10、楽しい? 旅行 後編
朝の光が差し込んで来て、眩しくて目が覚める。
昨夜は結局、すぐにサマンサが戻って来てブライトは追い返された。隣の部屋からマーク殿下の怒鳴り声が聞こえて来て、こちらの話も筒抜けだったのだと恥ずかしくなったと同時に、邪魔をしないように気を使ってくれたのだと申し訳なくなった。
「さて、起きますか!」
気合いを入れて、ベッドから出る。
私は今日、この地の次期領主としての初めての仕事をする。緊張していないと言ったら嘘になるけど、不安は一切ない。私には、心強い仲間が居てくれるからだ。
服を着替え、使用人に髪を整えてもらい、お化粧をしてもらう。サマンサと一緒に支度を終えると、三人が待っている馬車に向かった。
早速馬車に乗り込み、邸へと出発する。馬車はゆっくり走り出し、流れて行く街並みを見ながら、この街の人達を笑顔にしたいと思った。
お父様が領民の為を思い下げた税を、ブレダール子爵は何倍にもして取り立てていた。こんなにも大胆なことをしておいて、許されると思っていたのだろうか……。怒りが込み上げて来たところで、馬車は邸の門の前で止まった。
「ブレダール子爵に取り次いでもらいたい」
ラルクが馬車の手網を握りながら、門番にそう言っただけで簡単に門が開かれた。名前も聞いていないのに……。豪華な馬車で訪ねて来た貴族なら通していいと、命じられていたようだ。
昨日とはまるで違う対応に、ブレダール子爵は典型的なバカで最低最悪な貴族なのだと悟った。そうはいっても、ブレダール子爵みたいな貴族はたくさんいる。そんな貴族が、私は大嫌いだ。
開いた門から中に入り、馬車は玄関の前でとまる。
馬車から降りる前に、息を切らせたブレダール子爵が出迎えてくれた。思っていた容姿とは違って、ごく普通のどこにでもいる人のいいおじさんに見えた。
「……よくおいでくださいました! どちらのご令息ご令嬢ですかな?」
馬車から降りた私達を見て、子爵は一瞬驚いた顔をした。この馬車は、ワイヤット侯爵家の馬車だ。それを見て、お父様が来たと思ったのかもしれない。
「初めまして、ブレダール子爵ですね。私は、エミリー・ワイヤットと申します。こちらの方達は、私の友人です。突然、申し訳ありません。旅行に来たのですが、この街が懐かしくなり立ち寄ったのです」
笑顔で丁寧に挨拶をする。
「お嬢様でしたか! これはこれは、遠いところからよくおいでくださいました! すぐに部屋を用意させますので、その間はリビングでお茶でもいかがですかな?」
昨日私達を見たはずなのに、子爵は初めて会ったような顔をしている。昨日の領民が、私達だとは気付いていないようだ。
「そうですね。次期領主として、この領地のお話をぜひ伺いたいです」
リビングに案内されると、私達はソファーに腰を下ろし、ビンセント様はマーク殿下の後ろに控えた。その様子を見ていた子爵は、マーク殿下に気付いたようだ。
「もしかして、あなた様はマーク殿下でいらっしゃいますか!?」
やはり、殿下の顔だけは知っていたようだ。それでも、昨日の領民が私達だとは気付いていない時点で、マーク殿下が女装をする必要はなかったのかもしれない。……ごめんなさい、マーク殿下。
「そうですよ~。質問があるんですけど、いいですか?」
「はい! 何なりと!」
分かりやすく、目を輝かせる子爵。身分が高い方が大好きなようだ。
執事が用意したお茶を飲みながら、殿下は質問を始めた。
「この街、物価が高くありませんか?」
いきなり核心を突いた質問をされ、子爵の小さくて細い目が大きく見開いた。
「そうなんです! 下げるように言ってはいるのですが、観光客になら高くしても売れるからと言い張っていまして……全く、困ったものですよ」
領民のせいだと言いたいのか……。
そもそも、子爵が税を上げたのが原因だというのに、そのことを話す気はないようだ。
「街を見ている時に、税が高いと耳にしたのですが?」
殿下の次は、ブライトが核心を突いた。
税のことを持ち出され、額に汗が滲む。殿下の質問を、上手くごまかせたと思って安心していたようだ。
「そ……んなことは、一切ございません! ワイヤット侯爵が、ギリギリまで税を下げたはずです! それを高いというのなら、他の地で暮らすことも出来ないでしょう!」
言葉に詰まったのは、動揺している証拠だ。
このまま、たたみかけよう。
「お菓子のおかわりを頼む」
