62. 辺境での一波乱
聖都を発ってから三日目。
私と親衛隊の乗る馬車は、久しぶりに辺境都市フロンテへと訪れた。
私は聖都を発ってからというもの、ずっとそわそわしていた。
替え玉を任せることになったレイが無事に聖女をやれているか、気になって仕方がなかったから。
「レイのことが気になるのか、ザターナ」
「……はい。ぶっつけ本番であんなことを頼んでしまいましたから」
「心配しなくていい。レイの演技はなかなかのものだ」
「ルーク様は、彼女の劇を観たことが?」
「最初に観たのは寄宿学校時代だったな。当時は酷いもので……フフッ」
ルーク様が急に思い出し笑い。
とても心配になってしまうのですけど……。
「だが、ソロが大丈夫と言っている。俺はあの二人を信じるだけだ」
「信じる……。そうですわね」
ルーク様の言う通りだわ。
バレれば罪に問われかねない作戦に進んで協力してくれている二人を、私も信じるべきね。
……こうやって替え玉にヤキモキしている今の気持ちって、きっと旦那様やヴァナディスさんがいつも私に感じていたものなんでしょうね。
同じ立場になってみて、初めてそれが実感できるわ。
◇
辺境都市に着いて早々、私達は身分を偽って宿に身を潜めた。
当面の目的は、辺境伯から件の錬金術師の紋章について聞き出すこと。
彼がザターナ様をバトラックスへ送ったのならば、それは例のゲートを使った方法以外にあり得ない。
ならば、ゲートの鍵となる錬金術師の紋章を辺境伯はご存じのはず。
……問題は、お城にいらっしゃる辺境伯とどうやってお会いするかね。
「レイアを頼らないのか?」
「今回は状況が状況ですし、それにようやく自由を得たレイアを巻き込みたくはありません」
「とは言え、忍び込むのは困難だぞ」
「兵士さんに事情を説明できない以上、辺境伯だけにこっそり私の来訪を知らせられれば……」
妙案が出ず、私とルーク様が頭を悩ませていると――
「そんなの簡単じゃないか。何を悩む必要がある?」
――得意げな顔でアスラン様が言った。
「アスラン様。殴り込みとか、そういうことはダメなんですからね」
「僕達が中に入れないなら、相手を呼び出せばいい」
「でも、素性を隠したまま兵士さん達に言伝を頼んでも……」
「馬鹿だなぁ。窓に向かって投げ文でもすりゃいいだろう」
……そうか。
その手があったわね!
「アルウェン様、インクと紙を用意してください。ルーク様とアトレイユ様は、辺境伯の寝室の位置確認を。ハリー様は、投げるに都合のよい小石を探してきてください」
「聖女、僕は?」
「……アスラン様は、カーバンクルちゃんと一緒に私の護衛」
◇
それから少しして、すべての準備は整った。
「東の国のことで大事なお話があります、どうかお一人で南噴水地区の聖女像広場までお越しください――ザターナ、か。これだけで大丈夫なのか?」
「大丈夫ですわ、ルーク様。多くを語らずとも、辺境伯ならばその文脈で私の目的を察してくれるでしょう」
「東の国のことで、と書かれて向こうは意図を察してくれるのか?」
「そ、それは――」
辺境伯は、私が偽物の聖女だと気づいている。
なら、手紙に東の国のことと書かれれば、私が本物のザターナ様を捜していることも察しがつくはずだわ。
なのだけど、それについて親衛隊に真実を説明するわけにも……。
「――フラメール様がバトラックスに向かったのであれば、きっと辺境伯が例のゲートを教えて差し上げたに違いないですわ!」
「それも確かなことではないが……きみがそう考えるのであれば従おう。ザターナの勘は当たるからな」
ルーク様から手紙を返された私は、小石を包み込むようにして紙を丸めた。
さらに紐でそれを結わいて……投げ文完成!
