EX. 在りし日の夢Ⅰ
……夢を見た。
◇
『ダイアナ。もうすぐ着く、がんばれるか?』
『がんばります!』
私に優しく声をかけてきてくれたのは、一番年上のブライト兄さんだった。
山吹色の髪が特徴的な、私達の頼れるお兄さん。
でも、血は繋がっていない。
戦争で両親を失った私達は、孤児院で暮らすみんなが家族。
だから、年上の子供達は兄であり姉であり、年下の子供達は弟であり妹だった。
『本当にこの先にそんなものがあるんだろうな、レッド!?』
『あるって! 信じてくれよ、ブライト兄!』
雪の積もった野原。
私達の先頭を行くのは、ふたつ年上のレッドくん。
赤髪の活発な男の子で、いつも私達を振り回すトラブルメーカー。
今日も彼に連れ出されて、私達はこんな場所にいるのだ。
『グレイ、大丈夫? 寒いなら孤児院にいればよかったのに』
『……』
私の後ろで、背の小さな男の子を心配するのは、ロゼ姉さん。
薄紅色の髪の毛が綺麗で、私に女の子らしい仕草や服装について教えてくれた。
今日も勝手に外へ出て行く私達を心配して、同行してくれた。
そんな彼女にべったりな男の子は、同い年のグレイ。
名前の由来は、灰色の髪の毛からだとか。
彼はロゼ姉さんとしか口を利いてくれないので、何を考えているかわからない。
今日だって、姉さんの後をついてきただけみたいだし。
『あった! あったよ、あれだ!!』
レッドくんが叫ぶのを聞いて、私は前に向き直った。
すると、山の斜面に馬車の荷台が転倒しているのが見えた。
私達五人は荷台の前に集まるや、周囲に散らばっている物に目を丸くした。
『すごいな! 食べ物がこんなに……毛布やランプまであるぞ』
『へへんっ。なぁ、本当だったろ!?』
『どうしてこんな物がこんな場所にあるのよ?』
一様に騒ぎ立てる子供達。
私は、フードに積もった雪を払いながら、彼らを黙って見つめていた。
『たぶん雪山の上から転がってきたんだろうな。この山はかなり足場が悪いから』
『そんなのどうでもいいだろ! 持ち主が探しに来る前に、使えそうな物だけ持って帰ろうぜ!』
『そんなことして、大丈夫なの? この馬車――』
ロゼ姉さんが、荷台に描かれた紋章を指さして言う。
『――ブレスタムのものじゃない。たまに町でも見るけど、ここの兵士って良い印象ないのよね』
『ブレスタムは今、バトラックスと戦争中なんだ。きっとこの馬車は、補給物資を運ぶ途中だったんだろうな』
ブライト兄さんが、麻袋から取り出した魚の燻製を噛みながら言った。
『ははっ! 見てよ、塩だ。袋一杯の塩なんて、初めて見た!』
『すごいわね。他にもパンやら果物やら、いろいろある。これなんてジャムよ』
レッドくんとロゼ姉さんが、荷台に積まれている袋を開けては、驚きの声を上げている。
『グレイ、ダイアナ! おまえ達もこっち来て、欲しいもん袋に詰めろ!』
『そうね。女神様のご慈悲だと思って、ありがたく受け取っておきましょう』
二人に言われて、私とグレイも荷台に乗って品物の物色を始めた。
みんなが食べ物にばかり気を取られる中、私は袋に詰められていたマッチ箱に目が留まった。
孤児院に一冊だけある本にマッチ姫の童話があったことを思い出した私は、ふとそのマッチに火をつけてみた。
すると――
『あったかぁい』
――たった一本のマッチに灯る小さな火でも、私は十分に温められた。
『持てるだけ持って町に戻ろう。食べ物は果物は避けて、肉や魚の燻製を選べよ!』
『塩は? ジャムは? パンもいいだろ?』
『塩はいいが、腐りやすいものは選ぶな。どうせなら防寒具を選べ。金になる』
『剣とかもあるけど』
『馬鹿。そんなもの町に持ち込めないだろ』
そうやって私達が荷台の品物を袋に詰め込んでいると――
『何やってる、貴様らーっ!』
――遠くの方から怒声が響き渡ってきた。
振り返ると、甲冑をまとった兵士が数人、山の道を下ってくるところだった。
『ヤバイ! 逃げろっ』
『でも、まだ食いもんが……』
『捕まったら監獄行きだぞ!』
私達は軽めの袋だけを持って、荷台から飛び降りるや走り出した。
