69. 首都ミョルニアでの再会×2
総統に扮したザターナ様を見送りながら、私は茫然としていた。
「どうかしたのかい?」
「い、いえ……」
ルーク様に顔を覗かれて、私はようやく思考力が戻ってきた。
……総統がザターナ様。
なんで? どうして?
この事実を、私はどう受け止めればいいのか。
彼女は、これから国境線で行われる極秘会談へと向かうに違いないわ。
つまり聖女を会談に同席させる要望は、新総統となった彼女が出したもの……?
どうしてそんな要求を?
……わからない。
とりあえず、会談の席で旦那様がびっくりする姿だけは容易に目に浮かぶわ。
「ルーク様、新総統をどう思いました?」
「どうって……まさかあんな少女だとは思わなかったよ。しかし、立ち振る舞いを見た限り、凛として荘厳な雰囲気をまとっていたな」
ルーク様は、総統がザターナ様であると気づいていないみたい。
たしかに彼女のお顔はお化粧で少し印象が変わっていた。
本物のザターナ様とほとんど顔を合わせたことのないルーク様なら、特に気にならなくても不思議ではないわね。
「……」
どうしよう。
バトラックス潜入の目的であるザターナ様の捜索は、事実上果たされた。
だけど、この状況で彼女を追いかけていいものかしら。
私は、ザターナ様の目的がバトラックスへの報復だと考えていた。
てっきり総統を痛い目に遭わせてバトラックスに大ダメージを与えるつもりだとばかり……。
ザターナ様は一体何をお考えなの?
「兵士達の警戒が緩和してきた。町を出るなら今だ」
「う……」
どうしよう!?
トールくんとの戦いで散り散りになった親衛隊と合流するには、首都ミョルニアへ向かうのが確実。
助けを求めてきたフラメール様も首都にいる。
でも、せっかく見つかったザターナ様を追わないわけにも……。
……。
…………。
………………。
「首都へ急ぎましょう」
私は決断した。
今はもう、ザターナ様を捜すことだけが目的じゃない。
フラメール様を救出して、親衛隊のみんなと一緒にセントレイピアへ帰る。
それが親衛隊を巻き込んだ私の責任。
ザターナ様が極秘会談へ向かうのであれば、説得は会談に参列なさる旦那様にお任せする方がよさそうだわ。
私なんかよりも、父親である旦那様の言葉の方が彼女も耳を傾けるでしょうし。
「……」
でも、本当にこれでよかったのかしら。
「さっきからどうした? 顔色が優れないが」
「いいえ、大丈夫です。参りましょう」
私の胸の奥に、言いようのない不安がざわめいている。
これは正しい選択だったの?
その不安を押し殺して、私はルーク様と路地裏を走った。
◇
ギムレーの町の駅逓から高速馬車に乗れたことで、私達は翌日の朝には首都ミョルニアへたどり着くことができた。
「うわぁ! これが首都ミョルニア!!」
「さすが大国の首都だけあって活気があるな。聖都セントラよりも広大な土地に、二倍近い人口が暮らしているらしい」
私は、ミョルニアの街並みに目を丸くするばかり。
背の高い建物が立ち並ぶ大通り。
空へと突き立つ無数の煙突。
馬もいないのにひとりでに走る四輪の車両。
カゴに人を乗せて空を飛ぶ丸い球体。
「空にも地上にも、魔法のような乗り物が!?」
「おそらく気球と自動車という乗り物だ」
「私、空を飛ぶ乗り物なんて小説の中でしか見たことがありません」
「バトラックスは世界屈指の文明国とも言われているが、聞きしに勝る光景だな。蒸気機関とやらの賜物か」
「あの空を飛ぶ乗り物があれば、国境なんて簡単に越えられますよ!?」
「そうだが、どういう原理で空を移動しているんだ? 気流か……? 熱した空気で布を膨らませて浮いているらしいが、鳥にぶつかりでもしたら……」
ルーク様がブツブツと呪文のような疑問を唱え始める。
平静を装っているけど、彼も首都の街並みに興奮しているみたい。
空も飛べて、馬いらずの便利な生活。
街並みも華やかだし、ミョルニアはまるで創作物の中の町みたい。
