腐りきった世界の片隅に花束を
R15は保険です。
少しだけ残酷描写があります。
終わった世界。
すべての電子機器がその役目を終え、空にはぶ厚い雲が広がる。
太陽はもう何年もその姿を人々に見せてはいない。
地上は薄暗く、海は枯れ、砂と灰にまみれて風化した砂塵が吹き荒んでいた。
そんな退廃した世界。
文明が終わりを迎えて早15年。
生き残った人々はただ怠惰に、自堕落に、絶望的に、諦めをもって、残りの人生を過ごそうとしていた。
新たに生まれた子供たちを残して……。
「ねえねえ、お兄さん」
ぼろ切れを纏った1人の少女が風化寸前の建物に背を預けてしゃがみこんでいる男に声をかけた。
「……あ?」
裸足の少女とは違い、しっかりとした靴を履いた男はやはり薄汚れたぼろ切れを外套代わりにしていた。
男は無表情で、頬がやつれて目は落ち窪んでいたが、目の奥にはぎらりとした粗暴さが窺えた。
「春を買いませんか?」
少女はそんな男に向かって纏っていたぼろ切れを取り去ってみせた。
その下には何も着ておらず、少女の裸体が男の目に映った。
「……悪いが、そんな趣味はねえ」
男は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに元の表情のない顔に戻りうつむいてしまった。
「……そっかぁ」
少女は少しだけ残念そうに呟くと、全裸のままで今度は小さな果物ナイフを突き付けてきた。
「なら食べ物か、引き換えになりそうなものを頂戴。
そうしたら殺さないであげる」
「……」
優しく微笑むように囁いた少女に対して、男は外套の中に着たジャケットの内ポケットに手を入れ、そこから取り出した銃を少女に突き付けた。
「……悪いが、そんな趣味はねえ」
銃口を突き付けられた少女は男が持つ銃を見て嬉しそうに飛び上がった。
「わぁ!
銃なんて持ってるんだ!
お兄さんすごいね!
旧世代から奪ったの?」
少女は銃を向けられているというのに、その顔にはいっさいの恐怖の色が見えなかった。
「……これは親父のだ」
男は無邪気にはしゃぐ少女に顔色ひとつ変えずに、ぽつりとそれだけこぼした。
「そっかー。
お父さんは元気ー?」
「……死んだよ。
灰になってな」
「……そっかー」
男の呟きに、少女は少しだけ悲しそうに眉を下げた。
男はその隙に撃鉄をガチャリと下ろした。
「……ガキを殺る趣味はねえが、みすみす殺される趣味もねえ。
今なら見逃してやるから、さっさとどこかへ失せろ」
「……ふーん」
少女は自分をじろりと睨み付ける男の目をじーっと見つめた。
「……お兄さんって、旧世代?」
「……世界が終わったのは俺が6つの時だ。
だから一応、旧世代の括りになる」
「すごい!」
男の返答に、少女は嬉しそうにはしゃいだ。
「旧世代なのに、お兄さんは新世代に順応したのね!
そんな人初めて!」
「……おまえらには分かるのか?」
きゃっきゃっとはしゃぐ少女に男は少しだけ興味を抱いたようだった。
「んー、たぶん、分かるのは私ぐらいじゃないかなー。
そもそも、私たちは旧世代のことを搾取するエサぐらいにしか思ってないから、そんなに興味ないし」
「……そうか。
まあ、たしかに旧世代ならそんな果物ナイフでもおまえらには敵わないだろうからな」
世界が終わった日を生き延びた者を旧世代。
そのあとに生まれた者を新世代と呼んだのが誰かは分からない。
だが、いつの間にかそれは皆の共通認識となっていた。
世界全域を覆うほどの巨大な磁気嵐。
すべての電子機器は破壊され、あらゆる爆発が起き、文字通り世界は終わりを告げた。
そしてそれは、人類にも大きな影響を与えた。
世界崩壊後に生まれた新世代は旧世代よりも圧倒的に身体能力が高かったのだ。
旧世代との差は、赤子が大人の首を絞められると言ったレベルだった。
また、世界が終わった日を生き残った人々はいずれその体が灰となって朽ちることが分かった。
何とか復興させようと奮闘していた旧世代たちはその時点で世界と自分を諦めた。
自ら命を絶った者も大勢いたが、大部分はただ絶望しながらその時を待つだけになった。
自分が灰になるその時を。
だが、それでもやはり人間にも本能はある。
自堕落で怠惰で、色に溺れる者も多かった。
その結果、新世代たちは数を増やしていった。
中には我が子を大事に育てようとした者もいたが、ほとんどは産んでは棄て、産んでは棄ての繰り返しだった。
そして、棄てられた子は他の新世代に拾われて育つ。
やがて旧世代はこの世界から完全に消え去り、退廃したこの世界に適応した新世代による世界が始まるだろう。
今はおそらく、その転換点。
「でも、お兄さんは新世代になった。
こんなのは初めて!
