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2、イングリッシュ・ローズ−1





   2 イングリッシュ・ローズ






「――あれ」

 身支度を整え、朝食を作ろうと思い立ち、エルはテーブルを見て足を止めた。

 花瓶にまだ、薔薇が残っている。フェリはいつも、買ってきた薔薇は新鮮な夜のうちに全部食べてしまうはずなのに。残すなんて珍しい。

 残った薔薇はどうしよう。砂糖漬けにしようかな。そんなことを考えながら花瓶を手に持ち、エルは気づいた。

「全部……残してある」

 いつもの白薔薇はすべてなくなっている。

 けれど昨日、ジャスティンからもらったピーチ・アバランチェだけが、昨夜の数のまま残されている。口に合わなかったのだろうかと考えて、違うとエルは首を振った。

「残しといてくれたんだ……」

 フェリは気づいていたのかもしれない。この薔薇が、エルのために贈られたことを。だからあえて手をつけず、残しておいてくれたのだ。

 昨晩、いつの間にか眠ってしまったはずなのに。部屋に運んでくれたのもフェリだった。ずいぶん重くなってしまったはずなのに、あの細い体は見かけのわりに力があった。

 お礼を言おうか。けれど、彼はもう寝てしまっている。下手に寝室に日の光を入れるのもはばかられて、エルは花瓶を自分の部屋に戻した。

 今日もまた町に行く。そしてジャスティンの花屋を手伝わなければならない。今日は花束の予約がたくさん入っていて、とてもひとりじゃ手に負えないから手伝ってほしいと前もって言われていた。

 朝食のサンドイッチをバスケットにつめ、エルはまだ肌寒い外を考えてコートを羽織る。カーテンをひらくと外は夜が明けたばかりで薄暗く、霧がかかっていて雨まで降りそうだった。



「さすが、エル。よくわかってるな……」

 エルが店についた頃は、まだどの店もしまっていて、花屋ももちろん、閉まっていた。けれど家のカーテンだけはあけられていて、眠い目をこすったジャスティンは、エルの姿に気づいてすぐに家にあげてくれた。店の入り口にはめ込むようにできた大きな木戸は、ちゃんと表からも出入りができるよう、小さな扉がつけられている。

 朝ごはんは食べたの? そう訊いたらやっぱり食べていなくて、エルが持参したサンドイッチを一緒に食べることになる。

 半分夢の中のジャスティンをたきつけて身支度をさせ、エルもエプロンをする。彼の店を手伝うのは初めてではない。エルはすっかり、この店での良い働き手となっていた。

「そんなに、花束の注文多いの?」

「まぁ、ニコラさん家の注文だからな……」

 ニコラさん。それはこの町で一番大きな家に住む、町長の息子のことだ。お金持ちで見た目もよく、この町の人々の中で一番いい服を着て一番いいものを食べる、いわばぼんぼんだけど、年齢は盛りをとっくにこえている。

 ニコラ家の一人息子は、月に一度、ジャスティンに大量の花束を注文してくる。その注文の内容はとても細かく、しかも出来上がったものはすべて指定した家に届けるようにとまで言ってくる。店の経営につながるのだからジャスティンも表立って文句は言わないけれど、毎月来るその注文を『ニコラの日』と呼んで内心びくびくしていた。

 夜は防犯のためにと閉めきられている店の中は、まるで目に見えるのではないかというぐらい、花の香りが充満していた。昨日はそれほど気にならなかったけど、閉ざされた店に花を一晩置くだけで、空気がこれほどに変わるとは。エルは胸いっぱいに、その甘い香りを吸い込んだ。

「これ……薔薇の香り?」

「そう。今月の花束は全部薔薇にしてくれって。めずらしく細かいこと言わなかったけど、ニコラさんの花束だから、使う種類も気ぃ使うわけよ」

 なかば文句のように呟きながら、ジャスティンは店の奥から薔薇の入ったかごをいくつも持ってくる。裏口から外に出て、猫の額ほどの小さな庭にも、まだいくつか隠していたらしい。かごの底にはきちんと水の入った器があって、それは店に並んでいるものではなく、買い付けしたばかりのものだった。

