35. 古のびっくり箱
パラケルスス史跡――
黄金時代に古代セントレイピア地方で栄えた古代文明の王族避暑地。
十数年前にセントレイピア・スフィア両国の調査団が訪れており、年代や用途の調査が行われた。
今も石造りの宮殿と、そこに続く石畳、そして石柱が残されている。
その石柱の中にひとつだけ、ある動物の彫刻が施された飾り柱がある。
――ここに、古の錬金術師の実験室があるはず。
私達は、史跡に訪れて早々、件の飾り柱を発見した。
表面にカーバンクルちゃんらしきシルエットが彫られていること以外、他の石柱と何ら変わりない物に見える。
「これが、カーバンクルちゃんの飾り柱……?」
「はん。まぁ、シルエットが似てなくもないな」
「この柱のどこに仕掛け扉があるのでしょう。地下へ続く階段でも隠されているんでしょうか?」
「それは親父の推測だろ。魔法文明も色濃く残っていた時代の遺物だぞ」
アスラン様が飾り柱をペタペタ触りながら、その周りをぐるぐると回る。
しばらくして柱から離れるや、彼は腕を組んだ。
「どうしました?」
「……調べた限り、ごく普通の石柱だな」
「何も仕掛けはないのですか?」
「物質的にはな。きっと魔法的な仕掛けがあるんだ」
「なんですそれは?」
「例えば……合言葉を言うとか、特定の魔法用具を持っている、とか」
「魔法用具――」
私は腕に抱いているカーバンクルちゃんを見てハッとする。
「――カーバンクルちゃんとか?」
「生体兵器か。カーバンクルを模した彫刻がある以上、鍵として発想しやすいのはそれだな」
「どうすれば?」
「……とりあえずそいつを飾り柱に近づけてみろ」
アスラン様に言われて、私はカーバンクルちゃんを抱いたまま飾り柱に近づいてみた。
……なんだか、ぐいぐい引っ張られるような感覚があるような。
「……?」
「どうした」
「いえ。何か……」
私がこの不思議な感覚を言いよどんでいると――
「きゃっ!?」
――突然、カーバンクルちゃんが飾り柱に引き寄せられた。
私の手元から離れて、そのまま柱にぶつかる!
「!!」
と思ったら、カーバンクルちゃんの体が柱の中へすり抜けて行ってしまった。
直後、飾り柱の前に真っ黒い切れ込みが口を開ける。
「な、何っ!?」
「フハハハハッ! これだ!!」
私がギョッとしている隣で、アスラン様が笑い始めた。
「これだこれだっ! これこそ実験室への扉!!」
「扉!? この穴みたいなものが……!?」
「別の空間へと繋がっている次元の穴だ。文献で読んだが、実際に目にすると少々驚くな」
ぜんぜん驚いているようには見えませんけど。
むしろ、生き生きし始めたわ。
アスラン様が、おそるおそる次元の穴へと手を触れる。
穴に指先が入ると、触れた先が消えてしまった。
「痛みはないのですか!?」
「なんともない。ただ、指先がチリチリする感覚がある」
「大丈夫なんですか……?」
「次元の穴をくぐると、物質は別の場所へ瞬間移動するらしい。今、俺の指先だけが実験室に現れているんだろうな」
「……想像できないです」
「まぁ、いいや。ついてこい!」
そう言うと、アスラン様は穴に飛び込んでしまった。
本当に彼の体がその場から消えてしまったので、私はまた驚いた。
「……」
「……」
「……」
「……」
私だけでなく、その場に残った殿方四名も唖然としていた。
そりゃそうよね。
こんな非現実的な光景、今の時代じゃ見ることなんてないもの。
「私達も続きましょうか……」
「ま、待った! ザターナ嬢、ここはもう少し慎重に考えよう」
「え?」
「次元の穴に落ちたら別世界に飛ばされるって話もある!」
「別世界?」
「魔界とか、妖精界とか、天界……とか」
「それって、御伽噺の話ですか?」
「そ、そうだけど……」
アトレイユ様が思いがけないことを言うので、私は口元がほころんでしまった。
「ルーク、アルウェン! おまえ達はどうだ? 魔法素質持ちとして、何か感じないか?」
「……俺には何も感じられないな」
「私も特に何も」
