66. 二人旅・前編~ルークとザターナ~
軍神トールの手から逃れた私達は、次の駅に着くなり列車から降りた。
列車の異常を聞きつけて兵隊がやってきたのはそれからすぐのことで、私達は聴取を受けずに済んだのだった。
私とルーク様は町で旅の準備を終えた後、首都ミョルニア方面へと続く街道を選んで徒歩の旅を始めた。
広い平野に走る一本の街道。
たまに行商の馬車とすれ違うだけの寂しい旅。
道行く間、私はずっと気が重かった。
「どうしたザターナ。気分が悪いのか?」
「いいえ。ただ――」
ただ、私は自分のせいで親衛隊を失ったことにショックを隠しきれないだけ。
「――私のせいで、みんなが……」
「きみは悪くない」
「悪いのは私です! だって、私がバトラックスに来ようとしなければ、あんなことには……!」
「もう一度言おう――」
取り乱す私の肩に、ルーク様がそっと手を置いた。
「――きみは悪くない」
「ルーク様……」
穏やかな目で私を見つめるルーク様を見て、私は泣きたくなった。
……でも、泣かない。
「みんな、無事ですよね……?」
「当然だ。アトレイユは寄宿学校時代の合宿で、北の雪山で三日間も遭難した。みんな心配したが、自力で下山してきたよ。タフなやつなんだ」
「アトレイユ様にそんなことが……」
「ハリーはダンスも踊れないくせに、身体能力ならば俺やアトレイユも凌駕する天稟の持ち主だ。列車からの落下くらいで死ぬやつじゃない」
「ハリー様……」
「アルウェンは風の魔法の使い手だ。とっさに魔法で身を守るくらいのことはできる。金等級騎士の実力は伊達じゃない」
「アルウェン様……」
「アスランは……殺したって死ぬようなやつじゃない」
「……」
なんだかアスラン様だけ雑な見解。
でも、ルーク様がそう言ってくださることで、私は元気が出た。
「もともと俺達の旅は、首都に向かいながら各駅でフラメールの情報を集めていく手はずだったろう。あいつらも今頃、首都を目指しているはずだ」
「と言うことは……」
「首都で合流できるさ」
「……ですね!」
首都へたどり着けば、そこでみんなとまた会える。
私にとって、それ以上の慰めはなかった。
「行きましょう、ルーク様!」
「ああ。しかしザターナ、あまりはしゃぐと転んでしまうぞ」
「大丈夫です! 私、そんなにドジじゃじゃじゃぁっ!!」
……言い終える前に、つまづいちゃった。
このまま迫りくる地面に私は顔面を打ちつけて――
「クルルッ」「ぶっ」
――しまうことはなかった。
地面に倒れる前に、カーバンクルちゃんが私の肩から飛び降りて、そのもふもふした体で私の顔を守ってくれたから。
でも、できれば顔以外も守ってほしかったな。
胸から下を地面に打ちつけて、とても痛いんですけど……。
「すまん! まさかこの平坦な道でつまづくとは」
「お、お気になさらず……」
「カーバンクルは大丈夫か?」
「はい。この子、もふもふしてますから」
「気をつけてくれよ、ザターナ。きみはおっちょこちょいなんだから」
おっちょこちょい、だなんて言われたくなかったわ。
……恥ずかしい。
◇
平野の彼方へと太陽が隠れ始めた頃。
街道沿いに、明かりのついている町が見えてきた。
「ロカセナの町だ。もう遅いし、今夜はあの町で宿をとろう」
「はい。異論ありません」
正直、もう足がガタガタだったから助かったわ。
街道を徒歩で10km以上歩くなんて、都会暮らしの身には堪える旅だもの。
「大丈夫か?」
「も、もちろんですっ」
ルーク様に心配をかけまいと、つい強がってしまう。
でも、私の疲労なんて彼にはバレバレだった。
「ほら、おんぶしてやろう」
「そんなことをさせるわけには……」
「きみに合わせて歩くと、町に着くまでに真っ暗になってしまう」
「はい……」
そう言われてしまっては、従うしかない。
私は気恥ずかしさを我慢しながら、ルーク様に背負われた。
……視線が高くなって、なんだか背が伸びた気分。
「私、重くありませんか?」
「いいや、軽いよ。まるで綿のように軽い」
「それは嘘」
「ははは。嘘だ」
普段クールなルーク様も、こんな笑い方するんだと私は意外に思った。
◇
私達はロカセナの町に入ってすぐ、宿を探した。
その途中、私は路上に気になる看板を見つけて足を止めてしまった。
「ルーク様。これを!」
「見世物小屋の看板だね。これがどうかしたのかい?」
看板には――
世にも奇妙な黄金の蜘蛛を展示中!