「だから買い付けに時間がかかったのね」

「予算に関しては何も言わないから、山ほど使ってやろうと思ったわけ。まぁ、ニコラさんも豪華なものにしてくれって言ったしさ」

 エルも運ぶのを手伝おうとしたけど、断られた。どうやらそうとう重いらしい。

 花束を作るために、作業台の上を片付ける。今日の薔薇にあわせて買ってきたリボンは色鮮やかで、包装に使う紙も、布かと思うぐらいにやわらかくて高級なものだった。

 ジャスティンが今月用意したのは、イングリッシュ・ローズだった。

 これはそうとう高価なはずだ。ものを見て、エルは息を呑む。こんな小さな町では、花を仕入れるのも一苦労。西の町にある市場でも人気のある花はすぐに売切れてしまうのだから、これだけのイングリッシュ・ローズを仕入れるのはとても大変だったろう。

「豪華な薔薇だね」

「人気のあるやつばかりにしたからな」

 その大きさは、アバランチェにも負けていない。幾重にも重なった花びらのものもあれば、一重の優雅なものもある。どれも香りが強くて、とげも少なく、見た目に気品があった。

 花束の形を作るのはジャスティンの仕事。彼は見かけによらす、とても繊細な仕事をする。ただ薔薇だけの花束にするのではなく、一緒にトルコキキョウやカスミソウも使う。彩りも形も、すべてのバランスを考えて、できあがったものはエルがラッピングする。

 なにせ注文は大量だから、午前中はほとんどこの作業に費やされる。だから、店を開けるのは午後になってから。午後からジャスティンは配達に出かけ、その間はエルが店番をするのだ。

「これ、今日一日で間に合うの?」

「間に合わせるためにエルを呼んだんだ。おれ、夜中に仕事するの嫌だからさ」

 エルが手伝う前の彼は、前日の夜中から花束作りを開始し、当日はまる一日店を閉めて作業をしていた。

 がさつで豪快な性格をしたジャスティンがつくる、繊細で色鮮やかな、見るものを喜ばせる花束。それがどうもミスマッチで、作りかけの花束をもってどうしようか考えている彼の姿は実に奇妙だった。ラッピングをしながらその姿を見て、エルは思わず笑ってしまう。

 作業を続けるうちに、他の店も仕事を始めたらしい。店の戸を開ける音があちこちから聞こえてくる。ジャスティンはのんびりと鼻歌をうたっていた。

「今日の配達は、どこまで?」

「今日は幸い、町内だけなんだ。ニコラさんも檀家さんがいっぱいいるからねー大変だよ毎月毎月」

 口元を奇妙に歪ませて、彼は言う。首をかしげるエルに、ジャスティンは声をひそめて教えてくれた。

「届け先、全部女の人の家なんだ」

「そうなの?」

「毎月毎月、花束は全部女の人にあげてるんだ。唯一ひとつだけは自分で取りに来るけど、あの人の良い噂はあんま聞かないし……」

 ジャスティンがこの町で店を開いて、一年が過ぎた。商店街にはいつもいろんな話が飛び交うから、嫌でも頭に入ってしまうらしい。どこそこの家の旦那さんが奥さんに逃げられた。そんな話は可愛いほうだ。

「ニコラさん、昔から女遊びが多いらしいんだよ。だからエルも気をつけろよ」

 ニコラ氏の噂はかねがね聞いていた。

 良い家のおぼっちゃまなのだから、もとから結婚する相手は決まっていたらしい。けれど彼はその結婚を断り、今も独り身でいる。

 時期町長という身ながら、嫁を迎えるつもりも、跡継ぎをとるつもりも無いらしい。昔は縁談の話がたくさんあったらしく、一時は式の準備までしたけれど、結局前日になってやめてしまったという話もあった。

「あたしは大丈夫だと思うけど……」

 ジャスティンは、妙なところで細かい。いいから、気をつけろ。念を押して言うので、エルもそれに適当にあわせておいた。

「噂といえば、最近、なんか面白い話とか聞いた?」

 エルはあくまでも隣町の子で、実際はこの町の子といえど、ほとんど館にいるから町のこともあまり知らない。だからジャスティンにいつも、この町でのいろいろな話を教えてもらっていた。

「そういや……また吸血鬼伯爵の話を教えてもらったけど」

 そしてエルが何より興味を持つ、吸血鬼――フェリのことにも詳しい。

 エルが吸血鬼の話になると目の色を変えることを知っているジャスティンは、苦笑いをしながらも、作業の手を止めないことを条件にその話を教えてくれた。







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