77. 黒髪の秘密
ザターナ様がお目覚めになられた。
三日三晩、高熱にうなされていたのに、今はもうケロッとしている。
毒の後遺症もないみたいで、ホッとしたわ。
「だいぶ迷惑をかけたみたいね」
「いいえ。そんなことありませんよ!」
「あんたが看病してくれたの?」
「はい。三日間も目を覚まさなかったので心配しました」
「……なんでそこの床、濡れてるの?」
「あははっ。さっきお湯をこぼしちゃって」
「ドジなのは相変わらずね」
ザターナ様は呆れたように笑うと、ベッドから降りようとした。
その時、お腹の傷が痛んだのか、包帯の上から傷口を押さえて苦い顔に……。
「いけません、ザターナ様! まだ傷口は塞がってないってお医者様が――」
「我が身を……清めたまえ……」
ザターナ様は包帯を撫でながら、ぼそっとつぶやいた。
すると、彼女のお腹周りに優しい光がキラキラと現れる。
その光が消えた後、彼女が包帯を取ると……。
「あっ。傷が……」
すごい。
まるで何もなかったかのように傷が消え去ってしまった。
お医者様は傷痕が残るかも、とおっしゃっていたのに。
「ザターナ様が診療所でも開いたら、お医者様はみんな廃業ですね!」
「……国中の医者から恨まれるなんて冗談じゃないわ」
ザターナ様はベッドから降りるや、黙って見守っていた旦那様へと頭を下げた。
「ご心配をおかけしました。お父様」
「戻ってきてくれて嬉しい。ザターナ」
「私が再びセントレイピアの地を踏んだのも、きっと運命なのでしょうね」
「〈聖声の儀〉は今日だ。……どうする?」
「どうするも何も、女神の言葉を国民に伝えるのが聖女の義務ですから」
「嫌ではないのか?」
「まさか。でも、先日申し上げた通り、私にはもう聖女の資格はありません。だから、今日の〈聖声〉を最後に……私はバトラックスへ戻ります」
「決意は固いようだな」
「ごめんなさい、お父様。でも、今のバトラックスは私を必要としています。そして、私にはあの国と共に生きていく責任があるのです」
ザターナ様の強い意思。
旦那様は苦笑いを見せ、返事を考えあぐねているようだった。
しばらくして、旦那様がおっしゃったのは……。
「……娘が嫁いでいく心境とは、こういうものなのかな」
「まぁ、お父様ったら。私、20歳までは結婚なんてしませんよ」
「その頃には、国境を平和的に越えられるようにせねばな」
「そうすることが私の使命です」
「私も外交官として、力の限り協力しよう」
「ありがとう。私の結婚式には必ず招待しますから」
旦那様は気恥ずかしそうに笑った。
彼が照れているところなんて初めて見たわ。
「ザターナが目覚めたこと、他の者にも伝えてくる」
旦那様は私を一瞥した後、お部屋から出て行かれた。
「……ああ言っておいてなんだけど、あたし結婚なんて想像できないわ」
「ザターナ様なら引く手あまたでは?」
「あんた、あたしを演じていたならわかるでしょ? つまらない男が嫌と言うほど寄ってくる現実。何通お断りの返事を書いたことか」
「飛んで火に入る夏の虫って諺もありますもんね」
「……虫は嫌よ」
間を置いて、私とザターナ様は笑った。
とても他愛のない話。
だけど、こうやって気楽にお話できるなんて嬉しい。
友達?
姉妹?
私はずっとこんな関係に憧れていた。
それなのに。
だからこそ。
ザターナ様と今日でお別れするのが……切ない。
◇
ザターナ様の沐浴が終わるのを待って、私達はお屋敷へと戻ることになった。
軍服を脱いでドレスに袖を通した彼女は、私の思い描く聖女像にピタリ一致するほど綺麗だった。
でも、ひとつだけ気に入らないところがあるのよね。
「ザターナ様」
「何?」
「髪の毛、ポニーテールになされてはいかがです」
「なんで?」
「その方が……ザターナ様らしいっていうか……」
「あっそ。まぁ、こっちにいた頃はポニーだったしね」
ザターナ様はツインテールに結んでいた髪を解いて、ポニーテールに結び直してくれた。
うん。やっぱりそっちの方が似合っているわ!