ご興味ある方は、中央広場にて開幕中のムスタファの見世物小屋へどうぞ。
入場料は、大人400エル。子供200エル。
――とある。
「黄金の蜘蛛って、アラクネのことだと思いませんか」
「アラクネはあの光ですべて消え去ったものと思っていたが……」
「バトラックスにもアラクネが出現していたとしたら、光が届かなかった個体がいても不思議ではないかも」
「ヴェルンドでも大きな蜘蛛が話題になっていたしな……」
私は蜘蛛の正体がどうしても気にかかり、ルーク様にお願いして見世物小屋へ行くことにした。
◇
中央広場に着くと、大きなテントが張られていた。
入り口の大きな看板には、ムスタファの見世物小屋と書かれている。
……このムスタファというのがオーナーの名前なのでしょうけど、どこかで聞き覚えがあるのよね。
入場料を払って中に入るや、私はその盛況ぶりに驚いた。
テント内では、用意された客席だけでは足りず、立ち見のお客様がぎゅうぎゅうに入っているんだもの。
「あれは……!」
奥の舞台を見ると、標本のように壁に固定された大きな蜘蛛の姿があった。
その姿は忘れたくても忘れられない。
……アラクネだわ!
「ところどころ崩れているが、アラクネに間違いないな」
「はい。まさか本当にアラクネが残っているなんて」
「見たところ、完全に死んでいる。とりあえず危険はないと思うが、どうする?」
「死骸なのであれば、放置してもよろしいかと思いますけど……」
その時、アラクネの展示されている舞台へと人が登った。
道化師のような出で立ちの男性――この見世物小屋のオーナーかしら。
「レディース・エーンド・ジェントルメェーン! ようこそ我がテントにいらっしゃいました。ロカセナ名物、ムスタファの見世物小屋はお楽しみいただけておりますでしょうか!」
オーナーさんに向かって、テント内の人々が一斉に拍手を送り始めた。
私もルーク様も、周りの人達にならう。
「この黄金の蜘蛛は、私どもが西の丘陵の谷底にて発見した個体でございます! 学者に調べさせたところ、黄金や希少金属がふんだんに使われている生体兵器だと判明し――」
オーナーさんが説明する中、入り口からいきなり兵隊が押し入ってきた。
もしや私達を追ってきたトールくんの部下!?
……と思ったけど、違ったみたい。
「その蜘蛛の死骸は軍の戦利品である。速やかに引き渡したまえ!」
「な、なんですとぉ!? 突然やってきて何を言うかっ」
「見世物小屋の一団にも聴取したいことがある。ご同行願おう」
「私の商売を邪魔する気か!?」
「先日、ヤルングレイプル要塞へ運搬中の黄金蜘蛛を爆破しようとした老婆がいた。貴様らには、その老婆の仲間である疑いがかかっている!」
「そんなババァ知るものかっ! どこの世界に、金の成る木を吹っ飛ばす商売人がいる!?」
「首都の駅逓にて、老婆が手紙を出したことが確認されている。貴様、その手紙を受け取ったのではないか? 首都のどこで落ち合うつもりだっ!?」
「勝手な誤解をするなぁーっ!!」
客席を挟んで、オーナーさんと兵士さんの口論が始まった。
これはもうただ事では済まなそうね。
「ルーク様。もう出ましょう」
「そうだな」
私達がテントを出たちょうどその時、兵隊が一斉にテント内へと押し入って大捕り物が始まった。
あわや巻き込まれるところだったわ。
「僥倖だったな。こんなところでフラメールの所在が聞けるとは」
「あのオーナーさんには災難でしたけどね」
フラメール様は首都に潜伏していると見て、間違いなさそうね。
でも、まさか彼女がアラクネを爆破しようとしたなんて。
軍に追われるわけだわ……。
それにしても、あのオーナーのムスタファって名前。
どこかで聞いた覚えがあるんだけど、やっぱり思いだせない。
……まぁ、いいか。
◇
バトラックスの旅一日目は、ロカセナの町で宿に泊まることで終わった。
翌日、私はルーク様に連れられて街道の旅を再開する。
「ごめんなさい。まさか目を覚ましたら正午だなんて……」
