45. 認められざる者
聖女親衛隊の任務執行から四日。
親衛隊の殿方と毎日のように顔を合わせることにも慣れてきた。
お屋敷の周辺は、以前と同じように王国騎士団が定期巡回。
中庭とお屋敷の警備には、親衛隊の五名が就くようになった。
廊下で彼らとすれ違うこともあって、隙を見ればアプローチしてくるから気が休まらないのよね。
「ルーク様が毎日ドレスを贈ってくるんですが、なんとかなりませんか?」
「着てあげなさいな。ルーク様が喜ぶわよ」
「アトレイユ様がデートに誘ってくるんですが、やんわりとお断りする方法ってありますか?」
「中庭でも一緒に散歩してあげなさい」
「ハリー様が、カーバンクルちゃんに懐かれようと毎日傷だらけに……」
「ルビーを持ってきてもらえばいいんじゃない」
「いつの間にか中庭に掘っ立て小屋が建っているんですけど、なんですあれ?」
「アスラン様が勝手に作ったみたいよ」
ヴァナディスさんに相談しても、真面目に取り合ってもらえない。
「……ここ数日、アルウェン様を見ませんね」
「体調不良だそうよ。明日の宮廷での謁見にも参加しないみたい」
「アルウェン様、もしかして何かの病気に……?」
「さすがにそんなことはないと思うけど……心配ね。今度、お見舞いに行って差し上げましょうか」
「そうですね」
アルウェン様、本当にどうしたのかしら。
せっかく親衛隊に選ばれたというのに、任務に参加しないなんて。
◇
次の日、私はあらためて宮廷へと訪れることになった。
宮廷に用があるのは旦那様と親衛隊の四名なので、私は護衛の都合で付き合わされているようなもの。
今回もライラに臨時の護衛をお願いしつつ、ヴァナディスさんと一緒に応接間で待たされることになる。
「本を持ってくればよかった……」
「王宮の蔵書にでも案内してもらいますか、お嬢様?」
「さっき聞いたら、先日の賊の件があったので難しいって」
「なら、我慢するしかありませんね」
しばらくカーバンクルちゃんとじゃれ合っていると、私は不意に思いついた。
「……アルウェン様の様子を見に行きましょう」
「え?」
「こうしてただ待っているのは時間がもったいないですし、アルウェン様が心配ですもの」
「ちょ、お待ちください! また勝手にそんなこと……」
「ライラ。お願い、馬車を出して!」
アルウェン様には何か深刻な悩み事があるのかもしれない。
もしそうなら、他の殿方はいない方がいいものね。
◇
私は今、王宮を抜け出してヴァギンス男爵家へと向かっている。
ヴァナディスさんを説得するには手間がかかると思ったけど、案外簡単に折れてくれた。
「またこんな勝手をしてしまって……。旦那様にも、これからは〈聖声の儀〉の準備に集中しろと言われているのに」
「そのためにも、アルウェン様が無事かどうかの確認をしに行かないと」
「どういうこと?」
「〈聖声の儀〉を迎える時、親衛隊はみんな一緒じゃないと嫌ですから」
私がザターナ様に扮してから親交を深めた五人の殿方。
彼らは私にとって、やっぱり特別な存在に思える。
そんな彼らが五人揃って親衛隊に選ばれたのだから、一人でも欠けるようなことはあってほしくない。
それと――
「ありがとう、ヴァナディスさん」
「な、何よ急に……?」
「いつも私の無茶に付き合ってくれて」
「……はぁ。もうすっかり慣れっこだわ」
――ヴァナディスさんだって、私にとって特別だわ。
「それより、城で騒ぎが起きていないかの方が心配よ」
「ちゃんと書き置きも残してきましたし、大丈夫ですよ」
「なんて書いてきたの?」
「ちょっとおトイレに、って」
「……」
ヴァナディスさんが、何も言わずに頭を抱えてしまった。
ああ書いておけば、すぐに戻るということが伝わると思ったんだけど。
まさか騒ぎになることはないでしょう。
……ないわよね?
◇
ヴァギンス男爵家にたどり着いたのは、正午過ぎだった。
思いのほか、お城から離れた場所にあったのね。
ちょっとおトイレに、という書き置きはちょっとまずかったかも……。
「ザターナ嬢。私は門扉の前で待機しておりますので、ご用が済んだらすぐに戻ってきてくださいね」
「もちろんよ。心配しないで、ライラ」
「すぐに、ですよ?」
「だ、大丈夫だってば」
ライラが訝しそうな目で私を見入っている。
こんな状況で、これ以上勝手な真似はしませんよ。
馬車を降りて中庭へと入ると、庭師の人達の視線を一斉に浴びた。
そのうち、燕尾服姿の男性が私へと近づいてくる。
「聖女ザターナ様とお見受けします。当家にどういったご用向きで?」
「突然の訪問、失礼いたします。ヴァギンス男爵のご子息――アルウェン様とお会いしたいのですが」
「……アルウェン様に何用でしょう?」
「しばらく親衛隊としての任務を欠席していらっしゃるので、何かあったのではと。もし床に伏せていらっしゃるようでしたら、私からの言伝を――」
その時、中庭からマント姿の男性が私に近づいてくるのが目に入った。
薄紅色の髪に、貴族然とした装い――彼がヴァギンス男爵ね。
「言伝など不要だ」
「え?」
「もう何年も前にアルウェンは死んだ。お帰り願おう」
「死……えぇっ!?」
……ちょっと待って。
何年も前に死んだってどういうこと?