幸いなことに、雪が積もっていたおかげで私達は捕まることなく、兵士達から逃げおおせることができた。
◇
町に戻ってきた。
私が暮らしてきた北方の小さな町――アンデルセン。
『はぁっ、はぁっ。なんとか無事に戻ってこれたな』
『本当、一時はどうなることかと思ったわよ』
私達は町のアーチをくぐるや、人気のある表通りを避けて裏路地へと身を隠した。
路地裏で、私達は回収してきた品物を持ち寄った。
『レッド。おまえ、パンと果物まで持ってきたのか!』
『だって食べたかったんだもん』
『仕方ないな。ちょうどパンが二つ、果物が三つ。五人で分けよう』
そう言うと、ブライト兄さんがパンと果物を私達に配った。
私は果物を渡されて、すごく嬉しかった。
『あとは塩に砂糖、レンズ豆、肉と魚の燻製、マッチに蝋燭。おっ、こりゃすごい……金貨じゃないか! 10枚はあるぞ』
『それ、エル金貨じゃないわ。ブレスタムの硬貨じゃないの』
『金貨は金貨だ。換金所に持っていけば、十分な額にはなるさ』
ブライト兄さんとロゼ姉さんが回収品の整理をしている間、私はマッチをつけてその火に当たっていた。
気づけば、私の両隣りにはレッドくんとグレイが寄り添っていた。
マッチの火が温かいみたい。
『これで当面のしのぎには困らないな。今日見つけた物は、いつもの隠し倉庫に隠しておくぞ』
『助かったわ。修道女達の折檻を受けながら修道院の仕事をするなんて、もうまっぴらだもの』
『ああ。もう少し金が貯まったら、俺達五人で温かい町へ行こう。こんな町にいたら、いつか凍え死んじまう』
『信用できるのは私達五人だけだものね』
『そうだな。……おまえ達、このことは絶対秘密だぞ!』
ブライト兄さんが言うと、レッドくんとグレイが軍人みたいに敬礼をする。
たまに町を訪れる軍人を見て覚えたみたい。
その後、彼らは表通りへと走り去って行ってしまった。
本当、元気が有り余っているのね。
私もマッチを持って帰ろうとした時――
『ロゼ。これを受け取ってくれ』
『何これ?』
――ブライト兄さんが、ロゼ姉さんに何かを渡しているのを目にした。
『荷台の中にあったんだ。緑色に光る石がついたネックレスさ。たぶん宝石なんじゃないかと思う』
『嘘。本当に?』
『もうすぐ13歳だろ。プレゼントだ』
『ありがとう、ブライト』
『あいつらには内緒だぞ、ダイアナ!』
ブライトさんが言うので、私は黙って頷いた。
ネックレスを受け取ったロゼ姉さんが、とても嬉しそうにほほ笑んでいた。
◇
それから数日の後。
私は町の路地裏で、大人にマッチを売り歩いていた。
ブライト兄さんから、目立つ場所では避けるようにと言われていたから。
そんな時、路地の入口を大きな馬車が塞いでいて、私は立ち往生するはめになってしまった。
馬車の向こうからは、大人の話し声が聞こえてきた。
背伸びをして客車の窓から中を覗き込むと、綺麗な服を着た男の人が二人、険しい顔をしているのを見た。
『今さら臆したのか、トバルカイン。困窮している貴様に美味しい仕事を持ってきてやったわしの身にもなれ!』
『物資の横流しが美味しい仕事ですか。……たしかに金にはなる』
『なぁに、心配するな。我が国とブレスタムは不可侵協定を結んでおる。この件が明るみに出ることはあるまいよ』
『……娘のことが心配なだけです』
『ふん。聖女の真贋裁判の結果が近く出るのだったな。もしもそこで真の聖女だと認められれば、貴様の立場もひっくり返るだろう』
『はい』
『貴様が、わしへの借りを忘れるような男ではないと信じておるぞ』
『もちろんです』
……何の話をしているのか、私にはわからなかった。
ただ、若い方の男の人が辛そうな顔をしていることだけ、私の印象に残った。
◇
それからさらに数日経った、雪の降る朝。
『ダイアナ! 大変だっ!!』
いつものように籠へとマッチ箱を入れて孤児院を出た時、血相を変えたレッドくんとグレイが、私のもとへと走ってきた。
『どうしたの?』
『ロゼ姉が、広場でブレスタムの兵士に捕まったんだよ!』
『えぇっ!?』
『きっとあいつら、俺達を追ってきたんだ!』
ちょうどその時、孤児院からブライト兄さんが出てきた。
