23. 立ち上がる獅子
見世物小屋のテントを飛び出した私は、脇目も振らずにその場を離れた。
「急いでこのことを市長さんに伝えないとっ」
オアシスには、市長さんが編成した近衛師団があると聞いている。
その近衛師団なら、新世界秩序を制圧できる戦力もあるはず。
でも――
「……ダメ、だ」
――真緑のローブを着た男の人達が、チラホラと街中に見られる。
私を追ってきた人達?
それとも、都を見回っているだけ?
どちらかわからない以上、うかつに私の姿はさらさない方がよさそう。
その後も都を歩き回ってみたけど、市長さんのテントへ続く道には、すべてローブ姿の人達が立っていた。
まるで人の流れを監視しているみたいだわ。
「どうしよう」
オアシスは夜の帳が下りて、すっかり静かになっている。
道行く人の姿もまばらだし、不用意に都をうろつくのは危険ね。
朝までやり過ごすのが無難かしら……?
「クルッ。クルルルルッ」
その時、私の肩でじっとしていたカーバンクルちゃんが鳴き声をあげた。
クンクンと匂いを嗅ぐような仕草を見せているわ。
近くに食べ物の露天商もないのに、何の匂いを嗅いでいるんだろう。
そう思っていると――
「あっ」
――カーバンクルちゃんは私の肩から飛び跳ね、道を走って行ってしまった。
「待って!」
私はカーバンクルちゃんの後を追って走った。
彼、小さいのに意外と素早いわ!
私は息を切らせながらも、道を滑るように走って行く白いまん丸を見失わないように必死に追いかけた。
◇
カーバンクルちゃんは、あるテントの前でちょこんと座っていた。
ずいぶん大きなテントね。
看板には、オアシス競売会場と書かれているわ。
「ここに何かあるの?」
カーバンクルちゃんを抱きかかえて中へ入ろうとすると、警備の人に呼び止められてしまった。
「お嬢さん。招待状はお持ちですか?」
「えっ。……いいえ、ありません」
「招待状の無い方は、入場料として700エルいただきます」
700エルも持っていないわ。
このテントに何かあるのかと思ったけど、入るのは難しいわね――
「あっ! 準特命大使の方でしたか。失礼しました、お通りください」
――と思った矢先、警備の人が道を開けてくれた。
そう言えば私、準特命大使だったことをすっかり忘れていたわ。
テントの中は、異様な熱気で盛り上がっていた。
競り……というのかしら。
客席の男の人達が、舞台に向かって矢継ぎ早にお金の額を言い争っているわ。
競りを眺めていると、私の腕からカーバンクルちゃんが逃げ出した。
今度はどこに行くのかと思ったら、隅の仕切り部屋へと入り込んでしまった。
競売参加者の待合室みたいなところのようね。
「お邪魔しま~す」
間仕切りを上げて、おそるおそる中へ入って行くと――
「クルルッ」
「なんだおまえ! 僕は今お祈りを捧げているんだ、邪魔するなっ」
――カーバンクルちゃんが殿方にまとわりついていた。
しかもその殿方、私がよく知っている後ろ姿。
「まさか……ハリー様?」
私が声をかけたことに気づいていないハリー様は、カーバンクルちゃんを払い除けて、机に向かって祈り始める。
女神像でも置かれているのかと思ったら、ぜんぜん違った。
そこにあるのは、古めかしいガラス容器に入った赤黒い液体じゃないの。
あれは葡萄酒……?
まさか、血液なんてことはないわよね。
「こいつ、しつこいなっ!」
カーバンクルちゃんは、何度払い除けられてもハリー様にまとわりつくのをやめない。
何か気になるものを彼が持っているのかしら。
とりあえず、私は疑問から解消することにした。
「何に祈っているのです?」
「聖女様の聖遺物だよ。祈りの時間を邪魔しないでくれ」
「せいいぶつ?」
「歴代の聖女様が後世にお残しになられた、聖なる遺品だ。祈りに集中したいから、話しかけないでくれ!」
ハリー様は、まだ私だと気づかないみたい。
私に背中を向けたまま、ガラス容器への祈りの姿勢を崩さないわ。
「聖女の遺品などに祈ってどうするのです?」
「女神に等しい方の聖なる血だぞ! 敬意を表して余りあるだろう!」
「ああ。聖遺物とは、血とか髪の毛とかのことなのですね」
「そうさ。偉大なる御身の一欠けらだ。競り落とすのに60000エルもかかったけど、僕は満足だ!」
「そんな不衛生なものに、そんな額をお使いに!?」
「さっきから何なんだ、あんた――」
振り返ったハリー様は、私と目が合うや固まってしまった。
「捜しましたわ、ハリー様」
「ざ、ざざ、ザターナ嬢!? ななな、なぜここに……っ」
「それは私が聞きたいです。聖女自身より、その遺品の方が大事なんですね」
「ち、違います! いえ、違くはないですけど、ザターナ嬢も大事でっ!」
ハリー様は私の前にひざまずいて、早口で言い訳をまくしたてている。
私は彼の言葉を遮って、事情を説明した。
◇
「……見世物小屋でそんなことが!?」
「はい。すぐに市長さんに連絡しようとしたのですが、ローブの人達が道々で監視しているようで。まだ誰にも伝えられていません」
「アルウェンや貴族のお偉方が人質に取られてますからね。事を荒立てないで正解だったかもしれませんよ」
「ハリー様、力を貸してください。なんとか、あの不条理な輩の計画を阻止したいのです」
「それは僕も同感ですが……」
なんだかハリー様の様子がおかしい。
そわそわしていると言うか、嫌に落ち着きがないわ。
「どうかされましたか?」
「……ぼ、僕なんかがあなたのお役に立てるんでしょうか」
「はい?」
「僕はあなたには必要とされていない人間です。僕なんかがお傍にいても、きっと迷惑かけるに決まってます」
「……え。ちょ、えぇっ!?」
この方、そっくりさんじゃなくて本物のハリー様よね?