たしかにお兄さんなら、その銃で私を殺せるかもね?」
「……!」
少女は微かに妖艶な笑みを見せた。
この少女は見た目通りの年齢ではないのではないか?
男がそう思っても無理からぬほど、それは色香を漂わせた笑みだった。
とはいえ、それに欲情するほど分別がないわけではない。
男はその場を去ろうとしない少女に狼狽しながら立ち上がり、自分がどこかに消えようとした。
「……なぜついてくる?」
が、少女はそんな男の後ろをてくてくとついてきた。
ぼろ切れを肩に掛けているだけで、布の隙間からは少女の肢体がチラチラと覗いていた。
「お兄さんに興味を持ちました。
私を買わず、殺す手段を持ちながらも殺さなかった人はママ以外では初めてなの。
それに、その身なりに武器。
なんかいろいろ面白そうなので、ついていこうかなって」
少女は満面の笑みで男の問いに答える。
「……母親がいるのか。
帰る所があるなら帰った方がいい」
男は少しだけ悲しいような優しいような顔をしたように見えた。
「……大丈夫。
ママはもういない。
ちょっと前に灰になったから」
「……そうか」
それだけ呟くと、男は後ろを向いたまま銃を撃った。
「ひゃっ!
びっくりしたー」
背後から少女を襲おうとしていた旧世代の男が額から血を流しながら倒れる。
「……助けてくれたの?」
「……おまえにはいらぬ世話だったな」
男は少しだけバツが悪そうに頬をかいて、銃を胸ポケットにしまった。
実際、少女は後ろの男の存在に気が付いていた。
もう少し近付いていれば、少女は躊躇うことなくその男の首に果物ナイフを走らせていただろう。
「…… 」
少女がぽつりと呟く。
それは男が少女から初めて感じた幼さだった。
少女の呟きを砂塵の音にかき消されたことにして、男はザクザクと砂と灰に埋まった大地を進む。
「……」
「……」
少女は男の後ろ姿を眺めたまま立ち止まっていた。
男は振り向かずに立ち止まると、少女に微かに届くように声をこぼす。
「……ついてくるんだろ?」
「……!」
その言葉を耳にした少女は弾けそうな笑顔を見せて男に駆け寄っていった。
「ねーねー、おなかすいたー。
なんかご飯ないのー?」
「……今はない。
帰ればシチューぐらいなら食わせてやる。
その代わり……」
「その代わり何?
私の体で支払う?」
「違う!
俺の仕事を手伝え」
「いーよー!
シチュー大好き!
いぇーい!」
「……即決かよ。
あとおまえ、前は閉じて歩け。
帰ったら服をやるから」
「えー。
こういうのはお嫌いかしら、坊や?」
「……おまえ、ホントはいくつだ」
ここは終わった世界。
砂と灰に埋もれ、ただ崩れ行くのを待つ人々が這いずる世界。
そんな中でも生まれる新たな命。
この世界で生まれた少女と、こんな世界に適応してしまった男。
こんな腐りきった世界の片隅で出会った2人はどんな花を咲かせるのか。
それはまた次の機会に語るとしよう。