31. ドラゴン、大暴走!
白い体毛に覆われた巨大なドラゴン――
額に真っ赤に輝く赤い宝石。
ギラリと周囲を睨みつける双眸。
天を衝くように伸びる角。
鞭のようにしなるおひげ。
長い首を支える屈強な体躯。
尻尾は蛇行する剣のようにしなやかに鋭い。
――まさに神話のドラゴンそのものの姿だわ。
それが伯爵邸にもたれかかって、建物を揺らしている。
家の中からは使用人が悲鳴を上げながら出てきて、中庭は動物達が逃げ惑う。
……まさに地獄絵図というやつね。
「ど、どどど、どうなってるの、あれは何っ!?」
「ドラゴンだわ」
「ドラゴン!? あれが!? どうしてそんなものが今……!?」
ドラゴンを目の当たりにして、ヴァナディスさんが混乱しているわ。
私も驚いたけど、頭が働くくらいには冷静でいられてる。
私は混乱する彼女を馬車から降ろすや、アトレイユ様に叫ぶ。
「アトレイユ様、馬車で王国騎士団へ通達を!」
「そ、そうですね」
続いて、御者席にいるアルウェン様に叫ぶ。
「アルウェン様はこの場に残って私を手伝ってください!」
「は……て、手伝う!? 何をなさる気です!」
アルウェン様が御者席を降りると、入れ替わりに日の下自警団の一人が飛び乗って、馬車を走らせて行った。
私が門扉へ向かうや、アトレイユ様に行く手を阻まれてしまう。
「ザターナ嬢。もしや、あのモンスターを止めようと……?」
「当然です」
「あんな巨大なモンスターは見たことがない! 騎士団が大型猛獣用の兵器を持ってくるまで待つべきです」
「そんな悠長なことを言ってられますか? 見なさい、お屋敷にはまだ人が残っています。中庭には動物達も。彼らの犠牲が出る前にドラゴンを制圧しないと!」
「そんな無茶な……」
「あら。アトレイユ様は私の騎士なのでしょう? 私、これから戦場に飛び込みますけど、守ってはくださらないのですか?」
「なぁっ!?」
焚きつけるようでごめんなさい。
でも、あのドラゴンをこのまま暴れさせておくなんてことはできないの。
◇
私達は逃げ惑う使用人とすれ違いながら、伯爵邸の中庭を走った。
それぞれの役割は、すでに決まっている。
ヴァナディスさんと日の下自警団の二名には、使用人達の避難誘導と庭の動物達の救助。
アトレイユ様とアルウェン様にはドラゴンの制圧。
私自身は、この事件の元凶であろう人物捜し。
「「ザターナ嬢。お気をつけて!」」
「大丈夫ですっ」
ドラゴンの注意を引く殿方二人を背に、私は離れ家へと向かった。
……私、おかしいのかしら。
こんな恐ろしい事態の渦中だというのに、なぜかわくわくしてる。
「グルルルルルァァァッッ!!」
道なりに離れ家へと走る途中、後ろから猛獣の雄たけびが聞こえた。
敵意に満ちたその声に、私は思わず振り返ってしまった。
伯爵邸から離れたドラゴンが、四つ足に構えてアトレイユ様とアルウェン様を威嚇している。
大きな口を開けて、尻尾を地面にバンバン叩きつけているわ。
額の宝石から放たれる赤い光が、ますます強くなっている感じがする。
「モタモタしていられないっ」
私は倒壊した離れ家へとたどり着くや、瓦礫の上に乗って、誰かいないか捜し始めた。
「誰かいませんかっ!?」
「……ぅ」
どこからか、小さな声が聞こえた。
「どこですっ!?」
「ぉ……おもぃ……ど、どけ……」
その声は、私が立っている瓦礫の下から聞こえた。
「い、いけないっ」
私はすぐに瓦礫から降りて声の主を捜した。
すると瓦礫の下から手が伸びていたので、力任せに引っ張った。
運良く瓦礫の隙間にハマっていたおかげか、私だけの力でもその人を引っ張り出すことができた。
「げほっ、げほっ」
「あなたは……アスラン様ですね?」
「げほっ。おまえ、僕を知ってるのか……」
咳き込んでいるアスラン様が顔を上げた時、私は初めて彼の顔を目にした。
ボサボサの髪に、色白の肌。
髪の毛で隠されているけれど、顔の左半分に火傷の痕。
左の瞳が色もなく白んでいる一方で、右の瞳は美しい金色に輝いて見える。
傷を気にしなければ、整った顔立ちの青年だわ。
……なのに、寝巻の上から汚れた白衣を羽織っているだけなんて、日頃どんな生活をしているのかしら。
「……おまえ、あの時のメイドか?」
あら?
