51. 古の青い瞳
辺境を出てから三日。
私の乗る馬車は、聖都へと戻ってきた。
道すがら、馬車とすれ違う人々が私に手を振ってくる。
聖都を馬車で走る時はよくあることだけど、今日はいつになく多いわね。
「聖女様! ご婚約は誰となさるんですかぁーっ!?」
「ルーク様とならお似合いですよーっ」
「ぜひともアトレイユ様と!」
「私達のハリー様を取らないでぇーーっ」
……。
婚約の件は、すっかり市民に知れ渡ってしまっているわね。
それに、なぜ王子殿下ではなく親衛隊のみんなの名前が出てくるの。
どういうこと?
◇
お屋敷に戻ってから、旦那様とヴァナディスさんから話を聞いて驚いた。
「婚約者の国民投票!?」
「そうだ。今日より四日後、聖塔前広場で婚約者決定選挙が催されることになった。ジュリアス王子殿下に親衛隊の五名――計六名を対象に、な」
「どうしてそんなことに……!?」
「第三王子と対立する派閥が、聖都市民に今回の件を漏らしたらしくてな。以前、ヴァリアントによって王侯貴族や聖職者の不正が明らかにされたこともあって、現政権に対する国民の不満は高まっている。同時に、第三王子こそ次の国王に相応しいという声もな」
「ジュリアス様は慈善事業で国民からの評価も高いのですよね。でも、たしか王位継承権は低かったかと……」
「国民にしてみれば、継承権の順位など関係ない。彼らにとって大事なのは、どれだけ国民目線で政治を考えてくれる者が次の王位に就くかだ」
「ジュリアス様が、その急先鋒に担ぎ上げられているということですか」
「第三王子派閥の連中はそのつもりだろう。聖女を娶ることで、第三王子の人気は国王をしのぐ可能性すらあるのだからな」
また政治か、と思うと私は辟易してしまう。
為政者は国民の生活にも目を向けるべきなのに、彼らは国を支える人々を蔑ろにしている。
ルーク様がかねてより不満に思うのもわかるわ。
……でも、妙な話ね。
国民投票なら、その六名の中でもジュリアス様が有利な気がするけど。
「もしやジュリアス様の不利に働くようなルールが?」
「国民投票と言っても、セントレイピア国民すべてに投票権があるわけではない。聖都で暮らす推定七万人のうち、貴族、聖職者、兵士、商人、専門職、兵士といった中層階級以上の成人のみに投票権が与えられる」
「すべての市民に投票権が与えられるわけではないのですね」
「下層階級者には、各区画の領主に意見を伝える余地が与えられる。票には関わらない体の良い憂さ晴らしだがな」
「貧民街の人達の票を得られないのなら……たしかに、彼にとって不利ですね」
「敵対派閥にとって大事なのは、第三王子の投票数を二位以下に抑えること。親衛隊の支持者にも思惑があるだろうし、選挙では組織票が相次ぐだろう」
「ザターナ様の婚約が、政治の道具に使われるのですか……」
「こだわり過ぎるなよ、ダイアナ。いくら聖女でも、国の政治にまで関わるのは体裁が良くない。ましてや偽物なら尚更だ」
そう言って、旦那様は私に退出をうながした。
私にとっては納得しかねる話だった。
実の娘の一生を決める相手を選ぶ方法に、旦那様はこだわらないの?
それで……本当によろしいの?
