79. 予兆
「申し訳ありません。許してください。ごめんなさい」
私は両手と両膝をつき、額まで床につけて、心の底から謝罪した。
怖くて顔が上げられない。
「もう大丈夫。火傷は完治しました」
「……さすが聖女様の奇跡。感服いたします」
「エステル様の不運には同情しますわ。……顔を上げなさい、ダイアナ」
事態を収めてくれたのは、ザターナ様だった。
事故でエステル様のお顔に火傷を負わせてしまった時にはどうなるかと思ったけど、〈聖養〉の奇跡でそれも無かったことに。
本当に聖女様の奇跡には感謝感激だわ……。
「本当に申し訳ありませんでしたっ」
「もう顔を上げてください、ダイアナさん」
私が恐る恐る顔を上げると、緑色の瞳と目が合った。
初めて会った時にも思ったけど、あらためて美しいと思う。
「話の続きですが――」
エステル様が旦那様へと視線を戻すや、途端に目つきが鋭くなる。
「――どんな理由があるにせよ、レイさんが聖女の名を騙り振る舞ったことは事実です。エルメシア教の人間として、非常に遺憾に思います」
レイがカタカタと震えている。
強ばった顔のまま真っ青なんだけど、大丈夫かしら……。
「極秘会談のことは陛下もご存じだ。替え玉の件は、すでに聖塔にも連絡がいっているはず」
「わたくしが問題視しているのは、教団に会談のことを伏せていたことですわ。事前に話があれば、我々も協力できましたのに」
「慣例となっている聖山の儀式を中止にはできんだろう」
「それはそうですが……」
エステル様のお顔が怖い。
エルメシア教の信徒は、信仰心の高い人ほど聖女様を特別視する。
理屈では納得してもらえないのが辛いところね。
「まさか替え玉の件を公にするつもりか?」
「そんなことはいたしません。しかし、わたくしどもの顔も立てていただかなければ困りますわ」
「何が望みだ?」
「本日の〈聖声の儀〉より、ザターナ様のお世話は何事も徹頭徹尾、我々エルメシア教がさせていただきます」
「ザターナを籠の中の鳥にする気か!?」
「そもそも当代の聖女様はエルメシア教と距離があり過ぎたのです。先代までは、わたくしどもがお住まいもお役目もすべてお世話させていただきました。引退後のケアまで含めて」
「何を今さら……!」
「国に認められたエルメシア教の義務と責任ですわ」
なんだかとんでもないことになってしまった。
それって、エルメシア教がザターナ様を完全に監視下に置くと言っているようなものじゃない。
「よろしいですね? ザターナ様」
「かまいません」
えぇっ、即答っ!?
それでいいんですかザターナ様!
「私は私のやるべきことをするだけですし、後のことは任せるわ。ねぇ、お父様?」
「む。そ、そうだな……」
ザターナ様と旦那様が、私へと視線を送ってくる。
もしかして、ザターナ様がバトラックスに戻った後はまた私に聖女を演じろと?
……マジですか。
「ああ、よかった。納得していただけたのですね」
「……不本意だがな」
エルメシア教としては主導権を握りたいのでしょうけど、エステル様もずいぶん強引な理屈で攻めてくるわね。
後見人との関係を悪くしてでも聖女様が手元に欲しいの?