伯爵邸にいた時は変装していたのに、なぜ私が元メイドだとわかったのかしら。
「なぜそれを?」
「目だ! その目――白虹眼じゃないか」
「はいろうあい?」
「そんなことより、今どうなって――」
アスラン様が庭へと目を向けた瞬間、芝生や花壇が一気に燃え上がった。
ドラゴンが火を吹いたのだ。
「す、すごい。火を吹くなんて、本物のドラゴンなんだわ……!」
「違う。あれはまがい物だ」
「どういうことです?」
「あれはカーバンクルが自己防衛のために変身した姿だ」
「カーバンクルちゃんが!?」
……そんな気はしていた。
白い姿に、額に輝く赤い宝石。
私のカーバンクルちゃんの特徴がそのまま表れているもの。
見れば、ドラゴンと対峙しているアトレイユ様とアルウェン様もかなりの苦戦を強いられているみたい。
アトレイユ様が剣で斬りつけても傷つかず、アルウェン様の魔法攻撃すら物ともしない様子。
このままでは、お二人とも危険だわ……!
「ふん。馬鹿なやつらだ。人間の力で太刀打ちできるわけがない」
「アスラン様、どうしてこんなことになったのか説明してくださいっ」
「知るか。額の石を剥がそうとしたら、いきなりああなったんだ」
「額の石を……剥がそうとしたですって!?」
「どうやらドラゴン化は身を守る手段らしい。周囲の人間を敵性認識して攻撃しているようだな。その証拠に、やつは動物を狙っていない」
何を言っているの、この人は!?
つまりカーバンクルちゃんは、自分の身を守るためにあの姿に?
「どうすれば元の姿に戻せるんです!?」
「知るか。暴れ飽きれば元に戻るんじゃないか」
「そんな無責任な!」
「無責任も何も、できることがない。あれは黄金時代に、凶悪なモンスターどもを駆逐するために古の錬金術師達が造りだした生体兵器だ。造り主以外の命令は受けつけない」
「そこまで知っているなら、大人しくさせる方法くらい!」
「無茶言うなよ。当時の文献なんてほとんど残ってないんだ。いくら天才の僕でも、情報が欠けてちゃ完璧な解は導き出せないね」
その時、ドラゴンと化したカーバンクルちゃんが私達へと向き直った。
もしかして私のことに気づいてくれたの?
「グルルッ……グルルルルァァァァッッ!!」
……違うみたい。
「ひいっ! あ、あいつ僕のことを覚えてるんだ!」
アスラン様が悲鳴を上げて、私の背中に隠れてしまった。
……なんて情けない人なの!
「逃げて、ザターナ嬢!」
「俺達では止められないっ!!」
アルウェン様とアトレイユ様の声が聞こえた。
見れば、カーバンクルちゃんが離れ家へと向かって走ってきている。
それを目にして、さすがに私も全身総毛立った。
「なんとかしなさいっ!」
「無茶言うなって! 調査する前にああなっちまったんだから、何もわかんないんだよっ」
カーバンクルちゃんが、牙を剥き出しにして私へと迫ってくる。
きっと怒りで我を忘れているんだわ。
……お願い、正気に戻って!
「やめなさいっ!!」
私が叫ぶや、目前まで迫っていたカーバンクルちゃんがピタリと動きを止めた。
「なんだ……? おまえ、何をした!?」
アスラン様が問いただしてくる。
そんなこと聞かれても、私には答えようがない。
私だってびっくりしているんだもの。
「カーバンクルちゃん……」
私がそっと彼に歩み寄ろうとした時――
「グルルルアァァッッ!!」
――視界にアスラン様を捉えたためか、再び興奮し始めてしまった。
「うわわっ」
「ダメよ、カーバンクルちゃんっ!」
もはや私の言葉も届かないのか、カーバンクルちゃんは大きく口を開いて、喉から炎を吐き出そうとしている。
このままじゃ、私もろともアスラン様まで……!
