婚約解消されたご主人のために人間になったのに、猫に戻れと言われました。
エルレイン・フォーサイト。17歳。
伯爵家に生まれた彼女は、今日。
「エルレイン。君との婚約を、解消させて欲しい」
同い年の婚約者・ラキリオに、婚約解消を言い渡された。
あまりにも突然のことに、エルレインはびっくりびっくり。
「まあ! これが噂に聞く婚約破棄というものですか!?」
「身に覚えのない罪をきせられたりするのでしょうか」
「まさか、追放もですか」
そういった物語でも読んだのだろう。
わくわくどきどき、といった様子で、物騒なことを言い始める。
ラキリオはといえば、諦めた様子でため息をついている。
彼らは、年齢が二桁に満たない頃からの婚約者。
だからラキリオは、エルレインのこういった面を、よく知っているのである。
婚約を解消すると言われたのに、ショックを受けることもなく、目を輝かせ、ふんすふんすと「こんな展開になるのでしょうか」と盛り上がるエルレイン。
膝に乗る愛猫・ルークを撫でることも忘れない。
よく手入れされた、グレーの、ツヤのある毛並み。
ルークは、二人の婚約前からエルレインに溺愛されている雄猫だった。
「エル……。君はやっぱり、僕には興味がないんだね」
「ラキリオ様?」
「親同士が盛り上がって勝手に決めた婚約者とはいえ、僕なりに、君を大事にしようと思っていたんだ。けど、君は、猫、猫、猫……。今も僕の話をなんとも思わずに盛り上がって、猫を撫でている」
「はあ……」
「もう、つらいんだ。終わりにしよう、エル」
そう話すラキリオは、苦しそうで。
けれどエルレインは、
「……はい。わかりました。婚約解消、受け入れます。今までありがとうございました」
と平気な様子だ。
ぺこりとお辞儀をすると、ルークを抱いて部屋から出て行った。
その晩。愛猫のルークは、エルレインと同じベッドに入りながら考える。
自分のせいで、ご主人が婚約破棄されてしまった、と。
ルークは、主人のエルレインに大層愛されており、本人……本猫にも、その自覚があった。
自分に愛情を向けるあまり、婚約者に愛想をつかされてしまった、大事な大事なご主人様。
貴族に飼われる猫として、ルークも貴族社会のことはなんとなくだが知っていた。
この年齢で婚約破棄された、変わり者の主人。
今からよい相手を見つけるのは、難しいだろう。
ルークは、主人の幸せを願っている。
自分のことを、心から愛し続けたくれた、主人の幸せを。
ああ、そうだ。
ルークは、思いついた。
自分が、主人と結婚すればいいのだ、と。
主人に愛される自分が人間の男になれば、きっと上手くいく。
互いに大事にし合う、よき夫婦となれるだろう。
ルークは、願う。
自分を、人間にしてください、と。
***
翌朝、エルレインのベッドには、ベッドの持ち主であるエルレインと、全裸の男がいた。
目を覚ましたエルレイン。流石の彼女も、これには驚いて悲鳴をあげた。
「きゃああああああっ! だだだ、だれ、誰なんです!? 私になにを……!?」
その声を聞いて目を覚ました男は、眠たそうに目をこすりながらも、起き上がる。
「……ご主人! 俺です! ルークです! ご主人のために人間になりました! 俺と結婚しましょう!」
突然現れた全裸の男。その正体は、エルレインの愛猫・ルークだった。
願いが叶ったルークは大はしゃぎ。
その場で主人に結婚を申し込んだ。
エルレインは、自分を溺愛している。
だから、人間になったことも、結婚できることも、エルレインは喜んでくれる。
ルークは、そう信じて疑わなかった。
しかし、現実は非情なもので。
「えっ……。嫌です」
「えっ……? どうしてですご主人! 俺のこと大好きじゃないですか! あっ、本当にルークなのか疑ってるんですね! なら……!」
ルークは、愛猫の自分でないと知りえない話をたくさんした。
その間に、全裸でいるなと毛布を巻きつけられたりしつつも、とにかく話した。
自分がルークだと、信じて欲しくて。
いくつもの話を披露すれば、エルレインは目の前の男がルークだと信じた。
ルークを溺愛していたエルレイン。
愛猫でなければ知るはずのないエピソードが、たくさんあるのだ。
「……本当に、ルークなのですね」
「ご主人……! そうです! ルークです! ご主人、俺と結婚しましょう!」
「嫌です。猫に戻ってください」
「ルークですよ!?」
「猫に戻ってください」
「うええん……」
せっかく人間になれたのに、これである。
あまりのショックに、ルークはぐすぐすと泣き始めた。
そこに響く、ノックの音。
「エル。朝早くにごめん。昨日のこと、ちゃんと話したくて」
名乗りはしなかったが、ラキリオの声だ。