「これ、あげる」
「えっ。よろしいのですか?」
「あんたのポニーテール、似合ってたからね」
「ありがとうございますっ」
私はザターナ様から余った結び紐を受け取った。
紐の色は赤。
金髪に映える色だけど、私みたいな黒髪には合うのかな。
「あと前髪も上げておきなさい。その方が可愛いんだから」
「でも旦那様が……」
「いいのよ。あたしの言うことが聞けないの?」
「聞きますっ!」
私はザターナ様の言う通りに髪を上げて、いただいた紐で髪を結び直した。
その後、ザターナ様と並んで鏡を覗いてみたら……。
「本当そっくりですね、私達」
「身長はあたしの方がちょっとだけ高いみたい。やっぱりあたしの方がお姉さんね」
「そうですね、ぉねぇ……ちゃん」
「何?」
「な、なんでもっ」
「もう一度言ってみなさいよ~」
ああ、楽しい。
幸せ過ぎて……また離れることになるなんて、信じたくない。
◇
私達が医療院を出ると、馬車の前に旦那様と親衛隊のお姿が。
ちょっと待たせちゃったかな……。
ザターナ様は親衛隊の前で足を止めると、五人のお顔を見渡し始めた。
「あらためてご挨拶を。ザターナ・セント・トバルカインと申します。先日は私達を守っていただき、感謝の言葉もありません」
そういえば、ザターナ様と親衛隊は挨拶もまだだったわね。
「ルーク様、お久しぶりです。陛下のお誕生日パーティー以来ですね」
「俺のことを覚えていてくれたのですね、ザターナ嬢」
「もちろん。前にお会いした時より、澄んだ目になりましたね」
「えっ」
「以前は腹に一物あるのが丸わかりでしたけれど、今はもう心が晴れたようですね。誰のせいかしら」
「そ、それは……っ」
ルーク様が珍しくたじたじになっているわ。
ザターナ様の歯に衣着せぬ物言いに動揺しているみたい。
「アトレイユ様とは、お顔を合わせてお話するのは初めてですね」
「お話できて光栄です、ザターナ嬢。誠心誠意、あなたの安全に努めて――」
「そんなに気張らなくていいですよ。命懸けで聖女を守るぞーとか、そういう暑苦しいの苦手なんです」
「は、はぁ」
「私は無茶をするつもりはないし、あなた達にそれを強要することもありません。気楽に参りましょう」
「わかりました……」
アトレイユ様がきょとんとしている。
私との会話の落差に衝撃を受けたのかしら。
「ハリー様ともお話するのは初めてですね。たしか生まれ年が同じだったかと」
「僕のことを知っておいでとは、感激ですザターナ嬢! それにしても……」
「どうしました?」
「いえ。本当に聖女様からは百合の香りがするんだなと」
「ふふふ。そういう気持ち悪いことは口に出さない方がいいんじゃない?」
「あっ。あぁ……っ!!」
ハリー様のお顔から、見る見る血の気が引いていくわ。
まぁ、ザターナ様でなければドン引きする発言でしたものね……。
「アスラン様、でしたね。ペベンシィ家のご次男だとか」
「……そんなにジロジロ見て、僕が場違いとでも言いたげだな」
「髪はボサボサ。服もチグハグ。貴族令息なら、もっとシャンとなさいな」
「な、なんだとっ」
「その顔の火傷痕だって、化粧をすれば目立つこともなくなるわ。あとで教えて差し上げます」
「……そ、そんなに教えたいのなら、教わってやるさ……」
アスラン様ったら、ザターナ様を前にして明らかに気圧されているわね。
彼にとっては苦手なタイプなのかしら。
「たくましくなったわね。見違えたわ、アルウェン」
「きみを守りたいという一心でここまできた。また傍にいられて嬉しいよ」
「それはあたしを? それとも……」
「きみと一緒にエル銅貨を投げ込んだあの頃と、私の気持ちは変わっていない」
「ふぅん、そう。……それもいいかもね」
「おかえり、ザターナ」
アルウェン様が、ザターナ様に熱い眼差しを向けている。
念願のザターナ様との再会だものね……。
その時、待ちかねた様子で旦那様が割って入ってきた。
「挨拶はそのくらいにして屋敷へ出発しよう。あと一時間もすれば、屋敷に聖塔からの迎えが来てしまう」
「あのぅ、旦那様。なぜ馬車が二両あるのですか?」
「一両は屋敷へ。もう一両は客人を乗せて魔法用具局へ向かう」
「魔法用具局? ……あっ」
私が窓を覗いてみると、片方の客車にはすでに二人乗っていた。
フラメール様と、イヴァルディ様だわ。
……そうだ。
