83. 光と闇・後編~少女の復讐~
「お早いお目覚めで……」
「ええ。私の一番嫌な臭いが香ってきたせいで、意識もはっきりだわ」
……血の臭い。
鼻を衝くその臭いに、私も今さらながら気がついた。
「ザターナ様! みんなが……みんながっ」
「落ち着きなさい、ダイアナ。すぐに治してあげるから」
ザターナ様は埃を払いながら立ち上がる。
こんな状況なのに慌てる様子もなく、凛としていらっしゃるわ。
「ヴァナディス。あんたを監獄送りにするの、正直辛いわ」
「なら、邪魔をしないでいただきたいわ」
「あんたを自由にさせておいたら、もっと血が流れる。聖女として、捨て置くことはできない」
「滑稽ですね。一度は聖女を捨てたあなたが、聖女を名乗るなんて」
そう言うや、ヴァナディスさんが口をもごもごと動かし始めた。
直後、何か小さな物を吐き出す。
それは細い針だった。
しかも、それが旦那様の首筋に刺さって――
「ぐっ! ……ぅう”っ」
――突然、泡を吹いて倒れてしまった。
「旦那様!?」
「ううう”ぅう”……っ」
何が起こったのかわからなかった。
私はびくびくと痙攣している旦那様を抱きしめながら、ただ彼を案じることしかできない。
その様子を見て、ザターナ様の顔色も変わった。
「お父様に何をしたの!?」
「かつてマゴニアズオルムという毒蛇がいたことをご存じですか?」
「そんなこと聞いてるんじゃないわよ!」
「そいつは致死性の猛毒を持っていました。今、彼に打ち込んだのはその毒を塗った含み針ですよ」
「そんな猛毒を口の中に隠してたって言うの!?」
「幼少時から訓練を受けていて耐えられるんです。でも、普通の人間は……」
「……くっ」
ザターナ様が慌てた様子でこちらに走りだした。
彼女は身動きの取れないヴァナディスさんから、すれ違い様に剣を奪い取る。
それを屋上の隅へと投げ捨てた後、旦那様にすがりついた。
「お父様っ!」
「うう”う”っ……ザ、タ……ナ”ッ」
「今、〈聖養〉で楽にしてさしあげます!」
言いながら、ザターナ様は首の針を引き抜いた。
「この青空の下に在りき、不浄なる傷よ、忌まわしき毒よ、去れっ!!」
〈聖養〉の言霊が紡がれた後、旦那様の体を優しい光が包み込む。
奇跡で毒の解毒を始めたんだわ。
「う……ぅ」
旦那様が落ち着きを取り戻した。
よかったぁ……。
「!?」
ホッとした瞬間、私は誰かに腕を引っ張り上げられた。
それは、〈聖圧〉で動けないはずのヴァナディスさんだった。
「替え玉はいただきますよ」
「ヴァナディス!」
「手を止めてよろしいの? 同時に二つ以上の奇跡を使えないこと、私は知っているんですよ」
「うっ」
奇跡にそんな制限があったなんて初めて知ったわ。
旦那様に毒針を撃ったのは、その弱点を突くためだったのね。
「仮にも恩人を裏切り、あまつさえ死に至らしめようとするなんて! 人として心が痛まないの!?」
「そういうのは、とっくに捨てましたよ。ザターナ様」
ヴァナディスさんは、無理やり私の腕を引っ張って歩きだした。
「死にたくなければ、大人しく言うことを聞きなさい」
「ヴァナディスさん! これ以上、人を傷つけるのはやめてください!!」
「誰に言っているの。私はフレイヤだと言ったでしょ」
……なんて力。
必死に抵抗しても、私はなす術なく引きずられていく。
こうなったら……!
暴力で屈服させるのは好きじゃないけど、仕方がないわ。
目には目を、ドラゴンにはドラゴンよ!!
「カーバンクルちゃん、ヴァナディスさんをこらしめてっ!」
肩に乗っているカーバンクルちゃんに呼びかけると――
「クルッ?」
――彼はとぼけた顔をしたまま、つぶらな瞳で私を見入っている。
「無駄よ」
ヴァナディスさんが、エプロンのポケットから小さな袋を取りだした。
足下でそれをひっくり返すと、中からたくさんの飴玉がこぼれる。
真っ先に反応したのは、カーバンクルちゃんだった。
「クルル~~ッ♪」
彼は私の肩から飛び降りて、その飴玉にしゃぶりついてしまった。
しかも、ヴァナディスさんに頭を撫でられるや、ペロペロと彼女の指先を舐める始末。
……完全に餌付けされちゃってるじゃないの。
「おまえに危害を加えない限り、この子はもう私を襲わない」
「ま、まさか、今までこの子に飴玉を与えていたのは……」
「こんな時に備えてのこと」
備えが良すぎよ、ヴァナディスさん……。
「ザターナ様。お父上の解毒が済んでも私に何かしようとは思わないで。〈聖圧〉を仕掛けようものなら、ダイアナを……」
「卑怯よ、グリーンドラゴン!」
「まぁ、治さないといけない人間は何人も転がっていますけどね」
ヴァナディスさんの言葉に、私はハッとした。
周囲を見渡せば、ルーク様やソロさん達が血を流したまま倒れている。
いくらザターナ様でも、彼らの怪我まで治していたら、私を助けるには手が回らないわ。
……ここは、私が少しでも時間を稼がなければ。
でも、どうすればいいの?
