、伯父様の一人娘で私より一つ年上だ。隣国の学園に留学していたのだけれど、この学園に戻って来るようだ。
「エミリーに会うのが楽しみだと、手紙に書いてあった。サマンサもエミリーも、私にとって大切な存在だ。辛くなったら、いつでも頼りなさい」
伯父様は私の頭をぽんぽんとしながら、目尻を下げ優しく微笑んだ。お母様に似た、優しい瞳。伯父様のことは大好きだけど、お母様のことを思い出すのが辛くて距離を置いていた。そんな私を、いつも見守ってくれている。
「ありがとうございます。そろそろ授業が始まるので、戻ります」
学園長室を出て教室に戻ろうと廊下を歩いていると、一人の女子生徒が私の前で立ち止まった。見覚えのない女子生徒に戸惑っていると、彼女は口を開いた。
「エミリー様は、どうしてバーバラを追い出さないのですか?」
いきなりの質問。しかも、『追い出さないのですか?』と聞いているということは、バーバラがワイヤット侯爵家を継げないことを知っているようだ。
「質問の意図が分かりません。それに、あなたは誰なのですか?」
女子生徒は、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません、自己紹介が遅れました。私は、フラン子爵家の次女ジョアンナと申します。バーバラには、侯爵家を継げないことは存じております。それなのに、エミリー様はあのような目に合わされたバーバラに好き放題させていらっしゃいますよね? 納得出来ません!」
どうやら、バーバラに恨みがありそうだ。ワイヤット侯爵家のことを知っているということは、フラン子爵が父か母と何かしら関係があったのだろう。
「あなたが納得するように、私が行動しなければならない理由はありません。バーバラに言いたいことがあるのでしたら、ジョアンナ様が直接バーバラに仰ったらいかがですか? 授業に遅れてしまうので、失礼します」
私には、彼女の行動が理解出来なかった。バーバラとの間に、何があったのかは知らないけど、一度も話したことのない私に何かを望むのは間違っている。そのまま、彼女の横を通り過ぎる。
「お待ちください! バーバラは、私の恋人を奪ったんです! 私がバーバラをいじめていると嘘をつき、恋人を奪っておきながら、飽きたからと捨てました! バーバラは危険です! 婚約者をエミリー様から奪ってしまえば、侯爵家を継げると言ったら簡単に奪ってしまったのが証拠です! ジョゼフ様も同じ目にあいます! エミリー様は、それでよろしいのですか!?」
彼女は何を言っているのだろう……
自分がバーバラをそそのかし、私からジョゼフ様を奪わせたと今自白したの?
ジョゼフ様に私が好きだと伝えたのは、彼女だということも分かった。
「ジョゼフ様がどうなろうと、私には関係ありません。誤解しているようですが、私はジョゼフ様のことを何とも思っていないので」
「エミリー様!!」
名前を呼ばれても振り返らず、そのまま教室に向かって歩いていく。
恋人を奪われたことは気の毒に思うけれど、彼女は自分がされたことを、バーバラを使って私にしたことになる。そのことに罪悪感もなく、私からバーバラに仕返しをしろと言っている。不愉快極まりない。
教室に戻ると、すでに先生が来ていた。
授業開始には間に合い、急いで席につく。ブライトは振り返り、斜め後ろの席に座る私に向かって『大丈夫か?』と口パクで言ってきた。学園長室に呼ばれたことを、心配してくれているようだ。
嫌な気分だったけど、ブライトの顔を見たら自然に笑みがこぼれていた。私の笑顔を見て安心したのか、ブライトも微笑んでくれていた。
「よそ見とは、随分余裕ですね」
そのまま振り返ったままでいたブライトは、先生に見つかってしまった。
「すみません、大好きな人の顔を見ていたら前を向くのを忘れていました~」
先生に返した言葉に、生徒達から笑いがわき起こる。いつもの軽い言い方だけど、私の心はときめいていた。
私はブライトが、めちゃくちゃ好きみたい……