64. 邂逅
森の外は、丘陵のなだらかな斜面に沿って一面に畑が広がっていた。
あまりにも牧歌的とも言える景色。
ついつい軍事国家の領土であることを忘れてしまう。
森を出ると農道があったので、轍を頼りに東へと進んだ。
時折、畑に立っている案山子に古びた鎧が着せられていて、私は思わずくすりとしてしまった。
「どこかで馬車が調達できるといいのだが」
「まずは地図じゃないか? 俺達の中で、バトラックスが初めてじゃない人間はいないだろう」
「地図なら持ってきている。少し古いがな」
「本当か!? 用意がいいな……さすがはルーク」
先頭を進むルーク様とアトレイユ様。
私がお二人の後ろをついて歩いていると、アルウェン様が話しかけてきた。
「パナギア岬への道中、御者台の方まで聞こえてきたのですが……軍神トールのことを話していましたよね?」
「ええ。出会ったら何に変えても逃げろ、と辺境伯が言っていたそうです」
「何に変えてもとは、やつと遭遇した場合の的確なアドバイスです」
「アルウェン様は軍神さんと戦ったことがあるのですよね?」
「あれが戦いだったかと言われると……」
そう言ったきり、彼女は口をつぐんでしまう。
そのあまりに苦々しい顔を見て、私はそれ以上聞くのをやめた。
◇
農道をしばらく歩いていくと、大きな町にたどり着いた。
農村部らしからぬ背の高い建物が多く、大きな煙突がそこかしこから空に伸びている。
「静かな町ですね」
「ここは鉱山都市ヴェルンドだ。昔は周辺の炭鉱から多くの石炭が採れて栄えたそうだが、ここ数十年は落ち目らしい」
「ルーク様、よくご存じ」
「仕事柄、バトラックスについて記述された書物を見ることがあるからね」
黄金時代しかり、盛者必衰ということなのね。
そんな気持ちで町を見て回っていると――
「わっ! な、なんですあれは!?」
――突如、私の視界にすごいものが現れた。
「蒸気機関車だよ。俺も見るのは初めてだ」
「きかんしゃ!? これが……!」
ケノヴィー侯爵夫人のお茶会で聞いたことがあるわ。
バトラックスから東の土地には、鉄の車が走る新時代の通商路があるって。
鉄の車というから馬車くらいの大きさかと思っていたら、とんでもない!
お家みたいに大きな客車が何両も連なって、あまつさえ人がたくさん乗り降りしているわ。
これが動くなんて信じられない……。
「鉱山都市が鉄道の出発点になっている。これに乗れば、首都のミョルニアまで一日足らずで到着するらしい」
「てつどう……。首都まで一日……。現代は、すでに黄金時代の技術を越えたのでは……!?」
「鉄道が通ったことで、離れた土地から多くの人や資源を移動させることができるようになった。バトラックスが急激に力を持ったのはそれからだ」
「はぁ~。人間の文明ってすごい」
私が感心していると、制服を来た男性が停留所で大きな声を上げた。
「ミョルニア行きの機関車は本日正午に出発です! 乗車希望の方は、乗車券をお買い求めください!」
機関車に乗るには、乗車券が必要なのね。
正午までだいぶ時間はあるけど、すでに停留所には人が集まり始めているわ。
「ザターナ。正午までに手分けしてフラメールの情報収集をしないかい?」
「あ、はい。そうですわね」
いけないいけない。
あまりのすごさに、機関車に見惚れてしまっていたわ。
異国の地とは言え、親衛隊のみんなの前では聖女として振る舞わなきゃ。
「では、三組に分かれて情報収集をいたしましょう」
組み分けは、次のようになった――
私と、オードリー様と、アルウェン様。
そして、ルーク様とアスラン様。
最後に、アトレイユ様とハリー様。
――親衛隊的にも、私的にも、ベストな組み合わせね。
「おい、行くぞアスラン」
「……」
「アスラン!」
「……もうちょっと」
「いつまで機関車を見ているつもりだ!」
「あと五分」
アスラン様が機関車の前からテコでも動こうとしない。
蒸気機関車は、彼の目にはさぞ魅力的に映っていることでしょう。
ルーク様、がんばって!