そう、お菓子のおかわりを……って、サマンサはお茶と一緒に出されたお菓子を全て平らげ、おかわりを要求した。
「あ……、そうですね。お菓子のおかわりを頼む」
子爵は、違う意味で言葉に詰まっていた。
おかわりのお菓子が運ばれて来たところで、気を取り直して質問の続きをすることにした。
今度は、私の番だ。
「ブレダール子爵、単刀直入にお聞きします。なぜ、勝手に税を上げたのですか?」
子爵の顔が強ばった。
予期せぬことには、子爵の狡猾さも役に立たないようだ。
「な、にを仰っているのか、私には分かりかねます!」
目が泳ぎ、いいわけも出て来ないようだ。
演技は、ここで終わりだ。
「分からない? おかしいですね、税を何倍にも上げたのは子爵自身のはず。差額は横領しているのでしょう? このようなことをして、逃れられると思っていたのですか?」
「お嬢様……一体、どうされたのですか? 私は何もしておりません! 毎日、領民の為に何が出来るかを考えているのに、そんな言いがかりは心外です!」
今度は、目を剥き出しにして怒り出した。
「私は今、父の代理としてここに居ます。つまり、全ての権限を与えられているのです。
先程、領民の為に何が出来るかを考えていると仰いましたが、昨日は話がしたいと訪ねて来た領民を追い払ったそうではありませんか」
「誰がそんなことを言ったのかは知りませんが、私を陥れようとしているのです! 領民にそのようなことをするはずがありません!」
父は領地を任せる際に、必ず領民達の話を親身に聞くようにと話す。それが出来ない者に、人の上に立つ資格はないと常々言っていた。
見苦しいいいわけを続ける子爵。私が父の代わりでこの場にいると聞き、自分がしたことを認めるのは絶対に避けたいようだ。
だが子爵は、墓穴を掘っていることにまだ気付いていない。
「陥れる? 昨日言いましたよね? 明日また来ると。約束通り、私達は来ました。話も聞かずに追い払った門番と、私達のような者の相手をする暇はないと領民を蔑んだ執事呼んでいただけますか?」
「あの……それは……どういう……」
私達全員の顔を、子爵は恐る恐る確認し、明らかに驚いた表情を浮かべた。そして、誤魔化すように下を向いた。やはり昨日、私達をどこかから見ていたようだ。
「た、大変、申し訳ありませんでした!!」
急いで門番と執事を呼び、二人と共に子爵も頭を下げた。子爵が頭を下げた理由は、自分が悪いからではない。二人が勝手にしたことを、知らなかったという理由だった。
「私を覚えていますか?」
門番と執事に問いかけると、彼らは下げていた頭をゆっくりと上げ、私の顔を見た。
「……はい。昨日、邸を訪ねて来られた方です」
門番は少し震えた声でそう言った。
「私は、真実が知りたいのです。話していただけますか?」
二人は大きく頷くと、子爵が今までして来たことを全て話してくれた。自分達が私達にしたことが、罪になると恐れているのか、あっさり子爵を裏切った。
「全てデタラメです! 私は何もしていません! 帳簿も毎日つけていますし、何ならお持ちいたします!」
用意出来る帳簿が、あてにならないことくらい分かっている。
「それは、結構です。執事に本物を持って来ていただきます。お願い出来る?」
「は、はい! ただいまお持ちいたします!」
執事は大急ぎで、裏帳簿を取りに行った。それを止めようとした子爵を、ビンセント様が取り押さえた。
裏帳簿には、とんでもないことが書かれていた。
子爵は税を三倍にし、そのお金を他の貴族達に渡していた。その貴族達は、父にブレダール子爵を薦めた方達だった。
大抵の貴族が持っている領地は、ひとつだけだ。いくつも持っている父が、疎ましかったのかもしれない。貴族の嫉妬で、領民が苦しめられていたことが、何より悔しかった。
「あなたは、最後まで自分の罪を認めませんでしたね。勝手に税を上げて領民を苦しめ、そのお金を横領し、貴族達に渡した罪は重い。父が到着するまでは、地下室に軟禁させていただきます」
子爵はビンセント様に取り押さえられながら、私を睨み付けている。
「小娘の分際でふざけるなッ!! 離せっ!!」
やっと本性を現した子爵を、ビンセント様が地下室へと連れて行く。暗い地下室で、父が来るまでの間反省して欲しいけれど、それは期待薄だろう。
子爵はこれから、国の裁きを受けることになる。
その日のうちに、税を元に戻すと領民に知らせた。領民は喜びの声を上げ、街が活気に包まれていた。
