40. すべては遠き理想郷
遺構に突入して早々、私達は馬車を降りて最奥の部屋へと向かった。
その部屋には次元の穴が開かれていた。
「アラクネが内側から開けたようじゃな」
「あの奥に女王が?」
「いいや。女王のおる最下層までは、いくつかの階層を降って行く必要がある」
「先は長そうですね……」
次元の穴の前で足を止めた私は、みんなに振り返った。
私を守ってここまで連れてきてくれた五名の殿方に、フラメール様。
そして、私の胸に抱かれている瓶詰めのカーバンクルちゃん。
誰も失うことはないと信じよう……!
「行きましょう。大丈夫、きっと最下層にたどり着けます!」
「何を言っておる。馬鹿正直に正面ゲートから行く必要はなかろう」
「え?」
「裏口からサクッと最下層にショートカットじゃ!」
「そ、そんなことできるのですか!?」
「もちろんじゃ。わしならな!」
そう言うと、フラメール様は手のひらを次元の扉へと押し当てた。
今気づいたけど、彼女の手のひらには無限竜の図案が描かれていた。
「ゲートを裏口へと切り替えるぞ!」
フラメール様が言うのと同時に、次元の穴が一瞬消えて、新たに開かれた。
「……先生よう。あんた、一介の錬金術師じゃないだろ?」
「まぁの。じゃが、おぬしらが知る必要はない」
「大体想像つくよ。次元の穴の行き先をいじれるのは、設置した人間くらいだ」
「話はそこまでじゃ。ついて参れ!」
アスラン様とフラメール様の会話、私にはよくわからなかったけど……。
とりあえず、あとは覚悟を決めて穴に飛び込むだけね!
◇
次元の穴をくぐると、細い通路へと出た。
地下だと言うのに通路は明るく、真っすぐ広間まで続いている。
「地下なのにどうして?」
「煌々石を原料に、錬金術で精製した素材を使っておるからのう」
通路を抜けた先――広間には、大きな祭壇があった。
祭壇の上には、繭のような卵が並べられている。
それらに覆いかぶさるようにして、巨大なアラクネがたたずんでいるわ。
「あれが女王……!」
そのアラクネは、いかにも女王然とした風貌をしている。
頭部には王冠に似た突起物が生えていて、八つの単眼の上には赤い宝石が光り輝いていた。
……間違いない。
あれが血のティンクトゥラだわ!
「周囲に兵隊がいるな。あの数を突破して、ティンクトゥラを奪取するのは至難の業だぞ」
ルーク様の言う通りだわ。
今はまだ通路から覗き見る程度だから気づかれていないけど、ノコノコと広間に出て行けば格好の的になってしまう。
「魔法で一掃しようにも、ティンクトゥラを傷つける恐れがある。どうしたものか」
「……危険ですが、私に提案があります」
「聞かせてくれ、アルウェン」
「パラケルスス史跡のアラクネは、私とルーク様を優先して狙ってきました。私達に共通するのは、魔法素質持ちということです」
「そうか、アラクネは魔法エネルギーを餌にするんだったな。やつら、俺達の魔法素質に惹かれるというわけか」
それって、お二人が囮になるということ?
いくら魔法が使えると言っても、あの数のアラクネを相手にするなんて……。
「危険過ぎます!」
「いいんだ、ザターナ。命懸けになるのはわかっていた」
「でも!」
「むざむざやられはしないさ。俺達を信じてくれ」
私を心配させないためか、ルーク様のお顔は笑みをたたえていた。
アルウェン様も同じ。
……ここは、お二人を信じましょう。
「では、ルークさん達が兵隊を引きつけているうちに、僕とアトレイユさんで女王に向かいます」
「ティンクトゥラの奪取は、俺達の中で一番素早いハリーが適任だろう。俺は途中で引き返してくる兵隊を迎え撃つ」
「頼みましたよ、アトレイユさん。背中は預けましたからね」
「ああ、任せろ!」
ハリー様とアトレイユ様の方も話がまとまったみたいね。
あとは、アスラン様とフラメール様だけど……。
「僕は適当にハルーをフォローしてやるよ。まだとっておきが残ってるからな」
「わしは上層に通じる扉を閉じてこよう。増援がやってこないとも限らんからな」
三つのチームに分かれることになるのね。
……たしかに、現状ではこれがベストと言えそう。
「私はハリー様のすぐ後ろについていきます。女王からティンクトゥラを引き剥がしたら、すぐに私へ」
「はい。必ずやティンクトゥラをあなたに捧げてみせましょう!」
ハリー様の言葉に、私は笑顔で返した。
……さぁ。
ティンクトゥラ奪取作戦の始まりよ!
