3、子犬王子
いきなり告白して来たのは、この国の第二王子のマーク殿下。マーク殿下には、五年ほど前に一度だけ王城でお会いしたことがある程度で、それ以来お会いしたこともなかった。身体が弱く、地方で静養していると噂に聞いたことがある。
「どういうことでしょうか? 殿下と、親しくお付き合いしていた覚えはないのですが……人違いをしていらっしゃるのでは?」
殿下は小さく首を振り、青い瞳でまっすぐ見つめて来た。
「お姉さんには、クズみたいな婚約者が居たから遠慮していたんですよー。どんなに婚約者がクズでも、婚約者の居る女性には手を出せませんからね~」
ジョゼフ様……すごい言われよう……
「マーク殿下は、いつ王都へいらっしゃったのですか? お身体の方は、もうよろしいのでしょうか?」
「久しぶりに会って質問攻めにするなんて、そんなに僕のことが心配?」
イタズラっ子のような笑みを浮かべながら、顔を覗き込んでくるマーク殿下。顔が近い……
「エミリーが困っているので、離れていただけますか?」
私とマーク殿下の間に、無理やり体を入れてくるブライト。少し、怒っているように見える。
「君、誰? お姉さんは、僕の婚約者になるんだから、邪魔しないでくれます?」
マーク殿下は不機嫌そうにブライトを睨み付けたが、ブライトは引くつもりがないようだ。
「お断りします。マーク王子は、一年なので階が違いますよね。お戻りになられたら、いかがですか?」
この状況は、いったいなんなのだろうか……
昨日、ジョゼフ様に婚約破棄された私が、今は二人の男性に求められている。嬉しくないと言えば嘘になるけど、戸惑いの方が大きい。
「殿下、そろそろ戻りましょう。陛下との約束を、お忘れになったのですか?」
ピリピリした空気の中、マーク殿下に声をかけたのは護衛のビンセント様。殿下の幼馴染みでもある。
「分かったよ……」
ビンセント様の言うことを素直に聞くマーク殿下。
「お姉さん、またね!」
ビンセント様と共に、一階にある一年生の教室に戻って行くマーク殿下。フワフワの銀髪に青い瞳、見た目も中身も、子犬みたいな方だった。
「何なんだ、あの王子は……」
マーク殿下の行動に、イライラしているブライト。こんなブライトを見るのは、初めてだ。嫉妬をしてくれているのだろうか。少しだけ、嬉しいと思ってしまった。
「ブライトも、前はあんな感じだったよ。いつも軽くて、何を考えているのか分からなかったもの」
「一緒にするな!」
今なら、それが照れ隠しだったのだと分かる。
「ほら、授業が始まるよ。行こ!」
私は決して、弱くなんかない。だけど、ブライトがずっと私を見ていてくれたと知って、一人じゃなかったのだと思えた。
一日の授業が終わると、ジョゼフ様がバーバラを連れてわざわざ三階から二階の二年の教室へとやって来た。またバーバラが、ジョゼフ様に泣きついたようだ。
「また、バーバラをイジメたそうだな!」
バーバラは、朝の仕返しがしたいようだ。といっても、皿を投げつけられてケガをしたのは私の方だけど。私に言い返されたことが、余程悔しかったのだろう。
「ジョゼフ様、もういいんです。私が、我慢すればすむことなのですから……」
バーバラは今日も、ジョゼフ様の後ろで弱い女の子を演じている。しかも、涙まで浮かべて……
「君が我慢することなどない! 君のことは、俺が守ると言っただろう?」
安っぽい劇を見てるみたい。二人でやってくれないかな……
相手にするのも疲れるので、無視して帰ろうとする。
「どこへ行くつもりだ!? まだ話は終わっていないぞ!」
私は話すことなんて何もないし、こんな茶番に付き合う義理もない。
「帰ります。今日も、庭の掃除をしなければならないので、邪魔しないでくれますか? 終わらなければ、夕食が抜きになってしまいます」
今日もきっと、バーバラは庭の掃除をするように言ってくる。庭師に散らかすように頼んでいたと、メイド達から聞いているからだ。
「はあ!? それは、お前がバーバラにやらせているんだろ!? そんなことをバーバラにさせるなんて、お前は最低な人間だな!!」
ジョゼフ様は、単純なのだと思った。バーバラのことを、それほど信じられるのはある意味すごい。私を白い目で見ていたクラスメイト達は、ブライトのおかげで、陰口を言わなくなっていた。
そもそも、バーバラをよく思っている生徒の方が少なかった。特に令嬢達からは、嫌われていた。
ジョゼフ様が私を悪者にしたことで、一度はバーバラを信じた人達も、ブライトの言葉で冷静に考えてくれたようだ。
「最低なのは、お前の方じゃないか?」
顔を上げると、ブライトの大きな背中が目の前にあった。自分は弱くないと思いながらも、ブライトにいて欲しいと思っていた。どうしてこの人は、私の気持ちが分かってしまうのだろう……
「ブライトか。お前には、関係ないだろ!」
