34. ペベンシィ伯爵家の闇
私は、国立図書館の近くにある宿で一夜を明かすことになった。
子爵邸に戻るよりも、図書館の近くに宿を取った方が、リンデルバルド伯爵邸に近いための判断だった。
そして、翌朝。
私は目を覚ましてすぐ、机の上に寝かせてあるカーバンクルちゃんの様子を確認した。
彼がすぅすぅと穏やかな寝息を立てているのを見て、ホッと一安心。
「今日はパラケルスス史跡。希望が見つかることを祈るわ……」
私が独り言ちた矢先、部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。
少し早いけど、出発のお迎えかしら。
ルーク様……?
それともアトレイユ様?
アルウェン様かも。
「「「おはよう、ザターナ嬢!」」」
……三人一緒だったわ。
◇
リンデルバルド伯爵邸へと向かっている間、私は馬車の中でずっとアスラン様の様子をうかがっていた。
馬車に乗ってからこっち、錬金術書と目されるお料理本と、ご自分の手帳を見比べてうなっている。
時折、親指の爪を噛んだりと、アスラン様は落ち着きがない。
「アスラン様。解読は順調ですか?」
「うるさいっ! 話しかけないでくれ!」
「教えてくださってもいいじゃありませんか」
「進んでるよっ」
「どのくらい?」
「四分の一ほどだ!」
「……それって進んでいるのですか?」
「並みの錬金術師なら、解読に数日から数週間はかかる暗号だぞ!? 僕だから、これだけ早く解読が進んでいるんだ!」
目を真っ赤にして、ずいぶん熱中されているわね。
もしかして昨夜からずっと寝ずに解読を続けていたのかしら。
「カーバンクルちゃんのことについては書かれていました?」
「それはまだ先みたいだな。著者の身の上話が延々と続いているところだ」
「もっと先から解読してみては?」
「全ページ共通の暗号が使われているわけじゃないんだ。頭から順々に解読していかないと、効率が悪い!」
「はぁ。そういうものですか」
「そういうものなのっ!」
アスラン様が、私に背を向けてしまった。
ずいぶん苛立っている様子ね。
一方で、ルーク様とアトレイユ様の話し声も聞こえてくる。
「集中している時に邪魔すると、牙を剥いてくるのも相変わらずか。昔、寮の部屋を吹っ飛ばす前もあんな調子で調合に熱中していたな」
「それ、ポーションの調合をミスった時のことかい?」
「ああ。あの時は両隣りの部屋の壁もまとめて吹っ飛ばして、大騒ぎだったな」
「隣部屋のハリーが死にかけた事故だろう。覚えているよ」
なんて物騒な思い出なの……。
でも、話の中に気になる名前が出てきたわね。
「あのぅ、今、ハリー様が死にかけたとおっしゃいました?」
「ああ」
「それって、つまり……」
「察しの通り、ハリーとアスランはすこぶる仲が悪い」
「えぇ……」
「仲を取り持てるのは、たぶんきみだけだよ。ザターナ」
アスラン様って、昔からトラブルばかり起こす人なのね……。
◇
馬車がリンデルバルド伯爵邸へと到着した時には、すでに門扉の前にハリー様が待ち構えていた。
その隣には、執事のルビウスさんも一緒。
「おはよう、ザターナ嬢! 今日も綺麗だ」
「おはようございます。そして、ありがとう。今日も元気ですわね、ハリー様」
言いながら、私は馬車を降りた。
その後ろには、ルーク様とアトレイユ様が続く。
「昨日の夜にアルウェンから話は聞いた。父上には通行証の手配をお願いしておいたから、もうすぐ届くと思うよ」
「無理を言ってすみません」
「構うことないさ。きみのためなら、例え火の中水の中、だ!」
そんな風にはしゃいでいたハリー様も、アスラン様が馬車から降りるや口を閉じてしまった。
……なんだか険悪な雰囲気。
「アスラン。ずっと引きこもってりゃいいのに、家から出てきたのか?」
「僕がいつ何をしていようが、おまえには関係ないだろ。ハレー」
「ハリーだ! きみは今でもそんななのかっ!?」
「はん。おまえが僕の何を知ってるんだ」
「好奇心を満たすためなら、平気で人を殺しかねないってことは知ってる!」
