52. 希望の火
その声は酷くしゃがれていた。
明らかに人間とは異なる不気味な声に、私は鳥肌が立つ思いだった。
「はん! まさかと思ってカマをかけてみたが……大当たりとはな」
「アスラン・ペベンシィ。ノウあるタカはツメをカクス、か。キグルいではナカッタとは」
「小動物のくせにおしゃべりなやつだな!」
私はアスラン様に目を塞がれていて、何も見えない。
一体アスラン様は何と話しているの!?
「ワタシは、オマエのようにアタマのヨいコはスキだ」
「そうかい。なら、後学のために解剖させてくれよ」
「ソレはコマル。ワタシのジャマをスルのなら、イカシテはオケナイ」
「時代遅れの悪霊がでかい口を叩くな! 僕が引き金を引けば、おまえは」
アスラン様の声が、突然止んだ。
不意に私の目元から彼の手が離れたかと思うと、ガシャンとテーブルに何かが崩れ落ちる音が聞こえた。
……位置関係からして、アスラン様に違いなかった。
「メをヒラいて、ザターナ。ジュリアスのコウチャがまだノコってイル。ハナシをツヅケヨウじゃなイカ」
「あなたは……黒イタチ、なの?」
「シリたいカイ」
「教えてくれるの?」
「カンタンなコトだ。目をヒラいて、タシカめてゴラン」
私は目を開きたい衝動に駆られた。
でも、私の指先に触れたカーバンクルちゃんの体が冷たくなっているのを感じて、その衝動も霧散してしまった。
……死んでいる?
そんな、まさか、嘘でしょう。
私は恐怖に怯えながら、ただただ瞼を閉じたままでいることに努めた。
「……ココマデか。ザターナ、フタツほどキミへのオネガイをツタエテ、ワタシはサルとシヨウ」
「願いですって……?」
「センキョのケッカがどうなろうトモ、コンヤクシャにはジュリアスをエラんでホシイ。ソウすれば、カーバンクルとアスランのタマシイはカエしてアゲよう」
「魂!? 何のこと……!?」
「もうヒトツ、このコトはダレにもイワナイほうがイイ。ワタシをメシトロウとスレバ、ギセイがオオキクなる」
「犠牲……」
「ワタシは、このジダイをシズカにイキタイ。ソットしておいてホシイだけナノダ」
「……」
「オネガイはキイテくれタネ?」
その声を最後に、ジュリアス様の座っている方から衣擦れの音が聞こえる。
立ち上がったようなそんな音だった。
その後、ドアへ向かう足音が聞こえ、ドアを開き、閉める音が聞こえた。
……もう応接間に何かが動く気配は感じない。
でも、本当に目を開いて大丈夫なの?
「誰か?」
……静寂。
「誰もいないの?」
……返事はない。
「……」
私が目を開くと、応接間には誰の姿もなかった。
テーブルの上に、カーバンクルちゃんと、アスラン様が倒れているだけ。
◇
トバルカイン子爵邸は大騒ぎになっていた。
親衛隊による厳重な監視の中、応接間でアスラン様が死亡。
外傷は一切ない。
不摂生な生活にも関わらず、生まれて一度も病にかかることもなかったそう。
そんな彼に訪れた突然の幕切れ。
加えて、カーバンクルちゃんも冷たくなっている。
古の錬金術が生み出した生体兵器ですら、こんなにあっさりと……。
「何が起こったのか説明してくれ、ザターナ」
「……わかりません」
「ザターナ、しっかりしろ」
「……」
旦那様が困惑した様子で、私の顔を覗きこんでいる。
……ごめんなさい。
私には旦那様の問いかけには答えられない。
アントワーヌに口止めされている以上、誰にも応接間でのことは話せないの。
「旦那様、お嬢様はお疲れです。どうかこれ以上は」
「……そうだな」
ヴァナディスさんのおかげで、旦那様は問うのをやめてくれた。
私は彼女に寄り添われて、お部屋へと連れられて行く。
……背中に感じる、旦那様や親衛隊のみんなの視線が痛い。
「何があったの?」
「……」
こればかりは、ヴァナディスさんにも言えない。
◇
アスラン様のご遺体は、すぐにペベンシィ伯爵邸へと移送された。
私はお屋敷から運び出される彼の棺桶を見送った後も、動悸が収まらなかった。
「どうしよう」
言い知れぬ恐怖のせいで、思考が鈍る。
何をするべきなのか、何ができるのかすら、今の私にはわからなくなっていた。
だって、こんなにあっさり大切なものが失われるなんて思わなかったから。
