73. 父と娘と
「何、これはっ!?」
総統が――ザターナ様が、アラクネを見上げて驚いている。
……大きい。
私の知るアラクネよりもずっと。
聖都の遺構で戦った女王並の巨躯だわ。
「我が国土で回収された黄金蜘蛛の死骸を集めて、錬金術によって蘇らせた改造生体兵器――ラグナレクだ!」
「なんておぞましいことを……」
「標的は総統だ、行けっ!!」
将軍が指さした先を、アラクネ――もといラグナレクの八つの単眼が凝視する。
進行方向にいた兵士さん達を薙ぎ払いながら、八本脚の怪物がザターナ様へと迫っていく。
あの怪物が、どうして将軍の命令通りに動くの!?
「危ない!」
ラグナレクが前足を振りかぶった時、ザターナ様を赤い軍服の女性がかばった。
とっさに振り上げた大剣で、鋭利な脚の爪をギリギリ受け止める。
彼女のことは見覚えがある。
ギムレーで見た親衛騎団の行進の際、ザターナ様と同じ戦車に乗っていた人だ。
腕章をつけているから、彼女が親衛騎団のリーダーっぽいわね。
「ロヴン!」
「ザナ様……っ。これは危険です! お逃げをっ」
赤い軍服の女性――ロヴンと呼ばれていた――は、かろうじてラグナレクの一撃を受け止めているに過ぎない。
あのままでは直に押しつぶされてしまうわ!
……と思った矢先、ラグナレクの顎がガクガクと動き出した。
「はっ」
ラグナレクが口から発射した糸の塊を受けて、ロヴンさんは吹き飛ばされた。
邪魔者がいなくなり、怪物はあらためて歩を進める。
「人ならざる者よ、静止せよ!!」
ザターナ様がラグナレクへと叫んだ。
ラグナレクはまるで見えない壁にぶつかったように脚を止めて、ギシギシと身を軋ませている。
〈聖圧〉が生体兵器にも効いてくれたのね!
「ふうっ。将軍、よくもこんな怪物を――」
危機を脱したザターナ様は将軍を睨みつける。
でも、彼女はアラクネが顎を動かしていることを見逃していた。
危ないっ!
「んんーんんんーっ!!」
……ああっ、そんなっ!
ザターナ様に注意を呼びかけようにも、猿轡のせいで声が出せない!
「!?」
アラクネの撃ち出した糸の塊が、ザターナ様のお腹をかすめた。
幸い直撃は避けられたけど、軍服が破れてお腹に裂傷が!
「しまった……っ」
ザターナ様が苦悶の表情を浮かべて片膝をついた瞬間――
「んんっ!?」
――私は体が動くことに気がついた。
ザターナ様が傷を負われて、〈聖圧〉の効果が途切れたんだわ。
突然動けるようになったことで、周囲には戸惑いの声が上がる。
そんな中、ラグナレクはザターナ様を追いかけ始めた。
「愚か者め。動きを封じただけで御しきれる相手ではないわっ」
将軍の嬉々とした声が聞こえてくる。
なんて憎たらしい……!
「親衛騎団、ザナ様を死守しろっ!!」
ロヴンさんの声が響き渡った。
すぐに親衛騎団の面々がザターナ様の盾になろうとしたけど、誰一人時間を稼げずに薙ぎ払われてしまう。
リーダーのロヴンさんも、怪我をしていて満足に動ける状態じゃない。
「我、敵を見極めたり!! 王国騎士団に命じる――」
その時、びっくりするほど大きな声が轟いた。
「――親衛騎団に助勢し、あの蜘蛛の化け物を討伐せよ!!」
それは、ロムルス第一王子殿下の声。
彼の号令のおかげで、混乱していた騎士団が統率を取り戻した。
王子殿下を先頭に、騎士団のみんながラグナレクへと斬りかかっていく。
「騎士団の好きにさせるな! 親衛騎団も黙らせろ!!」
将軍が声高に命じる。
この瞬間、王国騎士団と親衛騎団が共闘して、将軍配下の兵士さん達とぶつかる構図が確定した。
「ちぃっ。共闘とは厄介な」
「会談の混乱に乗じた総統暗殺。目論見が外れたようね、将軍」
「ふん。ラグナレクの真の力を知れば、顔色が変わるぞ」
「ご心配なく。次は糸を吐けないように〈聖圧〉します」
「それでは足りんなぁ。ラグナレクは聖女の奇跡をも凌駕する力がある!」
将軍の言葉で、私は思い出した。
アラクネがそうだったように。
ラグナレクにも、あの恐ろしい力があるのでは……?