魔法素質持ちの彼らにも何も感じられないのね。
魔法と錬金術は、やっぱり別物だからかしら。
「そうか……。次元の扉なんて魔法みたいだからもしやと思ったが、技術体系が違うのかな」
「とにかく、俺達もこの中に入らないことには始まらない。アスランを追おう」
みんなが穴に飛び込むのをためらう中、ルーク様が先頭に立ってくれた。
さすが三剣の貴公子の兄貴分、頼りになるわ。
その時――
「遅いぞ! さっさと来いよ!!」
――穴の中から、アスラン様が顔だけを出した。
それを見た私達は、全員固まってしまった。
だって、顔だけが穴の中に浮かんでいるんだもの……。
「……プハッ! なんて顔してるんだ、ルーラ先輩!」
「アスランッ!!」
穴に浮かぶアスラン様の顔が笑ったと思ったら、再び消える彼の顔を追いかけてルーク様が穴に飛び込んで行った。
とりあえず、中に入って無事なことと、出てこれることは確認できたわね。
「行きますよ。ハリー様、アルウェン様!」
お二人に声をかけた後、私は意を決して穴へと飛び込んだ。
全身に痺れるような感覚が走った次の瞬間、私は激しく流動する水の中のような空間にいた。
周りには、輪になって前方に走る流星群のようなものが見えた。
それを目で追った先――正面から、太陽のようなまばゆい光が近づいてくる。
そこに飛び込んだと思った時、私は――
◇
――真っ暗な場所にいた。
「こ、ここはっ!?」
「錬金術師の実験室だ」
暗がりから、アスラン様の声が聞こえた。
直後、まばゆい光が私の目をくらませる。
……ルーク様が、布の中から煌々石を取り出したためだった。
「ここが実験室か。たしかに、どこかの錬金術師の部屋と同じように取っ散らかっているな」
ルーク様が煌々石で周囲を照らすと、私達がいる場所は広間のようだった。
辺りには机や椅子のような残骸があるほか、蜘蛛の糸が床から天井にかけて張られていて、気味が悪い。
私は、アスラン様がカーバンクルちゃんの首根っこをつまんで持っているのを見て、すぐに彼から愛しの白玉ちゃんを奪い取った。
……ちゃんと温もりがあって、ホッとしたわ。
「机や椅子は、ほとんど朽ち果ててしまっているな」
「軽く見積もって、200年以上は外界と閉ざされていたはず。木材なんてまともな形で残ってないさ」
「床は……石造りのタイルが敷かれているな。史跡の石と同じ材質のようだ」
「となると、史跡の地下か……?」
ルーク様とアスラン様が調査を始めた時、ハリー様とアルウェン様が部屋の中に現れた。
見れば、次元の穴はこの部屋の中にも開かれている。
お二人はそこから飛び出してきたみたい。
「はっ! ここが……実験室!?」
「す、すごいな。本当に別の場所に瞬間移動してしまった」
「なんでこんな蜘蛛の巣だらけなんだ?」
「ずいぶん荒れ果てていますね」
ハリー様もアルウェン様も、驚きが隠せない様子。
私だって、身をもって体験したのにいまだに信じられないわ。
「アルウェン様。風の魔法で、周囲の蜘蛛の巣を払うことはできますか?」
「ええ。やってみましょう」
私がアルウェン様に魔法の行使をお願いすると、アスラン様が無言で手のひらを掲げた。
どうやら、待て、ということみたい。
「何か見つかったのですか、アスラン様?」
「あれを見ろ」
アスラン様が指さした先――何重にも張り巡らされた蜘蛛の糸の奥に、私は驚くべきものを見た。
……そこには、服を着たまま白骨化した死体があった。
壁に寄りかかったまま、うつむくような姿勢で放置されている。
「風の魔法を起こせば、あの遺骸も崩しかねない。どうにかして糸を回り込んで、あそこへ向かおう」
アスラン様に従い、私達は蜘蛛の糸で作られた迷路をたどることになった。
しばらく苦心した後、なんとか糸の迷路を脱出して、遺体の前へとたどり着くことができた。
「こいつがこの実験室の主らしい」
「たしかに、アスラン様に似たへんてこりんな格好をしてますわね」
「へんてこりんは余計だ!」
遺体を崩さないよう、アスラン様が丁寧に周辺を調べていく。