「お疲れ」
執務室を整理していると、ブライトがお茶を持って来てくれた。
「ありがとう、ブライトが淹れてくれたの?」
「いや、メイドに淹れてもらった。王子達はリビングでお菓子の取り合いをしていた」
サマンサとマーク殿下は、意外とお似合いなのではと思えて来た。
テーブルにトレーを置き、ソファーに腰を下ろすと、ぽんぽんとソファーを軽く叩き、隣に来るように催促をしている。隣に腰を下ろすと、ふわっと優しく抱きしめられていた。
「やっと捕まえた……」
優しかった腕に、ギュッと力がこもる。
「ブライト、どうしたの?」
腕が少し緩められ、切なそうな顔で私を見つめる彼から、目が離せない。
「ずっとこうしたかったんだ。なかなか二人きりになれないし、いつも邪魔者がいるし、一緒に寝てくれないし」
一緒に寝てくれないって……本気だったのか……
「ごめん……俺、余裕ないな。好き過ぎてヤバい……」
余裕のない彼を、私は愛しいと思っている。それほど愛してくれているのが伝わって来て、愛しい気持ちが溢れ出してくる。
好き過ぎてヤバいのは、私の方だ。
「湖に行かない?」
お父様が今いる領地は、ここから馬車で四日ほどの場所だ。手紙が届いてからこちらに向かって出発したなら、到着するのは明日くらいになりそうだ。
お父様が到着したら、ゆっくりみんなと過ごす時間がなくなる。報告をすませた後は、王都に戻らなければならないからだ。
せっかくの旅行なのに、旅行らしいことを全くしていないと思った私は、みんなを湖に誘うことにした。
「いいですね! ピクニックしましょう!」
「殿下は、あまりはしゃがないようにしてくださいね」
「それなら、あの宿の料理を沢山持っていこう!」
殿下は子供みたいにはしゃぎ、ビンセント様は殿下の心配をしている。サマンサは美味しい食事があれば、満足らしい。
「せっかく田舎に旅行に来たんだから、自然に囲まれて過ごすのもいいかもな」
ブライトも乗り気になってくれた。
ブレダール子爵のことは、殿下の護衛が見張っていてくれる。私達は、宿でお弁当を作ってもらい、湖へと向かった。
「気持ちい~!!」
湖に着くと、マーク殿下は両手両足を伸ばして地面に横たわった。久しぶりに自然に囲まれて、気持ちよさそうに目を閉じている。その様子を、ビンセント様は微笑みながら見ていた。
「お腹が空いた。食事にしよう」
サマンサは宿でお弁当を注文していた時から、料理のことしか考えていなかった。
「まだ午前中だぞ。弁当はランチ用だ。魚でも釣って食べればいい」
宿で借りて来た釣り具を用意して、ブライトが釣りを始める。彼の隣に座り、私も見よう見まねで一緒に釣りをする。
「釣れたか?」
釣りを初めて直ぐに、サマンサは待てないようすでそう聞く。
「まだだ」
素っ気なく答えるブライト。
「釣れたか?」
またすぐにサマンサがそう聞いてくる。
「まだだ」
同じやり取りを十分ほど続けると、待っていられなくなったサマンサはお弁当を広げ始めた。
「サマンサ!?」
急いで止めようとしたけれど、結局サマンサを止めることが出来ずにそのままみんなでお弁当を食べ始めた。
「やっぱり美味い」
次々にお弁当を平らげて行くサマンサ。朝食を食べたばかりで、お腹は空いていない。サマンサが食べているところを見ながら、私達四人はお茶を飲んでいた。
お弁当を食べ終わったサマンサはそのまま横になって眠ってしまった。ブライトは釣りに戻り、マーク殿下はブライトの隣で網を構えている。
釣れる度に大喜びする殿下と、丁寧に釣りを教えてあげているブライトを見ていると、湖に来て良かったと思えた。
大変な旅行になったけど、案外楽しい旅行だったかも。
翌日、お父様が到着した。
全てを報告し、裏帳簿を渡した私達は、王都への帰路についた。
ブレダール子爵は、あの後王都へと連行された。私には最後まで罪を認めなかった子爵が、お父様には全てを話したようだ。そして、関わっていた貴族達もいっせいに捕らえられた。
バーリー侯爵、ドレバン伯爵、フォード伯爵、クレメン子爵は、自分の領地でも同じことをしていた。領民から多額の税を取り、国に納める税はその四分の一ほど。自分達が私腹を肥やすために、領民を苦しめて来た。