ジョゼフ様は、邪魔をされたことに苛立っている。
「関係はある。俺は、エミリーが好きだからな」
二度目の告白……
やっぱり、ブライトの耳が真っ赤になっている。
「お前、趣味が悪いな……
エミリーは、姉のバーバラをイジメて楽しんでいる女だぞ!? 」
「趣味が悪いのはお前だ。エミリーは、誰よりも心が綺麗だ。五年も婚約していたのに、エミリーの何を見てきたんだ? 」
他の人にどう思われようと、ブライトがそう思ってくれているだけで十分だ。信じてくれる人がいるだけで、こんなにも救われるのだと知った。
「話にならんな! バーバラ、今日は帰ろう!」
ブライトには勝てないと思ったのか、逃げるように帰って行った。女の私には強気なのに、ブライトからは逃げるなんて……ジョゼフ様とバーバラは、お似合いだと思う。
「ごめんな……」
振り返ったブライトは、泣きそうな顔をしていた。
「どうして謝るの?」
「昨日、君を一人にしてしまった。ジョゼフは、君に酷いことを言ったんだろう?」
ブライトが謝る必要なんてない。
「ねえ、ブライト……私、そんなに弱く見える? 私は何を言われても平気だよ。ジョゼフ様と別れられて、感謝さえしているもの」
ブライトが守ろうとしてくれるのは嬉しいし、さっきのブライトに胸がキュンとしたのも事実だけど、守られてばかりのか弱い女の子にはなりたくない。
「そんなエミリーも、愛しているぞ」
いつものようにからかい口調だけど、照れ隠しだということに気付いたから、もう嫌悪感を抱いたりしない。泣きそうな顔で、私を心配してくれたブライトは、私の中で大切な存在になっていた。
「ハイハイ。庭の掃除しなくちゃいけないから、帰るね」
「それ、本気だったのか!? 」
「もちろん! だけど、これは私がやりたいからやるの。料理や掃除をするのが、すごく好きなんだあ」
「てことは、ジョゼフは君の悪口を言っているようで、バーバラの悪口を言っていたんだな……」
なんだか可笑しくなって、2人で笑った。
邸に戻ると、今日も玄関でバーバラが待っていた。学園を出た時間はあまり変わらないのに、素早い……
「まさか、勝ったなんて思っていないわよね?」
勝ち負けで考えたりしていない。
腰に手を当てて、偉そうに立つバーバラを見ていると、学園でのバーバラが別人に思えて来る。案外、演技が上手いのかもしれない。
「思ってないから、そこを退いてくれる?」
「待ちなさいよ! 庭が散らかっているから、掃除して!」
ドヤ顔で命令して来るバーバラ。自分で散らかすように庭師に頼んだくせに、バレていないと思っているのだろうか。
「分かった……」
掃除出来る嬉しさから、顔がニヤケそうになるのをガマンする。私が好きでやっていると知ったら、今度は部屋に閉じ込められそうだから、あくまでも嫌々やっていると思われなくてはならない。
「早く終わらせないと、夕食抜きよ! さっさと掃除して!」
夕食をバーバラに抜かれたとしても、メイドがこっそり用意してくれる。私を苦しめていると思い込んでいるバーバラは、ニコニコしながら部屋に戻って行った。
着替えをすませて庭に出ると、昨日抜いた雑草がなぜかまた植えられていた。
思わず二度見してしまった。まさか、わざわざ雑草を植えているとは思わなかった。庭師も、大変だっただろう。
私はしゃがんで、植えられた雑草を抜き始める。雑草を抜くのは好きだけど、さすがに植えただけあってすぐに抜けてしまう。
「……終わってしまった」
もう少しやりたかったけど、やることがないから邸の中に戻る。すると、またバーバラが待っていた。私がいつ戻って来るか分からないのに、ずっと待っていたのだろうか? ……暇人なの?
「遅かったじゃない! 残念ね、もう夕食はすませてしまったわ。今日も夕食が抜きだなんて、可哀想。でもダイエットになるし、感謝してもいいわよ?」
夕食をすませるのが、早すぎる。私が庭に出たあと、すぐに食べ始めたとしか思えない。最初から、私に夕食を食べさせるつもりなんてなかったのだろう。
「そうね。ダイエットになるし、良かったわ。もう部屋に戻るわ」
「何を言っているの? 食器の後片付けが、まだ残っているじゃない。さっさと片付けに行きなさいよ!」
「分かった」
毎日同じ嫌がらせをしてくるバーバラは、私をいじめることが生きがいになっているのか、イキイキして見える。それが私にとっては嫌がらせになっていないのだけれど。
婚約破棄されてから三日目。学園に登校すると、マーク殿下が校門の前で待っていた。馬車から降りると、殿下は後ろに隠していた花束を差し出した。
「お姉さん、おはよう! この花、お姉さんに似合うと思って!」
五十本くらいありそうな、ピンク色のバラの花束。
花束をいただくのは嬉しい。嬉しいけれど、これから学園に勉強をしに行くのに、これをどうしろと?