私には戦う武器なんてない。
ましてや親衛隊の手に余るような相手に、私ができることなんて……。
「怖がることはないわ。おまえは、ただ私の隣に立っているだけでいい」
「何をする気です……?」
「私はね、ダイアナ。この国の――いいえ。この世界の、聖女への気持ちの悪い妄信と崇拝を破壊したいのよ」
「そ、そんなことできるわけが……っ」
「できるわ。人間は、敬愛し渇望し崇拝する者の堕落を目の当たりにした時、手のひらを返したように残酷になれる。それは聖女に対しても変わらない」
「まさか!?」
「この数ヵ月、おまえが聖女に成り代わっていたことを全国民に暴露する」
そ、それはマズイです。
「本物の聖女はその勤めに嫌気がさし、とっくにバトラックスへ亡命していた。しかも彼女は、隣国の信頼を得るために先代の居場所を漏洩し、取り返しのつかない悲劇を招いていた!」
そんな嘘、誰が信じるものですか!
「祖国を捨てた娘に対して、子爵は今の地位を守るために――いいえ。私利私欲のために、と言った方が通りがいいわね。そのために、劇団女優を雇って聖女の偶像を作り上げた!!」
……半分当たっているかも。
「これらを虚実織り交ぜて公開すれば、聖都の人々は疑心を抱く。疑心はいつしか不信となり、不信は必ず憎悪に変わる! 聖女の権威は失墜する!!」
「そんな簡単に心変わりなんて……」
「なら、これから試してみようじゃない。聖女でなくとも、人々の心を操ることはできる! 聖女の闇を白日の下にさらす〈聖声〉という形でね!!」
彼女の目論見、あながち非現実的なことじゃないわ。
虚実の判断ができない国民にそんなことが知れ渡ったら、本当にエルメシア教が――聖女様が立ち行かなくなるかもしれない。
「どうしてそこまで聖女を憎むんです!?」
「……ドジでお人好しなダイアナに、昔話を聞かせてあげましょうか」
ヴァナディスさんは切々と語り始めた。
「聖女は奇跡を示して、迷える人々を正しき道へと導いてくれる。
それはまさに光よ。
でも、光あるところに影がある。
それが強い光であるほど、その影は暗く陰惨になっていく。
……二十年前。
私が七つくらいの頃。
バトラックスは、相変わらず戦争ばかりのどうしようもない国だった。
父は暗殺者。母は魔法使い。
二人は軍の秘密部隊に従事する英雄だった。
あくまで影に徹する任務だったけれど、彼らの活躍は私にとって誇りだった。
でも、あまりにも強すぎる光に照らし出された時。
父と母の運命は狂ってしまった。
当時、先代の聖女がセントレイピアを巡礼していたわ。
名目は、各地にくすぶる戦争の火種を取り除くこと。
東はバトラックス。
西はスフィア。
南はシルドライト。
北はブレスタム。
セントレイピア中央から四方の国境沿いまで、聖女の行進は続いた。
父と母は、将軍から聖女の拉致を命じられていたの。
家族連れの方が聖女に近づきやすいという理由から、私もセントレイピアへと送られることになった。
聖女を手に入れれば、戦争は無くなる。
そう教えられていたから、私は喜んで両親に同行した。
……それなのに。
父も母も、聖女を連れ帰ることはせず、何も成し遂げぬまま本国へ帰った。
そして、軍をやめて平凡な生活へ戻ろうとしたの。
今さら光あるところに出られるわけはないのに……。
あの国に、任務を放棄した者の帰る場所など存在しない。
壊れた歯車なんて必要とされないの。
父も母も処刑されたわ。子供の目の前でね」
私は衝撃を受けた。
両親の死を目の当たりにした七つの子供に、その後の世界はどう映ったのか。
想像するのもはばかられる。
「私と両親の運命を狂わせた聖女への復讐。逆恨みだと思う?」
「間違っているのはバトラックスです」
「……正論ではあるけどね。それで納得できれば戦争なんて起こりはしないわ」
不意に、ヴァナディスさんが顔を拭う仕草を見せた。
それを見て、私は確信した。
グリーンドラゴンも人間。
人の心を捨てたと言っても、完全に心を手放すなんて簡単なことじゃない。
でなければ、お屋敷での七年間……彼女は私の頼りになるお姉さんを演じることなんてできやしないもの。
心がある相手なら、言葉で訴えかけることができる。
……何の力もない私でも、戦える。
「ご両親は戦争に嫌気がさしたから、軍を離れようとしたのでしょう!? あなたが軍に残っているのも不本意なはずです! 復讐を果たしたところで、ご両親は喜びません!!」
「……呆れた。そんな毒にも薬にもならないフレーズで、現実の人間を説得できるとでも?」
「うっ……」
「それに、バトラックスの軍人にとって戦争は大儀。父と母を狂わせたのは、聖女の〈聖圧〉による洗脳を受けたからよ。でなければ、あの人達が私の期待を裏切るわけがない!」
演説用バルコニーの手前まで来た時。
彼女は縄を取り出して、私を後ろ手に縛り始めた。
さらに、猿轡をくわえさせようとしてくる。
「おまえは替え玉の証人として、私の〈聖声〉に付き合ってもらう。私の邪魔をするようなら、容赦なく殺してやる」
「わわ、私を、殺すの?」
「邪魔をすれば、だ。おまえなど、私にとって捨て駒に過ぎないのよ」
彼女の顔は、背筋が凍るほどの狂気に染まっていた。
笑っているのか、怒っているのか、どちらともない表情。
……このまま何もできないの?