◇
ルーク様とアルウェン様が広間に入るや、すぐにアラクネ達が反応した。
祭壇の周りで女王を囲っていた兵隊は、釣られて彼らの後を追いかけ始める。
お願い、無事にやり過ごして!
「今です!」
ハリー様の合図で、アトレイユ様、私、アスラン様の順で広間を駆ける。
アラクネにとって魔法素質持ちの人間はよほど特別なのか、私達の存在はまったく無視された。
でも、女王は違う。
「キキキキキキキ――」
女王が、ガラスをこするような不快な音を発し始めた。
嫌がらせのつもり? それとも別の目的が……?
「警戒音か!? 兵隊がこっちに戻ってきます!」
「ここは俺が食い止める!! ザターナ嬢を頼むぞ、ハリー、アスラン!」
アトレイユ様が足を止めて、アラクネの前に立ち塞がる。
全部戻ってきたわけではないけど、一人で相手取るには数が多すぎるのでは!?
「ハリー様、急いで!」
「承知!」
ハリー様が剣を構えて斬りかかろうとした時、女王が手前の卵をいくつか蹴り飛ばしてきた。
進路妨害かと思いきや、転がりながら卵から小さなアラクネが飛び出してくる。
小さいと言っても、子供の背丈ほどのサイズはある。
それが数匹、一斉に私達に襲いかかってきた。
「邪魔をするなっ!」
プチアラクネは、ハリー様の剣で次々と斬り捨てられていく。
でも、そこで私達は足を止めざるを得なくなった。
「ここで時間を取られるわけには……!」
「ハリー様、危ないっ」
私の叫びも、時すでに遅し。
死角から飛びかかってきたプチアラクネに、ハリー様が押し倒されてしまう。
……これはいけない!
ハリー様が噛みつかれそうになった瞬間――
「これでもくらえっ」
――アスラン様が橙赤色の液体をプチアラクネへと振りかけた。
直後、プチアラクネの表皮から煙が立ち上り、ドタバタと飛び跳ねて逃げて行ってしまった。
「何をした!?」
「王水をぶっかけてやったのさ! 効果てきめんだったな」
王水というのが何なのかわからないけど、物を溶かす効果があるみたい。
何にせよ、ハリー様を助けられてよかったわ。
「さすがです、アスラン様」
「フハハハハ! もっと褒めろ、聖女! 貸しだからな、ハロー!」
こんな時に高笑いを上げている場合じゃありませんよ、まったく!
ハリー様がバツの悪そうな顔で剣を構え直した時、女王の八つの目が真っ白い輝きを放った。
これは……史跡のアラクネが見せた稲光!?
瞬間、女王の外皮に雷のような青い光が走りだした。
稲光は床を破砕しながら広がっていき――
「うわっ!?」
――ハリー様の剣へと届いた。
稲光を受けた剣は、彼の手元から弾かれるように飛んで行ってしまった。
「うかつ! またあの光か……!」
ハリー様は、稲光で手を火傷してしまっている。
さらに剣も無くなってしまっては、ティンクトゥラの回収は絶望的だわ。
「アスラン様、なんとかしてください!」
「わかってるよ!」
アスラン様が、女王に向かって橙赤色の液体を浴びせかける。
でも、女王の周囲に放たれている稲光のせいで、液体は空中へ霧散してしまう。
「これじゃ近寄れねぇ!」
アスラン様の王水も効果なしだなんて。
このままでは、みんなアラクネの餌食になってしまう……!
その時、私は背後に何者かの気配を感じた。
「よくここまでがんばったのう」
「フラメール様!?」
「どうした。聖女様ともあろうお方が、そんな暗い顔をなさって」
「そうですけど、もう打つ手が……っ」
「安心おし。誰がその女王を封じ込めたと思うておる」
フラメール様が床に両手をつくと、祭壇の床が青白く輝き始めた。
「何これっ!?」
私が驚いていると、急に女王がお腹を床に打ちつけた。
……お腹だけじゃないわ。
まるで上から押さえつけられるかのように、八つの足も床に倒れていく。
「アラクネの体には、疑似的な雷を発生させる粒子が組み込まれておる。この祭壇の床は、その粒子を引っ張る性質を持つ素材で作ってあるのじゃ。つまり――」
女王からは稲光も消え、全身が軋む音すら聞こえてくる。
「――祭壇の上にいるアラクネの動きを抑え込むことができる。ましてや、女王ほど体が大きければ、動けぬじゃろうて」
黄金時代の不思議技術!