昨日の昼間に婚約解消を申し出た男である。
今更なんの用だというのか。
いつもならどうぞと返すところだが、エルレインは迷った。
だって、自分の部屋には全裸の男――毛布で肌を隠しているが、全裸である――がいるのだから。
返事に困っていると、
「エル? あんなことを言った直後に押しかけるなんて、困らせてしまったかな」
とラキリオ。
エルレインは、確かに困っている。
ラキリオが思っているのとは、違う方向に。
「ごめん。どうしても君と話したいんだ。開けるよ」
そう言って、ラキリオは扉を開けてしまった。
ラキリオの視界に飛び込んだのは、毛布を巻かれた見知らぬ男と、ベッドに乗ったままの婚約者。
「えっ……」
ラキリオの表情が、凍った。
エルレインとラキリオの婚約は、盛り上がった親が勝手に取りつけたものだった。
けれどラキリオなりに、エルレインに歩み寄ろうとしていたのだ。
しかし彼女は猫ばかり見ている。
婚約から10年近く経っても、全く自分のことを見てくれない。
流石に寂しくなったラキリオ、互いのために、婚約解消を考えた。
そして、エルレインに承諾され、晴れて自由の身。
のはずだったのだが。
婚約を解消してから、ラキリオの心を埋め尽くしたのは、後悔だった。
確かに、エルレインは変わっているし、猫のことばかりで、婚約相手のことなんて全く見ちゃいない。
けれどラキリオは――そんな彼女に、心惹かれていたのだ。
彼女が自分を見てくれなくても。1番に愛してもらうことなどできなくても。
自由な彼女を、近くで見ていたかった。
解消を告げてから自分の気持ちに気が付いたラキリオ、エルレインと話し合おうと彼女の部屋にやってきた。
そうしたら、毛布ぐるぐる全裸の男の登場だ。
気分は最悪である。
「僕は……君は猫にしか興味がないのだと……思って……。他に男がいたなんて」
婚約解消の翌日、相手が部屋に男を連れ込んでいたのだから、そりゃあもう、つらくてたまらない。
あまりのことに、ラキリオも床に座り込み、ぐすぐすと泣き出してしまった。
二人の男が泣いている。
元婚約者と、元愛猫が、自分の部屋で、揃って泣いている。
これには、エルレインもおろおろするしかない。
とりあえず、エルレインはラキリオに話しかけた。
「ラキリオ様。話したいこととは……?」
ラキリオは話した。
自分の気持ちに気が付いたこと。
1番じゃなくてもいい、自分を見てくれなくてもいいから、一緒にいたいと思っていることを。
それを聞いたエルレインは、やっぱりびっくりびっくりで。
「……では、ラキリオ様を婚約者だと思っていいのですか?」
「え?」
今度はラキリオが驚いた。
思っていいもなにも、10年近く婚約者をやっていた。
どういうことなのかと聞けば、エルレインは話し出す。
「親が勝手に決めたこと、でしたから……。私はてっきり、ラキリオ様が無理をなさっているのかとばかり。本当は嫌なのに、婚約を解消できずにいるのではと」
「ええ……?」
「婚約解消でも、お飾りの妻でも、愛人をお作りになっても。ラキリオ様のお心のままにしていただければと。そう思いながら過ごしてまいりました」
「そ、そうだったんだ……?」
「はい……。そんな具合でした……」
「「……」」
ずっとすれ違っていたことを認識し、黙りこくる二人の耳に届くのは、ルークの泣き声。
「そうだ、その男は!? エル、誰なんだこの男! 君の方が男を作っていたんじゃないのか!?」
「そ、その人は……。ルークです」
「ルーク? ルークは猫だ。いくらなんでも、それはくるし、い……」
二人の会話を聞きながら、ルークは考えていた。
自分の役目は、終わったのだと。
すれ違いが発覚し、互いを大事に思っていたことが判明した二人。
彼らはこれから、婚約者として、夫婦として、歩んでいくのだろう。
人間のルークは、もうお役御免なのだ。
ルークは願う。
もういいみたいだから、猫に戻してください、と。
そうすれば、ぽんっと音を立てて、猫に戻った。
急に男がいなくなり、ぱさっと落ちた毛布の中からは、猫が一匹。
つやっつやのグレーの毛並み。間違いなくルークである。
「……ルークだ」
「ルークです。さっきの男も、この子も、ルークです。婚約解消された私を心配し、人間になって結婚しようと考えたみたいです」
「嘘みたいな話だけど、君たちの仲の良さを知っていると、否定できないよ……」
ラキリオはルークを抱き上げて、長い長い溜息をついた。
エルレインとラキリオの婚約解消騒動は、これにて決着。
今更ながらも、二人は婚約者として歩み始めた。
ルークは、今日も特等席で――主人の膝に乗って、撫でられている。
世話の焼ける主人だ。
そう思いながら、猫のルークはくああと欠伸をした。