◇
商店街を覗いてみると、思いのほか人の姿があって驚いた。
人気がなかったのは街の外側だけで、内側はこんなに賑やかだったのね。
「知ってる知ってる? 新総統の話!」
「知りません。聞かせていただけますか?」
「新総統って若い女の人なんですって!」
「まぁ、それは意外ですわ」
「首都では少し前まで反総統勢力が騒がしかったが、総統が代わってから大人しくなった。新しい総統は独裁者にならなそうだと思ったのかねぇ」
「独裁は喜ばしくはありませんものね」
「でも、俺くらいの年代はそうは思わんのよ。今の強いバトラックスを作ったのは、独裁者だった前総統だからねぇ」
「世代によって考え方が違うのでしょうか」
「総統が代わって、ブレスタムとも休戦しようって話が動いているらしいぜ」
「それは良いことですね」
「冗談だろぉ!? 戦争が終わっちまったら、せっかくかき集めた武器が売れなくなっちまうじゃねぇか!」
「武器商人さんでしたか……」
「最近はどこも、でっかい蜘蛛の話で持ちきりだよ」
「でっかい蜘蛛!?」
「ほとんどの死骸は消えちまったそうだが、一部残ったやつを軍が高値で買い集めててね。黄金や希少金属が含まれてるってんで、商人や鍛冶屋は死骸探しであちこち行ったり来たりさ」
「そ、それってまさか……」
「セントレイピアの聖女の噂を知ってるかい?」
「いいえ。ぜひ聞かせてください」
「相当な悪女らしいよ。権力争いで王子や王女を潰したり、犯罪者と共謀して国境線の都を乗っ取ろうとしたり、宝石を飴玉代わりにしゃぶる化け物を飼っていたり。絶対に会いたくない存在だね!」
「はは。そんな聖女には私も会いたくありませんねー」
ヴェルンドの人達から話を聞いて、いくつか有意義な情報を得られた。
バトラックスも、ここ数ヵ月でいろいろあったみたいね。
◇
正午を回り、私達は機関車へと乗車した。
五両編成の車体のうち、私達六人は一番後ろの五号車に乗ることになった。
客車は真ん中に通路、左右にふたつずつの座席。
誰が私の隣に座るかでひと悶着あったことは言うまでもない。
「馬車よりもずっと速いですね」
「これは便利でいいわね。数十km先まで数時間で着くなんて嘘みたいだわ」
「セントレイピアもいずれは鉄道が走るのでしょうか」
「バトラックスと仲良くなれば、そんな未来もあるのかもね」
機関車が動きだしてから、私は隣に座るオードリー様と車窓の外を眺めていた。
高速で流れていく田園風景は、まるで夢の中にいるようにすら思えた。
「……ところでさ、ザターナ」
「なんです?」
「あんた、本当にフラメールって錬金術師を捜しに来たの?」
「えっ!?」
「核心ついちゃった? どうもあんたの言動が嘘くさくてさ」
「そ、そんなことはっ」
「安心しなよ。今さらあんたの邪魔をしたりなんかしないから。ただ、あたしは次の駅で降りさせてもらうよ」
「なぜです? このまま一緒に首都へ行けばよろしいのでは……」
「これ以上、世話になるのもね。それに、イチからやり直すには片田舎からやってきたイモ女を演じた方が受けがいいのよ」
「い、いも……!?」
車体の速度が遅くなり始めた。
早くも、次の停留所――駅へと到着したみたい。
「そういうわけで、あたしから最初で最後のアドバイス――」
座席から立ったオードリー様が、すれ違いざまに私へと耳打ちしてくる。
「――どうせなら五人全員選んじゃいな。その方が楽しいし、何より演技に磨きがかかるからさ」
「はいぃっ!?」
何……?
今のどういう意味!?
「それじゃ、達者でね」
そう言い残して、彼女は開かれた扉から停留所へと降りて行ってしまった。
それを不審に思ったのか、アルウェン様が話しかけてくる。
「ザターナ嬢。オードリー女史はどうしたのです?」
「あのまま行かせてあげてください」
「よろしいのですか? もしも彼女が私達のことを漏らせば……」
「大丈夫。そんなことにはなりません」
「……わかりました」
再び動き出した車体が、停留所から離れていく。
私は停留所を歩いていくオードリー様の後ろ姿を見つめながら、物寂しい気持ちを抱いた。
人間、いつまでも一緒にいられるわけじゃない。
ある日、突然の別れが訪れるかもしれない。
それなのに、五人全員選んじゃえって……強欲過ぎるんじゃない?