私は悔しくて、悲しくて、涙が溢れてきた。
「ヴァナディスさん、お願い。もうやめてぇ」
「私はフレイヤだっ!!」
泣きながら訴える私を、ヴァナディスさんが苛立ちを露に怒鳴りつけてくる。
私の言葉では、彼女の心を動かすことなんてできないんだ。
そう思った時――
「名前を間違うのは、失礼なことだよなぁ」
――アスラン様が私達からほんの数m先でたたずんでいた。
いつの間に……しかも、ポーションガンまで構えて。
「アスラン!?」
「でも、名前を間違えたくらいで絶交するやつなんて、はなから信頼のない証だ」
「銃を下ろせ! まさかダイアナごと――」
「はん。僕が撃たないとでも? 信頼が足りないぜ、緑髪」
そう言って、アスラン様は引き金を引いた。
銃口から飛び出したポーション爆弾は、まっすぐ私達の方へと向かってくる。
ヴァナディスさんは――
「くっ!」
――私を抱きしめるや、飛んでくる爆弾に背を向けた。
どうして……?
今さら捨て駒をかばうようなことを?
パリンッ、と容器が割れる音がした。
ヴァナディスさんの背中から、ポーション独特のすっとする匂いが漂ってくる。
それは爆弾ではなく、普通のポーションだった。
「……!」
「なんだよ緑髪。おまえ、まだ舞台を下りてないじゃないか」
「なっ」
「そんな中途半端な覚悟で、大事が成せるかよ」
「……ガキがっ」
ヴァナディスさんは私を突き飛ばして、アスラン様へと走った。
懐から取り出した小刀を持って。
「逃げて、アスラン様っ!」
「その必要はないさ。……だろう、おまえら?」
その時。
倒れていたはずのルーク様、アトレイユ様、ハリー様が、一斉に起き上がってヴァナディスさんへと向かってきた。
ザターナ様はまだ旦那様の〈聖養〉を続けているのに、なぜ!?
「この……ガキどもっ!」
驚きの表情を見せたものの、さすがはグリーンドラゴン。
三人の剣を立て続けに小刀で払い除け、大きく跳躍して距離を取る。
その隙に、私の前には三剣の貴公子が並び立った。
「よくもダイアナを泣かせてくれた」
「ダイアナの涙は、おまえに怯えたからじゃない。それをわかっているのか!?」
「ですね。あなたがダイアナを傷つけるところなんて、見たくなかった」
ヴァナディスさんは苛立ちを隠せない様子で、お三方を睨みつけている。
でも、立ち上がったのは彼らだけじゃない。
ソロさんもレイも、旦那様も。
そして――
「ダイアナが時間を稼いでくれたおかげです。あとは我々に任せて」
――アルウェン様も無事で、私の縄を解いてくれた。
「そんな……どうして全員起き上がれる!? 〈聖養〉はまだ……」
「聖女のすべてを知った気になるのは、少々早かったわね」
「ザターナ……様」
「いつから〈聖養〉が一人にしか使えないと思っていたの?」
「はっ」
「聖女の奇跡を舐めるな!!」
ザターナ様の叫び声が、屋上に響き渡る。
それに合わせたかのように、階段の方からは無数の足音が。
見れば、階下から続々とエルメシア教の人達が上がってきている。
完全に形勢は逆転したわ。
いくら強いと言っても、もう彼女一人で大告発を果たすことは叶わない。
逆に彼女の正体が白日の下にさらされ、この事件は終わるでしょう。
……でも、それでいいのかしら?
彼女の心の闇は、まだ色濃く残っているというのに。
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