道端の老人"ディディ"
また手に取って頂き、誠にありがとうございます。
この世界には六つの国が有る。
国には王が居て、王には王族と呼ばれる家族が居る。
六つの国はそれぞれ敵対関係にあり
国には一人、他国に対抗する為の"兵器"とされる
神々の祝福を受けた大英雄と呼ばれる魔法使いが居る。
獅子王国の神盾戦士
火王国の竜槍騎士
不死王国の死霊操士
雷王国の銃剣射士
聖律王国の審判導士
水王国の蒼天術士
人類史に二つ名を刻む"六大英雄"
その名は代々受け継がれ
初代の大英雄達は歴史の中でのみ戦争に明け暮れる。
一つの魔法として。
強大な魔法を持つ者は一国の王になる事すら容易い。
なのに彼らは王位に即かず、兵器となる道を自ら選んだ。
何故?
それは六大英雄の中に一人、戦いを好む者が居たから。
王となる者が代々必ず"不死"と呼べる力を持つ王国の
死者を操る力を持って産まれた者。
その者は前線で虐殺を楽しんだと歴史に語られている。
力ある者が国を統治している間に国民が死ぬ。
ならば力ある者が矛となり盾となろう。
身を守る為に奪い狂う戦乱の歴史
その始まりだ。
そして歴史の中で大英雄達は散っていった。
二つ名は受け継がれ、戦士は現代にも居る。
けれど、それらは宛にならない。
その戦士達は武の象徴として
各国に縛られているから。
だとしたら、誰を頼ればいい?
現代には象徴たる大英雄ではなく
各戦場にて功績を残した英雄と称される人々が居る。
極大な魔法は無くとも
強大な力を扱いこなす者達が。
その者達に力を借りる事さえできれば
念願の一端くらいは叶うだろう。
でも。彷徨い逃げ惑うたこの六年間で
彼らに巡り会う事は無かった。
行動も思想も何も変えられず
こうして嘆き歩いているだけで
お目にかかる確率は途方もなく低く
中でも誠実で私の願いに応える者に出会す確率なんて……。
想像も出来ない。
だがもし出会えたなら、乞い願う意思があった。
そう"あった"んだ。
「―――もう……何も無い」
私の瞳にはもう
かつて目にした光景すらも映らない。
身に纏うドレスの色も
両手を飾るアクセサリーの形も
父親の瞳の色さえも。
「戻れない……」
背に、腕に、腹に、深々と刻まれた家畜の烙印。
人では無く、畜生である証明。
一糸まとわぬその身体に赤赤と光る的。
「生きる事も、また……」
ーーーーー地獄だーーーーー
「―――地獄だとでも言いたいのか」
「………」
足が止まった。
首は動かなかった。
だが、視界の端に姿は見えた。
聞こえた声の主は日陰に座る老人の声だ。
私の足は気付かない内に
人の居る町に迷い込んだのだろうか。
「まるで、世界の終末を見て来た様な顔だな」
老人の言葉に私は乾いた両の手で頬を触る。
必要な脂肪さえない、枯れ木の様な触感。
深淵とは言い得て妙。
今より過去に見た世界は、終末期の混沌。
そう言っても過言ではない絶望だった。
「死が救いと思うか」
「ーーー思う」
肺が窄み吐息と共に流れ出る心。
最早生きる事に望みは無い。
望めば望む程に、奪わなければならないのだから……。
「醜い嘘だな、娘よ」
「……っ」
「其方の瞳には夢が写っている」
「夢……」
「其方の矛は折れていない」
「私の、……矛」
唇が震える。
見ず知らずの人間の言葉に
私の脳は困惑し、少量の汗を垂らす。
久方ぶりに話しかけられたからなのか否か
老人の声が、心に鋭く刺さった。
でも、私は矛など手にした事は無い。
手にした事のある武器は
地下牢を出て逃げ出す時に
醜男から奪ったナイフくらいだと
広げた両手の平を見つめ思い返す。
当時の血糊は疾うに乾き
泥の様にこびり付いていた。
「名は」
「私は………」
言いかけて、顎が固まる。
名前が無い訳ではない。
でも、言うべきなのかは迷う。
名は"縛り"だ。
他人に知られるリスクは計り知れない。
そして、今私の置かれている状況は
長く逃げ歩いた日々に降って湧いたもの。
人としての会話が嬉しい気持ちもあるが……。
不安。
それを抱く余裕はまだあるらしい。
空腹すらも曖昧な中、脳も良く回る。
「……大丈夫か」
罵詈雑言ではなく
下衆の下心でもなく
恐らく何の策略でもない優しい言葉が肌に触れる。
いつかの日に交わした様な、ただのコミュニケーション。
「ないのか?」
「あった。……でも今は」
「名乗りたくもないか」
「そう、でもない…けど」
「無理はしなくていい」
「………」
「穢されてしまったのだな」
情け。
奪われた者同士の哀れみ。
だが決して不快ではない。
暖かくどこか懐かしい問答。
在りし日の祖父との会話でも
思い出しているとでも言うのか。
「……名前は」
「"ディディ"とでも呼ぶといい」
「……え?」
「俺の名だ」
「……そう」
この老人も、同類なのか。
何かを奪われた者なのだろうと
声音や名乗り方から察する。
久方ぶりに感じる安らぎ。
この人は、奪わない人だ。
私はこれ以上、奪われない。
私の両足は自然と日陰へと向かう。
ディディと名乗る老人は隣に小さなボロ布を敷き
その上をポンポンと叩いた。
「日向に居るだけで体力を使う。
此処でしばし休むといい。
取って食う程顎の力も強くはない」
「ありがとう……ディディさん」
今、お礼を言ったの?