お父様は、陛下に命じられてブレダール子爵と関係があった貴族達を前から調べていたようだ。ブレダール子爵を貴族達から紹介された時、陛下の命を受けて騙された振りをしていた。 ブレダール子爵に領地を任せることは、領民の負担を考えて一度は断ったのだが、他の領民のことを考えると、黙って見ていることが出来なくなったようだ。
基本的に、他の貴族が治める領地には口出しが出来ない。税が高くても、それは領主が決めることだ。だけど納められた税を誤魔化し、横領することは許されない。その証拠を掴む為には、自分の領地である必要があった。
ブレダール子爵が捕らえられたことで、全ての罪が明るみになり、五人は爵位を剥奪され、財産を没収された後、鉱山に送られて強制労働させられることになった。没収した財産は、搾取されて来た領民へと返され、足りない分を労働で返して行くということのようだ。
「お前のおかげで、不正を暴くことが出来た。ご苦労だったな」
「私のではなく、みんなのおかげです。それに、お父様が調べていたから、全ての罪を暴くことが出来たのです」
「エミリー、あの領地はお前に任せようと思う」
この時気付いた。お父様は、最初から私にあの領地を任せるつもりだったのだと。
ブレダール子爵に領地を任せたのが一年前。そして、税が上げられたのが半年前。一年で貴族達の不正を調べ、私に子爵のことを任せた。
私がホワソンに旅行に行くと言わなかったら、お父様は自分が連れて行くつもりだったのだろう。
お父様は、領民達から慕われていた。税の話を、お父様に話す人はいなかったはず。全て、お父様の計算だったのかもしれない。
税のことを解決したことで、領民達は私のことを領主として認めてくれるというわけだ。
不正を暴いた功績をたたえられ、お父様は新たに子爵の爵位を授かっていた。その子爵の爵位が、私に与えられた。そして、あの領地の領主となった。
領主となったが、私はまだ学生だ。すぐに地方に住むことは出来ない。私が学園に通う間、ビンセント様のお兄様であるガラント・マードック子爵が領主代理をしてくれることになった。
結局、私はいつも通りの生活に戻るけれど、子爵として、そして領主としての責任を持つことになった。
「エミリー、おはよう」
「お姉さん、おはよう」
休暇が終わって久しぶりの学園。門の前で、ブライトと殿下が待っていてくれていた。
「おはよう」
色々あった学園生活だけど、この学園で愛する人と可愛い弟が出来た。学園に来るのが、毎日楽しい。その学園生活もあと一年だ。
「今日は苦手な授業があるんだよな。このまま、一緒にサボらないか? なんなら、二人っきりになれるところに……」
ブライトが私の頬に触れようとすると、
「だめーーーーーっ!!!」
殿下が間に入って止めた。
「俺達は愛し合っているんです! お子ちゃまは教室に行ったらどうですか?」
「僕の目の黒いうちは、ふしだらなことは許しません!」
いつもの風景。
二人がケンカするのを見るのも慣れてきた。
「エミリー、おはよう。あとお二人さんおはよう」
「俺達はついでか!?」
「ブライトはいいけど、僕はついでは嫌です~」
サマンサが登校して来て、さらに賑やかになる。
「そうそう、お姉さんは卒業したらホワソンに住むんですよね? 僕もホワソンに住むことにしました」
「何を言っているんですか? 王子は、学園があるでしょ。俺とエミリーの二人で住むので、邪魔しないでください!」
ブライトとは、学園を卒業したら式を挙げることになっている。いきなり地方に行くことになったけど、二人で一緒なら幸せだと言ってくれた。
「みんな行くなら、私も行こう! なんなら、殿下と婚姻してもいい」
いきなりのサマンサの告白?
びっくりし過ぎて、私もブライトも固まる。
「お断りします!」
そして、すぐに断るマーク殿下。
「私では不満だというのか!?」
「不満ですよ! 不満しかありませんよ! 僕はお姉さんが好きだし、それがなくても大食いのサマンサは絶対にお断りです!」
「私は大食いではない!」
やっぱりズレてるサマンサ。
だけど、二人はお似合いだと思う。
「二人とも、絶対に来るな! 俺はエミリーと二人で幸せに暮らすんだ!」
ブライトは必死に二人を止めている。
卒業しても、みんな一緒にいられるなら楽しいと思ってしまう。
「みんな! 遅刻しちゃう! 教室に行こう!」
ブライトとの二人の時間は、まだまだなさそうだけど、拗ねているブライトも好きだから、当分はこのままでいたいと思ってしまう。
結婚したら、全力で愛するから……今は、許してね。
END