2、イングリッシュ・ローズ−4
「……いた」
道の先に見えた人影に、フェリは手を振った。
「エル!」
しんとした空気の中、突然響いた声に驚いたのだろう。小さな悲鳴が聞こえた。
「……フェリ? 迎えに来てくれたの?」
けれどそれが父親だとすぐに気づいて、エルはすぐさまかけよってきた。水たまりにはまるのも気にしない。姿を見るなり駆け寄って、腕に飛び込んでくるのは、昔から変わらなかった。
「帰りが遅いから、心配したんだ」
「ごめんね。ちょっと、いろいろあって」
抱きしめるエルから、薔薇の香りがする。いつもとは違う高貴な香りがするけど、その手に薔薇はなかった。
「雨に濡れなかった?」
「うん、大丈夫。ちゃんと雨宿りしたから」
「こんなに遅くなるならお店に泊めてもらえばよかったのに」
言って、フェリはしまったと思った。気づいてはいたけど、エルは秘密にしているつもりだったのだ。
「……ばれてた?」
「まぁね」
「ごめんなさい」
「どうしてあやまるのさ」
しゅんとたれた頭を、フェリは乱暴になでてみせる。自分が予想していなかったのだろう反応に、エルはきょとんを顔をあげた。
「ずっと館にこもってるより、外で出歩いたほうがいいと思うよ。町には、僕が教えられないいろんなことがあるしね」
「怒らない?」
「怒らないって。内緒にされるとちょっと寂しいけど」
ごめんね、と、エルが舌を出す。雲が切れて月が見え始め、その横顔がやんわりと照らされた。
先ほどまであれほど静かだった道が、エルがきてから、鮮やかに色づき始めた。道端ではかえるが鳴き、森の木々でふくろうが鳴いている。先ほどまで雑音ばかりだった風が、ゆるやかに木々を揺らしていた。
いつもこう。エルがいると、フェリのまわりの世界がかわってくるのだ。
「明日も町に行きたいんだけど、いい?」
「いいよ。どうせ、ダメって言ってもエルは勝手に行くんだしね」
空気をゆらす柔らかい声。フェリを見て照れくさそうに笑う顔。
その一つ一つが、フェリを和ませる反面、心にかすかな痛みを与えるのだった。