私、イヴァルディ様にはお訊ねしたいことがあったんだった。
「セントレイピアへの亡命の条件に、イヴァルディさんには魔法用具局で働いてもらうことになったんだよ。フラメールさんには立会人になってもらう」
「アトレイユ様」
「ダイアナは隣の馬車だ。二人を送り届けた後、俺もすぐに屋敷に向かうよ」
「あの。私もこちらの馬車に乗っていきたいのですが」
「えぇっ!? どうしてだい?」
「私達が無事に帰れたのもお二人の協力あってのことですし、お別れの前にしっかりお礼を伝えたくて」
アトレイユ様が困った顔で旦那様へと顔を向ける。
すると、渋々ながら旦那様も首を縦に振ってくれた。
「許可が出た。乗りなよ、ダイアナ」
「ありがとう!」
◇
アトレイユ様が馬車を走らせた。
私の隣には、護衛としてルーク様が。
向かいの席には、フラメール様とイヴァルディ様が座っている。
私は肩で丸まっているカーバンクルちゃんを撫でながら、さっそくイヴァルディ様に訊ねてみることにした。
「イヴァルディ様は、私の黒髪を見てわくわくの民とおっしゃいましたよね?」
「わくわく? ……ああ、いつぞやのワークワークの話か」
……ワークワーク、でしたか。
恥ずかしい。
「お嬢さんの黒髪は自前のものかね?」
「はい」
「ならば、ワークワークの民に違いあるまい。まぁ、顔を見る限りこの地方の人間の血も混じっているのだろうが」
「そのワークワークというのは、たしか東の果てにある島国だとか」
「そうだ。俺も伝聞でしか知らんが、民は黒髪のみで、女王が統治する自然豊かな国があるという」
「黒髪の女王……」
その言葉を聞いて、私はハッとした。
いつぞや、図書館で呼んだ本のことを思い出したから。
「私、以前に魔法時代の人物が紹介されている本を読んだことがあるのですが」
「それはまた珍妙な本だな」
「そこに、魔除けの眼を持つ漆黒の女王、とありました。見出しくらいしか読めませんでしたが、もしやそれがワークワークの女王様では?」
「知らんよ、そんなもん」
……ですよね。
魔除けの眼は白虹眼のことだろうし、漆黒の女王様が黒髪だったら、私のご先祖様かなーと思ったんだけど。
肩を落とした私に、フラメール様が話しかけてくる。
「名はあったのかい?」
「え?」
「その漆黒の女王の名は書かれていたのかい?」
「あ、はい。たしか……エテン・ナギ、と」
私がその名を口にした途端、フラメール様が目を丸くした。
かと思えば、突然泣き出してしまったので、驚いて言葉が出ない。
「フラメール様? だ、大丈夫ですか……?」
「ナギ様じゃ」
「え?」
「初めておぬしの白虹眼を見た時にも思うた。ナギ様に似た目をしておると。そうか……わしが知るあの方は白髪じゃったが、若かりし頃は黒髪でもおかしくはない」
「ご存じなのですか!?」
途切れかけた手がかりが現れて、私は思わず身を乗り出した。
そのせいでカーバンクルちゃんが肩からポトリと落ちて、びっくりした彼は玉のように丸まってしまった。
そんな白玉ちゃんを、フラメール様がそっと撫でる。
「道理でこやつが懐くわけじゃ」
「どういうことです?」
「漆黒の女王エテン・ナギ様こそ、カーバンクルの創造主なのじゃよ」
「創造主……」
「そして、魔法時代から黄金時代にかけて栄えた古代マゴニア王国の女王でもある。現在の世の基盤を形作ったお方じゃ」
話が壮大過ぎて、ドキドキしてきたわ。
「もしかして、私ってその女王様の子孫……だったりします?」
「可能性は高いじゃろうな。しかも、黒髪かつ白虹眼の特徴を持つおぬしは、おそらく直系ではあるまいか」
「直系」
「もっともナギ様に近い血の持ち主じゃ。白虹眼の形もそっくりじゃしな」
私が女王様の子孫なら、がぜん期待しちゃう。
冒険小説でそういう役どころの人物は、すごい力を秘めている設定が定番だもの。
「ということは、私には何かすごい力が眠っているということですね!?」
「いやぁ、ナギ様は血筋ですごいわけではないから……それはないじゃろ」
……がっかり。
英雄譚のヒロインのようにはいかないみたい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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