7、ロイヤル・ハイネス-3
『じゃあ、ロイヤル・ハイネスで』
『あら奇遇。私も好きなのよ、ロイヤル・ハイネス』
フェリは味として。ルーシーは見た目として。目的は違うけれど、数多くある品種の中から同じものを選んだことに、なぜか親近感がわいた。
白い歯を見せながら笑い、ルーシーはふと、フェリの顔をまじまじと見つめた。露骨な視線に、フェリが顔をしかめてもおかまいなしだった。
『フェリは、ロイヤル・ハイネスに似てるわね』
『……どういう意味だ?』
『その白い髪とか肌とか、頬の色とか唇の色とか。それにしても、可愛い顔ね。女の子みたい』
褒められているのかけなされているのかわからなくて、フェリは眉間にしわを刻むことしかできなかった。
『ああでも、今年は庭の、うまく咲かなかったの。ここらへんじゃあまり手に入らないから、期待しないで待ってて』
来るたびに、約束ごとのようなものが増えてゆく。
フェリは彼女との間に増えて行くことに、すこしばかり、不安を覚え始めていた。
●
『こんばんは、ルーシー』
『こんばんは、フェリ』
ようやくその挨拶になれたころには、フェリの訪問も監視というような堅苦しさはとれ、ルーシーが寝る前の団欒のひと時、といったものに変わっていた。
彼女の作った料理を食べ、話をする。長いことひとりの生活を続けていた彼女にとって、会話をする相手がいるというのは、とても嬉しいことであるようだった。
フェリとしては、会話をする相手というものがいなくなってからの時間をあまりにも長く過ごしたため、最初は自分が声の出し方を忘れてしまったのではと思うほどに言葉が出てこなかった。ルーシーはフェリの凝り固まった声帯をほぐし、会話をさせることで、遠い昔のことなどを思い出させてくれた。
さすがにもう、わざとらしくお腹を見ることはしなくなった。ただ、彼女の手が頻繁にお腹を撫でるのを見ると、大きくならないことを望んでいた自分を忘れてしまいそうになる。
『もうしばらくしたら、店を休むことにしたの』
業務日誌を書く手を止めて、彼女はそう言った。
『お腹が目立ちだしたら、家にこもって大人しくしてるわ』
『別に、子供がいても働くには支障ないんじゃないのか?』
『働くには全然問題ないんだけどね。ちょっと事情があって、しばらく姿を消すことにしました。町にはいるけど』
その事情について、くわしく訊くのはやめた。彼女が時折見せる思案の表情は、産まれてくる子供に対しての期待と不安、というわけでもなさそうなのはうすうす気づいていた。
『収入とかは大丈夫なのか?』
『親が残してくれたのがいろいろあるからね、しばらくは大丈夫』
『食料とかは?』
『友達に頼んであるから大丈夫』
友達とは、隣の八百屋の、サマンサという子のことだろう。飾らない、豪快な笑顔が印象的な子だった。ただし、血を吸い、時をとめたいとは思わなかった。
『だからあたしのところに来るときも、誰かに見られないように注意してね?』
『いつもしてるよ』
『知ってる』
いつもの彼女の軽口だ。けれどルーシーは笑みを見せた反面、口もとが笑いきれずにひきつっていた。
『フェリ……』
『ん?』
『あまり綺麗な薔薇、出せなくなっちゃうけど、いい?』
他にもなにか言いたげなのを、彼女は隠しているようだ。けれどフェリはそれに気づかないふりをして、肩をすくめてみせた。
『別に、無理して出さなくてもかまわないよ』
ルーシーのもとでいただく薔薇は、どれもみずみずしく、のどを潤すものばかりだ。花瓶にささった薔薇をいつものようにいただきながら、フェリはちいさな嘘をついた。
『結局、ロイヤル・ハイネスも仕入れないままだわ。ごめんね』
『いいよ、別に』
また花屋を開いたときにすればいい。
そう言いかけて、フェリは気づいた。
次に花屋を開くのは、ルーシーが子供を生んだ後のこと。