「ま~だあの時のことを根に持ってるのか。あれは、ポーション精製誤爆の事故だと証明されただろうがっ」
「殺されかけて、事故で納得できるか!」
……たしかに、すこぶる仲が悪いわね。
ハリー様もアスラン様も、今にも飛びかからんばかりに興奮しているわ。
「聖女様。通行証が届くまで今しばらくかかります。ここで待ちぼうけもなんですし、屋敷の方でおくつろぎになられてはいかがでしょう」
「そうですわね。そうしましょうか、皆さん」
助かったわ。
ルビウスさんの助け船のおかげで、とりあえずこの場は収まるわね。
「ふん!」「はん!」
ハリー様もアスラン様も、お互いそっぽ向いたままお屋敷へ向かってしまった。
史跡への旅にはハリー様も同行することになるでしょうし、厄介事が増えなければいいけど……。
「私は馬車を厩舎に預けてから向かいます」
「わかりました」
アルウェン様がお屋敷の裏手にある厩舎へと馬車を走らせていく。
私はそれを見送った後、ルーク様とアトレイユ様に続いて門扉をくぐった。
すると、ルビウスさんが話しかけてきた。
「まさかアスラン坊ちゃんをお連れになるとは思いませんでした」
「彼と面識が?」
「はい。ペベンシィ伯爵と長年の友人であることは先日申し上げましたが、坊ちゃんとも邸宅で顔を会わせておりました。時折、私達の話を隠れて聞いておいでになられたこともあるようです」
「盗み聞きなんて、褒められたものではないですね」
「しかし、それがきっかけで錬金術に興味を持たれたのでしょう。ある日、私に錬金術を教えてほしいとせがんできたことがありましてな」
……そういうこと。
アスラン様に錬金術の基礎を教えたと言うのは、ルビウスさんだったのね。
私のもとにカーバンクルちゃんがいることを知ったのも、伯爵とルビウスさんの話を聞いていたからなんだわ。
「彼、素質があったそうですね」
「それはもう。半年で私など追い抜かれてしまいました。その時、彼はまだ12歳でしたよ。紛れもない天才です」
12歳ということは、今から数年前かしら。
彼のお母さまとお兄様が事故で亡くなられたのも数年前だったわね。
もしかして、彼が錬金術を学ぼうとした動機にはその事故が関わっている……?
「なぜ錬金術を彼に教えたのです? 失礼ですが、ルビウスさんは志半ばにその道を断念したと」
「……あの頃、ぼっちゃんの心は痛々しいほどに傷ついていました。私は、そんな彼の傷を少しでも癒せるならと、錬金術の基礎を教授したのです」
「彼が錬金術を始めた動機はご存じ?」
「存じませんが、おそらくお父上のことでしょうな。あの事故があった後、どういうわけかペベンシィ伯爵は錬金術を棄ててしまいました。そんなお父上の後を継ぎたいと思ったのかもしれません」
「その動機で、あんなに仲が悪くなりますか……?」
「私には子供がいないのでわかりませんが……。親と子というのは、他人が思うよりもずっと複雑な関係なのでしょう」
複雑な関係、か……。
旦那様もザターナ様の家出の理由がわからないってボヤいていたわね。
聖女の使命が嫌になったのか。
他に我慢ならない理由があったのか。
私が知る限り、旦那様はザターナ様に優しく接していたし、ザターナ様も旦那様にはお行儀よく接していたわ。
一見、仲睦まじいお二人の間にも、何か確執があったのかしら。
他人には……わからないわね……。
◇
通行証が届いた後、私達はハリー様を仲間に加えて聖都を出た。
パラケルスス史跡は、聖都から西へ馬車で半日ほど行ったところにある。
上手くいけば、明日の宮廷入りまでにはギリギリお屋敷に戻れるかもしれない。
……上手くいってほしい。
「皆さん。ちょっとトラブルです」
御者台に座るアルウェン様から、客車へと声がかかった。
馬車の前方は、倒木によるバリケードによって道が塞がれていた。
しかも、その周りには頭巾で顔を隠した男の人達が……。
「あれは……追い剥ぎ!?」
なんて間が悪いのかしら。
こんな時に、追い剥ぎに襲われるなんて!