レッドくんから話を聞くなり、兄さんは顔を真っ青にした。
『と、とりあえず隠し倉庫まで行こう。あそこに行けば、すぐに見つかることはないから……』
私はブライト兄さんに手を引かれて、孤児院の前を駆けだした。
でも、すぐ隣にある修道院が見えるや、兄さんの足が止まった。
『どうしたの?』
『隠れろ!』
ブライト兄さんの視線をたどると、修道院の入り口に馬車が停まっていた。
その馬車にはブレスタムの紋章があり、修道女と話している兵士達の姿が見えた。
聞き耳を立ててみると――
『本当にウチの子なのですか?』
『おたくの孤児院以外はすべて調べがついている。一人は捕らえたが、素直に白状してくれなくてな』
『その子の名前は……?』
『しゃべらん。だが、薄紅色の髪の少女だ。あと四人仲間がいるはずだ』
『四人の特徴は?』
『山吹色の髪の少年、赤色の髪と灰色の髪の子供、残る一人はフードをかぶっていてわからないが、小柄なこどもだ』
『ブライトに、レッドに、グレイですわね。あの悪ガキどもを連れて行ってくださるなら結構なことですわ』
『全員まとめて監獄送りにしてやる』
――恐ろしい話を聞いて、私は震えあがった。
兵士が言っていた少女とは、ロゼ姉さんのことに違いない。
『おまえ達は、今すぐ町を出ろ……』
『えっ。ブライト兄はどうすんだよ?』
『ロゼを助け出す』
『無理だよ! 相手は大人の兵士だよ!?』
『家族を見捨てられるかっ』
ブライト兄さんは私達の頭を優しく撫でると、泣きそうな顔をしながら――
『元気でな』
――と言って、雪の吹きすさぶ町へと走って行ってしまった。
『に、にに、逃げようっ』
レッドくんとグレイに手を引かれて、私は裏道から隠し倉庫へと走った。
◇
隠し倉庫で旅支度を整えて、私達三人は町を出た。
でも、子供だけの逃避行なんて上手くいくはずがない。
『いたぞ! 追えっ』
私たちは町から少し離れた街道で、すぐに兵士達に見つかってしまった。
『に、逃げろ……ダイアナッ!』
『レッドくん!? グレイ!?』
私をかばうように、レッドくんとグレイが追いかけてくる兵士達へと飛びかかった。
私は取り押さえられる彼らを置いて、町へと逃げ戻った。
涙で目の前が滲んで、真っすぐ走るのも大変だった。
◇
町に吹きつける雪は、ますます強くなっていた。
私は逃げ帰る場所も頼れる人も失い、独りで狭い路地に縮こまっていた。
『寒い……』
私はかぶっていたフードを脱いで、マッチで火をつけた。
持っていたすべてのマッチを使いきり、ようやくフードに火が灯った。
『暖かい』
私が火に当たっていると、声をかけてくる人がいた。
『こんな場所で焚き火とは豪気だな』
『……』
私が無言で声の主に向き直ると――
『!? ……きみ、その顔は!?』
『……?』
『名前は何という?』
『……ダイアナ、です』
――男の人が驚いた顔で、私の傍へと歩み寄ってきた。
その時だった。
『あの子供ではないか?』
『確認しよう』
反対側の道から、ブレスタムの兵士達が私に近づいてくるのが見えた。
私は自分も捕まるのだと思った。
『待ちたまえ!』
『……あなたは?』
『セントレイピアの外交官を務めるトバルカインだ』
『そうでしたか。我々は子供の窃盗団を追って――』
『帰りたまえ。ここにきみ達の仕事はない』
『は?』
『この子は、私の娘だ』
これが、私とトバルカイン子爵の出会いだった。
◇
「――ナ!」
「……」
「――ーナ!」
「……ぅ」
「ザターナ!!」
「はっ」
ハッとした時、私の目の前には――
「そろそろ史跡に着くぞ」
――ルーク様の姿があった。
「あ。は、はい。ごめんなさい」
「……可愛い寝顔だったな」
「えっ」
突然の不意打ちに、私はドキリとしてしまった。
窓の外を見ると、馬車は森の開けた場所を走っていた。
馬車の進む先には、いかにも大昔の遺跡といった感じの建物が見えている。
「あれが……パラケルスス史跡」
私は腕に抱いているカーバンクルちゃんに視線を落とした。
今は苦しむ様子もなく、大人しく寝ている。
「必ず助けてあげるからね、カーバンクルちゃん」
もう……家族を失うのは嫌だ。
必ず助けるわ。