「石だ! 額の赤い石を狙え! やつの弱点になりえる場所は、そこしか考えられない!!」
アスラン様が叫ぶのと同時に、アトレイユ様とアルウェン様が動き出した。
「アルウェン!」
「承知!」
アルウェン様が短い詠唱で風の魔法を放つと、その風に押し上げられるようにしてアトレイユ様の体が宙へと舞った。
そして、カーバンクルちゃんが首をもたげた瞬間――
「はあぁっ!!」
――アトレイユ様の振り下ろした剣が、額の石を砕き割った。
「ギャアアアァァッッ!!」
カーバンクルちゃんが吼えた直後、ぐらりと巨体が傾いた。
その体は倒れる合間にしゅるしゅると縮んでいき、元の姿に戻った彼はポトリと地面へと落ちた。
「カーバンクルちゃんっ!!」
ピクリとも動かないカーバンクルちゃんに私が駆け寄ると、彼は息も絶え絶えの状態で小さな瞳を私に向けていた。
「クル……ルッ」
とても苦しそうな鳴き声。
額の赤い石は砕かれてしまって、赤い血を流している。
「これは一体……?」
「カーバンクルがドラゴンの正体だったのですか!?」
私の抱きかかえるカーバンクルちゃんを見て、アトレイユ様とアルウェン様が呆気に取られている。
「はん。案外もろかったな」
アスラン様が、カーバンクルちゃんを覗き込んで毒づいてきた。
私がムッとしたのと同時に――
「アスランッ! おまえ、どういうつもりだっ!?」
――アトレイユ様がアスラン様の胸倉を掴み上げた。
「落ち着けよ、アストラ先輩」
「アトレイユだ!! そんなことより、おまえは危うく伯爵邸のみんなを殺しかけたんだぞ! わかっているのか!?」
「やったのはカーバンクルだ。僕じゃない」
「ふざけるなっ!」
「僕は悪くないっ!!」
アトレイユ様が拳を振り上げたので、私は慌てて止めに入った。
「お待ちください! 暴力はダメッ」
「しかしザターナ嬢、こいつはとうとう一線を越えてしまった! 友として信じていたのに……っ」
アトレイユ様が痛々しいお顔でアスラン様を睨みつけている。
ご学友に裏切られて、さぞ辛いでしょう……。
それに比べて、アスラン様の方は悪びれる様子もないわ。
「クルッ……ルッ」
カーバンクルちゃんが苦しそうに悶えている。
この苦しみ方は普通じゃないわ。
「エネルギー源となる額の石を砕かれたことで、生態活動が困難になったんだろう。時期に死んじまうな」
「あなたが原因でしょう! なんとかしてください!!」
「何様だ、おまえは。僕は、やってくれと頼まれることが一番嫌いなんだ」
……なんて人なの、信じられない。
身勝手もいいところだわ。
「そもそも、私のカーバンクルちゃんをあなたが盗ませたことが原因です! この事態を招いておきながら、何の責任も取らないつもりですか!?」
「……おまえが聖女だったのか」
「そうです!」
彼は私が聖女だと知ると、ジロジロと全身を舐め回すように見入ってきた。
「ふぅん。それじゃあ、さっきこいつを止めたのが〈聖圧〉の奇跡なのか? あんなデカブツにも効果があるんだなぁ」
……何が〈聖圧〉の奇跡ですか。
そんな奇跡が使えたら、とっくにあなたに謝罪と償いを求めていますよ!
「カーバンクルちゃんを助ける責任が、あなたにはあります!」
「僕は悪くないと言っただろう!」
「そんなこと、この場の誰が認めますか!」
「僕だ!」
「そんな身勝手は許しません。この子を助けて!!」
「嫌だねー!!」
……ああ。引っぱたきたい。
でも、今の私は聖女……心を穏やかに保たなければ。
目をつむって深呼吸。
心を落ち着かせた後、私が目を開くと――
「……っ!!」
――アスラン様が、舌を出して変顔していた。
……よし。引っぱたこう。
私が利き手を開いたちょうどその時。
「聖女様。それが真のカーバンクルならば、助ける術はある」
その声が聞こえてきた時、アスラン様が慌てて私から顔を背けた。
……いいえ。違うわ。
彼が顔を背けたかったのは、私ではなく……。
「……ペベンシィ伯爵、ですね?」
「いかにも」
私達の傍へと歩いてきた老齢の男性が答えた。
顔色が悪く、杖に頼ってようやく歩けているご様子なのに、凛とした眼差しに私は息を呑んだ。
「そのドラ息子の始末は私がつけよう。その前に、聖女様に伝えるべきことを伝えさせておくれ」
ドラ息子って……。
実際にそんな表現を使う人、初めて見たわ。
この親子、ずいぶん仲がこじれているみたいだけど――
「うるせぇ、クソ親父。まだ生きていやがったのか!」
――これはもう、こじれるどころの騒ぎじゃなさそう。