「よりによって聖女が乗る馬車を襲うとはな」
「ですね。なんて運の悪い人達でしょう」
「やれやれ。アルウェン、馬車を停めてくれ!」
三剣の貴公子が立ち上がった。
相手は十人ほど、しかも全員刃物を持っているのに、余裕の顔だわ。
馬車が停まるや、お三方は客車を降りて追い剥ぎの集団へと向かって行ってしまった。
心配のあまり、窓から顔を出して見守っていると――
「心配いりません。三剣の貴公子を相手に、十人ではあまりに少なすぎます」
――アルウェン様に言われた。
……その通りだった。
瞬く間に追い剥ぎの集団は倒されていき、私の緊張が解かれる頃には全員揃って後ろ手に縛られていた。
前から思ってはいたけど、本当にとんでもない強さね……あの三人。
「さて。最後に私の魔法で障害物をどかしてこないと」
そう言うと、アルウェン様も御者台を降りて行ってしまった。
緊張していたのは、どうやら私だけだったみたい。
「はん。雑魚は群れになったところで雑魚だったな」
「アスラン様……」
道すがら遭遇した追い剥ぎにも毒づくなんて、つくづく口の悪い人。
しかもあなた、何もしてないじゃない。
でも、せっかく口を開いてくれたのだから、ちょっと聞いてみようかしら。
「アスラン様は、なぜ錬金術を学ぼうとされたのです?」
「……そんなこと聞いてどうすんだ」
「お友達のことを知りたいと思うのは、自然なことではなくて?」
「友達……?」
「ええ。勝手に私が思っているだけかもしれませんけど」
アスラン様は急に押し黙ってしまった。
私、別に失礼なこと言ってないわよね……?
「おまえ、家族が罪を犯そうとしているのを知ったら、どうする?」
「罪? ……横領とか、暴力とか?」
「そんなありふれたもんじゃない。もっと最低最悪な罪だよ」
「それがどんな罪かわかりませんが、私なら……是が非でも止めますわ」
「いかにも聖女らしい耳ざわりの良い回答だな――」
パタンとお料理本をたたんで、ハリー様が続ける。
「――俺の親父は、死んだ母と兄を辱めようとしたんだ」
想像もしていなかった答えが返ってきて、私は言葉を詰まらせてしまった。
死者を辱めるなんて……どういうこと?
「親父は二人の死を受け入れられず、錬金術の奥義を用いて人体再生の秘薬を作り出した。一夜の間、全身を浸しておくと破損した四肢や臓器を生前同様に再生させる代物さ」
「そんなものが実在するのですか!?」
「実在はする。けど、黄金時代から人間の生を歪める邪道として忌避されてきた技だ。それを作りだしたことで、親父は師匠とえらく揉めたらしい」
……フラメール様のことね。
「そのお師匠様はどうなったのですか?」
「あろうことか、親父は自らの権力を使い、その師匠にあらぬ疑いをかけて国外追放に追い込んじまったんだ」
「なんですって……!?」
「親父は狂っていた。そんな人間の作った秘薬を使われた二人が、果たしてまともな人間として蘇るだろうか?」
「……」
「親父は偽物の遺体を使って二人の葬儀をあげた。そして、秘薬が完成した後、秘密裏に二人の遺体を使って蘇生を行うつもりだったんだ」
「……それで、どうなったのですか」
「どうなったかって? フハハ――」
アスラン様は、これ以上ないほど邪悪な笑みを浮かべた。
「――遺体を燃やしてやった。秘薬に浸ける前に、あのクソ親父の狂った計画を台無しにしてやったのさ!」
……アスラン様の静かな笑い声。
それは愉悦?
それとも後悔?
「あなたは、お父様を正気に戻そうと――」
「違うっ!」
「では、なぜそんなことを?」
「……だって、気持ち悪いだろう! 遺体を秘薬に浸けて、傷が再生して動き出したとして、魂の抜けた人間は人間なのか? そんなの生ける屍じゃないか。生きていたあの人達とは、きっと別物なんだよ!」
「魂があるなんて。死してそれが抜け出るなんて。過去に、証明できた人がいるのでしょうか?」
「……知るか」
その言葉を最後に、彼は再び本を開いて解読に没頭し始めた。
……ひとつだけわかったことがある。
ペベンシィ伯爵家には、悲劇が取り巻いている。
それはきっと、愛ゆえのものなのだろうけど……私にはわからない。
私も、愛なんて知らないもの。
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