32. 黄金時代の遺産
私達は伯爵邸の書斎へと案内された。
カーバンクルちゃんに破壊されたのは外観だけで、お屋敷の中は思いのほか破損が少なかった。
壺や絵画などのインテリアは酷い有り様だったけど……。
「紅茶のひとつも出してやれずにすまないね」
「いいえ」
こんな時に気を利かせなくていいのに。
どうせ食器のほとんどは割れてしまっているでしょうし、今はゆっくり飲み物を飲む気分でもないし――
「離せ! なんで僕までっ」
「大人しくしていろ!」
――ご子息はこんな様子だし、ね。
「アストロ先輩、僕がこのクソ親父と絶縁してることは知ってるだろ!?」
「アトレイユだ! 伯爵の敷地で暮らしてるくせに、何言ってるんだこいつ!」
逃げだそうとするアスラン様を、アトレイユ様が押さえつけてくれている。
この人を自由にすると何をしでかすかわからないから、ここまで一緒に連れてきたのだけど……騒がしいなぁ。
一方、ペベンシィ伯爵は杖を片手に、さらにメイド長のスーザンさんの手を借りて執務机へと向かっている。
顔色から察していたけど、お体が悪いのね。
伯爵が椅子へと腰かけると、スーザンさんがそそくさと部屋から出て行った。
そして、伯爵は一息ついた後――
「さっそく始めるとしよう」
――机を挟んで、私達へと向き直った。
「まずは我々を助けていただいた礼をさせてほしい。聖女ザターナ様。そしてコリアンダ伯爵の令息アトレイユ殿、ヴァギンス男爵の令息アルウェン殿。ヴァナディスくんも世話をかけたね」
「当然のことをしたまでですわ」
「他にも二名ほどいたはすだが……」
「彼らには、中庭で騎士団への事情説明をお願いしています」
「そうか」
「本題に入っていただけますか」
私が伯爵を急かすと、ヴァナディスさんが口を尖らせてくる。
「お嬢様! 伯爵にそのような言い方は失礼ですよ」
今はそんな悠長なことは言っていられないでしょう。
カーバンクルちゃんが、私の胸の中でずっと苦しそうにしているんだから。
「よいよい。もとより、そのつもりだ」
「カーバンクルちゃんを助ける術とは何なのです?」
「その前に、黄金時代について話す必要がある」
「どうぞ」
「かつて私は錬金術を学んでいた。そして、当時もっとも精を出したのが錬金術の絶頂期――黄金時代の研究だった」
……ルビウスさんが言っていた通りね。
「カーバンクルちゃんは、その時代の錬金術師がモンスターを駆逐するために造り出した生体兵器だと、アスラン様から聞きました」
「……そうか。そんなことまで調べていたのか、アスラン」
伯爵様の視線がアスラン様の方へと動いた。
でも、当のアスラン様はすぐにそっぽを向いてしまう。
……この親子、本当に上手くいっていないみたいね。
「でも、今は現代ですよ。何百年も前の時代と、カーバンクルにどんな関係が?」
「カーバンクルを生んだのは、黄金時代の錬金術だ。ならば、その再生技術もその時代にあると思わんかね」
「と言うことは、その時代の錬金術を使える人を捜せば……!」
「それは無理だ。当時の錬金術は、500年の永い時の経過で多くが失われてしまっている。今の時代の錬金術師が受け継いでいるのは、絶頂期のごくごく一部の技術でしかない」
「では、カーバンクルちゃんを治療する技術はもう存在しないと……?」
「人間には受け継がれていない。しかし、その技術が記された書物なら残されているかもしれぬ」
書物……!
そうか。そうだわ。
侯爵夫人からの又聞きだけど、ルーク様もおっしゃっていたじゃない。
「本を読むことは、時も場所も超えて未知なる教えを授かる奇跡……!」
「言い得て妙だな。同意する」
「当時の錬金術が記された書物を手に入れれば、カーバンクルちゃんを治療する術が見つかるというわけですね!」
望みが出てきたわ!
昔の本のことならルーク様にお力添えいただければ、見つかる可能性は十分にあるもの。
「はん。馬鹿馬鹿しいっ。そんな大昔の本が、そう簡単に見つかるもんか」
「……アスラン様。ちゃちゃを入れないでください」
「黄金時代の錬金術書の多くは、近代に入ってものの価値を知らない宗教家どもに焼き払われちまったんだ!」
「でも、どこかに残っているかもしれないじゃないですか」
「無いね。少なくとも聖都には無いっ」
「なぜ断言できるのです?」
「全部の国立図書館を回ったが、見つからなかったからな!」
聖都のすべての国立図書館を回ったの?
引きこもりと言われてる割に、すごい行動力ね……。
「古い錬金術書は、一般の人間が観ることのできる棚にはない。稀覯幻書の棚を勝手に読み漁ったのではあるまいな、アスラン?」
「そうでもしないとあの類の本は読めないだろ!? あんただって若い頃やってたくせに、説教すんのか――モガモガッ」
アトレイユ様が、アスラン様の口を塞いでくれた。
それにしても、仲が悪いとは言えやっぱり親子みたいね。
「私には、聖都の国会図書館だけでなく、宮廷や離宮の蔵書にも入れるツテがあります。そこからなら……」
「うむ。見つかる可能性はあろう。しかし、目的の錬金術書が見つからずとも、まだ手はある」
「他にも何か?」
「古の錬金術師達の残した実験室を見つけだすことだ」
「実験室を……?」
そんな大昔の人達が残した実験室なんて、今の時代に残っているの?