その時、突然向かいの建物が爆発した。
「またボイラーが爆発したぁ!」
「医療院に連絡しろっ」
「今月に入って何軒目だ!?」
……便利な反面、危うくもあるみたい。
「フラメールが手紙を出したという駅逓を探そう。彼女の居場所の手掛かりが掴めるかもしれない」
「はい」
ルーク様の後に続いて街路を歩き始めた時、私は建物の壁を見て思わず足を止めてしまった。
見覚えのある顔がそこにあったから。
「ルーク様。これ……」
「張り紙がどうかしたのか」
「これ、フラメール様じゃありませんか?」
壁には、フラメール様の特徴を備えた人相書きが張り出されていた。
軍の所有物を破壊した危険人物。
推定年齢70歳の老婆。
爆発物を所持している可能性あり。
情報提供者には500エル、捕縛協力者には9000エルの褒賞あり。
……早くなんとかしないと。
◇
その後、私達は首都の駅逓をいくつか回って、フラメール様と思わしき老齢の女性が手紙を出した場所を見つけた。
「変ですね。ツィンロン方面管轄の駅逓で出した手紙が、私のお屋敷まで届くなんて」
「バトラックスとセントレイピアには国交がない。ブレスタムとは戦争中だし、ツィンロンとスフィアを経由してセントレイピアまで送ったのだろう」
「ツィンロンてバトラックスの北にある大国でしたよね?」
「バトラックスに負けず劣らずの軍事国家だ。両国は二十年以上戦争を続けて決着がつかず、長らく休戦状態と聞く」
「それってある意味、仲良くやってるってことですよね」
「表立って武力衝突がないだけだと思うが……。まぁ、手紙が届くということは国交はあるのだろう」
複雑なマゴニア情勢……。
総統が突然変わってしまって、バトラックスは外交とか問題ないのかしら。
「フラメールが潜んでいそうな場所の見当はつくかい?」
「そこまではちょっと。手紙にも、バトラックスから出られないので助けてほしい、としかありませんでしたし」
「詳細を書けなかったのは、検閲を警戒してのことか。しかし困ったな……」
「ええ。この広く複雑な首都で、どうやってあの方を探せばいいのか――」
その時、駅逓の館内を見渡していた私の目がある一点に留まった。
それは掲示板に張りつけられたミョルニアの市街地図。
その一部に、見覚えのある図案を見つけたから。
「あれは……フラメール様の紋章!?」
地図に駆け寄ってみて、私は確信を得た。
蛇が輪になって自分の尻尾をかじっている特徴的な絵――間違いなくフラメール様の紋章だわ。
きっとあの方が地図の上からインクで書き足したのね。
「たしかにフラメールの紋章だ。なぜ地図にこんな落書きが?」
「これはただの落書きにあらず。紋章が書かれているのは旧市街ですね。これって、私はここにいるというフラメール様からのメッセージでは?」
「なるほど。きみがやってくるのを見越して、地図に書き残していたというわけか。こんな絵、理由を知らなければただの落書きにしか見えないものな」
「すぐ旧市街に向かいましょう!」
◇
駅逓から大通りを東へ進むと、旧市街に行き着いた。
旧市街と呼ばれるだけあって、この街には蒸気機関の類といった最新鋭の設備は見られない。
背の低い建物に挟まれた街路。
そこを馬車が往来する聖都でも馴染みのある光景。
なんとなくホッとする街並みだわ。
「貧民街というわけでもなさそうだな。兵士の巡回も見られる」
「まずは宿を訪ねて回りましょうか」
「フラメールは今やお尋ね者だ。裏通りを中心に捜していこう」
「そうですね。案外、錬金術師さんのお宅に匿われていたりして」
私が言ったそばから、目と鼻の先に錬金術師工房の看板が目に留まった。
「……」
「……まぁ、入ってみるか」
私とルーク様は、何の期待もなしに工房のドアを叩いた。
◇
「いらっしゃい。悪いけど今、主殿はお留守だよ!」
ドアをくぐって聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
「……」