「気にすることはないさ。昨日はトールのこともあったし、何時間も歩き詰めだったからね」
「ルーク様はぜんぜん平気ですのね」
「きみを守るために日頃鍛えているからね」
ルーク様ったら頼もしい。
「それより本当に徒歩でいいのかい? 次の町まで20km近くあるぞ」
「乗合馬車も満員でしたからね。それに、バトラックスの兵隊がウロウロしている中、長居するのは怖いですし」
「疲れたらすぐに言ってくれ。必要なら、また――」
「おんぶはもう結構! 私、がんばりますから」
強がる私を、ルーク様がくすりと笑う。
……なんだか不思議な気分。
彼には甘えてもいいかな、と心のどこかで思ってしまう私がいる。
◇
……あれからどのくらい歩いただろうか。
太陽は再び地平線の彼方へ。
「ぜはぁ、ぜはぁ」
私は息を切らせながら、かろうじて街道を歩いていた。
肩に乗るカーバンクルちゃんは、呑気にあくびをしている。
「大丈夫……じゃないな。ザターナ」
「だいじょぶ、ですっ」
「無理するなよ。旅慣れしていない女性にはキツイ距離だ」
「がんばり、ますっ」
と言ったところで、私はバタリと地面に倒れた。
……今度は、カーバンクルちゃんは助けてくれなかった。
◇
その夜。
満天の星空の下、私はルーク様と街道から離れた川岸で焚き火を囲っていた。
「ごめんなさい。私が足を引っ張ってしまったばかりに、野宿だなんて……」
「謝る必要はない。それより、きみの方が心配だ。野宿は初めてだろう?」
実は初めてじゃない、と言ったら驚かれるかしら。
アンデルセンの町に暮らしていた頃は、時折、孤児院を抜け出してみんなと野宿をしたこともあったから。
その時は、いつもこんな星空だった。
ブライト兄さん。
ロゼ姉さん。
レッドくん。
グレイ。
……みんな今はどうしているのかしら。
この星空の下、どこかできっと生きているわよね?
「ザターナ。星座の成り立ちを知っているかい」
「いいえ」
「魔法時代、夜空に興味を持った羊飼いが、星の並びを人や動物、果てはモンスターに見立てて様々な図を描いたのが起源らしい。長い歴史の中、それが伝聞によってマゴニア全土へと拡がっていき、我々の知る星座として定着したんだ」
「そうなのですね」
ルーク様が星空を見上げているのを見て、私も釣られて空を見上げた。
なんて美しい満天の星空なのかしら。
千年前、その羊飼いもこんな星空を見上げていたと思うと感慨深い。
「美しいですね」
「ああ。美しい」
その時、ルーク様の視線がいつの間にか私に向いていることに気がついた。
「ルーク様?」
「ザターナ。きみは美しい」
……へ?
「きみは俺の間違いを正してくれた。その恩は生涯忘れない」
「間違いって……レイアの件のことですか?」
「それ以来、俺はずっときみに伝えたい言葉があった」
「言葉?」
「本当はもっと前に伝えたかった。だが、あることが引っかかってずっと言えずじまいだったんだ」
「あること……?」
「違和感は前々からあった。だが、それが決定的となったのは、二通目の手紙をもらった時だ」
ルーク様がじっと私を見つめてくる。
私は心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも、彼からどうしても目を逸らすことができなかった。
「一体、何の話をされているのか……」
「きみから手紙をもらったことは過去に二度ある。きみの15歳の誕生日に送ったプレゼントの中に、そっと手紙を忍ばせたことがあった。その返事が一通目」
……そんなこともあったわね。
「次は、二ヵ月ほど前に紅茶の誘いを手紙にしたためた時。きみから断りの返事がきたのが、二通目だ」
……たしかにあったわ。
「それがどうしたと言うのです?」
「教えてほしいんだ、ザターナ――」
ルーク様は、唐突に視線を下げた。
じっと焚き火を見下ろしながら、彼は続ける。
「――その二通の筆跡が違う理由を」
その言葉を聞いて、私は全身が硬直した。
「きみは、本当に聖女ザターナなんだよな?」