6、ブルームーン-4
ノックも何もせず、エルは扉を開ける。ここは自分の家なのだから、遠慮も何も要らなかった。そして月明かりの差し込む部屋に浮かぶ姿に、ほっと安堵の息をついた。
「フェリ……」
彼はいつものとおり、部屋の真ん中で、椅子に腰掛けていた。
いつもどおり、窓から、月を眺めている。エルは一月に二度やってくる満月のことを、ブルームーンと呼ぶのを思い出す。今日はまさしくその日だった。
今日は満月だ。だから、ワインを飲んでいてもおかしくない。けれど床に置かれた瓶の数は多く、館中のものをかき集めたことがすぐにわかった。
やはり彼は、血が足りないのだ。
「やっぱり、戻ってきたんだね」
フェリはエルを見ても、おかえりとは言ってくれなかった。
ローブはいつものとおり、部屋の壁にかけられている。腐蝕した顔は髪で隠され、あの腐臭も、開け放った窓により、いくらか緩和されている。
もう切り落としたものだと思っていた腕は、まだ残っていた。けれど腐敗が進んでいるのであろうことは、力なく垂れた腕の様子でわかる。その黒く変色した指先を見る限り、右腕はもう、動かないのだろう。
「傷、どう?」
「あいかわらずかな」
答えるフェリの顔の腐敗が、首にまで広がっていることに、エルはようやく気づいた。一歩、二歩とおぼつかない足取りで近寄ると、よけいにその傷の痛々しさが目にしみた。
使い物にならなくなった右腕は、利き手だっただけに、残った左手では何をするのも不便そうだ。グラスに何杯目かのワインを注ぎ、それを一気にあおる。肩で息をつく彼は、酔っているわけでもなかった。
「もう、そんなに、もたないと思う」
「そんなこと……」
ない、とは、言えなかった。ほんのわずかな時間で、こうも腐敗が広がってしまうとは、自分が思っていたよりも、太陽の腐蝕は深刻なものだったのだ。
「太陽の腐蝕もね、全身に浴びればほんの一瞬のことなんだ。光を浴びてもなお、生きようとすると、こういう風に腐っていく。いさぎよく浴びちゃえばよかったかな」
ふっと嘲笑を漏らし、彼はエルを見た。
「僕に話を聞きにきたんだよね?」
「……うん」
おいで、と手招きされて、エルはいつもの椅子に座った。
窓から、月が見える。満月の夜は、いつもこうして、フェリの話を聞く日だった。
いつもは、おとぎ話だったのに。神話だったのに。絵本だったのに。
「僕も、いずれは、エルにこの話をするつもりだったんだ」
今宵の話は、フェリが長く口を閉ざしていた、過去の話だった。