「あとは、これを辺境伯のお部屋に投げ込むだけですわね!」
「そのことだけど、辺境伯の部屋は窓が閉じられていた。明かりが見えたから就寝されていないと思うけど、窓ガラスを割るとなれば騒ぎになるんじゃ?」
「安心なさって、アトレイユ様。一時的に騒ぎになるでしょうけど、投げ文を見てすぐに辺境伯が治めてくれるはずです。無礼な手段ですが、非常事態であることは伝わるかと」
私が投げ文を持ったまま席を立つと、親衛隊がざわめいた。
「も、もしかして……ザターナ嬢が自分で投げるのかい!?」
「あら。私の投擲能力も馬鹿になりませんのよ」
「それは……まぁ認めるけど……辺境伯の部屋は三階だよ?」
「大丈夫です。これでも私、日々投擲の鍛錬は積んでいましたから!」
ヴァナディスさんにもバレないように、こっそりと練習してきたんだもの。
今では、3m先の的に10回投げて7回ヒットするくらいにはなったわ!
「投げ文のお供は、アトレイユ様とハリー様。ルーク様とアスラン様は、先に広場で待機。アルウェン様は、馬車の用意を」
「ザターナ。くれぐれも気をつけて」
「はい。ルーク様もアスラン様をお願いしますね」
私はベッドの上で寝息を立てているカーバンクルちゃんを撫でてから、ローブを羽織ってドアへと向かった。
ルーク様がドアを開けてくれたので、私が敷居をまたぐと――
「ずいぶん癖字が多くなったな」
――すれ違い様、彼が小さな声で耳打ちしてきた。
「え?」
「いや。読めるからそれは問題ではないが」
彼はそう言ったきり、何も言わずに私を送り出した。
……なんだろう?
今の指摘を受けて、私は心がざわついたような気がした。
◇
暗がりの中、私達はお城のそばにある茂みの中で息を潜めていた。
私の正面には、ちょうど辺境伯の寝室の窓が見える。
お部屋からはまだ明かりはついている。
時折、カーテンの奥でゆらりと人影が動くことがあるので、辺境伯はまだお眠りにはなっていない。
「アトレイユ様、ハリー様。参りますよ!」
「ザターナ嬢っ」
「はい?」
「もしよければ俺が代わりに投げるけど……」
「もうっ。アトレイユ様ったら、私の投擲能力をお疑いに?」
「そう……じゃなくて、念のため俺が投げた方が」
「大丈夫ですってば!」
「いやぁ~……」
どうしてこんなに疑うのかしら。
私の投擲で、アトレイユ様をお助けしたことだってあるのに。
「ザターナ嬢。僕もアトレイユさんの意見に賛成なんですが……」
「ハリー様までっ!?」
……ここまで信用がないと、私らしくもなく意固地になっちゃうわね。
「大丈夫です。お任せくださいっ」
私は茂みからお城の敷地内へと飛び出した。
今は、周囲に巡回している兵士さん達の気配はない。
チャンスだわ!
私は投げ文を握って、大きく振りかぶり――
「てやあっ!」
――目的の窓へと投げつけた。
「おおっ」「ああっ」
「……ふふんっ」
私が投擲した投げ文は、見事に目的の窓に向かって弧を描いた。
……そう。
たしかに弧を描いたのだ。
「あれ?」
でも、窓の割れた音がしたのは一階のお部屋。
しかもそのお部屋は……。
「や、やばいっ! あそこは会議室じゃないか!」
「ザターナ嬢、早くこちらへっ!」
「あ、あれぇ~!?」
私がハリー様に茂みへと引っ張り込まれる直前、会議室の割れた窓から何人もの兵士さんが顔を覗かせてきた。
しかも、私の姿を見られてしまった。
さらにしかも、その兵士さんがおでこから出血。
手には、私の投げ文が握られていた。
「襲撃だぁーーーっ!!」
「城の東側にある茂みに賊らしき人影を確認!」
「兵を集めて賊を捕らえろっ」
……こんなつもりはなかったんです。
ごめんなさい。
◇
私達はアルウェン様の操る馬車に乗せられ、急ぎ聖女像広場まで向かった。
早急に、広場で待機しているルーク様とアスラン様を拾わないと、賊として捕まってしまう。
「ごめんなさい、まさかこんなことに……」
「俺の方こそすまない。やはりきみに投げさせるべきじゃなかった」
「ですね。僕もあの場に居合わせながら、ザターナ嬢を止められないなんて」
お二人とも、私をフォローしているように見えて案外チクチクくるわね。