私自身、まだ現実を受け入れられていないんだもの……。
しばらくして、ヴァナディスさんが紅茶を淹れてきてくれた。
「カーバンクルは、ひとまず空き部屋に置いてきたわ」
「……ありがとうございます」
「とても信じられないわね。あのクソガ――アスラン様が」
「……」
「みんな、あなたのことを心配しているわ。お医者様は、よほどショックなことがあって放心状態に陥ってるって言うけど……」
「……」
「応接間でのこと、本当に何も覚えていないの?」
「……」
「もう何も聞かないわ。安静にしていてね」
ごめんなさい、言えないの。
大切な人を失うのは、もう絶対に嫌だから……。
「でも、あなたが覚えていなくても大丈夫。旦那様が王子殿下に事情を訊ねに行っているから」
「えっ」
「一緒にいた殿下なら、何が起こったのか知っているだろうって――」
「連れ戻してっ!」
「えっ!?」
「今すぐ旦那様を連れ戻してください! でないと……っ」
「落ち着きなさい、どうしたの突然!?」
「旦那様が……っ」
「旦那様が宮廷にお出かけになられたのは、もう二時間も前のことよ。すでに宮廷に着いてるんじゃないかしら」
「そん……な……」
私は足腰の力が急になくなったかのように、床にへたり込んでしまった。
嫌な予感が私の胸をざわめきたてる。
……苦しい。息ができない。
「ダイアナ、しっかりなさい! ダイアナッ!?」
ヴァナディスさんに肩を揺さぶられた直後、私は目の前が真っ暗になった。
◇
私がベッドで目を覚ました時には、窓から夕日の光が差し込んでいた。
過呼吸……でも起こしたのかしら。
少し眠ったからか、さっきよりはだいぶ落ち着いたみたい。
「……お腹空いたな」
お腹の虫が鳴ったので、私はふらふらとドアへと近づいていった。
その時、廊下が嫌に慌ただしく感じた。
ドアを開いて廊下に顔を出すと――
「ザターナ……ッ」
――部屋の前には、ヴァナディスさんが顔面蒼白の顔で立っていた。
その周りでは、親衛隊の殿方達まで暗い顔をして。
「ど、どうしたの……ヴァナディス?」
「旦那様が……」
「え」
「旦那様がっ」
旦那様が宮廷で亡くなられたと、彼女は言った。
◇
……いつの間にか、夜が明けていた。
私は青ざめた顔のまま、化粧台の鏡を見入っている。
私ったら、なんて顔をしているの。
こんな弱々しい顔、ザターナ様なら絶対にしないのに……。
「どうしよう」
そうつぶやいた時、ドアをノックされる音で我に返った。
「お嬢様。こんな時ですが、よろしいでしょうか」
「……どうぞ」
部屋に入ってきたのは、メイドだった。
彼女は私の顔を見るや、泣きそうな顔で用件を伝え始める。
「だ、旦那様の、ご、ご遺体は……ひっく。明日こちらに……ぐすっ。納棺式は……婚約者選挙後に……ううぅっ」
この子ったら、顔が涙でぐじょぐじょになっているわ。
「わかったわ。ありがとう」
「神父様の立ち合いなど……ぐすっ。もろもろの手配はメイド長が……ひんっ」
私は泣きじゃくる彼女を自然と抱きしめていた。
亡くなられてから使用人に泣いてもらえるなんて、やっぱり旦那様は立派なお方だったんだわ。
……でも。
私も泣きたいはずなのに、不思議と涙は出ない。
何かが心に引っかかっている気がする。
……それは何?
「あ、あと――」
メイドが、エプロンのポケットから私に封筒を差し出した。
封蝋もされていない手紙なんて、一体誰が?
「――これをお嬢様に」
「誰からの手紙?」
「アスラン様です」
「えぇっ!?」
まさかの差出人に、私は声を上げてしまった。
彼女から封筒をひったくると、たしかにアスラン様の名前が書かれている。
「中身はなんて?」
「先ほど見つけたばかりで、誰も見ておりません」
「どこでこれを?」
「中庭にアスラン様が勝手にお建てになった、掘っ立て小屋の中に……」
そう言えば、そんなものあったわね。
彼、夜はそこで寝泊りしていたみたいだけど……。
「今朝から解体を進めていたのですが、机の上に置いてありました」
「……ありがとう。下がっていいわ」
ペコリと頭を下げて部屋を出て行く彼女を見送った後。
私は急いで便箋を取り出して、中身を読み始めた。
「……!!」
なんて汚い字なの!
