EX. 在りし日の夢Ⅱ
……夢を見た。
◇
『ダイアナ・ジェンドゥです。よろしくお願いします』
『よろしく』
初めてお会いしたザターナ様は、私に笑顔で挨拶してくれた。
瑞々しい金色の髪は、私の黒髪と違って煌びやか。
綺麗なドレスをお召しになっている彼女は、まるでお人形のようだった。
『ザターナ。この子はおまえと同い年だ。もう少ししたらメイドとして屋敷で働いてもらうことになる』
『そうですか』
『都へ出てきて間もない。おまえが色々教えてやってくれ』
『わかりましたわ、お父様』
旦那様からの紹介が済むと、私はザターナ様に手を引かれて廊下を歩きだした。
ふわりと私の鼻に香る百合の匂い。
彼女の横顔はとても凛々しくて、ひと目で見惚れてしまった。
◇
『ダイアナ、次はリスの真似をしなさい』
『はぁ。でもザターナ様、私、リスって見たことないんですが』
青い空の下。
お屋敷の中庭で、私はザターナ様のお相手をしていた。
『リスも知らないの?』
『ご、ごめんなさい』
『まぁいいわ。あとで動物図鑑を貸してあげる』
『……ありがとうございます』
『暗い子ね。もう少し嬉しそうに返事をしなさいよ』
『あ、ありがとうございます……』
『……ほんと、暗い子ね』
当時の私は、何も知らない女の子だった。
その一方で、ザターナ様はなんでも知っている女の子という印象。
しかも積極的に物事に取り組む人で、私はそんな彼女を尊敬していた。
でも、この時からザターナ様には近寄りがたい雰囲気があった。
……ような気がする。
◇
それからしばらくして。
私は春の陽気にあてられたのか、ふらふらとお屋敷を歩き回っていた。
『ザターナ様、おはようございます』
『おはよう。ずいぶん屋敷の生活にも慣れてきたみたいね?』
『はい。ザターナ様やみんなが良くしてくれるおかげです』
『もうすぐメイドとして馬車馬のごとく働かされるわ。それまで、せいぜい客分扱いを満喫するのね』
『はい』
いつもならそれっきりのところが、その日に限ってザターナ様は私と長くお話してくれた。
『メイドから聞いたわよ。あんた、読み書きの覚えが早いんですって?』
『そ、そうなんですか? 自分ではわからないですけど……』
『読み書きができるようになると、見識が広がるわ。せいぜい励むことね』
『……あの、前にお借りした本のことですけど』
『ああ。動物図鑑? 面白かったでしょ』
『それが……気味の悪い動物の挿絵ばかりで……』
『あっ! もしかして〈マゴニア魔物図鑑〉の方を渡しちゃった?』
『まもの……ずかん……?』
『昔マゴニアにいたモンスター達の図鑑よ。けっこう貴重な本なのよ』
『はぁ』
『暗いなぁ、もうっ!』
ザターナ様から会うたびに暗い暗いと言われるので、私はできるだけ明るくしようと努めるようになった。
そのための手本にしたのが、ザターナ様だった。
……私は、いつの間にか彼女を観察するようになっていた。
◇
ザターナ様はこの頃、旦那様と喧嘩をなさっていた。
私は仲睦まじいお二人がいがみ合うのを見るのが怖くて、いつも隠れていたことを思い出す。
『ザターナ! そろそろ聖女のお役目に戻ったらどうだ!?』
『嫌です』
『なぜだ。辺境に行く前は、自分から進んで聖女の使命をこなしていただろう』
『嫌なものは嫌なのです』
『いいかげんにしろ、ザターナッ!』
旦那様が眉間にしわを寄せて、ザターナ様の手を掴む。
『お父様。あたしは、嫌だと言っているのです』
『うっ……』
ザターナ様に凄まれた旦那様は、ふらりと後ずさってその手を離してしまった。
今にして思えば、これは〈聖圧〉の奇跡だと思う。
バツの悪そうな顔をしながら、旦那様が書斎へと戻って行く。
私は窓のカーテンに隠れていたけど、踵を返して廊下を歩いてきたザターナ様に見つかってしまった。
『……何やってるの、あんた』
『カーテンにくるまってます』
『見ればわかるわよ。それが何を意味するのか聞いてるのよ』
『隠れてました』
『あっそ』
ツンとしたお顔で、ザターナ様は私の前を通り過ぎて行った。
不意に、私の花に百合の香りが届いた。
『ザターナ様、仲直り……』
『何?』