なかなか動こうとしない私を、ヴァナディスさんが廊下へと引っ張り出した。
彼女は眉をひそめながら、無言で私を連れて廊下を歩きだす。
「ヴァナディスさん、これでいいのでしょうか」
「流されるままにならざるを得ない時もあるわよ。気を落とさないで」
聖女の使命は、次なる世代へと正しき心を引き継ぐこと。
国の政治が不正を孕んでいるのに、本当の意味でその使命を果たすことができるのかしら。
◇
私は気晴らしに一人、中庭の花壇を見て回っていた。
そのうち、警備中のルーク様が隣にやってきて一緒に歩き始める。
「いつも元気なきみが落ち込んでいるなど、らしくないな」
「ルーク様……」
「先ほど侯爵の遣いとしてソロがやってきてね。騒ぎの経緯を聞いたよ」
「そうですか」
「仮にも聖女の婚約という大事を、国民の不満の矛先を変えるためのイベントに仕立て上げるのは気に入らない」
「同意します」
「この数日、第一・第二王子の派閥が巧みに市民を焚きつけて、この流れを作り出したそうだ。対抗馬に親衛隊の五名が選ばれたのも、知名度や人気が高いからに過ぎない」
「……お一人、微妙な方がいらっしゃいますけど」
私が言うと、フフ、とルーク様が小さくお笑いになった。
「宮廷とエルメシア教にしてみれば、誰が選ばれても国民不満を解消できれば良し。第一・第二王子の派閥にしてみれば、王子以外が選ばれるなら誰でも良し。権力者の都合で振り回されるのは、真っ平だ」
「それにも同意します」
「俺にはまだそんな時勢を変える権力はない。だが、いざとなればきみの望まぬ決め事など親衛隊で跳ねのけるという同意は済ませてある」
「ルーク様……」
「きみに頬を叩かれてから二ヵ月。きみを追いかけて、ずいぶん長い道を歩んできた気がする。今になって、妥協するきみを見たくない」
「……」
「思うままに行動してくれ。俺達は、必ずきみを守り遂げる」
「ありがとう、ルーク様」
最後に私に笑いかけると、ルーク様は中庭の警備に戻って行った。
私には心強い味方が五人もいるのだと思うと、勇気が湧いてくる。
いざという時には、私も彼らと共に抗おう。
……そう思えるほどに。
◇
その日のお昼過ぎ。
穏やかだったお屋敷で、嵐が来たかのような騒ぎが起こった。
「ざざざ、ザターナ様ぁ~!」
「どうしたの?」
最初に騒ぎ出したのは、メイドだった。
彼女は転びかねない勢いで食堂に飛び込んできて、私とヴァナディスさん、そして食卓についていたアスラン様を驚かせた。
「おい、メイドその7! 少しはゆっくり入ってこい。びっくりしてフォークを落としちゃったじゃないか」
「も、申し訳ございませんっ!」
「で、何の用だ。貴族令息がプレゼントを抱えてやってきたなんてつまらん理由だったら、花火をぶっ放すぞ!?」
「そ、それが……っ」
メイドは慌てふためいて、なかなか言葉が出てこない様子。
私はアスラン様をたしなめた後、彼女に深呼吸するように言った。
しばらくして落ち着いた彼女は――
「じゅ、ジュリアス王子殿下がお越しになっておりますっ」
――大いに私を驚かせてくれた。
◇
応接間にて、私はジュリアス様と向かい合って座っていた。
私の肩にはカーバンクルちゃんが不機嫌そうに座り、彼の首元には黒いイタチのアントワーヌが巻きついている。
……アントワーヌ。
あらためて見ると、本当にイタチかどうか怪しい程度には不気味だわ。
赤い瞳に、もう片方の目には眼帯。
長い胴体に巻き付かれていて、ジュリアス様は平気なのかしら。
モフモフしていて、気持ちいいのかな?
「忙しい中、時間を取ってもらってありがとう」
「いいえ。昨今の騒ぎで、私はお屋敷からおいそれと外には出られない身です。訪ねてきてくださって、嬉しいですわ」
天気の話題から始まり、趣味や衣服や社交界など、当たり障りのない会話が続く中、部屋のドアがノックされた。
ドアが開かれると、ヴァナディスさんが湯気の立つカップを乗せたトレイを持って入ってくる。
「いい香りですね。西方の茶葉を使った紅茶かな」
「ご名答ですわ、王子殿下」
ヴァナディスさんがテーブルに近づいてくるのと同時に、閉まりかけたドアからするりとアスラン様が入り込んできた。
しかも、普段は帽子に巻き付けているゴーグルでなぜか目元を隠している。
「よう! 久しぶりだな、第三王子!」
突然背後から声が聞こえて、ヴァナディスさんがトレイを落としそうになる。
とっさに私がトレイを支えたので、紅茶の中身が床にぶちまけられることはなかったけど……。
一体何を考えているの、この方は!?
「やぁ。誰かと思えば、アスランじゃないか。卒業以来だね」
「そのイタチ、在学中から首に巻いていたが鬱陶しくないのか?」
「ははは。この子は僕の兄弟みたいなものだからね。寝る時だって一緒さ」
「はん。そんな生き物を連れまわされちゃ、周りの連中もさぞ迷惑だろうよ!」
……アスラン様、それは私のことも言っているのかしら?
カーバンクルちゃんは、うかつに触りさえしなければ大人しくていい子だって、お屋敷のメイド達からも好評なのよ?
