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7、ロイヤル・ハイネス-5

 抜けるほど白い肌。その奥に、かすかに青い血管がのぞく。耳をすませば、彼女の寝息とともに、心臓が打つ鼓動が聞こえてくる。そして身体をめぐる、血の流れまでが聞こえてくるような気がする。

 川の流れにも似た、その音。激しく荒れ狂う、波の音。地面を揺らす大地の鼓動。人の、命が流れる、音。

 その音を聞くたびに、フェリの身体は、熱く燃え滾る。

 彼女の鼓動に呼応するかのように、フェリの心臓もまた、強く鼓動し始める。流れる血が頭に上り、耳の奥で音がこだまする。まぶたが見開かれ、髪の毛が逆立つように、肌がざわめくのが自分でもよくわかる。

 つばを飲むのどが、やけに渇いている。

『……ルーシー?』

 フェリは、彼女の耳元でそっとささやいた。

 感情が高ぶり、震え始める指で、彼女の頬を撫でる。

 唇、顎、喉。指をすべらせながら、むき出しになった鎖骨を撫でる。ルーシーが口の中で何か呟き、上下する喉を指の下で感じたとき、フェリの唇が動いた。

 ごくり、と喉が鳴る。乾いた唇を、舌で湿らせる。口を開き、牙をむきだしにする。

 彼女はまだ、目覚めない。

 自分の吐息が、彼女の肌にかかる。肌に当たり、跳ね返ってくる自分の呼気で、息が震えていることに気づく。

 間近で見てもなお、白く、美しい肌。なだらかなライン。薄い皮膚。


 その下を流れる、赤い血潮。

 

『……ん……』

 かすかに聞こえた声に、フェリの鋭く光る牙が離れた。

『……ルーシー?』

 再度呼びかけてみるけれど、彼女はそれきり、何も言わない。ややあって規則的な寝息に戻り、フェリは深く息をついた。

 両手で、自分の口を覆った。早くなりそうな息を、自分の吐いた息で紛らわせ、どうにか平静を取り戻そうとした。

 自らの首筋に爪を立て、息を殺すほどに力をこめる。指先に触れる脈がやけに速い。こめかみから汗がにじんで、首もとまで伝うのがわかる。

 それが落ち着いたころ、自分の指先を見ると、爪の間に血がたまっていた。フェリは指先に唾液を取り、傷ができたであろう首筋に塗る。

 ルーシーの肌に傷がないことを確認し、こわばっていた身体からどっと力が抜けた。

 布団を首もとまでしっかりとかけ、髪で耳元までしっかりと隠す。かすかに震えるまつげを見ながら、目にかかる前髪をそっとはらった。

 金の髪の散らばる額に、フェリは口づける。

『おやすみ、ルーシー』

 そして、部屋を後にした。


        ●


 フェリは気まぐれに、日があるうちにルーシーのもとを訪れることにした。

 太陽が空の端に残るとはいえ、すぐに日も沈む。雲が多く、日陰も多い。肌を隠すローブさえあれば、吸血鬼も夜の闇から抜け出すことができる。

 ルーシーを驚かせようと、裏口から音を立てないようこっそりと忍び込むと、彼女は同じく下の階にいた。

『――もう帰って』

 てっきりフェリに言われたのかと思って身構えたけれど、彼女はフェリの訪問に気づいていないようだ。表の入り口をわずかに開き、誰かと話していた。

『もう来ないで。あたしはひとりでやってみせるから』

 冷たくそう言い放って、ルーシーは扉を閉める。いつになく乱暴な手つきで鍵をかけなおし、二階の部屋に戻ろうとして、ようやくフェリの姿を見つけた。

 きゃあ、と短い悲鳴を、彼女は慌てて手のひらで押さえ込む。もう片方の手がお腹をおさえたのを見て、フェリはフードを脱いだ。

『ごめん。驚いた?』

『驚いたわよ。出てきちゃったらどうするの』

 彼女の言葉で、もうそんな時がきたのかと驚く。ゆっくりとした足取りで歩く彼女を気遣いながら階段をあがり、部屋に戻ると、ルーシーは深いため息をついてソファーに沈み込んだ。