「つきましては、聖女様の護衛は親衛隊の代わりにエルメシア教の聖堂騎士団が行います」
「なんだと!? 親衛隊は留守番でもしていろと言うことか!」
「護衛力ならご心配なく。地方巡礼時、高位聖職者をお守りしている者達です」
「聖女を狙って国境に現れた賊は騎士団に入り込んでいた。身元が明らかでない者の警備は遠慮願いたい」
「無礼な! 信徒の中に、聖女様に害成す不届き者がいるとおっしゃるの!?」
エステル様が顔を真っ赤にして声を荒げた。
この方、けっこう沸点が低いのね……。
「成りすましほど厄介なものはないと言っているんだ」
「よくもそんなことを! 親衛隊すら替え玉で聖山へよこしたくせに!」
あ。そっちの方もバレていたのね。
屋敷で見かけなかったけど、替え玉を務めてくれた日の下自警団の皆さんはどうしたのかしら。
彼女の態度を見る限り、とっくに追い出されていそうだけど……。
「……わかった。半分折れる」
「半分っ!?」
「新世界秩序やバトラックスの件もあって、今年の〈聖声〉は例年よりも厳重な警戒を求められる。娘の監督は教団に委ねるが、護衛に親衛隊を外すことだけは認めない」
旦那様がエステル様へと凄んだ。
周りにいる親衛隊の五人も、一緒にエステル様に圧力をかけているわ。
「……わかりました。ただし、親衛隊は四人までとさせていただきます」
「なぜだ」
「おひとり、ザターナ様の警備に相応しくない方がいますの」
その時、旦那様と親衛隊の四人が一斉にある人物を見た。
……私もだけど。
「な、なんでみんなして僕を見るっ!?」
アスラン様が憤慨する気持ちもわかるわ。
けれど、ごめんなさい。
今の話の流れだと、どうしてもあなたを見ちゃうの。
「アスラン様ではありませんよ」
「では、誰のことだと言うのだ?」
「彼――いいえ。彼女です」
エステル様は、あろうことかアルウェン様を指さして言った。
「なぜ私が相応しくないのですか!」
「あなたがザターナ様との幼馴染であると密告がありました。ザターナ様に近い関係者は指揮系統を乱す可能性がありますので、外れていただきます」
「なっ……」
「話は以上です!」
エステル様は一方的に話を切り上げてしまった。
アルウェン様は眉間にしわを寄せて、らしくない表情で彼女を睨みつけている。
〈聖声の儀〉の直前にこんなことになるなんて……。
それにしても、誰がそんな密告をしたのかしら。
アルウェン様がザターナ様と幼馴染だと知っている人は、それほど多くないと思うけど。
◇
その後も応接間では口論が続いた。
アルウェン様が引き下がるわけもなく、口論が加熱してきた矢先、私とレイは外へと追い出されてしまった。
「大丈夫、レイ?」
「は、はい……」
レイが倒れそうになったので、私は肩を貸してあげた。
カーバンクルちゃんがレイの腕から逃げるようにして、廊下へと着地。
そのままトコトコとどこかへ行ってしまった。
……お昼も近いし、きっと食堂に飴玉を探しに行ったのね。
「レイ。ザターナ様の替え玉、よく成し遂げてくれたわね」
「聖山では上手くやれていたんですけど、まさか屋敷に戻ってからこんなことになるなんて……」
「仕方ないわ。こういうこともあるわよ」
「ザターナ様にご迷惑をおかけしていなければいいのですけど」
「大丈夫。きっとザターナ様も評価してくれているわ」
「ありがとうございます。ところで……あなた、どちら様です?」
あれっ?
そうか、ダイアナとしてレイに対面するのは初めてなんだっけ。
「……お顔、ザターナ様に似ていますね」
「あー。よく言われます」
「なんだろう。不思議と初めて会った気がしませんね」
「そんなことありませんよっ。初めまして私ダイアナッ!」
それから少しして、ソロさんがレイを迎えに来た。
ソロさんともダイアナとしては初めてお会いするから、素っ気ない挨拶を交わしただけでお別れしたけど……なんだか寂しい。
私の交友関係って、すべてザターナ様としてのものなのよね。
思えば、ダイアナとしての知り合いってぜんぜんいない。
私は深い溜め息をつきながら食堂へ向かった。
その途中、廊下で同僚の子に腕を掴まれた。
「ダイアナ、ちょうどよかった。買い出しを手伝って!」
「え? 今、買い出しに行くの?」
「メイド長から、応接間へ紅茶とケーキをお持ちするように言われたの。でも、紅茶の葉もケーキも余りがなくて」
「わかった。手伝うわ」
〈聖声の儀〉までもう時間がないけど、私は快く引き受けた。
気分転換にちょうど良さそうだし、何より彼女が困っているのなら手を貸すのはやぶさかではないわ。