すっかり意気消沈してしまって、以前の頼りがいあるお姿が嘘のようだわ。
「一体どうされたのです、ハリー様!? 別人のようじゃありませんか!」
「だ、だって、僕はあなたに必要とされない――」
「私がいつそんなことを言ったんです!」
……あっ。
もしかして彼、私にお付き合いを断られて自信喪失してしまったのかしら。
「僕に聖女様のお傍にいる資格なんてない。できることと言ったら、聖遺物に祈りを捧げて、少しでもあなたの力に……」
う~ん。これは重傷ね。
聖女に振られたからって、物言わぬ遺品に逃げないでほしいわ。
今はこの方の力が絶対必要。
どうあっても、この場で立ち直ってもらわないと!
「あのですね、ハリー様。聖遺物に祈られても、私は嬉しくもないし元気にもなりません」
「えっ。でも、だって……」
「無用な犠牲者を出さないためにも、どうかあなたの力をお貸しください」
「だ、ダメです。僕なんかどうせ……」
……もうっ!
じれったい人なんだからっ!
「ハリー様!」
「は、はいっ」
「人は行動するからこそ、力を発揮できるのです! あなたは何のために剣術を磨いてきたのですか!? その剣術で、今こそ人々を助ける時でしょう!!」
「うっ……。ぼ、僕は……」
「戦うことのできない私には、誰かを鼓舞することしかできません。あなたが落ち込んでいるのなら、私が全力で励まします! ですから、今、この時代を守るためにあなたの心を奮い立たせてくださいっ!!」
ハリー様は唖然とした顔で私を見入っていた。
ここまで言ってもダメなようなら、もうこの方には頼れない。
中途半端な気持ちでは、新世界秩序にはきっと対抗できないわ。
お願い、元のハリー様に戻って!
「僕の力が必要ですか?」
「必要です」
「あなたのお傍にいてもいいのですか?」
「もちろんです」
「僕がお役に立てますか?」
「あなたの力が必要です」
「……」
ハリー様はうつむいて、急に黙り込んでしまった。
その時、カーバンクルちゃんが彼の懐から何かをくわえて、引きずり出した。
……それはルビーのネックレスだった。
「クルルッ! クルルッ!」
可愛い鳴き声を上げながら、カーバンクルちゃんはルビーをかじっている。
もしかして、宝石がこの子の主食なのかしら。
「ザターナ嬢。僕は自分が恥ずかしい」
「え?」
気づけば、ハリー様はルビーを噛むカーバンクルちゃんを見入っていた。
「聖遺物を手に入れて、あなたを所有した気になっていた。美しい贈り物をすれば、あなたが手に入ると思っていた。陳列棚に並ぶ商品じゃあるまいし、僕は人としてのあなたを見ていなかった」
「ハリー様……」
「ザターナ嬢。今一度、僕にチャンスをくださいますか。いつの日か、男を上げて再びあなたに告白することを許してほしいのです」
「許すも何も、まずはお友達から始めましょう」
「そ、それじゃあ!」
「その時が来たら、私は受けて立ちます」
「感謝します、ザターナ嬢」
ハリー様は見る見るうちに覇気を取り戻していき、背筋をピンと伸ばして揚々と立ち上がった。
そして、カーバンクルちゃんからネックレスを取り上げ、私に手渡してきた。
「赤いルビーはあなたに似合う。ただのプレゼントとして受け取ってください」
それがハリー様の覚悟の証なのね。
ならば、そんな殿方に恥を掻かせるわけにはいかないわ。
「そういうことなら受け取りましょう。侯爵夫人のお茶会につけていきます」
「ありがとう。……さぁ、行きましょう!」
ハリー様が、完全に復活したわ。
◇
私達は競売のテントを出るや、すぐに今後の方針を話し合った。
「敵は、一組ずつ貴族を国に帰すつもりなのですよね?」
「ええ。彼ら、かなり慎重でしたわ」
「オアシスの近衛師団や、他国の軍隊とやり合うほどの戦力がないのかもしれない。リーダーさえ倒せば――」
話の途中で、私達の周りに人が集まってきた。
何かと思えば、ローブを着た男の人達――新世界秩序だわ!
「見つけましたよ、お嬢さん。どうかお戻りください」
「その連れの方も一緒にね」
私をかばうように、ハリー様が男達に立ちふさがる。
そして、剣の柄に手を触れると――
「消えろ俗物ども。ザターナ嬢は、貴様らがお目通りできるお方ではない」
――一瞬にして、ローブの人達を斬り伏せてしまった。
「す、すごい……!」
「気絶させただけです。この程度の輩なら、五十人いても問題ありません」
やっぱりハリー様を頼って正解だったわ!
その頼りがいある背中を見て、私の不安は一気に霧散していった。
「よぉし! では、参りましょうハリーさまままぁっ!!」
……言い終える前に、つまづいちゃった。
このまま迫りくる地面に私は顔面を打ちつけて――
「大丈夫ですか? 僕の聖女様」
――しまうことはなかった。
地面に倒れる前に、私の体はハリー様の腕に抱きかかえられていたのだ。
「お、お恥ずかしいところを……」
ハリー様は、ニコニコしながら私を立たせてくれた。
「どうかなさいました?」
「いいえ。ただ、勇気と力が湧いてくるだけです!」
……なんだろう。
今のハリー様は、少し背が伸びたような感じがする。
私は、そんな不思議な錯覚を抱いた。