ちょうどその時、ラグナレクの八つの目が真っ白い輝きを放った。
稲光のような青い光が、その巨躯を走り始める。
私は過去の恐ろしい光景を思い出して、とっさに円卓の裏に身を屈めた。
直後、轟音と共に尋常ではない振動が建物を襲った。
「……っ」
間もなく揺れが収まった。
ボロリと崩れ落ちた円卓の端から、恐る恐る顔を出してみると――
「……!!」
――私は唖然とした。
ラグナレクを中心に、四方へと深い亀裂が会議室に走っている。
それは天井や壁にまで及び、大きな亀裂から太陽光が差し込んでくるほど。
騎士団も、親衛騎団も、将軍配下の兵も、その場にいたほとんどの人間は荒れ果てた床の上に倒れていた。
立っているのは……ザターナ様と将軍、そしてトールくんとスキルニルさん。
まさか他の人達はみんなやられてしまったの!?
「雷……!?」
「そうだ。これこそ大いなる神の力! これに比べれば、聖女の奇跡なぞ手品に過ぎんわ!」
「神にでもなるつもり!?」
「我が盟友の夢――バトラックスの世界征服に必要ならば、それもよかろう!」
今、ザターナ様の味方で動けるのは私だけだわ。
でも、私自身は縛られている上に、円卓に縄を結びつけられていて動けない。
なんとかしないと……。
「!」
その時、足元に剣が転がっていることに気がついた。
さっきの衝撃で、誰かの剣がここまで滑ってきたんだわ。
私は後ろ手に剣を拾い上げて、縄の結びに刃を当てる。
お願い、早く切れてっ!
「行け、ラグナレク。妖術師の魔女を地獄へ落としてやれ!」
円卓にあいた穴から、ラグナレクをけしかける将軍の姿が見えた。
後ずさるザターナ様の背中が、積み上がった瓦礫へと当たる。
もう逃げ場がないわ!
ラグナレクがザターナ様に噛りつこうとした瞬間。
銃声が響き渡り、ラグナレクの顎にヒビが入った。
「何ぃっ!?」
将軍が驚いて、銃声のした方へと振り向いた。
ザターナ様も私も、同じ方向へと向き直る。
すると、そこにはライフル銃を構えた旦那様の姿があった。
……よかった。
旦那様が生きていらした。
「ザターナッ! 答えろっ!!」
旦那様がラグナレクの頭部めがけて銃を連発しながら、ザターナ様のもとへと近づいていく。
銃弾は一発も外れることなく、怪物の顔へと命中し続けている。
旦那様が銃の名手だとは知らなかったわ。
「なぜ家を出た!? なぜそんな姿で私の前に現れたっ!?」
「……」
「聖女の使命に嫌気がさしたのか!?」
「……」
「私がまっとうに親として接してこなかったことへの当てつけか!?」
「……」
旦那様の問いかけに、ザターナ様は答えない。
「ザターナ、答えてくれ!」
「……」
「ザターナッ!!」
「……私は」
彼女が口を開こうとした時、ちょうど旦那様の銃の残弾が尽きてしまった。
ああっ。なんてこと……!
私が声にならない悲鳴を上げていると――
「はああぁっ!!」
――トールくんがラグナレクの横っ面を蹴りつけた。
彼の怪力によって、ラグナレクの巨体が横転する。
でも、どうしてトールくんが旦那様達を助けるようなことを?
