41. 婚約は突然に
聖都のアラクネ騒動から二週間。
私はヴァナディスさんと午後のティータイムを楽しんでいた。
「最近の聖女人気は、ますます過熱しているわね」
「そうですね。一体どうしてこうなったのか」
「あなたが、がんばり過ぎた結果でしょう」
「そうですかね、やっぱり……」
聖女の替え玉生活が始まってから早二ヵ月。
そろそろザターナ様にはお戻り願いたいところだけど……。
「これだけ話題になれば、ザターナ様もお気づきになりますよね?」
「でしょうね」
「なら、戻って来てくれるかも……」
「逆じゃないかしら」
「逆?」
「お嬢様が自分の意思で家出なされたのなら、聖女の使命に嫌気がさしたからでしょう。こんな騒ぎになっては、一層帰りたくなくなるわよ」
「そ、そうですかね……」
この二週間、多くの貴族令嬢からお茶会の誘いを受けるようになって、すっかり鉄の聖女の呼び名も返上することができた。
今はもう誰もザターナ様の悪口は言っていない……はず。
ザターナ様が戻ってきたら、環境の変化にびっくりするでしょうね。
ここまでみんなの印象を変えた私を、褒めてくださるかもしれないわ。
私の頭をナデナデしてくれるザターナ様。
そんな妄想をしていると、ドアがノックされる音が聞こえてきた。
「お嬢様、旦那様が書斎に来るようにとのことです」
「……わかったわ。今、行きます」
ドア越しにメイドへと返答する。
……私も手慣れたものだわ。
「噂をすれば、でしょうか」
「かもね」
外出の準備を始めるや、私の肩にカーバンクルちゃんが飛び乗ってきた。
この子がいれば、どこに行っても安心ね。
◇
旦那様の書斎へ入ると、青いコートを着た男性が一緒だった。
セントレイピアの紋章が描かれた襟当てをつけているから、宮廷の使者かしら。
「初めましてザターナ嬢。私は宮廷審問官のシモンと申します」
「……審問官の方がなぜ?」
宮廷審問官と言えば、聖女様の真贋を判定する役職だと聞いたことがあるわ。
もしかして、私のことを疑って……?
「ははは。そんな緊張しなくてもよろしい。今は宮廷もてんやわんやで、手の空いていた私が遣わされたに過ぎません」
「そうですか」
「しかし、お美しくなられましたな。真贋裁判当時、裁判所で遠くからお顔を拝見しましたが、別人のようだ」
別人のよう、と言われて、私は自分でも顔が強張るのがわかった。
「ザターナも、もうすぐ十八です。見た目も変わりますよ」
「たしかにおっしゃる通り」
「本題に入ってもよろしいか?」
「どうぞ」
旦那様が私に視線を戻す。
「シモン殿より、宮廷からの決定を伝えられた。ひとつは、親衛隊の最終候補者が確定した件。もうひとつは、おまえの婚姻の件だ」
「こ、婚姻!?」
「そうだ。すでに相手も決まっている」
「私に婚約者が……」
「今までは聖女というデリケートな立場から、そういった話は先送りしてきたが、そうも行かなくなってきたのだ」
婚姻……婚約者……まさかだわ。
ザターナ様がお留守なのに、それを進めてしまうの!?
「ザターナ嬢には突然の話で、さぞ困惑されたでしょう?」
「……はい。ですが、シモン様。良家の子女ともなれば、十五、六には婚約者が決まっているのが普通です。私も近々そのお話が来るとは思っておりました」
「左様で」
「聖女ともなれば、政治的な面から慎重を期するのもわかります。察するに、先日のアラクネ騒動がきっかけなのでしょう?」
「ご明察の通り。国内外で聖女様を英雄視する見方が強まり、有力者達がぜひとも我が息子の伴侶にと躍起になっておりまして」
……う~ん。
通商路の件に加えて、アラクネ騒動が起こったことで、ちょっと目立ち過ぎてしまったかしら。
まさか婚姻にまで事態が発展してしまうなんて。
「……話を戻そう。まずは親衛隊の件だが、宮廷とエルメシア教が最終候補者として認めたのは九名。その中に、ルーク、アトレイユ、ハリー、アスラン、アルウェンもいる」
「アスラン様も?」
「彼は立候補こそしていないが、先日のアラクネ騒動で多大な貢献をした点を評価された。宮廷の使者が確認したところ、本人にその意思ありとのことだ」
「そうなのですね……」
「親衛隊は、最終候補者から五名を選ぶ必要がある。まぁ、おおよそ今名前を挙げた五名が妥当だろう」
アスラン様が私の親衛隊?
