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3/5

声を上げて泣く、長い時間かけて

 ◇



 その頃からだ。

 周りの暗闇が薄れてきた。まだまだ暗いけれど、自分の手がぼんやりと見える。こんな手をしてたかなぁ? 触ってみると手触りとか違う気がする。どうでもいいけど。爪は伸びてないなぁ。足の爪も。髪の毛は随分伸びたと思う。手触りも違う。私の髪は頑固にまっすぐ黒髪だった気がするんだけど、こんなに柔らかくてうねうねしてたかなぁ。座った状態でお尻に敷いちゃう事があるし。まぁ、そんな気がするだけで本当に敷いているのか判らない。なんせ、床とかないからね。ほんと、不思議な『死後』だ。


 相変わらず耳を塞げば自分の血流の音がする。それを聞くと落ち着く。膝を抱えゆっくりと微睡む様な日々を過ごして、私は少し変わったかもしれない。以前はいつもびくびくと怯えて、人の目を気にして、誰にも目を付けられないように、誰にも怒られないように、誰の機嫌も損ねないように、そればかり気にしていた。今は気にするような人の目は無いし、快適だなぁ。時々来るカミサマと話をして、眠って……そういえば、お腹空かないわ。暑くも寒くも空腹も感じない。何もないって凄い!すっごい幸せ!

 あぁ、私、自分のこと『幸せ』って思ってる!

 凄いっ! 凄いわ! 幸せだって! そんな単語、縁がなかったわ。私の側にあったのは『不幸せ』と『不運』しかなかったのに!


『凄いね!すっごく嬉しいんだね!』


 ……うん、そう! 嬉しい! 幸せが嬉しい!


『幸せのハードルが低過ぎるって、自覚してる?』


 え?


『何もないから幸せって、相当だよ?』


 だって、暑くも寒くもないし、お腹も空かないし、誰も私を殴らないし、痛い思いしなくていいし、こんなに心地良くていいの? って思うわ。


『……うん、いいよ。好きなだけ心地良くなって?』


 ありがとう!


『そう言えば、暑い寒いってそんなに“不幸せ”を感じるの?』


 感じるわよ! 日本の夏は暑過ぎて死者がでるのよ? 冬だってちゃんと防寒しないと死んじゃうわ。…沖縄とか南の地方は知らないけど。それに寒い時にお腹が空くのは、もう地獄なのよ! 胃に何か入ってないと凍死一直線だって聞いたわ。


『誰に?』


 カツユキさん。私を保護してくれた人。優しい人だったわ。あったかいご飯くれたし、綺麗な部屋に連れてってくれた。お金も出してくれたから、高校へも行けたし……。


『でもその人にお願いされてビデオに出たんでしょ? 嫌じゃなかったの?』


 あー。

 うん、そうだね。

 でも働かないとお金って入手出来ないんだよ? 私は働いただけで……


『未成年だった君を、アダルトビデオに出演させる事を“働く”って言うの、なんか違う気がするけど』


 ……やっぱ、違うよね。


『気が付いていたよね? 騙されてたって。本当に契約して働くのなら、もっとちゃんとした金額で出演できたと思うよ。裏モノだからはした金だし、ろくな男優じゃなかったから、君、堕胎するハメになったし』


 ……うん。


『君の言うカツユキさんは、悪い奴じゃん! 怒れよ! 君は不当な扱いを受けていたんだよ!』


 でも、嬉しかったんだ……お母さんと引き離してくれて、あったかい部屋とごはんをくれたの。お金もくれたし。


『君は本当に幸せのハードルが低いっ低すぎる! 怒れ! もっと周りを憎んで呪って自暴自棄になってもいいんだぞ!?』


 ……もう死んじゃったんだもん。何をしても無駄じゃない?


『あぁ……諦めは良すぎる……』


 へへ。それが取柄だもん。……そうでないと、毎日辛かったから、かも、だけど……。


  そうだね、カツユキさんには感謝もしてたけど、怖い人だってのも判ってたんだ。だってヤクザさんだったもん。背中に入れ墨あったもん。だから逆らっちゃダメだって思って大人しくしてた。言う事きいていれば酷い事はされなかったし……。やっぱり私って、だいぶ、不幸だったよね。そんな人しか回りにいなかった。


『うん。ボク、聞くからさ。そういう奴らを呪おう! 死んじゃえ! とか言っていいんだよ? 君、ちっとも言わないけど』


 あー。無駄な事はしない主義だったんだ、私。


『人間、無駄だと思ってもした方がいい事もあるよ!』


 ふふっ。ほんと、あんた変わってるっていうか、不思議だね。私に怒らせたがって、呪わせたがってる。なんで?