私が人に感謝をするなんて
本当にいつぶりだろう。
固まった頬は動かない。
だが確かに心は揺れ動いていた。
人を憎み
人を嫌い
人を羨んでいた心に
家畜の烙印が染み付いた心に
重い重い足枷に罅が入る音がした。
「礼を言われるのは気分がいいな。
誰かに礼を言われる事は、いつぶりだろうか。
こんなにも温まる物なのか」
想いを噛み締める様に
言葉を紡いでいく老人、ディディ。
横目に見る彼の顔は髪も髭も手入れされていなくて
何も見えなかったが
笑っている事だけは声でわかった。
「さぁ、この布を被るといい」
ディディが立ち上がり、布を広げる。
私は一瞥し首を振る。
とても美しい白い布。
私の身体を頭から覆い隠す事が出来る程に大きい。
「こんな綺麗な布……頂けないわ」
「今は気分がいい。
ジジイの頼みだ、どうか受け取ってくれ」
もう一度小さく首を振るがディディの意思は固く
根負けしてお礼を言うと、掛けられた布の端を掴み
自身を包み込む様にして前を隠した。
貰った布の滑らかな肌触りと日陰を通る風の涼しさに
思わず目を閉じ深呼吸をする。
「娘よ、歳は幾つだ」
「―――マノア」
「ん?」
「私の、名前よ。……歳は二十歳、だと思う」
「………そうか、マノアか。
綺麗な名前じゃないか」
「父と母がくれた、宝物だったの……」
厳しくも優しかった父。
器用で博識で料理上手な母。
二人が紡いでくれた大切な名前。
それが今では……。
「恨むといい」
「え?」
「宝と呼べる程に大切な物を幼き時に穢されたのだろう。
ならば存分に恨み、憎み、呪うといい」
「ディディさんは、聖人ではないのね」
「生憎と宗教に縁が無くてな。
聖教会にも堕天教会にも属していない。」
「………教会」
条件反射で身体を丸め、強ばらせる。
私の痩けた体躯の腹と背に二つの烙印。
その全てが疼き、布の中で一層強く光る。
「"魔法を奪われた"のだな」
「……うん」
「両教会はその印を焼き付け
魔法を封じただけに飽き足らず
今直、其方を追い回しているのか」
「もう……六年くらいになる、かな」
言葉にならない。
そんな顔をしているのだろうか。
ディディの声が聴こえなくなる。
優れた魔法を狩る者の存在は知っているだろう。
人々に害をなす魔法使いを封じる組織が教会である事も。
それが今では教会が魔法を狩り、私腹を肥やす。
その証拠が私の烙印。
溢れ出す心の声を奥歯で噛み殺し
"人類の存続"や"人類の平和"を謳う教会が何故と
ディディは俯き、嘆いている様だった。
「―――白髪も琥珀の瞳も美しい。
故に此処ではよく目立つ。
頭から深く、布を被るといい」
数分の沈黙を解き
ディディは言葉と共に私の肩から布を掴み
頭に優しく掛けた。
「………美しい」
日に焼かれ色濃くなった指先で髪を撫でる。
最愛の母より頂いた髪を美しいと。
尊敬する父譲りの瞳をも美しいと言ってくれた。
嘗ての自身を
穢される前の自身とその家族を見せられたなら
隣に座る老人は、どんな素敵な言葉で飾ってくれるのだろうかと思い馳せる。
「ーーーありがとう」
嬉しい。
そう感じるのは何年ぶりだろう。
私は目の前で日に照らされ光る石ころを見つめ
ゆっくりと目を閉じた。
またいつか、どこかで。