68. 新総統、その名は……!
ギムレーの町に到着した私は、すぐにルーク様を医療院へと運んだ。
幸い、真夜中も開いている医療院があって、彼をお医者様に診せることができた。
「……これで大丈夫。バトラックスコブラの咬傷被害はこの辺りでは多いからね。血清も十分にあるんだ」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
私が頭を下げている相手は、老齢のお医者様。
彼はベッドで寝入っているルーク様の腕に、綺麗な包帯を巻いてくれていた。
「解毒用ポーションも服用すれば、彼の生命力ならばすぐに動けるようになるだろう。大した若者だよ」
「何から何まで、感謝に尽きませんわ」
「なに、わしはお嬢さんからいただいた代金分の仕事をしたまでだよ。……しかし、今夜はずいぶん外が騒がしいね」
「あはは……。な、何かあったんですかねー?」
お医者様はどうも外が気になるみたい。
ガラス窓には、チラチラと街路を行き来しているランプの明かりが見える。
……まぁ実際、私のせいで騒ぎになっているんだけど。
「わしはそろそろ休ませてもらうよ。きみも今晩は医療院で休んでいきなさい」
「はい。ご厚意に甘えさせていただきます」
お医者様がカーテンの仕切りから出て行ってすぐ、私はルーク様のお顔を覗きこんだ。
穏やかな寝顔をしているのを見て、私はホッと胸を撫でおろす。
一時はどうなることかと思ったものね。
一方、外からは軍馬の引く戦車の走行音が聞こえてくる。
……街中が物騒なことになってきちゃってるわ。
「自分で蒔いた種だけど、無事に町から出られるかしら……」
数刻前。
私は戦闘形態のカーバンクルちゃんに乗って、ギムレーの町へと飛び込んだ。
その姿を見た町の人達はパニックを起こして、たちまち大騒ぎに。
バトラックスの兵士さん達に追いかけ回されながら、なんとか路地裏に逃げ込んでカーバンクルちゃんを通常形態に戻して、今に至るのだけど……。
兵隊はまだドラゴン探しに躍起になっているみたい。
「クルゥ……クルゥ……」
カーバンクルちゃんは、今は私の腕の中で丸くなって眠っている。
当事者なのに呑気なものだわ!
◇
翌朝。
目を覚ました私は、白い毛布の上に突っ伏していることに気づいた。
なんてこと。
こんなはしたない姿を殿方に見られでもしたら――
「おはよう」
――しっかり見られてた。
私の寝顔を、ルーク様が身を起こして覗いているじゃないの。
しかも、彼に頭を撫でられているとか……っ。
「る、ルーク様っ」
「すまない。気に障ったかな」
「い、いえ。そんなことは……」
慌てて起き上がる私を見て、ルーク様がくすりと笑う。
なんだか急に恥ずかしくなってきた。
顔が熱いわ。
「ここは医療院かい?」
「はい。お医者様に診ていただいて、傷の手当と血清の投与も済んでいます。腕は痛みますか?」
「少し」
ルーク様は毒蛇に噛まれた左腕を動かしてみせた。
お顔をしかめているので、まだ少し痛みがある様子。
私は解毒用ポーションの口を開いて、ルーク様に瓶を渡した。
彼は瓶を一飲みした後、いかにも苦そうな顔を見せる。
……私、ポーションて飲んだことないんだけど、そんなに苦いのかしら?
「お医者様は、ポーションを飲めばすぐに動けるようになるだろうって」
「迷惑をかけたね。俺としたことが、きみの手を煩わせてしまうとは……」
「困った時はお互い様です。私だって、守られてばかりではいられませんから!」
「本当に聖女の鑑だな、きみは」
あらためてそう言われると、照れてしまうわ。
「治療費とお薬代は、勝手ながらルーク様のお財布から拝借しました」
「構わないよ。こういう事態に備えての軍資金だからね」
「それと、こちらが――」
私は机の上に乗っていた紙を手に取り、ルーク様へと差し出した。
「――医療費の明細書ですわ。私、お医者様に診ていただいたことがなくて、正当な請求額なのかがわからなくて」
「……うん。正当だと思うよ」
「それはよかったですわ」
「ところで、サインはきみが?」
「はい」
「やはり三年前とは違う筆跡か……」
「う”」
やっぱりその話に戻るわよね……。
できれば毒蛇騒ぎでそのことは忘れてほしかったのだけど。
「……きみは美しい人だ」
「な、何を突然っ!?」
私を真っすぐ見つめながら言うものだから、また顔が熱くなってしまう。
「何も見た目のことを言ってるんじゃない。もちろん見た目もそうだが、きみは心の美しい人だ」
「どうして今そんな話を?」
「そんなきみがあえてつく嘘には、きっと深い事情があるのだろうと思う」
「……」
「だから、俺はもうこの話はしない」
「……」
「きみが話したくなった時に、きみの口から話してくれればそれでいい」
「ルーク様……」
「いついかなる時も、俺はきみの味方だ。それだけは忘れないでくれ」
「……はい」
……頷いちゃった。
この反応は、暗に私が聖女でないことを認めたようなもの。
でも、それを聞いたルーク様は――
「くっくっく。何はともあれ、あいつらに一歩先んじたわけだ」
――楽しそうに笑っていた。
まるで少年のような悪戯っぽい表情。
ルーク様ったら、そんなお顔もできたのね。
「あいつらって、誰のことです?」
「アトレイユにハリー、アルウェンにアスランさ。やつらは知らず、俺だけが知っているきみの秘密がある。そう思うと、どうにも嬉しくてね」
「はぁ」
「特にアルウェンには、婚約者選挙で事実上敗北を喫している。なんとか挽回したいと思っていたところなんだ」
……う~ん。
喜んでいるところ申し訳ないのだけど、アルウェン様はすでに私の素性を知っている協力者なのよね。
この話を続けられると私も反応に困るから、話題を切り替えないとだわ。
「親衛隊同士、切磋琢磨するのはよいことですわね。彼らも今頃は首都に向かっているでしょうし、ギムレーで待つのはいかがでしょう?」
「いや。この際、二人きりの方が目立たずに動きやすい。きみと俺だけで、首都へ向かうことにしよう」
「でも、まだお体が万全では」
「心配はいらない。もう少し休めば左手も自由に動かせるようになる。正午には高速馬車を手配して首都へ一番乗りしよう!」
「すっかりお元気……」
どうして競争になってるのかなー。
なんでかなー。
「ところで、俺の剣はどこにあるか知らないかい? 部屋には見当たらないようなんだが……」
「あっ!」
すっかり忘れていたわ。
ギムレーには必要最低限の荷物しか持ってきていないから、ルーク様の剣やアスラン様のポーションガンは川岸に置きっぱなしだった!