『君が近年稀に見るほど、不幸の星の下に生まれて、全てのヘイトを貯め込んで、悪い事ばかり引き寄せているから』


 は?


『そのくせ、芯は善良で他者に八つ当たりもしないで我慢ばかりして! ボクはね! 君がものっすごい呪いを抱えていると思ってたの! 君から聞けると思ってたの! 不幸話はなかなかのスケールだったけど! もっと恨みつらみはないの? お母さんのこととか、何人もきたお母さんの彼氏のこととか、あぁそうだ! 本当のお父さんのこととか! 自分の不幸は全部あいつらのせいだ! って、なんで言わないの?!』


 ……なんで? ………なんであんたが逆切れしてんの?


『諦めることばっかり上手で! そうやって感情を押し殺して! なんで?!』


 ……なんでかなぁ? 私にもわかんない。


『ぶっちゃけ言えば、君のは紛れも無く“親の因果が子に報い”だ。君の母親はロクデナシだ。言っただろ?少女Aは君にした仕打ちを自分の子どもにされたって。君が正しくソレだよ。君の不幸の始まりはあの親の元に生まれたことだ』


 あの親の元に生まれたのが、不幸の始まり……

 ……なんか、泣きたくなってきたんだけど。


『え?』


 泣きたい。あぁ、そうだね、私、不幸だった、可哀想だった、誰も私を可愛がったり褒めたり優しくしたりしてくれなかった。お母さんに見捨てられた子。それが私。やっと優しくしてくれた人はヤクザさんで、私を商売にする為に保護しただけ。やせ細っているよりある程度肉が付いている方が見た目がマシになるから食事を与えただけ。親切だった訳じゃない。高校に行かせてくれたのも“女子高生”という肩書を私に付ける為。商品を磨くのは当然の事。私は商品だっただけ。

 それでも!

 それだけでも!

 私を殴らない手は嬉しかった。だから自分を誤魔化していた。

 自分の為に泣く事さえ、できなかった。


 頬が濡れる。目の前にいるカミサマが涙の膜の向こう側に見える。


「う……うわーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ」


 ここに来て、初めて声を出した。

 泣き声だった。

 涙をこぼしながら、声を上げながら、ただひたすら、泣いた。

 つらかった。

 いろいろな事を我慢していた。

 温かくてふかふかの布団は嬉しかったけど、そこで寝る為に男の人とセックスをしなければならなかった。嫌だったけど、お布団でちゃんと寝たかったから、いう事をきいた。

 学校で授業を受けるのは楽しかったけど、人間関係は最悪だった。誰も彼も私に冷たかった。冷たいままならいいけど、暴力は嫌だった。先生に言ってみたけど無視された。私のいう事なんて誰も信じてくれなかった。

 本当なら。

 こんな時、本当なら親が、お母さんが私を庇ってくれるんじゃないの? あのいじめっ子の親は自分の娘を信じていた。“うちの子はそんな事しない”って言ってた。なんで? なんで私にはそんなお母さんがいないの? 本当に悪い事しても信じて庇ってくれる親なんて、いるとは思わなかった。羨ましかった。あの子ばっかり! ちゃんとした親がいて!

 なんで? なんで私ばっかり酷い目に合わなければならなかったの?

 なんで? 私ばっかり痛い目にあわなければならなかったの?

 なんで? 私には無条件に庇ってくれるような、ちゃんとした優しいお母さんがいなかったの?

 なんで? なんで? なんでなの?

 お母さんに、側にいて欲しかった。

 お母さんに、頭を撫でて欲しかった。

 お母さんに、優しく抱きしめて貰いたかった。


 あんな親でも!

 あんな親だから!


 私には理想的なお母さんは居なくて。

 そんなのテレビか本の中にしか居なくて。

 でもあのいじめっ子には居た!

 酷いっひどいっひどすぎるっ! あんな子には居たのに! 私には居ない!


 お母さんっ

 おかあさんっ


 お か あ さ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ん 


 遠い、とおい、遠過ぎる昔に、抱き締めてくれたのに。そこにお父さんも、居たのに。

 いつの間にか居なくなって。

 居ない。いないの。私のそばには、居て欲しいひとが、いないの……!


 温かい腕で私を抱き締めてくれた人、居た、のに……!


 あれは、誰、だった、の?


「バカーーーーーー! ばかばかっばかーーーーー!

 嫌いっ! みんな、嫌いっ!

 もぉ、やだーーーーー!

 うわああああああぁぁぁぁぁーーーー!!」


 泣いた。

 ただひたすら、泣いた。

 声を上げて泣き続けた。


 ずっと。ずっと……ずっと。






願(-人-):全国の『カツユキ』さんがこれを読みませんように

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