『仲直り、したほうがいいです。旦那様と……』
『余計なお世話よっ!』
怒鳴られてしまい、私は隠れるようにカーテンへとくるまった。
その時の私は、廊下を歩いていくザターナ様の後ろ姿を見ながら、なぜご家族で仲良くできないのだろうと少し不満に思っていた。
私は暖かい家庭というものに憧れる。
父や母や兄弟姉妹のいる家族に憧れる。
アンデルセンで暮らしていた頃、私は同世代の子達と暮らしていた。
今ではその安否もわからないけど、私にとっては間違いなく家族だった。
あんな家族をもう一度作りたい。
自分の居場所を作りたい。
……そうだ。
私はこの時、そんなことばかり考えていたんだ。
◇
ある冬の日。
中庭に積もる雪を見ていて、昔を思い出した私は胸が苦しくなった。
いよいよ動悸が激しくなった時、廊下で倒れてしまった。
目を覚ました時――
『……あっ』
『せっかく部屋を与えられているのに、廊下でお寝んね?』
――私はザターナ様に介抱されていた。
『ご、ごめんなさいっ』
『もう落ち着いた?』
『は、はい……』
彼女の膝枕から身を起こすと、私は違和感を感じた。
……驚くほど体が軽かったから。
『聖女の奇跡は、お医者様いらずで助かるわね』
『え?』
『病気や怪我をしたら、あたしのところに来なさい。簡単なものだったら、治してあげるから』
この時、本当にこの方は聖女様なんだなぁと思った。
後に本で読んで知ったけど、聖女様は人の傷や病を癒す奇跡を起こせる。
それは〈聖養〉と呼ばれていて、聖女様が聖地巡礼する時に披露するデモンストレーションに使われるものだった。
『あんた、前髪どうしてあげないの?』
『え?』
『寝顔にいたずらしてやろうと思ったら、可愛い顔してたから見惚れちゃった』
『えぇっ!?』
『嘘よ。馬鹿ね』
『旦那様に言われていて……』
『お父様に? もったいないわね、可愛い顔してんのに』
『可愛い……わ、私がっ!?』
『ちょっと私に似てるしね。まぁ、人様に自慢できるお顔じゃない?』
いたずらっぽい笑みで言うと、ザターナ様は廊下を歩いて行ってしまった。
その日、彼女の言葉を真に受けた私は前髪を上げていたのだけど、旦那様に見つかってこっぴどく怒られたのを覚えている。
◇
ザターナ様が15歳の誕生日を迎えた日。
私は誕生会で山のように届いたプレゼント箱の整理を手伝っていた。
『お父様。ケノヴィー侯爵のご令息からいただいたプレゼント箱に、恋文のようなお手紙が入っていましたわ』
『またか……。これで何人目だ?』
『六人目ですわ。まだまだ増えそうですけど』
『おまえも今日で15だ。婚約者が決まり始める年頃ではあるな』
『でも、聖女の私には政治的な都合から婚約者は決めさせない、というお話でしたよね?』
『そうだな』
『なら、それをもっと徹底していただきたいですわ』
『わかっている。……だが、おまえ自身はそれでいいのか?』
『もちろんです。少しずつ聖女のお役目は再開していますし、殿方との恋にうつつを抜かしている暇はありませんもの』
『……そうだな』
『とりあえず、ケノヴィー侯爵のご令息には私からお断りの返事を書いておきますわ』
『そうしてくれ』
……思い出した。
ルーク様ったら、この頃からザターナ様にアプローチしていらしたのね。
旦那様が食堂をお出になった後、メイド達が食器の片づけをしている時。
私はザターナ様に呼びつけられた。
何のご用かと思ったら、彼女は余ったケーキの乗ったお皿を床の上に置いて、その前に腕を組んで立っていた。
『ダイアナ、犬の真似をしなさい』
『はぁ。でもザターナ様、私、これからお掃除があるんですが』
『私の言うことが聞けないの?』
『そ、それは……』
困った私がメイド達に目配せすると、みんな目を逸らしてしまう。
その時すでにメイド長だったヴァナディスさんも同じ。
『無理やり言うこと聞かせてあげましょうか?』
『……わかりました』
私は四つん這いになって、お皿に顔を近づけた。
その時、ふと気がついた。
『あの、このケーキはエルメシア教の大主教様が、ザターナ様のためにお作りになられた特別なものですよね?』
『だから? 甘ったるいだけのただのケーキよ』