「なんの真似だ、トール!!」
「そうがなるな、将軍。今の会話を聞いて、興味が湧かんのか?」
「なんだと?」
「わしは興味が湧いた。新総統ザナが聖女ザターナ……それは真か?」
……知られてしまった。
トールくん達にザターナ様の正体を。
一方、ラグナレクも転ばされて大人しくするような怪物じゃない。
ひっくり返った状態から、脚を巧みに利用して起き上がる。
「こりゃ手間のかかる相手じゃな」
トールくんが腰に背負っていた大きな鞘から、剣を引き抜いた。
彼が抜き身の剣を持った姿なんて初めて見たわ。
「今から大事な話があるんじゃ。ちょっと席を外していてくれんかのう」
彼は襲い来るラグナレクの攻撃をすべて躱し、懐へ潜り込むと――
「槌ではないが、一撃かますとするか!!」
――大剣を大振りしてラグナレクの胴体へと叩きつけた。
凄まじい衝突音。
そして、周囲へと伝わる衝撃波。
とても人間の繰り出した一撃とは思えない。
装甲を砕かれたラグナレクは、床を転がって壁に衝突。
壁を破って、そのまま砦の外へと落ちていってしまった。
「トール、なんてことをっ!」
「あれで壊れやせんよ。さぁ子爵、続きを」
トールくんが旦那様にうながしてくる。
まさかの事態だけど、私としても旦那様とザターナ様のお話は聞きたい。
今までわからなかったことがハッキリするはずだもの。
ザターナ様はご自分の傷をかばいながら、旦那様へと寄り添う。
そして……。
「お父様。私は、聖女の使命に誇りを持っていました」
「ザターナ……」
「お父様が私をどう思おうと、私はあなたのために、使命に身を捧げることに迷いはありませんでした」
「ならば……なぜだ?」
「あなたに守られていて不安に思ったことはありません。でも、私は寂しかった。だから、辺境の地で母と思える人と出会えて嬉しかった――」
ザターナ様の言葉を聞いて、私はハッとした。
辺境の地。
母と思える人。
その言葉で、私はあることを思い出した。
七年前に辺境で起きた先代聖女様の痛ましい事故を。
「――あの人の幸せそうな顔を見ていると、私は母様が戻ってきてくれたように感じられた。お腹の中の子の名前をつけてあげると約束したのよ。それなのに!!」
ザターナ様の顔が急に険しくなる。
その鋭い視線は……将軍へと向けられていた。
「バトラックスの将軍ヘイムダル! あなたの命令で現れた使いが、彼女の幸せを壊し、私の希望を奪った!」
……やっぱりあの事故が。
いいえ。事件がザターナ様出奔の動機だったのね。
「貴様が聖女ザターナだと? では総統の座を奪ったのは、まさか私への……我が国への復讐のためだと言うのかっ!?」
「そうよ」
「馬鹿な! 復讐と言うなら私を――」
「あなたを殺しても同じことが繰り返される。バトラックスという国そのものを変えなければ、聖女の悲劇は終わらない。それを終わらせるために、私は過去を捨てて新たな時代の礎となることを選んだのよ!!」
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ!!」
将軍が激しく取り乱して、鞘から剣を引き抜いた。
「そんな個人的な動機で……! そんなつまらん理由で我が盟友を! 私達の野望を台無しにしたと言うのかぁっ!!」
「聖女にとって、それほど大事な理由はない!!」
ザターナ様が将軍へと一歩踏み出す。
その時、剣を構えたトールくんが立ち塞がった。
「おぬしの事情はわかったが、さすがに大将首はやれんなぁ」
「どきなさい」
「こんなのでも、長いこと居場所の世話になっておる。恩義には命を賭して報いるのが、わしのモットーじゃ!」
「恩義に命を懸けると言うならば。その命、今すぐ自ら全うしなさい!!」
その瞬間、トールくんの動きが止まった。
「ぬぅ!?」
いいえ。止まったのではないわ。
彼は、ゆっくりと自分の首へと大剣の刃を近づけている。
まさか……今の言葉にも〈聖圧〉が!?
「ぐぬぬ……。なんとまぁ、難儀なことよ。聖女の一言一句に注意を払わねば、奇跡とやらに足をすくわれるとは……!」
「女神より与えられた言霊の力は絶対よ。人間だろうと生体兵器だろうと、神威にだけは逆らえない」
「軍神とまで言われたわしが、まさか……戦わずして、このような最期を遂げようとは。なんと慈悲のない結末か……っ」
「手段は選ばない。聖女という存在を守るため、私はバトラックスを改革する。軍事国家から脱し、聖女を絶対視する宗教国家へと!!」
それがザターナ様の目的。
先ほどの盗聴で、私が聞きそびれた過去の過ちを清算する準備とは、その改革のことだったのね。
ザターナ様らしい、なんて壮大な望み。
……でも、今のやり方では私が納得できない!
「んんんっ!」
縄が切れた。
私は猿轡を外して、円卓から飛び出した。
「やめて、ザターナ様っ!」
私はトールくんに駆け寄るや、彼の喉をかばうようにして刀身へと手をかけた。
……痛い。
指先から血が流れてくる。
でも……!
ザターナ様の手を。
聖女様の奇跡を。
血に染めるくらいなら、私が代わる!!
「ダイ……アナ……?」
ザターナ様が私を認識した瞬間、まったく動かなかった刀身がトールくんの喉から離れた。
……奇跡を止めてくれたんだわ。
「その黒い髪。その顔。間違いない。……ダイアナ。ダイアナ・ジェンドゥ! なんで、あんたがここにいるのよ!?」
「ダイアナが長らくおまえの代わりになっていたのだ」
「えぇっ!?」
「この三ヵ月、立派におまえの代わりを。いや、おまえ以上に聖女ザターナを務めてくれた」
旦那様の言葉に、ザターナ様は目を丸くしている。
それはそうよね。
まさか、あんなドジだった私がご自分の代わりに聖女をしているなんて、夢にも思わなかったでしょう。
その時――
「エバウヲ・リズ・エサノノ・モノカ・ヨラズタ・イノ・ゼカ・ノンゴム!!」
――どこからともなく、魔法の詠唱が聞こえてきた。
気づけば、スキルニルさんがザターナ様を見据えて口を動かしている。
「……うっ!?」
突然、ザターナ様が喉元に触れる。
何か様子が変だわ。
「無事に済みました。しばらく彼女は声が出ません」
スキルニルさんがホッとした面持ちで言った。
声が出ないって……ザターナ様の声が?