「まぁ、いいや――」
よりによって、アスラン様は私の隣へと腰かけた。
礼儀知らずな方だとは思っていたけど、まさかここまでとは……。
「――おい、メイドその1! 僕の分も紅茶持ってきてくれ」
「その1!?」
「そうだよ。おまえメイド長だろ? だから、1番にしてやった」
「……そ、それはどうも」
テーブルにカップを置き終わった後、ヴァナディスさんが引きつった顔で私に目配せしてきた。
私は苦笑いを浮かべながら、こくりと頷く。
「か、かしこまりました、アスラン様。少々、お待ち、くださいっ」
明らかに憤慨した様子で、ヴァナディスさんは応接間を出て行ってしまった。
……戻ってきてくれるかしら。
「どうしたのかな、アスラン。僕はザターナ嬢と話をしにきたのだけど」
「気にするな、第三王子。それより、おまえも人間の女に興味があったんだな」
「どういうことだい?」
「寄宿学校の寮では、いつもそのペットの世話ばかりしていたからな。動物にしか興味のないカラッポな人間とばかり思っていたよ」
王子殿下に対して、なんてこと言うのこの人は!?
アスラン様の失礼な発言にもジュリアス様は爽やかな笑顔を崩さないけど、内心どう思っているのやら……。
「それは酷い誤解だ」
「つい先日、辺境に行く機会があってな。未発掘の古い遺跡があったんで、暇つぶしに調べていたんだ」
「……この場でする話かな、それ?」
「まぁ聞けって!」
アスラン様はテーブルに置かれていた私のカップを取って、紅茶をあおり始めた。
それ、私の紅茶なんですけど……。
「その遺跡は、大昔のモンスターの封印塚だった」
「封印塚?」
「去る魔法時代、世界はまさに剣と魔法とモンスターの時代だった」
「知っているよ。今は亡き魔法文明の隆盛期だ」
「文献によれば、人間の手に余るモンスターは生きたまま封じ込められることがままあったらしい」
「先日のアラクネも、古の錬金術で地下に封じ込められていたんだったね」
「錬金術と比べて、魔法による封印は面白いぞ。なんたって、魂を肉体から引き剥がしちまうんだからな」
「それは興味深い」
「分離した魂は特殊な金属片に封じ込められ、肉体はその後に滅却される」
「封印される側はたまったものじゃないね」
「一方、魂は時と共に風化していき、数十年かけてゆっくりと殺されていく。古代人はなかなかエグイことを考えるよなぁ」
……?
さっきからアスラン様が何を話しているのかわからない。
なぜ、今そんな話をする必要があるの?
「アスラン様。その研究の成果は、後ほど私がお聞きしますわ。この場はいったん下がっていただけませんか?」
「下がれないね。僕も親衛隊の端くれだから」
「えっ」
「封印塚を見つけた後、妙な黒イタチの話を聞いて思ったんだ。大昔のモンスターが、何らかの手違いで別の肉体に宿って生きながらえていたとしたら、元の姿の特徴が現れるんじゃないかって」
アスラン様が、脇に抱えていたポーションガンをジュリアス様へと向ける。
いいえ。その砲身は彼ではなく……。
「その物騒な物を下ろしてくれるかな、アスラン」
「魔法時代、セントレイピア地方にはひと睨みで生き物を呪い殺すモンスターがいた。そいつは青い瞳を持ち、皮膚が黒くただれた巨大な水牛のような姿をしていたそうだが……」
「もう一度言う。砲身を下ろすんだ」
「ずいぶん縮んだもんだなぁ?」
アスラン様の指が引き金にかかった直後。
私の肩に乗っていたカーバンクルちゃんが、全身総毛立たせて声を上げた。
「シャーッ!!」
彼は私が止める間もなく、ジュリアス様へと飛びかかった。
でも、宙に飛び出した刹那、カーバンクルちゃんは力なく弛緩してテーブルの上に落ちてしまった。
「聖女、目を閉じろ!」
私がカーバンクルちゃんを抱きかかえようとした時、アスラン様が私の目元を手で覆い隠した。
困惑する私の耳に、不気味な声が聞こえてくる。
「ワタシのコトをシるモノがまだイタとはな」
その声を聞いて、私はざわりと胸騒ぎを感じた。
それは、初めてジュリアス様と顔を会わせた時と同じ感覚だった。