ダイアナと親しい人なんて、替え玉の件を知っている人以外では、同僚の子くらいだもの。
◇
それから子爵邸から最寄りの商店街まで足を運んだ。
「はぁ。なんだかなぁ~」
「どうしたの?」
「聞いてよダイアナ。なんだかザターナ様の雰囲気が変わっちゃったの」
「え」
私はそれを聞いてドキリとした。
雰囲気が変わったって……本物に戻っただけなんだけど。
「お優しかったザターナ様が、なんて言うか……少し前の怖いザターナ様に戻っちゃった感じなのよ」
「そ、そそ、そうかなぁっ!?」
「聖山から帰ってこられてから急によ? 向こうで何かあったのかなぁ。応接間で何を話しているのか知らないけど、司祭長が激おこだしぃ」
「な、なんだろうねぇ~」
「メイド長だったら何か知ってるかと思って聞いてみても、聖山では何も変わりなかったって言うのよね」
「? どうしてヴァナディスさん?」
「あ、ダイアナは知らないか。メイド長、ザターナ様のお供でバプティス聖山まで行っていたの」
知らなかった。
ヴァナディスさん、レイについて聖山へ行っていたんだ。
あの当時は、旦那様も私が聖山に行っていると思っていたのよね。
お目付け役として同行するよう言われていたのかな。
「商店街に着いたわ。私はケーキ、あなたは紅茶! ちゃんとメモした茶葉を買ってくるのよ!」
「大丈夫よ。子供じゃないんだから」
「……心配だから言ってんのよ」
同僚の子と別れた私は、さっそく茶葉を取り扱っているお店を探した。
しばらく商店街を歩いていると――
「お嬢さん、ちょっといいかい?」
――シルクハットをかぶった紳士風の男の人に声をかけられた。
「私のことですか?」
「そう。きみだよ、きみ。個性的な髪の色だねぇ~」
「これは生まれつきで……」
「個性的なのはいいことだねぇ。俺、髪の色が個性的な子は特に気にかかるんだよなぁ~」
……何この人。
見た目に反して、ずいぶん浮ついた雰囲気の殿方ね。
もしかしてこれってナンパというものかしら?
「……」
「そう警戒しなさんな。きみ、トバルカイン子爵んとこのメイドだろぉ~?」
「どうしてそれを?」
「さっきまで一緒にいた子、子爵家のメイドだよなぁ。前に見かけたから知ってんだよぉ~」
「ご用があれば、直接お屋敷の方へお訪ねくださいませんか?」
「釣れないねぇ。まぁいいや、本題に入ろうかぁ~」
……あれ、この人。
思い出せないけど、以前にどこかで見たことがある気がする。
どこだったかな。
どこかのパーティーだったような。
「グリーンドラゴンを知ってるかい?」
「……!」
その言葉を耳にして、つい目を丸くしてしまった。
私の反応を見て、彼はにぃ~っと不気味な笑みを浮かべる。
「知っててくれてよかったよ。使用人には伏せられているかと思ったからなぁ~」
「な、なんのことでしょうか」
「今さらごまかすなって。子爵から信用あるって証だろぉ~?」
「もちろんですっ」
ごまかすためにも、ここは否定するべきだったかしら。
でも、嘘でもそういうことは言いたくないのよね。
「最恐最悪の殺し屋――グリーンドラゴンがおたくのお嬢さんの命を狙ってるって、子爵に伝えてくれないかねぇ~」
「殺し屋って……なんです突然、物騒なっ!」
「俺ぁ……そうだな、情報屋ってことで」
「情報屋?」
「最近、雇い主の方でいろいろあったらしくてねぇ。どうやら俺、雇い止めみたいな状態になっちまってるわけよぉ~」
「……なら、新しいお仕事を探してください」
「そうするつもりさぁ。でも、その前に最後にひと稼ぎしたくてねぇ。最後に残ったこの情報を、おたくのご主人に買ってもらおうってわけさぁ~」
グリーンドラゴンを知っているなんて、何者なの?
まさかバトラックスの人?
……この人の話に乗っていいものか。
でも、グリーンドラゴンの存在は捨て置けないわ。
「条件をどうぞ。旦那様にお伝えします」
「いい判断だぜぇ、お嬢さん」
彼は私に顔を近づけるや、小声で話し始めた。
「やつは、すでにおたくらの近くに潜んでいるぜぇ。きっとあんたも顔を合わせているだろうなぁ~」
「……嘘でしょう」
「信じるか信じないかは、おたくら次第。子爵以外には内密になぁ~」
「あなたはそれが誰か知っているのですか?」
「さぁてねぇ。とりあえず今日の正午、ここに10万エル持ってきておくれ。話はそれからさぁ~」
そう言って、私に丸まったメモを握らせてきた。
メモを開いてみると、どこかの区画を示す地図が書かれている。
「これってどこ――」
私が顔を上げた時には、シルクハットの男性の姿はどこにもなかった。