09. 聖女の務め
レイア様の起こした騒ぎから四日後。
私がザターナ様の身代わりを務めてから、ちょうど一週間が過ぎた。
いまだにザターナ様は見つかっていない。
旦那様は、捜索の範囲を聖都から遠く離れた街や村にまで広げているようだけど、ほとんど手掛かりもない状態だとか。
「私も、お手伝いできればいいんだけど……」
そうは言っても、私ができるのはザターナ様に扮することだけ。
ならば、せめてその使命だけでも全うしよう。
そう思いながら、私は手持ち無沙汰でお屋敷の周りを散歩していた。
すると――
「あっ! お、お嬢様っ」
――バッタリとメイドと出くわした。
「あ。おはよう」
「お、おは、おはようございますっ!」
そんなにビクビクしなくても……。
メイド達って、どうもザターナ様のことが苦手みたいなのよね。
顔を合わせるたびにこれだから、私としても困っちゃうわ。
「何してるの?」
「花壇にお水を……」
見れば、彼女は水の入った如雨露を抱えている。
花壇の水やりかぁ。
そう言えば私、一度やったきり、二度とやらせてもらえなかったっけ。
「私が手伝ってあげるわ!」
「えっ。そんな、お嬢様の手を煩わせること――」
「いいから貸してっ」
私は彼女から如雨露を引ったくり、花壇へと足を運んだ。
こうしてたまにメイドのお仕事を手伝ってあげれば、ザターナ様は怖くないってことが少しずつ浸透していくはず。
そうすれば、彼女達が私と顔を合わせるたびにビクつくこともなくなるわ。
「よぉし、やるぞっ」
私は花壇に如雨露を傾けて、ドバドバ水を注いでいく。
これだけかけてあげれば、お花も元気に育つでしょう。
「……あ、あの」
「え?」
「そ、そんなに水をかけると……よろしくないかと……」
「そうなの?」
「はい。根腐れしてしまいます……」
……。
もしかして、私が二度と水やりを担当させられなかったのって……。
「そ、そうね。水をあげすぎるのも良くないわね」
「はい……」
私は彼女に如雨露を返して、散歩を再開した。
◇
その後、私は庭の石壁に向かって、投石の訓練をしていた。
小石を拾っては、壁に描いた的をめがけて投げつける。
狙った場所に当てる確率を上げるための、非常に実践的な戦闘訓練だ。
「……う~ん。3m先の的に、10回投げて1回ヒットかぁ。なかなか難しいわね」
あらためて足元の小石を掴んだところで――
「何をやっているのです、お嬢様っ!!」
――ヴァナディスさんの怒声にびっくりした。
「いざと言う時に、私も石くらいと思って――」
「聖女様が石を投げる必要はありませんっ!」
「でも、私一人の時に襲われたりとか――」
「護衛がつくから心配ありませんっ!!」
……万が一のことだってあるじゃないの、もう。
「それより、すぐによそ行きのドレスにお召し替えください」
「え。しばらく出かける予定はないって……」
「主教様からの直々のお呼び出しです。さすがにお断りできませんよ」
主教様は、エルメシア教のとっても偉い人。
王族もかしこまるようなお方で、すごい経歴の持ち主らしい。
「主教様のご用件は?」
「三ヵ月前の嵐で破損した聖塔の修復が終わったので、見に来てほしいと」
「えぇっ!? そんなことのために!?」
「エルメシア教徒にとって、聖塔は重要な施設なんです」
私、エルメシア教徒じゃないんだけどなぁ。
ザターナ様だって違うはずだけど、聖女はエルメシア教と深い関わりがあるから他人事じゃいられないわけか。
「わかりました。すぐに準備します」
◇
ドレスを着替えた後、私はヴァナディスさんに伴われて聖塔へ向かった。
トバルカイン子爵邸からはやや距離があるので、護衛も兼ねて、王国騎士団の馬車に送迎してもらう。
「あれからお変わりありませんか?」
「ええ。平和なものですわ」
護衛役で同行してくれたのは、アルウェン様だった。
私を退屈させないように、彼は御者台からたびたび話しかけてくれる。
でも、私と彼が話し込んでいると――
「アルウェン様は、非番の時は何をしていらっしゃるのです?」
――というように、ヴァナディスさんが割り込んでくる。
そんなプライベートなこと聞いて、どうするのかしら。
アルウェン様だって返答に困るでしょうに……。
「あっ。見えてきましたよ、聖塔です」
ちょうどいいタイミングで、目的地へ到着した。
返答をお預けにされたヴァナディスさんは、ちょっと機嫌悪そう。
「あれが聖塔……」
「おや、初めてですか? ザターナ嬢は毎年、復活祭や降誕祭は聖塔で行っているとうかがっておりましたが」
「い、今のは、聖塔がすっかり元通りになってるのを見て、思わず口に出てしまったんです」
「そうでしたか」
……危ない危ない。
うっかり余計なことを口走らないように注意しないと。
私はお屋敷から出ることを許されなかったから、聖塔に行ったことないのよね。
初めて見たけど、地上40m? 50mはある?