「い、今の声はまさか……」
「きみの勘が当たったようだな」
「よもやよもや、ですわ」
私の目に映っているのは、工房のカウンターを雑巾がけしているお婆ちゃんの姿。
そのお顔は、間違いなくフラメール様その人だった。
「おっ? おおっ!?」
「ど、どうもご無沙汰しております。フラメール様」
「おお~っ!! 来てくれたのかい、聖女様! それにおぬしは親衛隊の!」
「ルーク様です。あと、ここでは私のことを聖女とは呼ばないでください」
「すまぬすまぬ! わしとしたことが、つい感激してしまってな!」
なんだか拍子抜けするくらい、あっさり見つかってしまったわね。
あんな手紙をよこした人が、まさか錬金術師さんの工房で普通に働いているなんて思わないじゃない。
「事情を説明してください」
「うむ。聞いておくれ、ザターナや」
フラメール様から今までの経緯を聞くと――
アラクネ騒動後、パナギア岬のゲートをくぐってバトラックスの地を踏んだ彼女は、国内を散策するうちにアラクネの死骸が残っていることを知った。
破壊を試みた結果、軍に追い立てられて首都まで逃げおおせたものの、手配書が回ったことで旧市街から出られなくなり、今に至る。
――ということだった。
「無茶をしますね。死骸は死骸なんだから、放っておけばよろしいのに」
「アラクネの組成に含まれる希少金属は、今の時代でも工夫次第で危険な武器を造りだせるんじゃ。軍事国家の手に渡れば何が起こるかわからん」
「だからと言って、軍が運搬中のアラクネを爆破までします?」
「なんじゃ、耳に入っておったのか! いやぁ、あれは爽快じゃったのう!」
……なんだろう。
この方、以前よりずっとパワフルな感じになったわね。
黄金時代の因縁から解放されて、素が出てきたと言うことなのかしら。
「しかし、指名手配されている身で、よくこんな目立つ場所で働けるな」
「気になるかね、ルーク殿」
「いつ兵士があなたの情報を掴んで押し入ってくるか、気が気ではないよ。俺達も入国間もなく兵士と揉めたものでね」
「心配はいらん。長年、旧市街は軍から不遇の扱いを受けておってな。軍に追われるわしのことも、快く受け入れてくれたわ」
「旧市街の連中があなたを匿っているということか?」
「左様。軍を手玉に取ったわしを英雄扱いまでしてくれてな。今は、この工房で助手として働いておる」
私とルーク様は顔を合わせて、深い溜め息をついた。
こんなことなら、私達が助けにこなくても暮らして行けたのでは……?
「しかし、おぬしらが来てくれた以上、もう皆の世話にはなれんな」
「待ってください。私達もここまで来るのに大変な思いをしました。簡単にはセントレイピアまで戻れませんよ?」
「そんなことはない。おぬしがその子を連れてきてくれておる」
フラメール様が、私の肩にいるカーバンクルちゃんを指さして言った。
「この子が何か?」
「カーバンクルの戦闘形態なら、空をひとっ飛びじゃ!」
「でもこの子、あの姿になっても翼なんて生えませんよ」
「カーバンクル自身がまだ認識しておらんのじゃろう。あの方がお創りになられた生体兵器に、翼がないわけがないからのう」
「あの方? この子の創造者をご存じなのですか」
「言っておらんかったか? その子は、かの漆黒の――」
その時、ドアの呼び鈴が鳴った。
私達三人が同時に入り口へと目を向けると、背の小さなお客様の姿が。
「先客がいる中、申し訳ない。工房主に会いたいのだが、やつは戻っておるかね?」
私はその人物を見た瞬間、心臓が破裂するかのように脈打った。
「防具を新調したいのだが……んん?」
偶然なのか、必然なのか。
「これはこれは、なんという巡り合わせか。まさかこのような場所で、聖女殿と再会できようとは」
その人物と目があった時――
「トールくんっ!!」
――私は思わず叫んでしまった。
「すまぬ、聖女殿。この歳になってその呼ばれ方は気恥ずかしいゆえ、あらためてくれんかな?」
にこやかに返されて、私は閉口した。