43. 聖女の気持ち
旦那様と親衛隊による口論が続く中、私は応接間から追い出されてしまった。
当事者の一人なのに、私だけ蚊帳の外だなんて……。
「私、何かまずいこと言っちゃいました?」
「おかしな提案したじゃないの」
中庭を一緒に歩くヴァナディスさんが呆れ顔で言った。
「そんなにおかしな提案でした?」
「おかしいでしょ。何よ、聖女様の婚約者国民投票って……」
「国民にも一緒に考えてもらった方が公平かなぁって」
「投票なんて、国民人気のある方に偏るだけじゃないの。そんなもの公平とは言わないわ」
「そうか……」
「そもそも自分で相手を選ぶわけじゃないのよ。あなたはそれでいいの?」
「王子様と親衛隊の六名の中から選ばれるなら、ザターナ様も不満はないかなって思ったんですけど」
「あなた、女の結婚を舐めてるわね……!」
「あ。なんかヴァナディスさんが言うと説得力が――」
その後、ヴァナディスさんに中庭を追い回された。
◇
夕方になっても、応接間から議論の声が止むことはなかった。
議論が終わるのを待つ間、私はヴァナディスさんと二人で自室へと戻っていた。
「一向に終わりませんね、お話」
「彼らはみんな、あなたに夢中ですからね。一方的に婚約者を決められたことが、よほど腹に据えかねているんでしょう」
「夢中ですか……」
「あなたも罪な女よ。将来有望な殿方を五人も捕まえておいて、誰からのアプローチも受けないなんて」
「だって、私はザターナ様じゃないですもん」
「だからって――」
ヴァナディスさんが真顔になって続けた。
「――あなた、あの五人の中で心惹かれている殿方はいないの?」
「みんなお友達……のつもりですけど」
「呆れた。あの五人の誰もが本気なのに、あなた友達気分だったの」
「彼らの気持ちはザターナ様に対してのものであって、私はあくまで替え玉ですから」
「ますます呆れるわ。彼らが惚れ込んだのはお嬢様ではなく、彼女に扮したあなたじゃない」
「え? でも、私はダイアナで――」
……あれ?
メイドのダイアナって、今はどこにいるのかしら?
子爵邸の使用人一覧に、私の名前はもうない。
同僚の子も、今はもう私の名前を呼んでくれない。
私の存在を認識してくれるのは、旦那様とヴァナディスさんだけ。
メイドのダイアナと、トバルカイン子爵令嬢のザターナ様は、別人?
……別人よ。
鉄の聖女と呼ばれたザターナ様と、そうではない今のザターナ様は別人?
……別人……ではダメなのよね?
ルーク様に。
アトレイユ様に。
ハリー様に。
アルウェン様に。
アスラン様に。
彼らに好く思われている私は、誰?
思い返せば、私はどうしてあんな無茶をしてこれたんだろう。
ダミアンのアジトに乗り込んだり。
新世界秩序の計画を妨害したり。
アラクネの巣となっている遺構へと突っ込んだり。
一介のメイドに過ぎない私が、なぜそんなことを……?
私は、私の知らないザターナ様を演じるにあたって、何を参考にしたんだっけ?
旦那様とヴァナディスさんのお話。
ザターナ様の過去の行い。
そして、歴代聖女の本。
今も、本当の私はダイアナなのよね……?
「……」
「ちょっと、大丈夫?」
「え?」
「あなた、お嬢様を演じることにのめり込んで、自分を見失ってないわよね?」
「それは、はい、もちろんです。今の私は……ダイアナです」
「私や旦那様と話す時以外、常にお嬢様に扮することを意識していると思うけど、無理はしてないわよね?」
「はい、無理はしていません。むしろ、慣れすぎちゃって役の切り替えが自然にできるくらいです」
「そ、そう……? 顔色も悪くないし、大丈夫だとは思うけど……」
「大丈夫ですってば」
「まぁ、いきなり転んだり、投擲ミスったり、演技の最中にうっかり素が出るものね。余計な心配だったか」
「そうそう、余計です!」
ムッとしたヴァナディスさんに、鼻をつままれてしまった。
……苦しい。
「話を戻すけど、セントレイピアは一夫一婦制よ。あんな素敵な殿方を何人も囲い込むなんて許されないんですからね。何より、私が絶対に許さないわ」
「ヴァナディスさん、前の舞踏会で殿方と仲睦まじく話していませんでした?」
「言うなっ!」
……この話題には触れない方がよさそうね。
◇
応接間から殿方達が出てきたのは、日が落ちてからのことだった。
お部屋から出てきた五名とも、疲弊した顔をしている。
「やぁ、ザターナ。我々は今日はもう引き上げることにするよ」
「ルーク様。どんな結論が出たのですか?」
「結論は明日に持ち越しさ。ずっと平行線だったので、子爵と我々五人で宮廷へと行くつもりだ」
「直談判ですか!?」
……とんでもないことになったわ。
でも、さすがに宮廷が一度決めたことを覆すとは思えないけど。
「ザターナ嬢。きみは王子殿下と一緒になることを心から望んでいるのかい? もしそうでないなら――」
「よせ、アトレイユ。今その話は無意味だ」
私とアトレイユ様の間に、ルーク様が割って入った。
アトレイユ様はもっと言いたいことがあるようだったけど、ルーク様と顔を見合わせるや黙り込んでしまう。
「……また来るよ。今度は親衛隊の騎士としてね」
私に笑いかけると、アトレイユ様は廊下を歩いて行ってしまった。
「聖女親衛隊としての正式な活動は明日からだ。今日はライラ達、王国騎士団の警備に任せることにするよ。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい、ルーク様」
ルーク様はアトレイユ様の後を追いかけて行った。
それをじっと見送っていると――
「しょんぼりしてどうした!?」
「キャッ!!」
――いきなり背中を叩かれたので、驚いて飛び跳ねてしまった。
「おまえの驚いた顔、面白いなぁ」
「あ、アスラン様……」
今日は白衣姿でも、おかしな錬金術師の装いでもなく、普通のスーツ姿だわ。
ちゃんとした格好をしていれば、この方も立派な殿方に見えるのね。
「おい、アスラン! 女性の体を不用意に触るなんて失礼だぞ!?」
「ただのスキンシップだろ。おまえも聖女を触りたければ触ればいいじゃないか、ハラー」
「名前が違うっ! 僕が言いたいのはそんなことではなく――」
「おい、聖女。第三王子はいいやつだが、あんなのと一緒になってもつまらんぞ。考え直すなら、今のうちだ!」
あら、この言い方……。
アスラン様は、ジュリアス様のことを知っているのかしら?