書物の方がよっぽど可能性が高そうだけど……。
「錬金術書が発見できなかった場合は、それを探すといい」
「そう言われても、私にはそんなものがある場所なんて見当が……」
「一ヵ所だけだが、実験室が隠されていると思われる場所を特定している。その場所をお教えしよう」
「えぇっ!?」
驚いたのは私だけではなく、アスラン様も同じだった。
彼にとっても、今の情報は寝耳に水みたいね。
「セントレイピアの西――スフィア公国へと続く街道沿いにある大森林。そこに黄金時代のパラケルスス史跡がある」
「このクソ親父、何を言うかと思えば! そこは当時の王族の避暑地だとすでに――モガモガッ」
アスラン様がまた口を挟んできたわ。
そのままずっと口を押さえていてくださいな、アトレイユ様。
「そうだ。すでにその史跡の調査は、セントレイピア・スフィア両国の調査団によって終えている。私もかつて調査団に加わってその史跡を調べたが、錬金術にまつわる遺物は発見されなかった」
「では、なぜそこに実験室があると?」
「史跡の中央に、それと同じ動物――」
伯爵がカーバンクルちゃんを指さしながら、続ける。
「――が彫刻された飾り柱があった。一本だけ奇妙な彫刻が施されていたものだからずっと気になっていたが、今日その動物を見て確信した」
「まさか、その飾り柱に仕掛け扉がある……とか?」
「聖女様はなかなか聡明でいらっしゃる。私も同じ考えだ」
冒険小説を読んでいると、そういう仕掛けとかけっこう出てくるし……。
でも、根拠としては今ひとつじゃないかしら。
「それだけの情報で断定できますか?」
「文献を調べれば、実験室への入り口を偽装することが、当時の錬金術師の間で流行ったことがわかる」
「はぁ。いつの時代もトレンドってあるものなのですね」
「錬金術師は秘密主義だ。知れ渡った知識は後世に伝えるが、自らの奥義は死ぬまで秘匿する。しかし、中には秘密を解くヒントを残す酔狂な者もいる」
「その酔狂な錬金術師が、史跡の飾り柱に仕掛けを残したと」
「私はそう考えている。……信じるか信じないかは、きみ次第だ」
……信じるしかないわ。
「ありがとうございます。ペベンシィ伯爵」
「礼などいらんよ。それより、そのドラ息子も連れて行くといい」
「え?」
「私の知らぬ間に、錬金術をかじっていたらしい。いないよりは役に立つだろう」
伯爵の言い方が癪に障ったのか、アスラン様がモガモガと暴れだした。
「それでは、ご子息はお借りします」
「聖女様にご武運を」
私は伯爵に別れの挨拶をした後、みんなと共に書斎を後にした。
◇
「どうして僕が、おまえ達に付き合わなきゃならないんだ!?」
お屋敷から出て早々、アスラン様がごね始めた。
「お父上から許可はいただいていますよ」
「僕が何をしたいかは、僕が決める! 親父がなんて言おうが関係ないっ」
「どちらにしろ、離れ家はあんな状態だし、お父上との仲も険悪なのですから、しばらく家を離れた方がいいですわ」
「ふざけるな! 僕をさらう気かーっ!?」
「あなたがそれを言いますか……」
……本当に呆れた人。
これほど恵まれた環境に生まれた人が、どうしてこんな風になってしまうのかしら。
まったく協力する気のない彼を説得するには、骨が折れそうだわ。
その時、アトレイユ様が口を開いた。
「聞け、アスラン。古い錬金術書や、史跡に黄金時代の実験室を発見できれば、おまえにとっては新しい知識を得るまたとない機会になるだろう」
「……それは、そうだけど」
「俺達はおまえに黄金時代の知識を提供する。おまえはその知識でカーバンクルを助ける。お互いウィンウィンじゃないか?」
「ウィンウィン、ね……」
アスラン様はガジガジと親指の爪を噛み始めた。
私がこんなことをしようものなら、ヴァナディスさんから一時間以上お説教ね。
「……いいだろう。おまえ達に協力する」
「現金な人。でも、錬金術師が力になってくれるなら心強いわ」
「はん。確実にカーバンクルの知識を得られるかわからないんだぞ。もし書物も実験室も見つからなかったら、僕は帰らせてもらうからな」
「その時は……仕方ないですわね」
私は、抱いているカーバンクルちゃんの顔を覗き込んだ。
絶対にあなたのことを助けてあげるから、もう少しだけ辛抱してね。
「まずは錬金術書の方から当たりましょう」
「なら、ルークに協力を仰ぎましょう。彼ならきっと力になってくれる」
アトレイユ様の提案には、異論ない。
「史跡に行く際は、ハリー様を頼るのがよろしいかと」
「ハリー様を?」
「彼のお父上は道路保全局の長です。史跡への通行証が必要になるでしょう?」
さすがアルウェン様、抜かりないわね。
「……あの、お嬢様?」
「どうしたの、ヴァナディス」
ヴァナディスさんが、不安そうな顔で話しかけてきた。
「念のための確認ですが、明日の夜までにはお屋敷に戻られるのですよね?」
「ええ。戻るから安心して」
「本当に?」
「本当よ」
ヴァナディスさんてば、あからさまに疑ってるわね。
まぁ、明後日の宮廷入りまでに間に合うかは、かなり怪しいけど……。
でも、これもカーバンクルちゃんを救うため。
もしかしたら旦那様との約束を破ることになるかもしれないけど、きっと歴代の聖女様なら私と同じ選択をするはずよ。
救える命があるのなら、私はただ全力を尽くすのみだわ。