『私が口にしてもよろしいのでしょうか?』
『犬の餌なら、ジジイどもも文句は言えないでしょう』
『はぁ』
『さっさと食べなさいよっ』
私は犬の真似をしながら、お皿の上のケーキを食べた。
……美味しかった。
◇
さらにしばらくした日のこと。
お屋敷からメイドの一人が去って行くのを、ヴァナディスさんが見送っているのを見た。
また一人、メイドが辞めてしまったみたい。
『きっとお嬢様に辞めさせられたんだわ!』
一緒にその様子を見ていたメイドが、泣きそうな顔で言った。
『ザターナ様はそんなことする方じゃないよ』
『何を言ってるのよ。あの方は、私達をいびって楽しんでいるだけじゃない! 聖女様だからみんな我慢しているけど、本当はすぐにでもこんなお屋敷出て行きたいと思っているのよ? あなたもそうでしょ、ダイアナ!?』
『私は別に……』
『あなた、一番お嬢様に目をつけられているじゃない。なんで平気なの?』
『私、良くしてもらってると思うんだけど』
『はぁぁっ!? 動物の真似事させられたり、読みたくもない本を押しつけられたり、そんな扱いされてるのにっ!?』
『美味しいもの食べられたり、勉強になったりするから』
『……呆れた。あなた、本当にぽんこつね!』
思えば、この頃は使用人の入れ替わりが目まぐるしいものだった。
ザターナ様がよく話している人達も、少しすると出て行ってしまう有り様。
旦那様はそのことには目をつむっていたようだけど、雇っては辞めるを繰り返す使用人の管理に、ヴァナディスさんが辟易していたのを覚えている。
◇
ザターナ様が出奔なされる、少し前のこと。
私が中庭で洗濯物を干していると、そわそわした様子のザターナ様がヴァナディスさんに話しかけているのを目にした。
『ヴァナディス! 私宛ての手紙は来ていない!?』
『どうしたのですか、お嬢様。最近、そんな話ばかり……』
『いいから答えなさいっ』
『ちょうど今朝、辺境伯からお手紙が届いていますよ。お嬢様宛てでしたので、お部屋に届けてあります』
『本当っ!? わかったわっ』
私は、慌てた様子でお部屋に戻って行くザターナ様を見送りながら――
『こらっ、ダイアナッ! 洗濯棒が地面に落ちてるじゃないの!! 干したもの全部洗い直しよっ!?』
――ヴァナディスさんに怒られた。
ヴァナディスさんのお説教の後、私は廊下のお掃除に移った。
窓の外を眺めながら廊下を箒で掃いていると、走ってきたザターナ様とぶつかってしまった。
『あうっ』『あいたっ』
お互いお尻をついてしまった私達は――
『あっ。おはようございます、ザターナ様』
『ちょっと、ダイアナ! よそ見しながら掃除なんてしてるんじゃないわよっ』
――私が一方的に怒られてしまった。
ザターナ様もそそっかしく廊下を走ってきたのに……とは言えない。
『そんなに急いでどうかなされたのですか?』
『まぁ、ちょっとね』
『その手に持っているのは……お手紙?』
『返事を出すのよ』
『誰にです?』
『……共犯者に、かしら』
『へ?』
『今のは忘れて。いいわね!?』
そう言うと、ザターナ様は私のおでこをツンとつついて、再び廊下を走って行ってしまった。
私は彼女からそんなスキンシップを受けると、自然と口元がにやけてしまう。
……私は、勝手に彼女を姉妹のように思っていたのかもしれない。
◇
「……」
「……ぅ」
「……」
「い、いたぃ……」
「さっさと起きろ、聖女」
「はっ」
ハッとした時、私の目の前には――
「そろそろ聖都に着くぞ」
――私の頬をつねるアスラン様の姿があった。
「あの、痛いのですけど」
「……ぷっ。間抜けな寝顔だったなぁ!」
「離してくださいます?」
突然の暴言に、私の顔が引きつる。
窓の外を見ると、馬車は見慣れた街道を走っていた。
地平線の先には聖都の街並みが見えている。
「なぁ聖女。さっき立ち寄った町で小耳に挟んだんだがな」
「はぁ」
「聖都は今、ヤバイことになってるみたいだぞ」
「はい?」
……アスラン様の言葉の意味を、その時の私は理解していなかった。
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