『水、飲むか?』

『ありがとう……』

 弱弱しい声でコップを受け取り、彼女は一息でそれを飲み干す。いつもは逆で、フェリが水をもらう側なので、なんだか妙な気分だった。

 今日のルーシーは、とても、弱い。

『今のは、サマンサか?』

『まぁ、そんな感じ』

 曖昧に流し、彼女はお腹をひとなでする。しばらく手をそえたまま、わが子の様子を確認する姿に、フェリは訪問相手が誰だったかを悟る。そしてそれを口に出していいかと迷っているうちに、ルーシーと目があった。

『今の……』

 言っていいのか。いいのだろうか。

『この子の父親』

 フェリの逡巡の間に、彼女が言った。

『顔、見た?』

『見てない』

『よかった』

 今まで、フェリが訊くに訊けなかったことを、ルーシーは自らもちかけてくれた。

 子供は一人でできるものではない。

 相手がいないと授からない。

 ひとりで花屋を経営し、一人で暮らし、ひとりで子供を産もうとしているルーシーの、相手となった人は一体誰なのか。

 それはフェリがずっと、抱き続けていた謎だった。

『もう会わないって約束したのに、今さら来られたって困るよね』

 自嘲気味に笑い、ルーシーは外を見やる。傾いた太陽は赤く色づきはじめ、差し込む光も弱弱しい。太陽の力は、フェリに届く前に消えてしまっているようだった。

 カーテンを閉めながら、フェリは思う。どんなに姿を潜めたとしても、夜に窓からもれる光で、相手はルーシーがここにいることを知っているはずだった。ではなぜ、今までろくに会いにこなかったのか。

 それはもちろん、事情があるに違いない。

『あの人ね、あたしが子供産むの、反対してるの』

 もうすでに、子供を堕ろせる時期はとうにすぎている。臨月に入り、いつ産まれてもおかしくない。そこにきてまで反対しに来る相手に、彼女はまた、ため息をついた。

『相手は、独り身じゃないのか?』

『独身よ、まだ』

 ルーシーの言葉で、フェリは察した。

『もうすぐ結婚するみたいだけどね。婚前に妻以外の女と関係を持って、ましてや子供がいるなんてばれたら大変でしょう?』

 どんなにルーシーが内緒にするとしても。ひとりで育てるとしても。隠し子がいることには変わりない。未来にそんな危険を残すよりは、今、断ち切ってしまえばいいと、相手は考えているのだ。

『最初はね、父親が誰かだまっていれば、産んでもいいって話だったの。でも、こっちが覚悟決めたとたん、産むなって言い出したのよ』

『……それでも相手のこと、愛してるのか?』

『まぁ、前よりはってほどじゃないけど』

 お腹を撫で、彼女は言う。もうすでに彼女から、いつかのような、赤らんだ頬は消えてしまっていた。

『なんていうか、好きな人の子供を産みたいっていうんじゃなくて、宿った命を殺すことをしたくなかったのよ』

『子供には父親がいないって、考えたりしなかったのか?』

『したわよ。でも、産むことにしたの。今までひとりだったあたしに、やっと家族ができるんだもの』

 おかしい? と訊かれて、フェリは返事に困る。残念ながら、フェリは男。子供を宿すことはできなかった。

『どんなに願ってもね、あたしの両親はもう帰ってこないの。命はひとつきりなのよ。この中にある命を、殺すのは簡単だわ。でも、同じ命は決して戻ってこないのよ』

『…………』

 黙りこんでしまうフェリに、彼女は苦笑した。

『もうわかってるだろうけど、妊娠を隠すために店を閉めて、みんなの目につかないようにしてるの。あたしのこと知ってるのは、サマンサと、あの人だけよ。まぁこんな田舎だから、いずればれるかもしれないけど……』

 だから、産婆にもかかっていない。初産で不安なはずなのに、フェリが会う彼女はいつも気丈としていた。

 そこで彼女は言葉を切り、徐々に光りだした月を見上げた。もうすぐ満月に差し掛かるのを見て、いつだか『子供は満月に産まれることのほうが多いんだよ』と教えてくれたものだった。

『エルが産まれるとき、フェリも来てくれる?』

『ひとりで産むのか?』

『いちおう、サマンサには頼んでるんだけどね……あ、鉢合わせしたら危ないから、やっぱり産まれてからのほうがいいかな』


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