まさかこの土壇場で、そんな隠し玉を用意していたなんて。
「フラメール様も人が悪いですわ!」
「おぬしらが命を懸けたからこそ、できたことじゃよ」
彼女は懐からナイフを取り出して、ハリー様へと投げ渡した。
「ハリー坊や。ティンクトゥラをえぐり取るなら、ナイフの方が都合良しじゃ」
ナイフを受け取ったハリー様はこくりと頷くと――
「たあぁぁっ!!」
――祭壇に張りつけられた女王の王冠を斬り上げた。
……宙に、赤い光が舞い上がる。
「蓋を開けて、瓶でお受け」
私は言われた通り、瓶の蓋を開けてティンクトゥラの下へと走った。
投げるのは不得意でも、受け取るのは得意よ。
ポチャン、という音と共に、赤い宝石が瓶の再生液へと沈んでいく。
瞬く間にティンクトゥラが再生液に溶けだし、瓶の中が深紅に染まり始めた。
瓶の中には、何かがジタバタと暴れている感覚がある。
「カーバンクルちゃん?」
そうつぶやいた時、瓶が霧散するように消え去ってしまった。
気づけば、私の腕の中には真っ白い光の玉が……。
「クルルルッ」
「……あぁ。おかえりなさい」
額に赤い宝石を輝かせるカーバンクルちゃんが、私の頬を舐めた。
ザラザラした感触に懐かしさすら覚える。
「かつて、わしらは夢を見た――」
フラメール様が口を開くのと同じくして、カーバンクルちゃんの光が拡がり始めた。
「――モンスターのいない平和な世界。それだけを求めていたはずなのに、黄金時代が産んだのは悪夢じゃった」
光は留まることなく大きくなっていく。
女王よりも。
いつぞやの白いドラゴンよりも。
その光は、人の形を模しながらますます巨大に……。
「その悪夢もようやく終わる。こんな日がくるとは思わなんだ」
「フラメール様、これは一体!?」
光の巨人は私を手のひらに乗せて、とうとう広間の天井を突き破った。
一方、フラメール様達はシャボン玉のような光の玉に入れられて、私と共に地上へと昇っていく。
「これもこの子の力?」
「殲滅形態――希望を込めて神の似姿に造られた、カーバンクルの真の姿じゃ」
「真の姿……」
「聖女様や。やり残したことを果たすよう、その子に命じておくれ。それでようやく、黄金時代は本当の終焉を迎える」
地下の遺跡をブチ抜き、ついに巨人は地上へと這い上がった。
庭園にはアラクネの群れと、それと戦う人々の姿。
そして、地平線の彼方からは夜明けの太陽が顔を覗かせている。
「お願い。あなたの使命を果たして!」
私が叫ぶや、巨人は全身からまばゆい光を放った。
その光は、人も地面も建物も、地上と地下のすべてを覆い尽くしていく。
私が見下ろす中、光を浴びたアラクネだけが、まるで金属が腐食するかのようにボロボロと崩れ落ちていった。
……まぶしい。
あまりにもまぶしくて、私は光だけの世界にいるようにすら思えた。
「すべては遠き理想郷……か」
フラメール様の声がして目を開けた時、光はすでに止んでいた。
代わりに、日の出が大地を照らしていた。
◇
この日、新しい聖女の伝説が生まれた。
光の巨神を操る奇跡で災厄を退けた偉大なる聖女……ですって。
こんなことになっちゃって、ザターナ様がお帰りになられたらなんて言えばいいのかしら。
アスラン様とペベンシィ伯爵は、少しずつ関係を修復していけそう。
顔を合わせれば錬金術のお話になるそうで、いつも喧嘩別れするのだとか。
家族団らんは、しばらく先になりそうね。
フラメール様は、あれから姿を消してしまった。
彼女がセントレイピアに残っていたのは、やり残したことがあったから。
それが解決した今、この地に留まる理由はないのかもしれない。
……ところで。
カーバンクルちゃんに飴玉を与えてみたら、美味しそうに食べるからびっくり。
まさかこんな身近にあるもので餌問題が解決するなんて……。
世の中、まだまだ驚くことだらけね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
〈追憶の黄金時代編〉はこれにて完結!
次話より、幕間を挟んだ後に新章が始まります。
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