「それは何かの間違いですわ。私はつい先日、アルウェン様と話しました」
「それはアルウェンではない。偽物だ」
「偽物?」
「アルウェンは死んだのだ。この家でその名を出さないでくれ!」
私を怒鳴りつけるや、男爵は踵を返してお屋敷へと入って行ってしまった。
私もヴァナディスさんも、突然のことに言葉が出ない。
どうしたものかと思っていた時、執事さんが話しかけてきた。
「申し訳ございません、聖女様。旦那様とアルウェン様の間には、少々複雑な事情が……」
「い、生きているのですよね。アルウェン様は……?」
「もちろんです」
「彼はお屋敷にはいないのですか?」
「アルウェン様は本邸にご在宅ではありません」
「はぁ」
「別邸にて、お一人で暮らしておられるのです」
別邸で一人暮らしですって?
仮にも男爵家の長男が、どうしてそんな生活を……。
「その別邸はどちらに?」
住所を聞いた後、私達は馬車でアルウェン様の居るという別邸へと向かった。
本当はその複雑な事情とやらも訊ねたかったけど、角が立ちそうに思えたので控えることにしたわ。
◇
アルウェン様のお住まいに到着して、私は少々驚いた。
そこは、貴族令息が住むにしてはずいぶん小さな建物だったから。
「ここにアルウェン様が……?」
「中流階級の市民が住むようなお家ね。小綺麗だけど、庭もない一軒家だわ」
「ちょっと意外ですね」
「それもそうだけど、早くおうかがいしましょうっ」
ヴァナディスさんの鼻息が荒い……。
そう言えば、彼女はアルウェン様にゾッコンだったわね。
門扉の前で馬車を待たせて、私は玄関口のドアノックを叩いた。
……しばらく待ったけど、返事がないわ。
「アルウェン様、いらっしゃいますか?」
何度かドアノックを叩いたけど、やっぱり返事なし。
「お留守なのかしら」
「まさか! ご病気でベッドから起きられない状態なのでは!?」
「さすがにそんなことはないと思いますけど……」
「わからないじゃない! 最近の彼、元気がなかったんでしょう!?」
私は興奮するヴァナディスさんをよそに、ドアノブに触れてみた。
すると、あっさりとドアが開いてしまった。
施錠されていないなんて、いくらアルウェン様と言えども不用心だわ。
「……入っていいんでしょうか?」
「入りましょう!」
私はヴァナディスさんに押されるようにして、お家の扉をくぐった。
◇
屋内はシンと静まり返っていて、人気がない。
それに、窓が閉じられているせいで真っ暗だわ。
「暗いですね」
「ちょっとお待ちなさい」
居間の中央に立つと、ヴァナディスさんは魔法詠唱を始めた。
「セモ・トヲキ・サビユガ・ワヨビリ・ガカ!!」
詠唱を終えると、指先にポッと火が灯った。
小さな蝋燭と同じくらいの小さな火……。
「あまり奥まで見えませんね」
「悪かったわね!」
「……便利だと思います」
「悲しくなるからやめて」
ヴァナディスさんを先頭に、薄暗いお部屋を探索していると――
「ん? あれは……」
――真っ暗な廊下の奥から、小さな光が飛んできた。
蛍……にしては大きいわね。
何の光かしら?
「リィー!」
突然、光が甲高い鳴き声を上げて突っ込んできた。
私の顔すれすれのところを通り過ぎていった時、その光の正体がわかった。
「フェアリーちゃん!?」
アルウェン様のペットのフェアリーちゃんだわ。
何やらそのお顔は怒っている様子。
「リリィーッ!!」
フェアリーちゃんは、私にぶつかろうと空中をスイスイと動き回っている。
あわや、と言うところで――
「シャーッ!!」
――カーバンクルちゃんが威嚇してくれたおかげで、フェアリーちゃんは気おくれして私から離れた。
「なんなの!? どうしてフェアリーが襲ってくるの!」
ヴァナディスさんが困惑している。
フェアリーちゃんはそんな彼女に向き直るや、勢いをつけて突っ込んで行く。
私から標的を変えたみたい。
「ちょ! 何!? なんでっ!?」
フェアリーちゃんの攻撃をポカポカと頭に受けて、ヴァナディスさんが慌てて外へと逃げ出していく。
フェアリーちゃんは彼女を追いかけて、外に飛んで行ってしまった。
「……なんだったの」
その時、暗い廊下の奥から物音が聞こえた。
とても小さい音で、耳を澄ましても何の音か判然としない。
「アルウェン様?」
呼びかけても返事はない。
私はわずかに聞こえる音を頼りに、真っ暗な廊下の奥を進んでいった。
廊下の突き当りには、下から光が漏れているドアがある。
音はこの部屋の奥から聞こえているみたい。
「失礼しま~す……」
おそるおそるドアを開くと、聞こえてくる音が明解になった。
……これは、シャワーの音だわ。
見れば、私が入った部屋は脱衣所だった。
カゴの中には、見覚えのある服が入っている。
「アルウェン様の服だわ。……ま、まさか」
その時になって、私は察した。
シャワーの音が止まったのは、それと同時だった。
ガチャリ――と、私の正面にあるガラス戸が湯気と共に開かれた。
中から出てきたのは――
「……ん?」
――生まれたままの姿のアルウェン様だった。
「えっ!? ザターナッ!?」
「ご、ごめんなさ――」
アルウェン様がギョッとしている。
私はすぐに彼から目を離そうとしたけど……できなかった。
「え」
アルウェン様の裸を目の当たりにして、私は目が離せなかったのだ。
「なん……で……?」
筋肉質だけど、細く色白な肌。
膨らんだ胸。
そして、殿方に有るべきものが有るべき場所に……無い。
「見たね……ザターナ」
アルウェン様が私に向ける眼差しは、酷く冷めたものだった。