「えっと……」
差し出された花束を見ながら戸惑っていると、マーク殿下は首を傾げた。
「バラは、嫌いですか?」
目をうるうるさせて、捨てられた子犬のような顔で見つめるのをやめて欲しい。
周りに居る生徒達は、殿下を私がいじめているのではと噂し出した。そんなに私をいじめっ子キャラにしたいのか……
でもこの顔、どこかで見たような気がする。
「そんな花束持って、登校しろって言いたいのですか? 王子様というのは、変わっていますね」
花束を差し出されたまま動けなかった私の腕をブライトが強引に引き寄せ、私の身体は彼の胸にすっぽり包まれた。
「ブライト……」
彼の身体が大きくて、なんだかあたたかくて、胸の鼓動がトクントクンと音を立てながら早くなる。
「あーっ! 何で抱きしめているのですか!? お姉さんから離れなさい!!」
殿下の声に、急に恥ずかしくなり慌ててブライトから離れる。
「せっかくいい感じだったのに、邪魔しないでください」
ブライトは不貞腐れた顔をしながら、殿下を睨む。王子様を睨むなんて、すごいな……
「邪魔をしたのはそちらですよね!? 急に現れて、お姉さんを抱きしめるなんて羨まし……いや、失礼極まりない!!」
「本音がダダ漏れですよ、王子様! お子ちゃまは女性の口説き方をお勉強してから来てくださいねー」
二人を見ていると、楽しい気持ちになる。何も飾らないやり取り。
だけど付き合っていたら遅刻してしまうから、教室に行こう。
私が教室に行ったあとも、二人は言い合いをしていたようだ。そのせいで、ブライトは遅刻をしてしまった。そしてなぜか、バラの花束を抱えて教室に現れ、その花束を先生に渡してご機嫌とりをしていた。
……マーク殿下、ごめんなさい。
休み時間になると、ブライトが私の席に近付いてきて、机の上に小さな箱を置いた。
「これは?」
「……やる」
いつもとは違う、ぶっきらぼうな言い方。ブライトの顔を見ると、目を合わせてくれない。耳が赤くなっているから、照れているようだ。
照れているということは、贈り物? そんなことを考えながら箱を開けてみると、中には可愛らしい髪どめが入っていた。
「可愛い……」
髪どめは白とピンクの蝶の模様がほどこされていて、すごく可愛い。男性から贈り物をいただいたのは初めてで、戸惑ってしまう。(花束は受け取ってないので、贈り物に含まなかった)
「それ、エミリーに絶対似合うと思う」
こんなに可愛らしい物を似合うと言われて、何だかくすぐったい。だけど、嬉しい。
「ありがとう、ブライト」
早速つけてみると、さっきまで目を逸らしていたブライトが瞬きもせずにじーっと見ていた。
「に、似合うかな?」
あまりにじーっと見られて、恥ずかしくなった私は彼から目を逸らす。
「すっごく似合ってる!!」
そんなに全力で褒められたら、ずっとつけていたくなってしまう。初めての贈り物だったから、大切にしまっておきたかったのにな。
「教室でイチャつくのは、やめてもらます?」
恨めしそうな顔で、テレサがそう言った。イチャイチャしていたつもりはないけど、ブライトのことを好きなテレサからしたら嫌な光景だろう。
「ごめん……」
好きな人が他の女の子と仲良くしているところなんて、見たくないのが当たり前だ。テレサのことは嫌いだけど、バーバラとは違う純粋な恋心を傷付けたくなかった私は、素直に謝った。
「バッカじゃないの!? あんなに酷いことを言った私に、どうして謝るのよ!! そういうところが、大っ嫌いなのよ!!」
ブライトに本性が知られてしまったからか、いい子の演技はやめたようだ。テレサは、最初から私が嫌いだったのだろう。私はテレサの演技に騙されていた。ジョゼフ様のことを、言えないかもしれない……
「俺は、エミリーのそういうところが好きだ」
耳が真っ赤に染まっているから、本気で言ってくれているのが分かる。だけど今度は、私の目をまっすぐ見つめている。ブライトは、本当に気持ちを隠さなくなった。
「ブライト様と意見が真逆だなんて……私達は、やっぱり結ばれる運命なのです!!」
テレサは急に嬉しそうな顔をした。私には、全く意味が分からない。彼女は目を輝かせながらブライトに詰め寄る。
「お前……どういう思考回路しているんだ?」
近付いて来たテレサを、ブライトは呆れながら避けた。
「いっ……たあっ!!」
避けられてバランスを崩したテレサは、窓に鼻をぶつけた。鼻からぶつかるなんて、キスをしようとでもしていたのか……
「テレサ、大丈夫?」
振り返ったテレサは、両方の鼻の穴から鼻血を出していた。