「王子殿下をご存じなのですか?」
「まぁな。僕はあいつと寄宿学校で同学年だったからな」
これは意外な接点ね。
アスラン様から、王子殿下の人となりについて聞かせてもらうのはありかも。
「無視するなぁーっ!」
「なんだよ。引っ付いてくるな、鬱陶しい!」
「誤解されそうな言い方はよせっ」
「じゃあな、聖女。明日からは僕が製作した特殊武装でおまえを守ってやるから感謝しろよ! フハハハハッ!」
ハリー様を無視して、アスラン様が笑いながら廊下を去って行った。
相変わらず空気を読まないと言うか、身勝手と言うか、とんでもない方だわ。
「失礼しました、ザターナ嬢」
「いいえ。ハリー様もおやすみなさい」
「あの――」
ハリー様が何やら言いよどんでいる。
何か私に伝えたいことでもあるのかしら?
「――いつぞやいただいたチャンス、必ずものにしてみせます!」
「え?」
「おやすみなさい、ザターナ嬢っ」
そう言うなり、ハリー様は廊下を走って行ってしまった。
いつぞやのチャンス……と言うと、オアシスでのことかしら。
まずはお友達から、男を上げてまた告白する、とおっしゃっていたわね。
「チャンスって何?」
横で話を聞いていたヴァナディスさんが訊ねてきた。
……う~ん。
ヴァナディスさんに心配もかけられないし、ハリー様との個人的なやり取りだし、話すのはやめておこうかな。
「さぁ。なんのことだか」
「本当? 何か隠してるんじゃないの?」
ヴァナディスさんにジトリと睨まれて、私はつい目を泳がせてしまった。
「私はお嬢様の世話係なんですからね。隠し事はしないでよ」
「は、は~い」
……そう言えば、アルウェン様は?
私が気づいた時には、廊下を歩いていく彼の後ろ姿だけが目に入った。
彼だけ話しかけてこないなんて、どうかしたのかしら?
アルウェン様を追いかけようとした時。
応接間から顔を出された旦那様が、私に手招きをしてきた。
部屋に入れ、ということみたい。
◇
「お疲れさまでした、旦那様」
「ああ。疲れたよ」
ソファーに座るや、旦那様が頭を抱えて溜め息をついた。
あの五人を相手取るのは、よっぽど大変だったのね。
「ルーク様が、明日宮廷に行くとおっしゃっていましたが……」
「その通りだ。彼らがまったく退いてくれなくてな」
「大事になったりはしませんか?」
「宮廷側の意向次第だ」
「いざとなれば、私のご提案した国民投票で婚約者を決めればよいですわ!」
「それだけはない」
「は、はい……」
あれ、そんなダメな提案だったかしら……。
ちょっと自信あったんだけどなぁ。
「親衛隊として選抜されたメンバー総出で抗議だからな。明日も荒れるだろう」
「そのことで彼らに罰なんてありませんよね……?」
「異分子は排除するのが宮廷のやり方だからな。決定に真っ向反対する以上、何かしら不利益を被るかもしれん」
「そんな! 婚約者に異議を唱えただけなのに!?」
「聖女の婚約者だ――」
旦那様の目がギラリと鋭くなり、私を睨みつけてきた。
その変わりように、私は身がすくんでしまう。
「――聖女の婚姻は国の一大事だ。我が国が聖女を独占していることで、マゴニア全土の国々から政治的な干渉も少なくない。他国も納得する相手に娶らせなければ、厄介事が増える一方なのだ」
「それって、聖女様には好きな人を選ぶこともできない不自由を強いる、ということですよね?」
「そうせざるを得ない。聖女の奇跡は、まさに世界のバランスを保つ天秤そのものなのだから」
聖女は、誰からも敬われて、誰もが畏怖する力を持っている。
でも、自分では何も思う通りにはならない。
それが、実情……。
もしや、ザターナ様が国を出たのは……?