こんなの読めないわよっ!!
私は思わず手紙を床に叩きつけたい衝動に駆られた。
アスラン様ったら、亡くなった後も私を困らせるのね……。
私は心の中で突っ込みを入れた後、辛抱強く手紙の解読を進めた。
窓の外が真っ暗になる頃――
「こ、これって……!」
――手紙を読み終わった私は、冷めてしまった心に火が灯った気がした。
それは、希望の火と呼んで差し支えないものだわ。
◇
――聖女へ――
この手紙を聖女以外が読んでいたら、そいつは便箋に塗られた毒で死ぬ。
ざまぁみろ。
(中略)
とりま聖女が読んでいると仮定して書くことにする。
この手紙をおまえが読んでいる時、たぶん僕は冷たくなっているだろう。
きっと応接間で謎の突然死が起きて大騒ぎになっていると思う。
(中略)
単刀直入に書こう。
カトブレパスというモンスターを知っているか?
そいつは呪いを宿した青い瞳を持っている。
文献によると、ひと睨みでどんな生き物でも即死させたそうだ。
しかし、厳密には魂を吸い取って仮死状態にするらしい。
つまり、人間の魂を食料にして生き続けるクソ忌々しい(自主規制)なわけだ。
これだけ聞くと(自主規制)で(自主規制)な存在だが、それは裏を返せば、魂を取り戻しさえすれば犠牲者は蘇生できるということだ。
たぶんこいつを(自主規制)してしまえば条件を満たせると思う。
だから、僕の体を勝手に燃やしたり埋葬したりするなよ。
絶対だぞ?
で、何が言いたいのかと言うとだ。
第三王子のペットこそが、そのカトブレパスだと僕は睨んでいる。
なんで王子がそんなものを飼うようになったのか?
その経緯は不明だし、興味もない。
だが、アトレティコ先輩から又聞きした元王女の話から察するに間違いない。
僕がやられた今、おまえと先輩方でなんとかあいつを(自主規制)てほしい。
なぜおまえに頼むのかと言えば、おまえは白虹眼を持っているからだ。
白虹眼なんて、昔語りでたまに聞く魔除けの眼力という程度の錬金術師にはまったくそそらない退屈な特殊体質に過ぎないのだが、カトブレパスが相手なら話は別だ。
その眼があれば、あの(自主規制)を(自主規制)にして(自主規制)できる!
……と思う。
僕が失敗したことで、ガラスの類を間に挟んでも呪いは防げないとわかった。
あいつと目を合わした瞬間に終わりだと言うことを忘れるな。
カトブレパスについてもっと詳しく知りたければ、国立図書館の稀覯幻書の棚にある青い装丁の本を調べろ。
これまでの情報は、昔そこで盗み見たものだ。
追伸。
第三王子だが、あいつは昔から自分のないカラッポなやつだった。
カトブレパスの瞳には、おそらく暗示や催眠のような力もあるのだろう。
だから、あいつは人形のように操られているのだと思う。
ついででいいから、助けてやってくれ。
――天才 アスラン・ホープ・ペベンシィより――
……はぁ。
なんて口汚い手紙なのかしら。
でも、たしかな希望が湧いてきたわ。
ありがとう、アスラン様!
私は手紙を懐にしまうや、廊下へと飛び出した。
「ヴァナディス!」
「ダ……じゃなくて、お嬢様! どうされたのです!?」
慌てた様子で、廊下の奥からヴァナディスさんが駆け寄ってきた。
乱心したのかと思われたのかしら。
「宮廷に連絡を。お父様のご遺体を今すぐ冷えた暗所へ移すようにと! アスラン様についても、同様のことをペベンシィ伯爵に伝えて!」
「突然何をおっしゃるのです?」
「彼らはまだ死んではいないの! 蘇生させられるわっ!」
「ああ……。お嬢様、とうとう気がふれて――」
「違いますからっ!」
ようやく落ち着きを取り戻したお屋敷は、私の発言で再び慌ただしくなった。
火のついた私はもう止まらない。
アントワーヌの正体がカトブレパスだとして、私は覚悟を決めてあなたに挑む。
静かに生きたいから、邪魔する者は排除する。
そんな身勝手な理由で死をばらまくような怪物を捨て置くことはできない。
私は、聖女としてカトブレパスを退治してみせます!!