剣はまだしも、ポーションガンが見ず知らずの誰かの手に渡ったらいけないわ。
すぐ回収しに行かないと!
「クルルッ」
「え?」
カーバンクルちゃんの声がしたので振り向いてみると。
「あっ。あなた、その荷物!」
なんと、カーテンを押し退けて入ってきたカーバンクルちゃんが、剣やポーションガンなど、私が川岸に置いてきた残りの荷物を引っ張ってきてくれている。
この子、私が寝ている間に荷物を取りに行ってくれたのね。
「なんて主人思いな子なの、この子はっ!」
胸に飛び込んできた白玉ちゃんを、思わずギュッと抱きしめる。
……ああ。このもふもふがたまらない。
その時――
「……」
「? ルーク様、どうかしました?」
「いや、別に」
――ルーク様のジトリとした視線を感じたのは気のせいかしら?
「もしや一番のライバルは……」
「え?」
「いや、なんでも」
その後、ルーク様が手を伸ばした拍子にカーバンクルちゃんに引っかかれていた。
仲良くなったと思ったのに、そうでもないのかなぁ……。
◇
時計の針が正午を回り、私達は医療院を出た。
街中は厳戒体制が敷かれていて、歩いているのを兵士さんに見つかるだけでも尋問を受ける状況になっている始末。
我ながら、町の人達にとんでもない迷惑をかけたものだわ。
猛省しかない……。
私達は、ヴェルンドから来た炭鉱夫とその妻を装って彼らの尋問を切り抜けた。
この国の人間にしかわからないような細かい話にもルーク様は合わせてくれるので、何ら疑われずに見逃されることになった。
ルーク様――もとい本の知識ってすごい。
「あのぅ。ずいぶん厳重ですけど、モンスターが出たからこんなに兵士さんが集まっているのですか?」
「それもあるが、今日は特別なんだよ」
「特別?」
「この町の人間でないと知らないか。総統閣下がお立ち寄りになるんだよ」
「え、そ、総統が!?」
「直に、大通りに親衛騎団を率いる総統がお通りになる。くれぐれも邪魔をするなよ、ひっ捕らえるぞ!」
まさかバトラックスの総統が町に訪れるなんて。
そう言えば、国境で行われる極秘会談ってもう明後日だったわね。
国境への道中、新総統の顔見せも兼ねて町を回っているのかしら。
「おっ。いらっしゃったぞ! おまえ達、道を開けんかーっ」
大通りの向こうから軍馬の列がやってくるのと同時に、兵士さん達が一斉に散って行ってしまった。
「新総統は女だという話だったな。軍事国家を統率する女とは想像し難い」
「でも、それが事実なら時代の要請なのかもしれませんわ」
私とルーク様は野次馬に紛れて、大通りをゆっくりと進んでくる一団を目にした。
たくましい軍馬が引く黒塗りの戦車。
その上で銃を構えている軍服の殿方。
それが何両も並んで大通りを行進していく。
こんな物々しい光景、初めて見るわ。
「総統に、礼っ!!」
兵士さんが号令をかけるや、野次馬の人達が独特の敬礼をした。
私とルーク様もそれにならう。
今、私達の前を通過しようとしているひと際大きな戦車。
そこに乗っている女性が、この国の新たな総統ということね。
「あれが新しい総統だって!? 信じられないな。きみと大して変わらないくらいの少女だぞ」
「そんなにお若いのですか?」
「見ればきみも驚く。一体どんなカラクリを使って、あんな少女が総統の椅子を手に入れたのか興味が尽きない」
「俄然、興味が湧いてきました」
でも……見えないっ。
ひと目でも総統にお目にかかりたいのに、一緒に戦車に乗っている赤い軍服の女性が邪魔で顔を見ることができない。
早くどいてくれないかしら。
「あっ。どいてくれた!」
すでに総統の乗る戦車は私の並びより先に進んでしまっていて、横顔を見ることすら難しい。
けど、せっかくの機会だし、ぜひそのお顔を拝見しておきたいわ。
私が野次馬を押し退けて大通りに身を乗り出した時。
不意に、通りに並ぶ人達へと手を振る彼女の顔を見ることができた。
……その顔を見て、私は心臓が飛び出るほど驚いた。
「ザターナ様?」
忘れるはずがない。
見間違えるはずがない。
例え真っ黒な軍服に身を包んでいようとも。
例えツインテールに髪型を変えていようとも。
その美麗な金髪碧眼は。
その凛々しく不敵なほほ笑みは。
私が憧れる聖女様――ザターナ・セント・トバルカインその人だったから。