「さて。席がひとつ空きましたね」
「そうだな。空いたな!」
「俺は譲るつもりはないが……どうやって決める?」
「お待ちください。私も黙ってはいませんよ」
親衛隊の四人が、また座席のことで騒ぎ始めてしまった。
……恥ずかしい。
一緒にいる私の身にもなってください。
「四人ともあまり騒がないように。私は前の客車に行ったきり、戻ってこないアスラン様を捜してきます」
いつからか、私は親衛隊のみんなといつまでも一緒にいたいと思うようになっていた。
ザターナ様が見つかれば、もう彼らとはいられないというのに……。
この矛盾が、時折……苦しい。
◇
アスラン様を捜して四号車に移ると、ピリピリした空気が流れていた。
「ああっ! またデーモンを引いちまった!」
「視線に誘われただろ? おまえ、本当ちょろいなぁ」
「まだ勝った気になるなよ。枚数は俺が一番少ないんだからな」
奥には、二つの座席に一人ずつ座っている四人の殿方。
うち三人は、カードゲームに興じている。
もう一人は、大きな剣の鞘を抱きかかえながら眠っているみたい。
「ああっ! デーモンッ」
「ギャハハハ! ざまぁみろ、負けたら酒おごりだからな!」
……柄が悪い人達。
軽装だけど鎧を着ているところを見ると、バトラックスの兵士さんかしら。
「あの、すみません。通れないので、道をあけていただけますか?」
「なんだい姉ちゃん。ゲームの邪魔するのはなしだぜ」
「黒髪たぁ珍しいなぁ。どこの出身よ?」
「この子にお酌でもしてもらうか? ギャハハハ!」
むぅ。お酒臭い……。
酔っぱらってるの、この人達?
突然、兵士さんの一人が私の腕を掴んできた。
びっくりしてしまったけど、ここで怯えた素振りでも見せようものなら、ますます調子に乗られてしまうわ。
こういう悪い男には、ハッキリと言ってあげないと!
「断りもなく女性の体に触れるなんて、無礼なお方ですわね」
「言うじゃねぇか。田舎娘のくせに、バトラックスの兵士様に説教か?」
「お望みならば」
「言うねぇ~!」
一向に手を離してくれないわね。
私の肩に乗っているカーバンクルちゃんも、そろそろ苛立ってきたみたい。
どうしたものか、と思った瞬間――
「がっ」
――視界の外からグーパンチが飛んできて、兵士さんを殴り倒してしまった。
「レディに失礼じゃろう、バカタレ」
「す、すみません! 隊長っ!」
「謝るならわしにではなく、この麗しいレディにじゃろうが!」
「はいっ! ……お嬢さん、どうかお許しください! どうかっ!!」
殴られた兵士さんが、必死の形相で私に頭を下げてくる。
私は目を丸くしたまま、隊長と呼ばれた人へと視線を移した。
口調がお爺さんぽいけど、その人は――
「レディ。わしの部下が無礼を働いたことを詫びさせてほしい。申し訳なかった」
――私よりも背が低く、あどけない顔をした男の子だった。
彼は自分の背ほどもある剣を背負うと、三人の兵士さん達を怒鳴りつけている。
……よほど怖がられているみたいね。
でも、私から見るとこの隊長さん、言っちゃなんだけどぜんぜん怖くない。
「あの、もうその辺で……」
「気を使わせてしまってすまんのう。さぁ、お通りを」
「ありがとう」
男の子が道を開けてくれたので、私はようやく通路を通ることができる。
「ザターナ嬢、私も一緒に行きます!」
その時、車間扉が開かれて五号車からアルウェン様がやってきた。
「あら。別にかまいませんのに、アルウェン様」
「そういうわけにも――」
四号車に入ってきて早々、アルウェン様が足を止めた。
「――な! 馬鹿な、なぜ貴様が……!?」
その顔は、一瞬にして驚きと戸惑いの表情に変わった。
彼女は何を見てそんなに動揺しているの……?
「これはこれは、奇異なことが起こるものよ。なぜゆえ、セントレイピアの風使いがこんな場所におるのやら?」
男の子がアルウェン様へと顔を向けた直後――
「軍神トールッ!!」
――彼女は鞘から剣を抜き放った。
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