彼の目に留まったのは、遺体が持っていた手帳だった。
「どうやら、手帳を開いたまま死んだらしい。何か書かれているな」
「……手帳には何と?」
「ダメだ、紙が風化しちまってる。……止めた、出せない、成功、アラ、クネ、閉じる、永遠に……読めるのはこのくらいか」
「なんだか不穏な単語が多いように感じましたけど」
とかく私の心に大きな不安をあおった単語があった。
……それを考えるのが怖い。
「前のページも見てみたいが、触れた途端に崩れるなこりゃ」
「カーバンクルちゃんに関する情報は何かありませんか?」
「う~ん……。あっちに棚らしきものがあるな。何冊か、崩れていない手記が残ってるみたいだ」
「すぐにそれを持ってここから出ましょう!」
「? 何をそんなに慌ててるんだよ」
「嫌な予感がするのですっ」
そう。嫌な予感。
〈マゴニア魔物図鑑〉に、あるモンスターについての記述があった。
それは、人を食らう巨大な蜘蛛。
図鑑には、数百年前に大量発生したが、時の英雄達によって駆除されたと書かれていた。
その名を――
「ひゃいっ!?」
突然、錬金術師さんの遺体が崩れたので、私は変な声を上げてしまった。
「あー。うっかり触れて崩しちまった……」
「なんてことをっ! 仮にも人間のご遺体ですよっ!?」
「人間、死んだらただの物質だよ。しかも、今のこいつはスカスカの骨」
「そういう言い方は……」
「僕は棚の手記を調べるから、おまえ達は他に何かないか探しといてくれ」
すでに彼の興味は棚の手記に移ってしまったみたい。
仮にも人の遺体を乱雑に扱うなんて、アスラン様の礼儀知らずも天井知らずね。
◇
それから、私達は手分けして広間を調べていった。
アルウェン様が威力を抑えた風魔法を使ってくれたおかげで、張り巡らされた蜘蛛の糸は千切れとび、移動も楽になった。
「これだけ蜘蛛の糸が張られているのに、蜘蛛の子一匹いやしないな」
「この場所が閉ざされてから200年以上だろ? 糸を張った蜘蛛も死んじまったんだろうよ」
「ですね。でも、何百年も残る蜘蛛の糸なんてあるんだなぁ」
三剣の貴公子の会話で、私はますます不安が募ってきた。
事実と空想が入り混じるとされる〈マゴニア魔物図鑑〉にある、かのモンスターの記述。
どこまでが事実で、どこまでが空想なのだろう。
私は、拾った棒切れで道を塞ぐ糸の塊を除けた。
その時――
「……っ」
――私は背筋が凍るのと同時に、固まってしまった。
「ザターナ嬢、どうかされたのですか?」
「……」
「ザターナ嬢? ……うわっ」
私を気にかけて近づいてきたアルウェン様も、それを見て固まったみたい。
こんなものを見たら、誰だってそうなるわ。
「なんなんです、これは!?」
アルウェン様が、らしくなく動揺する。
私は彼の問いに答えることができたけど、それよりも先に――
「黄賢暦197年。我々はついに成し遂げた。モンスターを滅ぼすために賢者達の知恵を集めて、黄金の刺客を創り上げたのだ」
――アスラン様が見つけた手記を読み始めた。
「それは、鋼鉄よりも堅牢な装甲、四方に隙を作らぬ八つの目、軍馬に匹敵する速さで走る八本の足を持つ。火にも水にも溶けぬ強靭な糸を吐き、同種との遠距離意思疎通も可能。その軍勢は、西の山脈、南の砂漠、東の丘陵に巣食うモンスターどもを駆逐するだろう。我らが最高傑作の生体兵器である」
まさに、その説明にある通りのものが私の目に映っていた。
戦車のような巨体。
折りたたまれている長い足。
黄金に輝くそれは、眠っているように見えたけど……。
「その名は――」
「アラクネ」
アスラン様の言葉を遮って、私は口にするのもはばかられたその名を呼んだ。
「そ、そのアラクネは……魔法エネルギーを餌に稼働する――」
アスラン様も、私と相対するものの存在に気がついたみたい。
でも、きっともう遅い……。
「――アルウェン。とりあえず、おまえはそれから離れた方がいい」
その八つの単眼は、にわかに光を放っているのだから。