つまり、奇跡を封じられた!?
「よくやったぞ、スキルニル! もう聖女は無力だ。殺せトール!!」
「……いいのか? あれほど聖女を手に入れたいと」
「どうせ殺せば次が現れる。その時にはセントレイピアを支配下におき、我が国のために働く最強の戦争兵器として育ててくれるわ!!」
「さすがに、そんなつまらん夢には付き合いきれんな――」
トールくんが呆れた顔で将軍を見ている。
私はそれ以上に、将軍に対して侮蔑の視線を送らずにはいられない。
聖女様の奇跡を戦争の兵器に?
そんな馬鹿げたことが許されるわけがない。
みんなの希望の力を、そんなおぞましいことに利用させるわけにはいかない!
「――だがしかし。わしも立場上、今だけは将軍に従おう」
トールくんが剣を構えてザターナ様へと近づいていく。
私は彼の前に飛び出し、両手を広げて行く手を阻んだ。
「ザターナ様、旦那様、お逃げくださいっ!」
「真の名はダイアナ……だったな。おぬしは殺しとうない。そこをどけ」
「どきません」
「……ならば止む無し」
トールくんが凍えるほど冷たい目になった。
剣を水平に構えて、私へと狙いを定めている。
……悔しい。
自分の無力さが、何よりも悔しい。
私にも戦う力があれば。
大事な人達を守る力があったら……!
「やめろ!」
それは、予想だにしないことだった。
旦那様が私を背後から抱き寄せたかと思うと、その私をかばうようにしてトールくんへ背を向けたのだ。
「無駄じゃよ。トバルカイン子爵」
「私の娘達を傷つけさせはしない!」
旦那様のお言葉に、私は驚いた。
今、なんと……?
「ならば三人まとめて葬ってやろう。共に旅立てるように!!」
トールくんから届いてくる殺気。
でも、旦那様が私をその殺気から守ってくれている。
どうして?
替え玉の役に選ばれただけの私を。
偽物に過ぎない私を。
なぜ、娘と呼んだのです……?
「旦那様。今、私を娘って」
「人の気持ちというのは、何をきっかけに変わるかわからん」
「……」
「仮初めの三ヵ月でも、おまえは……私の娘だった。事ここに及んで、今さら他人には戻れんよ」
「旦那様ぁっ!」
目頭が熱くなって、私の視界が滲んでいく。
せっかく間近にある旦那様のお顔がよく見えない。
そんな私を、さらにザターナ様が抱きしめてくれた。
彼女は私に笑いかけてくれている。
ご自分も怖いはずなのに、私を安心させようとしてくれている。
それがわかる。
わかるからこそ……今ここで終わりたくない!
「さらばだっ!!」
トールくんが剣を振るう。
刹那、私の脳裏にこの三ヵ月の濃密な記憶が蘇る。
いつだって私のピンチを彼らが救ってくれた。
今だって心から信じられる人達がいる。
だから私は――
「みんな、助けてぇーーーっ!!」
――彼らへと助けを求めた。
私の声が響き渡るのを待たずして、天井が崩れ落ちた。
「何事じゃっ!?」
瓦礫が落ちてきたことでトールくんは剣を止めた。
加えて、私達との間に白い何かが降り立ったことで、彼は大きく後ろへ飛び退いた。
「……まさか」
私はその後ろ姿に見覚えがあった。
でも、少し違う。
白くて大きい背中には、一対の翼が生えているんだもの。
「なんとか間に合ったようだな」
「こりゃ酷い状況だ。ギリギリセーフってところだな」
「ですね。憎たらしい顔がいくつもありますし」
「全部倒してしまいましょう。憂いなく明日を迎えるために!」
「だったら任せろ。僕のポーションガンが火を吹くぜぇっ!!」
さらに、背中には私が信頼する殿方達の雄姿まで。
「「「「「聖女親衛隊参上っ!!!!」」」」」
彼らの声に、私の心は安堵した。
「待っていました。みんなのことを」
「どこにだって助けに来るよ――」
白きドラゴン――カーバンクルちゃんの背に乗ったルーク様が、炎を灯した剣を空高くへと掲げた。
「――きみの名を訊くために」
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