私の立場としては知り合いを選ぶ方が安心するけど、かと言って彼が親衛隊になるのは不安が募るわ……。
「次は婚姻の話だが――」
でも、今は婚約者の方が気がかりね。
ザターナ様が喜びそうな相手かどうか、しっかりと見極めないと。
「――国王陛下のご子息、ジュリアス王子殿下が婚約者として内定している」
「王子殿下ですか!」
「数日の後に、宮廷へご挨拶に行くことになる。王子殿下と顔合わせが済み次第、婚約の件は聖都で広く報じられるだろう」
話が急に進み過ぎて驚くわ。
そんな急がないといけないことなのかしら……。
「ザターナ嬢には、急な話で心の整理が追いつかないかもしれません。しかし、なにとぞご納得いただきたい。〈聖声の儀〉を間近に控えて、貴族達の混乱を治めておきたいのです」
「……異論ございません。王子殿下がお相手なんて光栄ですわ」
「そう言っていただけると、私どもの胸のつかえも取れるというもの」
……私としては、そう言うしかないじゃない。
王子様から結婚を申し込まれて断ったら、旦那様のお立場が悪くなるもの。
「ザターナ。今までは自由を許してきたが、これからは〈聖声の儀〉の準備に集中してほしい」
「来る〈聖声の儀〉まで、残すところあと35日。宮廷もエルメシア教も、滞りなく準備を進めております」
「それは朗報だ」
「……そう言えば、今年の儀式は奇しくもザターナ嬢の誕生日と同じ日でしたな。これは一段と盛り上がりそうだ」
〈聖声の儀〉……。
十八歳の誕生日……。
婚約……。
ザターナ様、お願いします早く帰ってきてください。
さすがに替え玉が対応できる範囲を超えて参りました……!
◇
三日後、私は煌びやかなドレスに着飾ってお城へと訪れた。
お城の隣には、アラクネ騒動で乗り込んだ中庭が見える。
あの美しかった庭園が、見る影もなく荒れ果ててしまっているのを見ると心が痛むわ。
「旦那様、お嬢様。行ってらっしゃいませ」
馬車の前でヴァナディスさんに見送られ、私達は入城した。
お城に入って早々、カーバンクルちゃんが私の頬に体をこすりつけてくる。
「クルルッ」
「何? お腹空いたの?」
「クルッ!」
「仕方ない子ね。ひとつだけだからね」
私は飴玉を一個取り出して、カーバンクルちゃんの口へと押し込んであげた。
リスみたいに口を膨らませて、飴玉を全力で舐めかじっている。
……可愛い。
「その小さな生き物が、巨人になるとは想像がつかんな」
旦那様が、いつの間にか私達を見入っていた。
「ご安心ください。この子があの姿になることは、もうありませんから」
「そう願うよ。間違っても宮廷で大きくはさせないでくれよ?」
「も、もちろんですっ」
……今思ったけど、宮廷はペット持ち込みありなのかしら。
◇
謁見の間にて、私と旦那様は国王陛下にひざまずいていた。
国王陛下はとてもふくよかな方で、優しいお顔の御仁だった。
白と赤の王の風格漂うローブ、白くて長いお髭、頭にいただく金色の王冠。
ひと目で王様とわかる荘厳な雰囲気をまとわれているわ。
「よく来てくれた、トバルカイン子爵。そして、その娘――聖女ザターナよ」
「このたびは、宮廷へのお招き恐悦至極にございます」
「頭を上げよ。まずは国を救ってくれた礼を申し述べたい」
「とんでもございません。ザターナは聖女として当然のことをしたまでです」
「まことよくやってくれた、ザターナよ。余はそなたを心から敬愛している。トバルカインも父として鼻が高かろう」
「……はっ。もちろん、娘の働きには父として誇りに思っております」
旦那様がそんなことを言ってくれるなんて、嬉しい。
がんばってきた甲斐があったというものだわ!
「ザターナよ。すでに聞いておろうが、そなたを我が息子ジュリアスの妻として迎えたい。急な話ではあるが、そなたにも悪い話ではなかろう?」
「もちろんです。ジュリアス王子殿下の連れ合いとして選ばれるなど、光栄に存じますわ」
「そうか、そうか! 余が言うのもなんだが、あれは良くできた息子だ。テラスに待たせておるから、謁見の後に会ってやってくれ」
「ぜひに」
言い終えた後に旦那様のお顔を見ると、ニコリとしてくれた。
旦那様の満足する受け応えができてホッとしたわ。
その後、聖女親衛隊の最終候補者九名から、五名を選ぶことになった。
私は迷いなく、ルーク様、アトレイユ様、ハリー様、アルウェン様。
ちょっと迷いながら、アスラン様を選んだ。
……以上五名が、今日から私の親衛隊。
そして、ジュリアス様との顔合わせは、その後行われることになった。
◇
陛下との謁見後、私は宮廷のテラスへと案内された。
それはもう、聖都の街並みが一望できるとても綺麗な場所だった。
遠目には、ひと際背の高い聖塔が。
さらにその遠方には、バプティス聖山と共に山脈の影が見える。
……美しい眺めだわ。
「ザターナ・セント・トバルカイン?」
不意に、ザターナ様のフルネームを呼ぶ声が聞こえた。
その声に私が振り向くと――
「聞きしに勝る美しさだね」
――銀髪の青年が、私を見つめていた。
青いコートに、白いズボン、そして黒いブーツ。
襟当てにはセントレイピアの紋章。
そして、肩にはイタチのような細長い体をした黒い動物が乗っている。
「お初にお目にかかります、ザターナ嬢。僕がジュリアスと――」
「シャーッ!!」
突然、カーバンクルちゃんが牙を剥いて威嚇し始めた。
彼は挨拶しながら私に近づいてきただけなのに、どうして……?
「おや。その子は、僕がお気に召さないのかな」
その時ジュリアス様の浮かべた笑みに、私はざわりと胸騒ぎを感じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次話より、毎週月~金の週5更新となります。
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