ルーシーは子供を生んだ後、フェリに血を譲ると約束している。
花屋はもう、二度と開かないのだ。
『……フェリ?』
突然押し黙ったフェリに、ルーシーは声をかける。彼女自身、自分が花屋を再び開けるかどうか、考えているのか謎だった。
『僕も、薔薇を育ててみようかな』
『フェリが? できるの?』
『わからないから、教えてほしい』
めずらしいフェリの素直な言葉に、ルーシーは一瞬きょとんとして、すぐにぱっと笑った。
『いいわよ。でも、けっこう難しいわよ?』
ルーシーの育てる薔薇の株を分けてもらえることになった。
彼女のかけらをもらえた気がして、嬉しく思う自分が、とても不思議に思えた。
●
宣言どおり、彼女はそれから一月ほどたったころ、店の戸を完全に閉めてしまった。
切花はすべて処分してしまったけど、鉢植えなどは部屋に運んでいる。重そうな鉢を運ぶときは、フェリが不安になって、彼女の腕からひったくって運んだ。
二日に一回というペースで、サマンサがルーシーの様子を見に来る。たまにフェリが訪れる時間に重ねてくることがあり、あわてて身を隠すうちに、二人が幼いころからの親友だということを知った。
『ねえ、フェリ。訊いてもいい?』
『駄目って言っても、どうせ訊くんだろ?』
図星だったらしく、ルーシーは苦笑した。
いつもどおり、フェリは椅子に腰掛け、薔薇を食べていた。最近ズボンなどがきつくなってきたらしい彼女は、スカートを好むようになっていた。深緑の丈の長いワンピースがお気に入りで、よく着ていた。
『フェリは吸血鬼になる前、なにをしてたの?』
『吸血鬼になる、前……?』
質問の意味がよくわからず、フェリは首をかしげる。そして彼女のよく読む本の内容を思い出し、ああ、と呟いた。
『僕は、誰かに吸血鬼にしてもらったわけじゃないよ』
よく、吸血鬼の伝説の中に、血を吸われた者は吸血鬼になるという話がある。あるいは、吸血鬼の血を飲んだ者も仲間になる、という話もある。
残念ながらフェリには、血を吸おうとも血を飲ませようとも、人間を吸血鬼にする力は持っていなかった。
それは、フェリがそういう手段で吸血鬼になったわけではないからだ。
『僕は、生まれたときから、吸血鬼だったから』
『……そんなこと、あるの?』
きっと、どの本にも、吸血鬼の赤ん坊の話は無かったのだろう。ルーシーは目をまるくして、フェリを食い入るように見つめていた。
『僕の両親が、吸血鬼になったばかりで、まだ若かったからかもしれないね。人間の生殖機能がまだ若かったから、きっと僕を身ごもったんだと思う』
吸血鬼は、不老不死になったとしても、限界がある面もある。年とともに髪は白くなるし、生殖活動もできなくなる。だから吸血鬼同士で子供ができるのは、本当に稀なことだった。
『人から吸血鬼になったんじゃ、こんな赤い瞳には産まれてこないよ。僕は吸血鬼の中でも、珍しい部類に入るんだ』
赤ん坊から青年になるまでの時間は、人間のそれと大して変わらなかった。青年の姿のまま、老化しなくなったのは、その年頃から血を多く摂取するようになったからだ。
『……そうか、だからだったのね』
『なにが?』
『フェリが、人間らしくないなって、思ってたの』
ルーシーの言葉の意味がうまくのみこめず、フェリはまた首をかしげる。彼女もうまく言葉にあらわせられないようで、唇をとがらせ、しばらく考えてから口を開いた。
『もし、自分が、吸血鬼になったら……って、あたしたまに考えることがあるの』
その手が、自分のお腹をそっと撫でた。どうも、彼女の癖になりつつあるようだ。
『生きるためには、血を吸わなければならない。でも、それはかつて自分も仲間だった、人間でしょう? その人間の血を、ほんのすこし分けてもらうことはできても、あたしはそう頻繁に血を吸えないだろうなと思って』