すごく大きな建物なのね、中に何百人も入りそうだわ。
「私は国境警備についていたので事情を知らないのですが、三ヵ月ほど前の嵐で尖塔が倒壊したのですよね」
「はい。そう聞いています」
「それだけの被害で済んで良かった。私はエルメシア教徒ではありませんが、子供の頃、幼馴染とよく聖塔に訪れていたものですから」
「そうなのですか」
「聖塔の一階ホールに、女神の泉があるのはご存じですよね――」
ご存じないけど、ここは話を合わせるしかないわね。
「――二人で同時にエル銅貨を投げ込むと、将来一緒になれるという伝説。それに憧れていたんです」
「素敵な伝説ですよね。もしや、アルウェン様もその幼馴染と銅貨を?」
「はい。と言っても、子供の頃の話です」
「素敵な思い出じゃありませんか」
「ええ。……でも、もう彼女は私のことを覚えていないんじゃないかな」
……アルウェン様、声が暗くなった?
客車からは彼の背中しか見えないけど、どうかしたのかしら。
その時、ヴァナディスさんが会話に割り込んできた。
「昔のことですものね。今日、あらためて銅貨を投げてみるのはいかがです!?」
「えっ」
「嫌な思い出は上書きがよろしいですよ、上書きが!」
「はは。それもいいかもしれませんね。久しぶりに銅貨を投げ込んでみようかな」
「ですね! 私もそのつもりですっ」
……ヴァナディスさんてば。
アルウェン様の前だと、決まって張り切るんだから。
◇
聖塔に到着すると、すぐに主教様が出迎えてくれた。
前にヴァナディスさんから聞いた通り、ニコニコした気の優しそうなおじいちゃんだわ。
「よくぞいらっしゃいました、聖女様」
「お久しぶりです、主教様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「とんでもない! 聖塔はあなたの家も同じ。これからも、いつでも気軽にお立ち寄りください。何なら、最上階にお部屋もご用意いたしますよ」
「嬉しいですわ。機会があれば、ぜひ」
私と主教様が、お互いに社交辞令を送り合っている中――
「銅貨じゃないといけないのでしょうか? 銀貨や金貨だったら成就率アップとかあったりなんて……」
「成就率……? さ、さぁ。そんな伝説は聞いたことが……」
――少し離れた女神の泉で、ヴァナディスさんとアルウェン様が並んでエル銅貨を投げ込んでいた。
明らかにアルウェン様が迷惑してるわ……。
「来る時、車中より聖塔の尖塔を拝見しました」
「すでにご覧になられましたか」
「はい。元通りの尖塔に戻って何よりですわ」
もう呼ばれた用件は済んじゃったんだけど。
まだ、他に何かあるのかしら?
「修復作業のため三ヵ月も準備が滞っていましたが、これで〈聖声の儀〉への懸念は解消されました。聖女様もホッとされたことでしょう」
「はい。安心しました」
……〈聖声の儀〉か。
たしか聖塔の上から、聖女が全国民に向かって女神の言葉を伝えるという一大イベントだったわね。
聖塔を見に越させたのは、私を安心させるためなのね。
「儀式まで93日……時がくれば、バプティス聖山も開かれます。我々の準備する数々の儀式道具も、その時に日の目を見るでしょう。ご期待ください」
「はい。楽しみにしています」
……何それ。
儀式道具とか、ちょっと怖いわね。
「時に聖女様。先日の事件のこと、私も聞き及んでおります」
「えっ。それって」
レイア様の件のことね。
さすが聖女のこととなると、お耳が早いのね。
「今回は事なきを得たからよかったものの、あのようなことが今後起きないとも限りません。バトラックス国の動きも気になりますし、何より国内にも不安要素はありますから」
「バトラックスの動き? 国内の不安てなんですか?」
「……失礼。失言でした、お忘れください」
忘れられるわけないでしょ!
うっかり怖くなるようなこと言わないでくださいっ!
「私は大丈夫です。守ってくれると言ってくれる人もいますし」
「ええ。我らエルメシア教や王家が、聖女様を必ずやお守りします。後日、その件について朗報をお届けできると思いますので、ご安心なさい」
「はぁ」
「今日はあなたと話ができて良かった。また近いうち、お会いしましょう」
「は、はい」
「年に一度、聖女様が奇跡を起こす約束の日を、我らは常に待ちわびています。すべてはセントレイピアの輝かしき未来のために」
主教様は丁寧なお辞儀をした後、去って行った。
最後の最後に、気になることを匂わせていくのはずるいわ……。
「ザターナ嬢、お話は終わりました……?」
「はい。もう用件は済みましたし、帰りま――」
そこまで言った後、私は絶句した。
ヴァナディスさんが、どさくさに紛れてアルウェン様の腕に手を回し、頬をこすりつけている。
アルウェン様は困り果てた顔で、私に助けを求めている様子だ。
……あーあ。
こんなヴァナディスさん見たくなかった。