「あの手紙、辺境伯に渡るでしょうか」
「……無理じゃないかなぁ。一瞬だけど、べっとりと血がついていたのが見えた」
「あれじゃ、凶器として処理されそうですよね」
アトレイユ様とハリー様が苦笑いしながら言うので、私は耳が痛い。
その後、聖女像広場でルーク様とアスラン様を回収。
私達はすぐに宿へと戻り、馬車も隠した。
フロンテはすぐに兵士さん達の捜査網が拡がり、うかつに宿の外に出ることすらままならなくなってしまった。
◇
しばらくしてから、私達の宿泊する宿に兵士さんがやってきた。
一部屋ずつ、宿泊客の顔を確認しているみたい。
……きっと私のことを捜しているのね。
どうしたものかと思っていると、私の部屋にも兵士さん達が訊ねてきた。
「この部屋はきみ一人か?」
「はい」
「宿泊客の中に、金髪の女性が廊下を歩いているのを見たという証言があるのだが、きみは何か知らないか?」
「さぁ~。あたし~、お部屋から出てないからわかんないわ~」
「そうか。夜分、失礼した」
「いえいえ~。ご苦労様です~」
「しかし、きみの髪の毛……黒い色とは珍しいな」
「あら~。そうですか~?」
「いや、失礼。詮索するつもりはないのだ」
そう言って、兵士さんはバタンとドアを閉めた。
私がドアに耳を当てて廊下の様子をうかがうと、彼らは隣の部屋のドアをノックしている様子。
……なんとか疑われることは避けられたみたい。
「はぁ……。よかったぁ」
私は深い溜め息をついた後、ベッドに倒れ込んだ。
……かび臭いベッド。
アンデルセンの孤児院を思い出すわね。
今の私は、元の黒髪へと戻っている。
お城から逃げだす時に顔を見られたと思った私は、宿に戻って急遽、金色の整髪料を落とした上で、髪型もメイド時代のものへと戻していた。
フロンテにいる間は、昔の頭でいた方が良さそうね。
と言うか、これからバトラックスに入るわけだから、しばらくこのままの方が良いかもしれない。
「他の部屋にいる親衛隊は大丈夫かしら。アトレイユ様とハリー様は姿を見られていないと思うけど」
そんなことを思っているうちに、私は瞼が重くなってくるのを感じた。
この三日間はずっと気が休まらなかったから、ベッドに倒れたことで急な睡魔に襲われたみたい。
「少し……仮眠を……」
そうつぶやいた直後、意識がまどろみへと落ちていくのを感じた。
◇
「――ナ嬢! ザターナ嬢!!」
「はひっ!?」
私がハッと目を覚ますと、窓からは日の光が差していた。
薄暗い部屋の中には、私に覆いかぶさるようにして誰かの姿が……!
「だ、だだ、誰ですっ!?」
「あっ。失礼しました。廊下からお呼びしても、まったく起きてこられなかったので」
すっと身を退けたその人物は、アルウェン様だった。
「ごっ、ごめんなさいっ! 私、すっかり寝込んでしまって……」
「聖都から長旅でしたからね。お疲れだったのでしょう」
……は、恥ずかしい。
寝顔を見られてしまったわ。
「本当はもっとお休みになられていた方が良いのでしょうが、そういうわけにもいかなくて」
「どうしたのです? ま、まさか昨日の件で何かがっ!?」
「……ええ。ちょっとまさかの事態が」
「誰か捕まったのですか!? アスラン様!? それとも、すでに宿が包囲されているとか!?」
「あー。いえ、そういうのではなく……」
私がふと部屋の入り口に目を向けると――
「眠り姫のようにはいかなかったね。キスしちまえばよかったのにさ」
――見覚えのある女性が立っていた。
「そ、そんなわけにはいかないでしょう!」
「男だろうと女だろうと、愛の始まりは口づけからだよ。他の連中に抜け駆けするチャンスだったのに、もったいない」
「騎士として、そんな卑劣な真似はできませんよ!」
「女同士の愛……それもなかなか燃えるものだよ。観客としては、ね」
まるで深い海のような藍色の長い髪が、サラリとなびく。
長身でスタイルも良く、目を見張るほどの美人だわ。
「オードリー様!?」
「お久しぶりだね、聖女様――」
彼女は指先に血のついた紙をつまんで、ヒラヒラさせていた。
それは、私が書いてお城へと投げつけた手紙……。
「――相変わらず無茶、やってるねぇ」